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瓲 総噸数 96 噸 主機関 蒸汽機関 出力 210 馬力

ドキュメント内 Taro-絵葉書01F p 00- (ページ 38-45)

最強速力 10.2 節

地元相生から播磨造船所に発注された唯一の船。

下の写真の左に命名する船主と支綱を切る斧を持った女の子が写っている。

1928.02.24 進水 建造番号 135

御船丸 船主 山本佐次郎

貨物船 垂線長 330

重量瓲数 5,207 瓲 総噸数 3,110 噸 主機関 蒸汽機関 出力 2,581 馬力 最強速力 13.9 節

天白神社

松井照男氏提供 造化三柱の神を祭る造船所の 守護神。工匠の祖神、海上守 護神を合祀している。初めは 甲崎の中腹に建てられたが、

1916年に移築され、1929年、

現在の場所に移った。写真は、

二代目の神社。ペーロン競漕 は天白神社のお祭りである。

1929.02.06 進水 建造番号 144

香椎丸 船主 八幡製鉄

貨物船 垂線長 320

重量瓲数 4,948 瓲 総噸数 3,176 噸 主機関 蒸汽機関 出力 2,532 馬力 最強速力 13.9 節

橋梁の仮組立実況 1929年 昭和初期、播磨造船所は日本 各地に鉄橋を建設した。写真 は、佐賀県六角川六角橋の工 場での仮組立。六角橋は佐賀 県庁の発注で昭和4年7月に完 成した。

播磨造船所

「GIRDER WORKS」

1932年頃の播磨造船所全景 山下勝義氏提供

播磨造船所の独立

1927(S2)年の金融恐慌で鈴木商店が破綻し、傘下の各社に衝撃を与えた。神戸製鋼所は事 業を縮小し鳥羽工場を相生に集約した。1929年、神戸製鋼所は事業の性質が異なり規模の大 きい播磨造船工場の独立を決定した。11月27日、株式会社播磨造船所が設立され、松尾忠二 郎が社長に就任した。当時の従業員は、職員187名、工員1220名、社外工700名、合計2107名。

独立から30年間にわたって播磨造船所は相生に本社と主力工場をおき、支那事変・大東亜 戦争から戦後の復興まで相生と盛衰を共にした。この間、1939年相生町は那波町と合併、19 42年市制施行、1954年矢野村・若狭野村と合併して現在の相生市が成立した。

独立当初、世界恐慌や金解禁で不況が続いたが、高橋是清の積極財政で景気は回復、1934

年頃から造船業の復興が始まり、1935年には播磨造船所も復配した。この頃からは絵葉書の

多くが残っており、経済の活況を示すとともに商船に加えて艦艇の建造が増えていったこと

がわかる。

1931年 那波駅前 田中藤治商店提供

ペーロン競漕 湊英雄氏提供

1931.05.31 進水 建造番号 179

富士山丸 船主 飯野商事

油槽船 全長 512 呎

重量瓲数 12,500 瓲 総噸数 9,300 噸

主機関 ディーゼル 出力 7,200 馬力

最強速力 17.5 節

播磨造船所は、1921年建造の橘丸、1931年建造の富士山丸によってタンカー・メーカーの 地位を確立し、戦後はスーパータンカーやマンモスタンカーを多く建造した。

日本の技術100年「造船」はタンカーについて、このように書いている。

第一次世界大戦頃、燃料効率のよいディーゼル船(モーターシップ)が出現し、海軍も燃料を転換 した。海上荷物のなかで、石油の比重が増えるにつれて、タンカーという船種が独立した。

タンカーは液体を運ぶ船で、固体荷物を運ぶ従来の一般貨物船とはまったく異なっている。まず荷 役装置が違う。一般貨物船ではデリックとウインチが必要であったが、タンカーでは荷油ポンプと配 管装置とがあればよく、大きなハッチも必要ないので構造的に設計しやすい。日本最初の本格的な大 型油槽船は、1909年建造の紀洋丸で、当時世界最大のタンカーの一つであったが、はじめは貨客船と して運航され1921年からタンカーとして運航された。1921年神戸製鋼所播磨工場で進水した橘丸、満 珠丸、干珠丸は当初からタンカーとして運航され、海軍燃料油を運んだ。

橘丸

1921.04.05 進水 建造番号 46 船主 帝国石油 垂線長 420 呎 重量瓲数 9,345 瓲 総噸数 6,539 噸 蒸汽機関 3,591 馬力 速力 14.4 節

播磨造船所50年史は富士山丸について、このように書いている。

「橘丸」の船体構造は中央部に荷役ポンプ室を設け、その前部に4箇、後部に5箇の複油槽を区画し、

第1および第2甲板間に夏季油槽を構造し、油槽の前方にコッファダムを隔てて補助ポンプ室を、さら にその前方に貨物艙と深水艙とを設けた。そしてイッシャーウッド式構造で船橋が普通の船舶に比し 著しく前方に位置しているのが特色であった。・・・

これ等は昭和6年8月当社が建造した「富士山丸(9,524総トン)」とともに、わが国における油槽船 の規範となり運航成績もよく、諸外国の油槽船に比べて優秀であるとの定評を得て、当社が「タンカ ー・メーカー」としての信用を確立する基となった。

「富士山丸」は飯野商事注文の油槽船で,9,524総トン(12,701重量トン),主機マン式ディーゼル

・エンジン最大9,390馬力,最高速力18.8ノットの優秀船であった。油槽内の縦通型は従来中心に一 列のみであったが,船体が大きくなり,縦強力が不足であったのでロイド船級協会極東代表神戸駐在 主席検査員H・J.コックス氏のすすめにより,縦通縦型を二列として,その不安を一掃した。 こ れはわが国では初めての試みであったので,業界の注目の的となっていたが、成績良好のため本邦大 型油槽船設計の基本となった。・・・

「富士山丸」はあらゆる点において、当時わが国の油槽船中の最優秀船で、その後永い間本邦油槽 船の規範となり、本船の建造によって、当社のタンカー・メーカーとしての存在は決定的なものとな った。

1931.10.10 進水 建造番号 1000 寗海(

にんはい

) 船主 中華民国

軽巡洋艦 垂線長 360 呎

排水量 2,526 噸 兵装 14糎速射砲6門 魚雷発射管4門

主機関 蒸汽機関 出力 10,579 馬力

ドキュメント内 Taro-絵葉書01F p 00- (ページ 38-45)

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