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秋田県北部農村の社会変化と敬語行動の標準

ドキュメント内 社会変化と敬語行動の標準 (ページ 57-200)

     敬語行動の標準

(渡辺友左・望月重信)

       かみ こ あ に     しも こ たんざわ

4.0.調査地点としての秋田県北秋田郡上小隣仁村と下五鳥沢

 秋田梁北秋田郡上小判仁村は,粟京から行くのには,時間的にたいへん遠い所である。国鉄の 現行(昭和58庫7月競在)の在来線のダイヤでは,どう頑張っても,そのBのうちに着くことがで きないからだ。特急が停車する最寄りの駅は奥羽線鷹巣駅であるが,この駅へ上野から田中通し でいく列車は,上野10時30分発の特急「鳥海」の1本しかない。これに乗って鷹巣へ着くのは,

夜の7時45分。上小阿仁村へは,ここからバスで小阿仁川沿いに26㎞醐らなければならない。し かし,この時刻にバスはない。やむを得ず駅前旅館に1冷して,翌朝のバスを待つことになる。

上野からは,ほかに夜行寝台特急「あけぼの」が2本,同急行「津軽」が1本の計3本あるけれ ども,これとて二田がかりの旅行になることに変わりがない。

 このように上小阿仁村は,東京から出かけるのには,あまり交通が便利とはいえない。そこを 調査地に選んだのは,以下に述べる三つの理由による。わたしたちは,これらの理由によって上 小阿仁村がわたしたちのミクnな視点からの研究に理想的な調査地点の一つであると判断した。

(1) 磯田進氏(元東京大学社会科学研究駈教授法社会学)が太平洋戦争敗戦直後の昭和21奪,こ  の上小阿仁村に足を踏み入れ,下五反撃の紺落構造とそれにからんで倥民相互の敬語行動の標  準の調査をしていること。そしてその調査結渠が,翌22年に東大の学生新聞社から発行された  r季刊大学』第2号に掲載された磯田の論文「家族制度と農村社会構造」の申で報告されてい  ること。わたしたちは,これによってく近代社会〉の時点におけるこの集落の社会構造と住民  の敬語行動の標準をおさえることができる。(これまでの村落調査の常識からいって,仮に当時70歳  代の老人を相手に聞き取り調査をしているとすれば,下五反沢の村落構造の骨格は,少なくとも明治中期  ごろまでは充分に遡って復元できるはずである。)

② 「家族感度と農村社会構造」の中で報告されている下五反沢の社会構造は,戦前の日本の村  落構造がもっていた一つのく型〉を代表するものであったこと。磯田の用誘でいえば,つまり  〈無家格型〉に対するく家格型〉の細分としてのく周族型〉の村落構造を間違いなく代蓑する  ものであったこと。同族型の材落は,〈近代社会〉の時点においては日本各地,とりわけ東日  本に広く分布するものであった。下五反沢の村落は,それを代表する社会構造をもっていたの  である。

  もっとも磯田のこの論文には,上小阿仁村下五反沢という異体的な地名は出てこない。それ  が出てくるのは,磯田がそのあと昭和26年に『社会科学研究』(東大祇会科学研究所編・発行)の  第3巻2号に発表した論文「村落構造の『型』の問題」の中でであった。その部分を下に引く。

 50 第4章 秋旧県北部農村の鮭会変化と敬語行動の標準

       一 同族型(「家格型」の細分としての)

    本・分家関係が,村落構造上,一いわゆるデバックボーン」的な一重要な意義をも    っている型の村落としては,秋田早戸秋田郡地方の多くの村落をあげることができる。た    とえば同郡七座骨黒沢,上小阿仁村下五反二等の村落がそうである。これら秋照票北部に    みられる「三族型」村落の社会構造については,かつて,あるていど詳細に記述,分析し    た(「家族粘度と農村社会構造」,季刊大学第2暑 1947庫)。(略)(5ページ。)

(3)渡辺と望月の両名は,これらω②の情報をもとに,上小阿仁村で調査をさせていただくべ  く,そのお願いと現地の概況掘握のために,昭和57年8月下旬に初めて同村を訪れた。役場で  小林大二郎村長(当時)にお囲にかかってお願いしたところ,下五反沢での調査を快くお許し  くださった。有難いことだった。その上,同材長からは,岡氏密身が下五反沢の住畏であるこ  と,同氏が磯田の論文稼族綱度と農村社会構造」に登場する下五反沢の小林マキ(同族・同族  國)の総本家の二男坊であること,そして磯田の上掲二つの論文を支える土台の一つとなった  下五滑沢調査は,彼が昭和21年にこの小林マキの総本家に宿泊させてもらっておこなったもの  であるとの教示があった。東京にいてただ単に論文を読んでいるだけでは,とても知り得ない  貴重な情報であった。

       こ さわだ   ふくだて       どうがわ  すぎはな

 明治22年に町村制が施行され,それまで独立の村であった小沢田・沈静・五反沢・堂川・杉花

 ぶっしや  おき たみもて  おおばやし みなみざわ

・仏社・沖田面・大林・南沢の9力村が合併し,上小阿仁村が誕生した。以来一一村単位で今臼に 董っている。東西11.9緬,南北32、7k皿と,南北に細長い地形で,四方を山に囲まれた面積257 kfiの広大な山間村である。村の中央を,秋田市との境界点にある太平山(1, 171メートル)を水源 とする四阿仁川が流れ,途中,五反沢川・仏野川などの支流を合わせて村を南北に貫流し,隣の合 川町で阿仁川と合流,さらに下って米代川に注いでいる。集落はこの小阿仁川に沿って発達した。

 北から南へ,主な集落名をあげる。

   なが し だ   おあ あ ぜ    は だち   どうがわ   しもぶっしや  かみぶっしや  すぎはな   こ さわ だ   ふくだて

   長儒田 大阿瀬 羽立 門川 下仏社 上仏門 杉花 小沢田 福館 下五反沢 中五反

      だいかい      お だ せ   みなみざわ   え さしだい   ふ どう ら   や ぎ さわ

   沢 上五反沢 大海 沖田面 大林 小田瀬 南沢 餌刺岱 不動羅 八木沢  わたしたちの主たる調査地である下五反沢は,五反沢川の下流部分に開けた集落である。

 交通は,村の北部を縦断する野道285号線をマイカーでなら秋田市まで1時間楽(64km),鷹巣 町まで30分(26㎞)の距離にある。

 土地利用は,〈表4−1>に示すとおりである。資料は, 蓑4−1 上小阿仁村1こおける土地利用 役場の税務台嘆による。

 25,748ヘクタール(257.48 mi)という村の面積は,東憲 23区のうち千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・

江東・品川・目黒・大田・世田谷の隣接する12区を合わせ た面積にほぼ等しい。その大部分(94%)は山林である。この 山林は,米代川流域の他の市町村の山林と同じく,昔から 秋田杉の良材を等した。国有林が圧倒的に多く,山林総面 積の75%をしめるほどである。上小阿仁村には秋田営林周

ha      彩

面積

25,748  (100)

748   (2.9)

69   (0.3)

24,258   (94,2)

の 他 673   (2.6)

540   (72,2)

208   (27.8)

国有林 有林

18,217   (75.D R,95ユ   (16.3)

私有林 2,090   (8,6)

51

の上小阿仁営林署がおかれて いる。上小阿仁営林署の歴史 は古い。明治19年に秋田大林 区署写照面派出署として創設 され,以後今醸まで100年近 い歴史をもっている。残りの 25%は,村有林・部落有林な

どの公有林と私有林である。

それでも実面積は6千ヘクタ ールに達する。

 林家芦数は,昭和57年3月 現在で611戸。そのほとんど 全部が農家でもある。保有規 模男1]にみると,<表4−2>の ようになる。零細規模の林家 が多いが,中には4戸で計578 ヘクタール,1芦平均144ヘ クタールという大規模林家も ある。また,林産物生産量及 び販売額は,<蓑 4−3>のよ

うになる。販売総額は2億8 千万円をこえる。上小阿仁村 役場の『村勢要覧資料編』(昭

和57庫4月発行)による。

 次に,耕地は748ヘクター ル。72対28の割合で,

図4月 上小阿仁村全日

   大海

鞭沖̲瓢

  小田顯 、    南沢   餌刺岱

  一 、・ ち

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 穴阿瀬    森告町  羽立  下仏社t  上仏社  下汽反沢

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      田が多い。したがって農業は,

秋田漿の他の農村と同じく,水田稲作,米づくりが 蓑4−2 上小阿仁村の保有規模別林家数          (57年3月)

戸  数 保奮面積計

戸     % ha     彩

総  数 61玉 (100) 1981  (100)

1hα未満 40玉  (65.6) 207  (10.4)

1〜5hα 159  (26.0) 516  (26.D 5〜10hα 28  (4.6) 256  (12.9)

10〜20hα 15  (2.5) 266  (13.4)

20〜30hα 2  (0.3) 60  (3.0)

30〜50hα 2  (0.3) 98  (5.0)

50hα以上 4  (0.7) 578  (29.2)

表4−3 上小阿仁村の林四物生産蚤及    び販売額(昭和57隼3月)

品  名 生産量 販亮額

素  材

d

  ㎡8,000

@ ㎡ 500

 万円

P7,280

@180

木  炭

一 }

しいたけ(生) 25トン 1,660

なめこ 38 2,166

しめじ 30 2,000

ぜんまい(乾) 1.2 2,500

わらび

30 2,400

く  り 25 200

28,386

(濫) 表中のr一一」は不詳を示す。

52第4章 秋田嗅北部農樗の社会変化と敬語行動の標準

      衰4−4 農産物販売金額1位の部門別農家数(1980年世界農林業センサス)

上小阿仁村 秋 田 県

戸      % 戸      %

農産物販売農家数

561  (100) 10ユ,964  (100)

戸      % 舞       妬

稲    作 536  (95.5) 94,558   (92.7)

麦 類 作

9   (0.01)

雑穀・いも類・豆類 4   (0.7) 494   (0.5)

工芸農作物 8  (1、4) 1,534   (1.5)

施設園芸 一

69   (O.1)

野 菜 類

1,024  (1.0)

果 樹 類

L802  (1.8)

その他の作物 88   (1.4) 303  (G.3)

酪    農

450   (0.4)

肉 用 4二 4   (0.7) 768   (0.7)

養    豚

760  (0.7)

養    鶏

150  (0,i)

その他の畜産 1   (0,2) 10  (0.01)

養    蚕

33  (0.03)

(控) 表中のr−」は不詳を示す。

裏 4−5 部門瑚にみた単〜経営農家数(1980年世界農林業センサス)

上小阿仁村 秋 田 i果

戸      嘱 戸      %

単一経営農家総数

53娃  (100) 88,854  (100)

芦      % 戸      彩

稲   作 520   (97,4) 85,219  (95.9)

麦 類 作

4   (0,0王)

雑穀・いも類・豆類 3   (0,6) な04   (0.5)

工芸農作物 2  (0.4) 399   (0.4)

施設園芸 一

19   (0.02)

野 菜 類

643  (0.7)

果 樹 類

1,021  (王.1)

その他の作物 5   (0.9) 189   (0.2)

酪    農

258  (0.3)

肉 用 牛 3   (0.6) 275   (0.3)

養    豚

305   (0.3)

養    鶏

101  (0.1)

その他の嘉薩 1  (02) 8   (α01)

養    蚕

13  (0,01)

        (注) 表申の「一」は不詳を示す。

主である。〈蓑4−4>とく衷 4−5>にそのことがはっきりと出ている。どちらも1980年世界農林 業センサスの資料による。<表 4−5>で,〈単一経営農家〉というのは,農産物販売金額1位部 門の販売金額が総販売金額の80%以上を占める農家のことである。

 〈表4−6>は,経営耕地面積の規模別にみた農家数を示す。上小阿仁村は,秋田繋全体と比べ て,零細経営の農家が多い。0.5ヘクタール未満でみると,上小阿仁村は45%,秋田累全体は25.7

%。1ヘクタール未満でみると,上小阿仁村は72.1%,秋肥県全体は48.9%。山間部の農村で

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