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福岡町小野の獅子舞の伝承
三島 紗弓 はじめに
富山県では獅子舞が現在も盛んである。そのため、私には獅子舞を調査したいという 思いが私はかつてからあった。福岡町小野こ のの西照寺を訪れた際に、6月1日に行われる 法要で獅子舞が行われるという話を聞き、実際に獅子舞を見に行くことにした。私の地 元の石川県小松市にも獅子舞はあるが、小野の獅子舞は大人が扮する獅子と天狗が舞う 迫力のあるもので、地元の獅子舞とは大きく違っており、興味がわいた。また、小野の 方々が獅子舞をとても楽しみにしているようで、たくさんの見物人がおり、獅子舞が始 まるとその場が熱気に包まれた。こうして熱心に行われている獅子舞に魅力を感じ、小 野の獅子舞を調査することにした。
実際には、小野に住む若者は減っていて獅子舞の存続が危ぶまれているという。その なかで、この迫力ある獅子舞がどのようにして伝えられ、変化して現在まで残ってきた のかを知りたくなった。本章では、小野の獅子舞の現在に至るまでの変化を調査してま とめ、さらに今後どのように変わるのかについて考察していく。
1. 小野の獅子舞の概要
まず、富山県の獅子舞について簡単にふれる。『富山県の獅子舞』(富山県教育委員会 1979)によると、富山県は獅子舞の豊富な県で、1979 年時点で 1154か所で獅子舞が 行われていた。これらの獅子舞は、以下のように大きく5つに分けられる(図1)。
図1. 富山県の獅子舞(『富山県の獅子舞』より作成)
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この分類によると、小野の獅子舞は百足獅子の中の氷見獅子に分類される。氷見獅子 の主な特徴は、1)テンポが速く快活、2)5~6 人でマワす(=演じる)、3)胴体は手 を挙げて張る、4)獅子に向かうのは青年が扮する天狗、5)リズムに合わせて獅子を討 つ所作をするなどだ。実際に小野の獅子舞を見ると、この特徴に合致した。地理的にも 氷見は福岡町の北に隣接しており、富山県のなかでも獅子舞のもっとも盛んな所として 知られる。
次は小野の獅子舞の継承元と継承先について述べる。小野は明治1887年頃に福岡町 三日市から獅子舞を習った。そして、大正や昭和になると、福岡町棚原(現在は五位)、 福岡町上野う わ の、小矢部市吉田町へと小野の獅子舞を教え、伝えたそうだ。これについては、
高齢の方がさらに上の世代から伝え聞いて知っていた。中でも小矢部市吉田町は特に熱 心だったらしく、小野で獅子舞が行われると聞くと小矢部市から人が来て、教えてほし いと頼まれたそうだ。80 代男性によると、現在の小野の獅子舞は昔から大きく変化し ているが、小矢部市吉田町の獅子舞は熱心に何度も学びに来たぶん、昔の小野の獅子舞 により近い形をとどめているという。
小野の獅子舞を担っているのは青年団という組織で、この組織については第2節で詳 しく述べる。青年団が獅子舞の担い手の中心となっているが、現在は人手不足のため、
青年団以外の人も助っ人として獅子舞を手伝いに来ているので、青年団が獅子舞をすべ て担っているわけではない。獅子舞における役割と2014年の人数構成は、青年団長1 人、カシラ(写真1)約6人、天狗(写真2)約6人、太鼓(写真3)約5人、笛(写 真3)約8人、カヤ(写真4)約10人であった。この人数構成は50年ほど前からほと んど変化していない。
これらの役の中で、笛とカヤは青年団以外の人がほとんど担当していた。青年団に入 る前の子供たちが、笛やカヤを担当することもある。また、女性も基本的に笛を担当す る。青年団以外の助っ人がこれらの役に就くのは、練習に来られる時間が限られている ためである。青年団も実際は、小野に住む人よりよそに住んでいて通ってくる人の方が 多くなっている。昔は小野に住んでいる人中心で獅子舞を運営していたとが、今では、
小野に住んでいる人より、他の地域に移り住んでいる人の割合が大きくなっており、そ の点は変化している。
写真1. カシラ 写真2. 天狗(写真右側)
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最後に舞の種類についてみていく。50年ほど前までは、「ゴン囃し」・「ふた足前」・「ふ た足後」・「イソ振り」・「一刀振り(獅子殺し)」・「京振り」・「ヤツブシ」・「回チュウ」・
「新切り」・「合無し」・「七五三」・「長振り」・「八つ橋」の13種類あった。
簡単に各舞について説明する。「ゴン囃し」は、ハナと呼ばれる祝儀をもらう前に行 う舞であり、どの家でもまず初めに舞われる。「ふた足前、後」はもっとも簡単な舞で あり、一番多く舞われる。「イソ振り」は宿をしてくれる家に対するお礼として舞うも のである。宿では、ハナは出さず、その代わりに魚や果物、酒を振る舞うことになって いた。「一刀振り(獅子殺し)」は、一日の最後に締めとして行われるもっとも長い舞で ある。「一刀振り」という名前の通り、刀を使って舞う。刀を袖で拭い、磨いて、最後 は獅子の喉元に刀を刺して殺して終わる。30代男性によると、2014年の獅子殺しは随 分と省略したものだったという。獅子殺しをする天狗役の人によって舞に変化が加えら れているようだ。「京振り」とは強く振る舞うもの、「ヤツブシ」は強く振る舞うものを 繰り返しするものである。「回チュウ」は、獅子頭をからかって遊ぶ姿を表した舞だと いう。そのほか、「新切り」・「合無し」・「七五三」・「長振り」・「八つ橋」はハナが弾ん だときや、盛り上がってきたときなどに舞われる難しく、長めの舞である。
じつは今では、13種類のうち「長振り」と「八つ橋」が消えて11種類になっている。
「長振り」と「八つ橋」が消えてしまった理由として、長年天狗をしていた80代男性 によると「カシラをする人がつらいからじゃないか」とのことだった。長くて難しい舞 から継承できる人がだんだんいなくなって、やがて消えてしまうらしいのだ。実際に現 在でも、難しい舞とされる「新切り」や「合無し」は、「あの人くらいしかできない」
ということで、特定の人が舞っていた。この人が現役で舞える間は良いが、引退したと きに後継者が育っていなければ、「新切り」や「合無し」といった舞も消えてしまうの かもしれない。
写真3. 囃子方
(笛:写真左側、太鼓:写真右側)
写真4. カヤ(獅子の胴)
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2. 獅子舞を担う組織
第1節でも述べたが、獅子舞は小野の青年で構成される組織(青年団)によって行わ れている。青年団のメンバーは現在約20人である。そのうち小野に住んでいるのは8 人で、そのほかの12人は小野以外に住んでいる。2014年の青年団長は、小野に住んで いるメンバーだったが、小野に住んでいない人も団長をつとめることがある。獅子舞以 外での青年団の活動は、6月ごろソフトボール大会をすること、9月の獅子舞のあとに 旅行に行くこと、大晦日に西照寺に除夜の鐘をつきに行くことだ。昔は青年団が主催す る青年報恩講というものもあったそうだ。2014年は、25 歳から40 歳までと幅広い年 齢の人が獅子舞に参加していた。それだからといって、25 歳からしか青年団に入れな いのではない。たんに25歳より若い人がいないだけである。50年ほど前は、青年団は 25歳までだったが、人手不足とともに、上限が上がっていき、今では40歳まで参加す るようになったのだ。
青年団のなかで特に獅子舞を仕切るのは、青年団長である。本来、青年団長は長男で なければならないが、やはり人手不足のため昔から次男や三男でも団長を担うようにな った。原則として、青年団長は毎年変わり、一度青年団長を経験したら二度はしないこ とになっている。しかし、過去には人数が不足して、全員が青年団長経験者になってし まったことがあり、その場合は隔年で交代しながら青年団長を何度も担当した。青年団 長の主な仕事は、当日のハナ読み(ハナ紙という紙を大声で読み上げること)であり、
団長が舞うことはほとんどない。そのため、青年団長は天狗やカシラの衣装に着替える わけではなく、一日中スーツか袴を着て過ごす。どちらを着るかは青年団長の自由だが、
最近ではスーツを着る人がほとんどである。まれに盛り上がってきたときや、めでたい ことがあった家などで、団長がスーツのまま舞うことがある。今年も、結婚した人がい る家で、団長が実際にスーツのまま天狗として舞っていた。
さらに、ハナを受け取った後、その封筒を鞄に入れ、管理するのも団長である。獅子 舞のときに集めたお金の管理も担当している。
他にも、タイムスケジュールを管理したり、公民館の鍵を開けたり、お菓子や飲みも のを買い込んでおいたりする仕事があり、世話係のような側面もある。団長によっては、
練習や本番で休憩するときのために、たばこをたくさん買っておく人もいる。今年の青 年団長に話を聞いたところ、舞う方が大変だと思うから舞い手としてのプレッシャーは 無く、時間がおしてくるのが不安とのことだった。団長自身も世話役としての役割を自 覚していることが分かる。
なお、獅子舞の主体は青年団だが、昔は獅子舞を行うかどうか毎回自治会に伺いをた てていたようだ。基本的には行ってはいけないとされる理由はないが、一度だけ、小野 で大火事があった年に自粛したことがあった。また、10年程前に、獅子舞の開催日を9 月15日から、9月の3連休の中日に変えることを決めたが、このときも自治会の承認