はじめに
一九一三年九月、二次革命が袁世凱に鎮圧された後、南京事件155などの解決に伴い、一
〇月六日、日本はイギリス、フランスなどと協調して、中華民国政府を正式に承認した。156 袁世凱政府はこのように国際上において列強の承認が得られ、国内において、独裁政権の 強化を進めていた。しかしながら、中華民国が成立してから、財政上の基礎が整わず、政 府はずっと財政難に苦しんでいた。そして、袁世凱政府は政権の基礎を固めるため、積極 的に列強諸国からの借款を通してこの財政の問題を解決することを図った。この時、日本 は新興の帝国として、国力が弱り、大規模な対華借款の提供ができないのみならず、欧米 列強が借款を通じて中国に対する経済の侵略にたいしてもほとんど施策を講じようがなか った。加えて、満蒙における諸権益は米国のハリマン案、新法鉄道並に愛琿鉄道計画、ノ ックスの満鉄中立提議等により少なからざる打撃と脅威をうけるという心細い状態であっ た。157日本はこのような危機を乗り越え、局面を打開しようとした時、第一次世界大戦が 勃発した。そこで、日本は躊躇せず、これを中国における権益拡張の好機としてとらえ、
間も無く参戦の決定を下した。
この時期、日本は第二次大隈重信内閣発足したばかり(一九一四年四月)、加藤高明が政 府の外交を主導していたのである。この時期の外交について、従来かなりの研究が蓄積さ れている。これらの先行研究に関して、大別して、主に二つの視点から検討されてきた。
一つは、日本政治の内在的な視座よりこの時期の外交は加藤外相の強力なリーダーシップ のもとになされたかどうかをめぐって論を展開してきた。158もう一つは、陸軍という視点 から当時日本大陸政策の特徴、変容、陸軍の対華要求などについて考察してきた。159この ようなマイクロ的な視点より日本政治構造の内部からこの時期の外交問題に対して考察を
155 拙稿第一章「辛亥革命後日本対華外交の出発」を参照。
156 中華民国政府を承認する問題について最新の研究は郭寧「尋求主導:日本与承認中華民国問題(一九一二〜
一九一三)『抗日戦争研究』(第三号)二〇一六年、を参照。
157 小幡酉吉伝記刊行会『小幡酉吉』小幡酉吉伝記刊行会、一九五七年、八一頁を参照。
158 信夫清三郎『大正政治史』、勁草書房、一九六八、升味準之輔『日本政党史論』(三)、東京大学出版会、二
〇一一年、齋藤聖二『日独青島戦争 秘大正三年日独戦史』別巻二、ゆまに書房、二〇〇一年、小林啓治『総 力戦とデモクラシー 第一次世界大戦・シベリア干渉戦争』吉川弘文館、二〇〇八年、山室信一『複合戦争と 総力戦の断層 日本にとっての第一次世界大戦』人文書院、二〇一一年、奈良岡聡智「参戦外交再考」戸部良 一編『近代日本のリーダーシップ 岐路に立つ指導者たち』千倉書房、二〇一四年、Peter Lowe, Great Britain and Japan, Macmillan, 1969, Frederick R. Dickinson, War and National Reinvention: Japan in the Great War, 1914-1919, Harvard University Asia Center, 1999。
159山本四郎「参戦・二一ヶ条要求と陸軍」『史林』五七巻四号、一九七四年、小林道彦「世界大戦と大陸政策の 変容—一九一四〜一六年」『歴史学研究』六五六号、一九九四年。
行い、日本の対華政策の変動において、外務省、陸軍側それぞれの主張、役割などを明ら かにする研究はもちろん不可欠なのである。しかし、このような研究の枠組みに様々な問 題点が包含され、従来十分行われてきたとは言い難い。本章は従来それほど重視されなか った陸軍、外務省、と右翼(国民外交同盟会)の三者の第一次世界大戦勃発直後の動きに 焦点を当て、日本の参戦問題、山東鉄道の占領などを中心に、そのデイテールをめぐる研 究を行い、当時日本の対華外交政策の展開過程の一角を描き出すことを目指す。
第一節 満蒙問題解決への固執
日本の参戦問題は、従来の同盟国イギリスの突然の要請にはじまった。これに対して、
斎藤聖二は八月一日に、加藤外相の指示によって、駐英日本大使井上勝之助がすでにグレ イ外相と面会し、イギリスの今後の動きに関する打ち合わせをはじめていたと主張した。160 しかし、戦争が勃発した際、中国において直面した状況からみれば、戦争の勃発は日本の 政治・軍事指導者にとって待ちに待った中国問題解決の絶好のチャンスだと言える。161
すでに、七月三〇日、明石元二郎参謀次長は寺内宛の書翰において、ヨーロッパでの戦 争の成り行き次第では「我国之東亜ニ於ケル権威確立之好機ヲ生スへキ事ト存居候、最モ 注視ヲ可要存居候」との意見をしめした。162ここから、参謀本部の戦争を「好機」ととら える認識が見える。また、関東都督福島安正は、戦争勃発の直後の二七日から八月一日に かけて表向き青島総督への表敬訪問という名目で大連民政署長以下幕僚三名と青島を訪れ、
情勢視察をおこなった。のちに福島は寺内に、「堂々タル我軍青島ヲ攻略スルハ固ヨリ易々 タル事ニ候得共、進テ膠済鉄道ヲ専有シテ我利権ヲ支那ノ中央ニ進メ、又不言ノ間ニ東南 ヨリ北京政府ヲ威圧シテ、満蒙ニ対スル我政策ヲ容易ナラシムルコト、不堪切望次第ニ御 座候」と書き送った。163参謀本部の戦争が好機だとの認識と比べると、関東都督府は直接 このチャンスを利用して堂々と青島を攻略し、膠済鉄道を通し、中国中央、進んで満蒙に おける権益の拡張を図ると考えていた。八月七日、寺内は後藤新平宛書翰で「東亜の大局 を支持するものは何人にも無之、我帝国ならざるべからず」「我の権利を確保し、益満蒙及 支那に展開の途を開く事当局の急務には有之間敷や」と記し、積極的な権益拡張を主張し ていた。164一六日、陸軍大将宇都宮太郎は日記に「千載一遇として待焦がれたる欧州の大
160 斎藤聖二「日独青島戦争の開戦外交」『国際政治』第一一九号「国際的行為主体の再検討」一九九八年、一 九二〜一九三頁。
161小林道彦「世界大戦と大陸政策の変容—一九一四〜一六年」『歴史学研究』六五六号、一九九四年、三頁。
162 『寺内正毅関係文書』(国会図書館憲政資料室藏六—三三、斎藤聖二「日独青島戦争の開戦外交」『国際政治』
第 119 号「国際的行為主体の再検討」一九九八年、一九四頁。
163斎藤聖二「日独青島戦争の開戦外交」『国際政治』第一一九号「国際的行為主体の再検討」一九九八年、一九 四〜一九五頁。
164 一九一四年八月七日付後藤新平宛寺内正毅書翰(「後藤新平関係文書」奥州市立後藤新平記念館、戸部良一
戦争は此に爆発し、(中略)帝国大発展の為、即ち自大自強自存の政策の為、帝国は此機会 を十二分に利用せざる可らず。多年此考を以て支那、南洋等に施設計画する所ありしに、
今は此地に在て我抱負の実行に由なし」165と記し、大戦の勃発が日本にとって千載一遇の 機会とし、ぜひ利用して中国や南洋における多年の企図を実行するべきと主張した。
このように、第一次世界大戦の勃発に伴い、日本特に陸軍はこれを中国における権益拡 張の絶好のチャンスとしてとらえた。そして、この権益の最も重要な一つは満蒙問題の解 決と扱われた。その原因を追究すると、当時日本の中国における権益が不安定なものだ166と いう認識と無関係ではないのであろう。まさにこの原因で、辛亥革命が勃発して以来、日 本では陸軍や対外硬派167が時機を失わずに満州における権益の維持や拡張を求めていた。
一九一二年七月、第三次日露協約が調印され、内蒙古が日本の勢力範囲として画定した。
このころから日本人の間では「満蒙問題の解決」が語られる状況がうまれていた。他方、
中国では袁世凱が権力を掌握、さらに独裁体制を固めた。このような中国情勢の展開に対 して、日本の対外硬派により一三年七月二七日に対支連合会が結成されたことに注目しな ければならない。168この対支連合会が公布した「対支連合会規約」によると、連合会の成 立は日本の中国に対する方針政策の確立を期待し、満蒙問題の解決を図ることを目的とし た。169さらに、連合会の旨趣書で掲げた「吾人ハ今日ヲ以テ満蒙問題解決ノ時機ナリト信 ジ国論ノ帰一ヲ図リ進テ政府ノ決行ヲ促サントシ茲ニ対支団体ヲ糾合シテ対支同志連合会 ヲ組織ス」170のように、連合会は成立した当時が満蒙問題を解決する時機とし、対支団体 を糾合して国論の帰一を図り、政府の決行を促すことを企てる。
日本はドイツに対する宣戦布告した後の八月二五日、対支連合会が評議員会を開き、調 査委員会の調査によってまとめた対支根本政策の意見がなされた。この対支根本政策の第 一条であげられたのは満蒙問題の解決で、対支連合会は従来一貫の立場を守っていること を示した。171
このように陸軍及び国内硬派の一つの対支連合会は戦争勃発の時機を利用して積極的に 満蒙問題の解決を唱導していた。これに対して、日本政府の対華政策はいかなるのか。
編『近代日本のリーダーシップ 岐路に立つ指導者たち』千倉書房、二〇一四年、六一頁。
165宇都宮太郎関係資料研究会編、『日本陸軍とアジア政策陸軍大将宇都宮太郎日記二』岩波書店、二〇〇七年、
三五九〜三六〇頁。
166 満州の返還期限は、遼東半島に関しては一九二三年、南満州鉄道に関しては一九三九年に設定されており、
それ以降の租借期限延長は保証されていなかった。奈良岡聡智『対華二十一ヶ条要求とは何だったのか—第一次 世界大戦と日中対立の原点』名古屋大学出版会、二〇一五年、二〜三頁。
167 本稿で言う対外硬派とは日本における対外問題をめぐり、強硬外交、対外強硬を主張する人たちのことであ る。例えば、本稿第一章ですでに触れた対支同志連合会など。
168 中見立夫『「満蒙問題」の歴史的構図』東京大学出版社、二〇一三年、二〇〇頁。
169「本会ハ我帝国ノ支那ニ対スル方針政策ノ確立ヲ期シ満蒙問題ノ解決ヲ図ルヲ以テ目的トス」内田良平文書 研究会『内田良平関係文書 第三巻』芙蓉書房出版、一九九四年、二六二頁。
170内田良平文書研究会『内田良平関係文書 第三巻』芙蓉書房出版、一九九四年、二六二頁。
171 八月二九日、在中国日置公使より加藤外務大臣宛『文書三年』五五一〜五五四頁。