につ き︑ 慶俊 と下 津道 元依 との 間で 和与 が成 立す る︒
★ 新規 立項
︹同 日付 吉祥 院領 田畠 去渡 状︵ 青蓮 院所 蔵吉 祥院 天満 宮文 書︶
=
東 京大 学史 料編 纂所 研究 紀要 第五 号︺ 去 渡 吉 祥院 領壹 所田 畠#
%
田 貮段畠肆 段 在 合
下布 施里 廿三 坪
天 神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
― 86 ―
右
︑件 御領 田畠 者︑ 雖可 成慶 俊妨
︑下 津道 元依 与慶 俊相 互和 与仕 畢︑ 於自 今以 後者 以古 文云 雖有 来輩
︑可 為 犯云
! #
# "
有他 妨︑ 仍為 後日 沙汰
︑所 出証 文之 状
!
"
︵如 件︶
︑ 承 久四 年︿ 壬午
﹀三 月晦 日
中 原季 俊︵ 花押
︶ 上 座慶 俊大 辞︵ 花押
︶ 寛喜 四年
=
貞 永元 年︵ 一二 三二
︶ 六月 二十 九日 前 関白 左大 臣藤 原︵ 九条
︶道 家︑ 呪詛 の風 聞に よっ て︑ 北野 朝日 寺観 音像 を検 する
︒
★左 記傍 線部 の注 記追 加
︹洞 院摂 政記 同日 条︺
※ 宮内 庁書 陵部 所蔵
﹃洞 院教 実公 記﹄ によ れば
︑欠 字部 分に は﹁ 忠康
﹂の 2文 字が ある
︒ 貞永 二年
=
天 福元 年︵ 一二 三三
︶ 十月 五日 菅 原為 長︑ 山城 吉祥 院領 の﹁ 里坪 之立 様﹂ につ いて 下知 を加 えた 旨を 同日 付で 伝え る︒
★ 新規 立項
︹同 日付 菅原 為長 書状 案︵ 青蓮 院所 蔵吉 祥院 天満 宮文 書︶
=
東 京大 学史 料編 纂所 研究 紀要 第五 号︺︵端 書︶
﹁長 者大 蔵卿
︵﹁ 家
﹂│ 傍書
︶為 長卿 状案
﹂ 下 知状 一通 成進 之吉 祥院 領者
︑貞 観年 中申 賜 宣旨 之後 開発 荒野
︑其 後延 久年 中注 坪付 被下 官 符︑ 而或 流 損也
︑或 有新 開長 者之 初任
︑必 加検 注代 々取 帳定 候歟
︑里 坪之 立様 何可 有新 儀候 乎︑ 於高 取之 事者
︑可 芳 心之 由︑ 加下 知候 也︑ 恐々 謹言
︑ 十 月五 日︵
﹁ 天福 元﹂ の傍 書あ り︶
為 長
― 87 ― 天
神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
天福 二年
=
文 暦元 年︵ 一二 三四
︶ 二月 十四 日 北野 社社 殿・ 朝日 寺等
︑焼 失す る︒
!
宝 治 元年 四月 十七 日条★ 史料 追加
︵葉 黄記 の次 に︶
︹康 富記 文安 元年 四月 十三 日条
︺ 北 野社 炎上 年々
︑
︵中 略︶
︿四 条院 御宇
﹀天 福二 年二 月十 四 日︑ 未 剋同 社 拂 地炎 上
︑於 神 輿并 御 正 体 者奉 取 出︑ 神 輿暫 御 坐 林中
︑入 夜 奉安 宝蔵 云云
︑
︵中 略︶
︿文 暦﹀ 天 福 二二 十 四 未剋 同 社 拂地 炎 上︑ 火 本 北方 在 家 也︑ 於神 輿 并 御 正 体 等 者 奉 取 出
︑朝 日 寺 同 焼 亡︑ 御 輿暫 御坐 林中
︑入 夜奉 安宝 蔵云 々︑ 余炎 及結 政外 記庁 等︑ 然而 打消 畢︑
︹建 内記 文安 元年 四月 十三 日条
︺ 北 野宮 寺焼 亡例
︑相 尋清 大外 記之 処︑ 註送 分︑
︵中 略︶
︿四 条﹀ 天福 二︑ 二︑ 十四
︑ 二月 十四 日 院殿 上に おい て︑ 北野 社の 火災 のこ とを 議す
︒つ いで 軒廊 御卜 を行 ない
︑大 蔵卿 菅原 為長 に造 営さ せる こと にな る︒
★ 史料 追加
︵本 項末 尾に
︶
︹建 内記 文安 元年 四月 十三 日条
︺
天 神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
― 88 ―
北 野宮 寺焼 亡例
︑相 尋清 大外 記之 処︑ 註送 分︑
︵中 略︶ 天 福二 年二 月︵
﹁ 以来
﹂の 傍書 あ り︶ 或 記目 六 引 勘之 処
︑北 野 焼亡 以 後︑ 神 輿 并御 正 体 安置 事
︑於 院 殿上
︵﹁ 両日
﹂の 傍書 あり
︶評 定云 々︑ 菅長 者大 府卿 給長 州可 造営
︑大 内記 公良 任国 司云 々︑ 同秋 遷宮 了︑ 寛元 五年
=
宝 治元 年︵ 一二 四七
︶ 四月 二十 七日 参 議藤 原︵ 葉室
︶定 嗣︑ この 日の 陣 定 に つき
︑前 日 と 当日 の 早 朝に 北 野 社 に参 詣 し て奉 幣 す る︒
★ 新規 立項
︻大 日本 史料 五ノ 二十 一︑ 四六 五〜 四七
〇頁
︼
︹葉 黄記 本年 四月 条
=
史料 纂集 本︺ 廿六 日己 酉︑ 晴︑ 参北 野︿ 奉幣﹀︑ 明 日陣 定事 祈請
︑愚 意不 思得
︑偸 仰神 春︵ 眷カ
︶︑ 聊有 置文 事︑ 参院
︑ 廿七 日庚 戌︑ 晴︑ 早旦 参北 野奉 幣︿ 仰師 僧︑ 十二 時奉 幣﹀
︑ 入夜 参内
︑依 陣定 也︑
︵以 下︑ 略︶
※ この 日の 陣定 では
︑文 章得 業生 菅原 在匡 と同 菅原 公良 との 座次 相論 のこ とが 議さ れた
︒ 九月 二日
◆ 中宮 藤原
!
子 の御 産御 祈と して︑上 皇が 諸社 に馬 を献 じた 中に
﹁廿 二社 料廿 四疋
﹂が 見え る︒
★ 新規 立項
︻大 日本 史料 五ノ 二十 二︑ 三一 二〜 三二 一頁
︼
︹葉 黄記 同日 条
=
史料 纂集 本︺ 九月 二十 五日◆ 小除 目が あり
︑﹁ 蓮 華王 院惣 社功 人等
﹂が 任じ られ る︒
★ 新規 立項
― 89 ― 天
神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
︻大 日本 史料 五ノ 二十 二︑ 三七 三頁
︼
︹葉 黄記 同日 条
=
史料 纂集 本︺ 宝治 二年︵一 二四 八︶ 八月 五日 上 皇の 稲荷
・祇 園両 社 御 幸 があ り
︑そ の 勧賞 に つ いて
︑﹁ 北 野 初 度御 幸
﹂の 時 の﹁ 賞﹂ が引 き 合 いに 出さ れる
︒
★新 規立 項
︻大 日本 史料 五ノ 二十 六︑ 三二 九〜 三三 二頁
︼
︹葉 黄記 同日 条
=
史料 纂集 本︺ 今 日︑可 有 御 幸 稲 荷・ 祇 園 両 社︑
⁝⁝
︑次 参 御 祇 園
︑⁝
⁝此 間︑ 予 奉 仰 々 勧 賞 於 別 当 法 印 円 源
︿割 注︑ 略
﹀︑ 御 浄衣 密儀 之時
︑前 々不 及勧 賞︑ 然 而 北野 初 度 御幸 已 有 賞︑ 当社 又 承 元 雖為 密 儀 有之
︑円 源 法 印頻 所 望之
︑仍 就敬 神之 儀被 仰下 了︑ 当社 已如 此︑ 仍稲 荷又 雖無 申旨 被仰 了︑ 正元 二年
=
文 応元 年︵ 一二 六〇
︶ 八月 十六 日 紀則 弘を 吉祥 院四 至内 の下 司職 に補 任す る︒
★ 新規 立項
︹同 日付 三位
︵菅 原長 成︶ 家政 所下 文︵ 青蓮 院所 蔵吉 祥院 天満 宮文 書︶
=
東 京大 学史 料編 纂所 研究 紀要 第五 号︺︵ 花押
︶ 三 位家 政所 下 吉 祥院 四至 内住 人等 定補 下司 職事 紀 則弘
天 神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
― 90 ―
右 人︑ 為彼 職︑ 可令 致沙 汰之 状︑ 所仰 如件
︑住 人等 宜承 知︑ 不可 違失
︑以 下︑ 文 応元 年八 月十 六日
案 主左 衛門 少志 紀︵ 花押
︶ 令 大学 允宮 道
知 家事 弾正 少忠 中原
︵花 押︶ 別 当大 和守 三善 朝臣
︵花 押︶ 文応 二年
=
弘 長元 年︵ 一二 六一
︶ 八月 十六 日 これ より 先︑ 藤原 為家
︑祖 父俊 成の
﹁文 治六 年五 社百 首﹂ にな らっ て伊 勢・ 賀茂
・春 日・ 日吉
・住 吉の 五社 に奉 納す べく 計五 百首 を詠 み終 えた 後︑ さら に石 清水
・北 野の 両社 にも 二百 首を 詠み 加え るこ とを 思い 立 ち︑ 昨年 十 一 月 中旬 か ら 本年 の 正 月十 八 日 ま でか か っ て詠 み 終 え る︒ 北野 社 の 分は
︑こ の 日 に 同 社 に 奉 納 す る︒
★ 新規 立項
︹為 家五 社百 首
=
新編 国歌 大観︺ おや のお やの かき おき 侍り ける わか のう ら の あ とを 見 侍 れば
︑家 家 の しき し ま の やま と 歌 をあ は せ て︑ なに は津 のよ しあ しを さだ むる こと おほ くつ もり ぬる
︑み ちを おそ れお もふ によ りて
︑春 日︑ 日吉 の社 に人 人す すめ て歌 合を して たて まつ らん とお もへ りけ れど も︑ みな こと うけ ばか りに てと しを おく りけ れば
︑み づか ら百 首歌 をよ みた てま つる べき よし を思 ひた ちけ るに
︑賀 茂︑ 住吉 にも おな じく はと おも ふに 太神 宮に もま ゐら せん とし て︑ 五社 の百 首と て文 治六 年に はじ めて
︑つ ぎの 年建 久元 年に よみ をは りけ るよ し見 いだ して
︑い ま又 はま ちど りあ とふ むべ くも あら ぬ身 に︑ ふた たび 勅撰 をう けた まは りえ らぶ べき にあ たれ るも
︑す ゑの 世に はい よい よ人 の心 ざし も身 のあ やま りも かた がた おそ るべ きよ しな
― 91 ― 天
神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
れば
︑う らの はま ゆふ かさ ねて 思ひ たち て︑ 文応 元年 九月 のす ゑ日 吉に こも りて
︑祝 成賢 宿禰 に申 しあ はせ 侍り しか ば神 慮に やあ りけ ん︑ すみ やか にお もひ たつ べき よし はか らひ 申す によ りて
︑そ のこ ろお ひよ りは じめ て︑ しも 月の 中旬 によ みを はり ぬる
︑そ のの ち又 おも へば
︑石 清水
︑北 野に も心 ざし あり て︑ とし のく れに かさ ねて 二百 首を よみ くは へて
︑つ ぎの とし 正月 十八 日に よみ をは りぬ
︑ふ るき あと にま かせ てま づ日 吉に もち てま ゐり て︑ その のち たよ りに つけ て本 社に まゐ らす べき や︑ 心ざ しば かり かき つけ 侍る
︑返 返す ゑの 世の われ らま こと すく なく およ ばぬ あと をは づと いへ ども
︑か けま くも かし こ くみ そ な は せ給 へ ら ん事 は
︑む か しい ま か は るま じ き をか た じ け なく た の むば か り に ふ で に ま か せ て︑ 心に おも ふこ とを かき つけ 侍る なり
︑
︵ 以下
︑歌 題と 北野 社の 歌の みを 掲げ る︶ 立春
あさ みど り松 も一 夜の ひと しほ にま づた ちか はる 春ぞ しら るる
︵﹁ 五 月奉 納﹂ の傍 書あ り︶ 子日
ふな をか のね の日 のあ とは それ なが らき たの の松 にひ くこ ころ かな 霞 こ この への みか きが はら のあ さが すみ まぢ かき ほど もた ちへ だて つつ 鴬 さ きや らぬ はな のか おそ き春 風に なほ さそ はる るう ぐひ すの こゑ 若菜
みこ しを かあ たり のゆ きや きえ ぬら んふ るき あと とて わか なつ むな り のこ りの ゆき
なほ さむ きは るの 日か げも しら れけ りそ とも の山 のみ ねの しら ゆき 梅 神 がき には るを わす れぬ むめ のは なた れな ほざ りの いろ かと かせ ん 柳 み ちの べの 柳の いと のく りか へし あは れむ かし のは るを こひ つつ
天 神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶
― 92 ―
さわ らび
よそ にき くあ づま のの べの した わら びい かな る時 かを りに あふ べき さく ら け さ見 れば きた のの まつ のこ のま より ひと よの ほど には なさ きに けり はる さめ
わか の浦 やく もる にに たる はる さめ は我 が身 ひと つに ふる ここ ちし て はる ごま
ふく かた やき たの のの べの くさ わか みか ぜに いば ゆる はる ごま のこ ゑ かへ るか り か りが ねの よは つね なる やす ぎき にし こし ぢに 又も かへ りい ぬめ り よぶ こど り か ひな しや をし へし 道の よぶ こど りま こと のこ をば すつ るな らひ は︵ よ︶ なは しろ
ひき ひき のな はし ろ水 のな らひ にも もと のあ とを ばわ すれ やは する すみ れ は るの のに すみ れつ むて ふは なが たみ めな らぶ 人の あま たむ れつ つ かき つば た か きつ ばた そで にう つさ むか らこ ろも はる ばる きに し花 のな なれ ば 藤 ま つは るる まつ のさ えだ もを るば かり はな さき にけ りは るの ふぢ なみ 款冬
山ぶ きの はな やさ かり とた づね ばや あが たの 井ど のは るの くれ がた 三月 尽 け ふは 又い づく のせ きに たづ ぬと もし ばし とど まる はる はあ らじ を 更衣
たち かへ ぬこ けの たも との なら ひに もな ごり はを しき はな ぞめ のそ で 卯花
わす れて はゆ きか とぞ おも ふう の花 のさ くや さか りの をの のふ る道 あふ ひ あ づま やの ひさ しと きけ ばい たづ らに のち のあ ふひ にな りぞ しぬ べき 郭公
さり とも とき たの のも りの ほと とぎ す神 のち かひ をた のみ てぞ なく 菖蒲
いに しへ のけ ふの 五月 のあ やめ ぐさ あや なき あと とた れし のぶ らん
― 93 ― 天
神 信 仰 編 年 史 料 集 成 続 編 稿
︵ 三
︶