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第 6 章 自文化を立脚点とする異文化芸術の学習

第 1 節 研究のまとめ

芸術教育実践学の構築を目指し、第 1 章から第 3 章までの理論的研究と第 4 章から第 6 章までの 実践的研究のそれぞれの立場から得られた知見を基に、音楽科における異文化芸術の学習の意義を 導出し、指導方法を提案する。本論文は、序論と結論を含む全 8 章で構成されている。論文構成は、

以下のとおりである。

第 1 章 異文化芸術の経験に関する基礎理論 第 2 章 異文化芸術の学習の諸相

第 3 章 異文化芸術としてのカンカンソーレ

第 4 章 文化的側面の提示と生徒の受容からみる異文化芸術の経験 第 5 章 音楽科授業において生ずるズレにみる異文化芸術の学習 第 6 章 自文化を立脚点とする異文化芸術の学習

第 1 章では、カルチャー・ショック論にみる異文化体験による情動的反応と西洋人が聴いたアジ アの音楽に対する感じ方、聴き方の様相をまとめた。そこで、異文化と出会うときに起こりうる情 動的反応は、自分の内在化している音楽的語法との相違によるものであると結論づけた。またその 例証は、歴史的文献の記述からも確認することができた。

次に、J.デューイの芸術論から、異文化芸術を通して人間関係や社会関与の仕方を知るためには、

その背景となる社会的・文化的・自然的・歴史的要因といった文化的側面をかかわらせることが有 効になると導いた。そして、音楽科授業における直観的・共感的な方法として、パフォーマンスを通 じた学習方法を採用することとした。

第 2 章では、異文化芸術の学習の様相を挙げた。ここでは、世界音楽のコンセプトに基づく音楽 教育と多文化音楽教育のコンセプトに基づく音楽教育に焦点を当て、指導方法をまとめた。この二 つのコンセプトにおける教育のねらいはそれぞれ異なるものの、異文化芸術を扱うことに絞って考 えると、音楽文化の特殊性と普遍性を知ることに価値づけている。そして、その方法は、社会的・文 化的脈絡の理解を重視し、五感を通した学習、他教科と関連づけた学習、表現と鑑賞を統合した学 習など積極的に音楽と関わらせることが挙げられた。

第 3 章では、本研究における異文化芸術の学習の教材として、韓国の民俗芸能カンカンソーレを 取り上げた。その理由は、カンカンソーレは文化財としての価値が認められていること、さらに、韓 国の昔の生活様式及び風土を知ることに適していると考えられるからである。要するに、無形文化

財としてのカンカンソーレの価値を見直し、音楽的特徴をリズム、音階、形式、歌詞の観点から分析 した。そして、自国の小学校の音楽科教科書に示されているカンカンソーレの指導内容を抽出し、

音楽科の指導内容の 4 側面から捉え直すことで、内容的側面と文化的側面の 2 つの内容が特に少な いことがわかった。従って、カンカンソーレに込められている土地の人々の生活感情や歌われる歌 詞の意味、また風土や歴史といった文化的側面を取り上げることが必要であるとまとめた。その結 果から異文化芸術の教材としての可能性を考察した。

第 4 章では、第 1 章から第 3 章までの基礎理論研究から導き出した観点、すなわち音楽(テクス ト)と文化的側面(コンテクスト)を関連させる方法で授業構成を行った。授業実践では、カンカン ソーレを異文化芸術の教材とし、日本の中学生を対象とした研究授業を筆者が計画・実施・分析し た。教師による文化的側面の提示の仕方とそれをどう受容したのかについて生徒の反応を分析した 結果、異文化を体験するパフォーマンスの意味付けには音楽の背景となる人間の生活様式や生活感 情と結び付けて提示することが重要であることがわかった。

第 5 章では、既有の音楽的語法との不一致度が高い異文化芸術の特徴から、教師と教材と生徒の 間に起こりうる食い違いを①教師と生徒とのズレ、②生徒と教材とのズレの 2 つを視点とし、実践 分析を行った。その結果、曲想・イメージと演奏の表現内容とのズレ、表現(歌い方)と音楽の法則 性とのズレ、言語と音楽との相関性のズレが存在することを明らかにした。分析結果より導き出さ れたズレの様相を根拠に、異文化芸術の学習の特性について次の 2 点をまとめた。それは、①異文 化芸術の学習は、その文化的背景を理解することによって成立する、②異文化芸術の学習では、ズ レの気付きからズレの解消までのプロセスが意味をもつ、ということである。

第 6 章では、自文化を立脚点とする異文化芸術の学習を構想し、異文化の学習のレディネスとし て、自文化の学習を位置づけ、相互の音楽文化を関連付けた授業構成を通して、生徒の音楽的経験 の変容過程を明らかにした。それを、民謡に対する概念の会得と民謡の重要な表現要素である小節

(こぶし)の受容過程に焦点を当て、分析した。まとめとして、自文化の音楽の特質を意識化した上 で、それを判断の基準に異文化芸術が学習できるためには、自文化と異文化の学習における効果的 な授業構成について発展的に構築していく必要があるとした。

以上の論考から、次のように総括された。

1 異文化の芸術を経験することの意義

本研究では、異文化芸術を通して、他にも存在する、いろいろな芸術の根底にある態度を知るこ とが大切であると明らかとなった。例えば、カンカンソーレには月に豊作や家族の健康を祈願する という人間の態度があり、それを手をつないで輪になる形態で表現するという意味(文化的側面)

がある。この意味は人間が生きることに共通するものなので、生徒はお月見などの自分たちの経験 から理解でき、パフォーマンスをやってみようという意欲がでてきた。また、生活のカンカンソー レの表現内容である、雨が降り出せば作物がぬれるといけないのでむしろを慌てて巻く、ニシンが たくさん獲ることができればうれしい、というような生活感情は自分にも思い当たると生徒は思っ ただろう。それでカンカンソーレは人間の生活感情の表現ということが理解でき、芸術に対する共 感が生まれたと考えられる。

そして、このような人々の暮らしとの関連から異文化芸術を理解すると音楽の普遍性と特殊性の

に従って、歌い方や足の動きが変わっていく。それらによって醸し出す曲想は、厳かな雰囲気から リズミカルな躍動感へと次第に変化する。そして、生活のカンカンソーレは、生活の様子を歌と言 葉と踊りによって表現している。

生徒の紹介文には、「カンカンソーレは、はじめ、穏やかでゆったりと余裕のある音楽」「むしろを 巻いているような形が特徴的」などの音楽の特殊性についての記述と、「日本の民謡である《ソーラ ン節》と同様にこぶしを効かせて歌うこともあれば、跳ねるリズムで楽しく歌うこともある音楽」

「歌や声を出しながら踊るところが阿波踊りと似ている」といった音楽のもつ普遍性について述べ ていた。

以上のように、生徒はカンカンソーレを通して、韓国の昔の生活様式と土地の人々の生活感情を 理解することができた。それが、異文化芸術を経験することの意味の一つといえる。そして異文化 芸術を学ぶことの意義は、歌うことができる、楽器を演奏することができる、といった技能習得で はなく、音楽とは何かを考えさせる機会をもたらすことにある。すなわち、異文化芸術を学習する ことによって、音楽文化の普遍性を知ること、異なる芸術の特殊性を認めることで、音楽観の拡大 につながるのである。

2 異文化芸術の学習における指導方法

本研究では、デューイの芸術論から導き出した直観的・共感的な方法としてパフォーマンスを通 じた学習方法を取り入れ、授業実践を行った。パフォーマンスにおいては、「声を震わせてゆっくり 歌う」といった形式的側面の知覚と「厳かで神秘的」といった内容的側面の感受に影響し、そこに生 活の様子を歌と動きによって表現しているという文化的側面を関連づけることで、異文化芸術を理 解するに当たり、パフォーマンスがより効果的に働いたといえる。

そして、異文化芸術の学習では、ズレの気付きからズレの解消までのプロセスが意味をもつ。つ まり、生徒は既存の音楽的語法に基づいて異文化芸術を捉えがちであるため、授業の中で生じたズ レについて生徒自ら「実はちょっと違うんだ」とか「少しズレているんだな」と気付かせていく過程 が重要になる。そして、そのズレが解消される過程へと生徒を導いていくことが、異文化芸術の教 授学習の改善につながることに他ならない。いわゆる、授業における気づくプロセスといえよう。

最後に、自文化を立脚点とする理解というのは、自文化を中心に据え、異文化を価値判断するこ ととは一線を画することである。授業実践では、自文化を異文化芸術の学習のレディネスとして位 置づけ、双方向的な理解を図ろうしたのである。そのため、自文化に対する音楽的語法が体系化さ れていないと異文化の学習も期待できないだろう。つまり、自国の伝統音楽の充実した学習を通し て自文化の音楽文化の特質が意識化され、かつそれが判断の基準になることによって異文化芸術の 学習の可能性が広がると考える。

異文化芸術を扱うこのような実践は、自分の音楽を知るために他のものを遮断するのではなく、

「外部のあらゆる違う形に接することで、それらともまた違う自分の位置というものが見えてくると いうような過程を経る」1)ことである。自分の文化と照らし合わせ、異文化芸術を比較する姿勢をも つことによって、自分自身の文化の再発見を可能にし、経験が広まり、さらに深まると考える。

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