第1節 『隠者の夕暮』以前 1.実例の陶冶力
ペスタロッチーが晩年に唱えた「生活が陶冶する(Das Leben bildet)」という原則は、
その言葉が彼によってまだ使われていなかった時期から把握されていた。否、むしろ彼の 著作活動の最初期においてこそ、大変素朴ではあるが、生き生きと非常に多様な仕方で語 られているのである。
彼の最初期の著作『アギス』(Agis,1765)は、周知のように、古代ギリシアの政治家・
弁論家デモステネス(Δημοσθένης, 384 B.C.- 322 B.C.)の講演の短い翻訳の後に、アギス 王の生き方が語られるという形式となっている1)。この作品は、20歳にも満たないペス タロッチーの労作として貴重であるばかりではなく、彼に感銘を与えたアギスの生き方が 描写されているという点で、生活陶冶論の出発点として相応しい。ペスタロッチーは、ア ギスのいかなる生き方、いかなる生活に共感したのであろうか。
ペスタロッチーはまず「徳はいつも自己同一的であり、もし人が堕落した世紀に徳を 高くもって生活しようとするならば、凡庸な人々のもとで多数の人々が徳を高くもって生 活していた時代と同じように生活しなければならない」(PSW 1.Band, S.10.)と述べ、生 活の仕方、生き方の手本が身辺にない場合には、過去の理想と思われる生活まで遡り、そ の生活を模倣することを提案している。そしてまさに古代において、模範とするに足る高 貴な生活をした人間こそアギス王であった、というわけである。
しかし、それではアギスの生き方とはいかなるものであったのであろうか。ペスタロ ッチーは「アギスはもはや書かれも読まれも尊重されもしない法に従う。彼は立法の精神 に従って生活する」(PSW 1.Band, S.9.)と述べ、その生き方を絶賛する。アギスこそ法さ えも無力である荒廃した世間にあって、超然として自らの高貴な生き方を守った類い希な 人物であった、とするのである。ペスタロッチーは、ここで「法(Gesetz)」は享受や貪欲 のために効力を失うこともあり得ること、「生活」を動かす根本動因が「法」ではないこ とを明らかにしている。彼は、「法律が沈下することがあるとはいえ、その力は毅然とし て存在する。というのは、法律の基礎は深く心の中に刻まれているからである」(PSW 1.Band, S.9.)と述べ、むしろ法律を遵守させるところの人間の内なるもの、生活を導くも のを意識した見解を示している。また彼は「我々は徳の道を歩まなければならない。それ
でもやはり良心の声に従わなければならない」(PSW 1.Band, S.11.)と述べて、内なる法 としての「良心(Gewissen)」について語っている。
ところで、そうした生き方が可能であったのは、アギス王に傑出した素質があったか らに他ならない。しかし、ペスタロッチーは、アギス王がなぜそのような王たり得たの か、という点については残念ながら詳しく論じてはいない2)。とはいえ、ペスタロッチー が明らかにしているのは、アギス王が国の腐敗の原因を市民の不平等に求め、堕落からの 救いのために、自ら法に従って生きる「生き様」の形で、自身の姿を市民に示そうとし た、という事実であった。ペスタロッチーは、「アギスは彼の生活、つまり彼の神にも似 た徳の高い生活により、中傷に打ち勝った。貧しい市民達は、アギスの人間を愛する心、
市民達にとって神聖な心を知った」(PSW 1.Band, S.14.)とか、あるいはまた「青年達の 心の中に、高潔な心、そして自由への真の愛が目覚めた。彼らは徳を再び愛することに勝 利した。そして今や、彼らの今までの生活様式の中に、国家が沈下する原因を認めた」
(PSW 1.Band, S.11.)等と述べている。つまりペスタロッチーは、王と市民という関係の 中でのことではあるが、指導者の「生活様式(Lebensart)」が市民に伝播し、更に市民同 士の間でもその様式が広まり、誤った生活様式についての自覚が生まれた経緯を明らかに している。更に彼は、「もし君達の生活が、中傷に反する証となるならば、中傷は皆消え 去るであろう」(PSW 1.Band, S.14.)と語っている。その内容からは、直接ではないが、
弁解・弁護・弁論等と比較して、「自ら生活してみせる」説得力の大きさ、力強さが雄弁 に語られている。
『希望』(Wünsche,1766)も同様に、ペスタロッチーの青年時代の作品であり、彼の最 初期の思想を知るのに大変都合が良い。但し、この書は、彼の社会改革の望みを断片的に 書き綴ったものであるから、体系的な内容は期待することができない。従って、そこから 生活陶冶論の萌芽を読み取ることは、ただ断片としてのみ可能である。
彼はここで、「私は、社会の何たるかを知らない人は、とにかくいかなる社会も、その 中で賭博も行われず、暴飲暴食も行われず、中傷されないものであると考えることを希望 する」(PSW 1.Band, 31.)と述べ、『アギス』と同様に、未来の社会の担い手としての人間 に対して、現状の生活そのものが必ずしも模範たり得ないことを示している。そしてそれ に続けて彼は、「我々職人達の中で、厳格で、謙虚で、倹約家で、自由な、共和主義的な 生活をしている者達を、我々の自由の真実の礎柱として、もっと尊敬され尊重されること
を希望する」(PSW 1.Band, S.31f.)と語り、ペスタロッチーの望んだ理想の生活を示して いる。
しかし、いかなる理想の生活も、何かある模範・手本を通さなければ、人々の共感を 得ることはできない。彼は聖書の物語を取り上げ、「私は聖書の中の非常に教えるところ の多い物語を読むと、いつも希望することがある。それは、こうした個々の物語について も説教されれば良いのに、ということである。なぜなら、非常に多くの素晴らしいものが 印象的な仕方で示されるからである。私は非常に印象的な仕方でと言う。その理由は、実 例が常に最も印象的であるからである」(PSW 1.Band, S.26.)と述べ、「実例(Beyspiele)」
の陶冶的価値を認めている。
もちろん、これは「物語(Historie)」の中だけでのことではなく、実際の人間関係にお いても同様である。ペスタロッチーが、立派な心がけをもった人物が自分以外の人間を一 人でも立派にするのは管理、指導とともに、「実例」があるためであると語っていること は注目に値する3)。このように、彼は既にこの時期から、感覚的印象による影響力、「実 例」に注目している。それは言うまでもなく「生活」の陶冶的影響として、抽象的な事柄 に対する具体的な印象の優位を認めていた証左であると言えよう。
そして、彼が語る具体的な実例による影響力への言及は、子ども達同士の人間関係に も及んでいる。彼は「両親は子ども達の仲間や遊戯友達を選択するとき、もっと配慮して もらいたい。というのは、特に幼く柔らかい心情に対して、良い社会や悪い社会の影響が どれだけ完全な力をもっているかを知らない人があるであろうか」(PSW 1.Band, S.27.) と述べて、幼少期の心情の敏感さについて語っている。模範足り得る実例の存在が、幼い 子どもであればある程、重要であることを、平凡な表現ではあるが、ペスタロッチーは指 摘しているのである。
ところで、この『希望』の執筆後、官職への望みを捨て、農業に転向したペスタロッ チーは、書簡の中でも「生活」について論じている。
まず1767年に、彼は許嫁のアンナ・シュルテス(Anna Schulthess,1738-1815)に宛 てて、自らの生活が将来に対して正しくあり得るのか、厳しく反省することを求めた書簡 を書いている。そしてそこで未来の生活に対して危惧される幾つかの点について述べてい る4)。
他方、1769年のアンナの父親H.J.シュルテス(Hans Jakob Shulthess,1711-1789)宛の 書簡で、彼は、父親への配慮を示しながらも、「私は惨めな生活様式が、多くの美しい展
望をうち砕いてしまうことがあるということを承知しています」(PSB 3.Band, S.22.)と 述べて、ここでも「生活様式」という概念を用いながら、人間の幸福が生活様式のあり方 にかかっている、という認識を示している。
こうしたペスタロッチーの、我がこととしての「生活」に対する認識から、今度は自 らの育児経験を通して、生活陶冶論は、更に一歩先へと進んで行くことになる。
ペスタロッチー自身が我が子ハンス・ヤーコプ(Hans Jakob Pestalozzi,1770-1801)の 育児に取り組んだとき、いかなる思想的な深まりが生じたのであろうか。多くの研究者が 明らかにしていることであるが、『育児日記』で目立つのは、彼はまず、ルソーの『エミ ール』(Émile ou de l' éducation ,1762)に倣って教育実践に入った、ということである。
しかし、単に『エミール』の模倣に終わることなく、既に彼独自の教育思想の芽生えが見 られることは注目に値する5)。
彼は、ここで、言葉に対する「行動」の力の優越性について語っている。すなわち
「見させ、聞かせ、見つけさせ、転ばせ、立ち上がらせ、間違えさせよ。行為や行いが可 能な場合には、言葉はいらない。彼自身ができることを彼が為せば良いのである。君は、
自然が人間以上に彼を教えるということに気づくであろう」(PSW 1.Band, S.127.)と。彼 に従えば、「言葉(Worte)」が陶冶するというよりは、「行い(Tath)」、「行為(Handlung)」
こそが、子どもを陶冶するのである。
しかし、そうではあるが、必ずしも子ども自身の生活に、いわば教育者が歩み寄り、
生活のスタイルに追従することがいつでも最良の成果を生むと、ペスタロッチーは考えて いるわけではない。『育児日記』の中には、教育という行いに不可避に付随する子どもの
「自由(Freiheit)」と教育者の「指導(Lehren)」6)との緊張関係が詳細に表現されてい る。このことについては、第5章第6節で詳しく取り扱うことにしたい。
2.階級と生活様式
さて、こうして我が子の育児体験が子ども独特の生活の発見に結びついたとすれば、
農場経営の傍ら貧民の救済の目的で開いた『ノイホーフ貧民施設に関する論文』
(Aufsätze über die Armenanstalt auf dem Neuhofe,1777/78)では、自分自身の将来を自 ら切り開いていかなければならない貧しい子ども達との共同生活、教育のあり方が語られ ている。
ペスタロッチーはここで、若い頃から心に抱いていた貧しい子どもを救いたいという 要求を実現するときがきたと考えた。彼は、基本的にいかに低い立場にある人間の魂の中 からでも、「人間性(Menschlichkeit)」が生まれてくることを信じ、人間性の発現を願っ た。この意味で、彼がここで語った内容は、人間性に満ちた生活への教育であったと言っ て良い。
とはいえ、ペスタロッチーがこの『ノイホーフ貧民施設に関する論文』で論述の対象 にしているのは、抽象的な「人間一般」ではなく、実際に貧民の子どもを救うという行い に関してであって、その子どもの「生活」は、将来の生計のために個別化され、具体的な 子どもの生活であった。
彼は、「極めて悲惨な者でも、いかなる環境にあったとしても、人間の一切の要求を満 たす生活様式に達することができる。いかに身体が弱くても、いかに能力が低くても、そ れは彼らの自由を奪って病院や牢獄に彼らを管理する十分な原因とはならない。彼らは他 でもない教育施設に入れるのが適切であって、そこでは、彼らの使命が彼らの能力や能力 の低さに応じて選択される……こうして彼らの生活、人としての生活が救われる」(PSW 1.Band, S.179.)と述べている。生活陶冶思想の視点から見ると、この引用で注目すべき 点は二つあるであろう。
一つは、各人間の境遇に応じた生き方、その習練こそ、将来のための備えであり、い わば教育施設がそれを全面的に支援すべきであるとする、ペスタロッチーの見解が見られ ること、もう一つは、「生活様式」に注目した教育のあり方でなければ、人間としての生 活が救えないとペスタロッチーが主張していることである。
彼は、やはり『ノイホーフ貧民施設に関する論文』で、「教育の目標は、かなり幼いと きから、生業と結びつけることが可能であることは疑いない」(PSW 1.Band, S.148.)と述 べて、幼少の子どもでも、多少の補助があれば、自分達の生計を立てて行くことができる と主張している。すなわち生活の中で教育と職業への準備が結合された、そのような独自 の生活の仕方がここで求められているのである。
従って、このような子どもの生活の基本的なスタンスは、自らが得た収入の枠内で、
自らの生き方の基礎を培って行くことである。生計という意味でも、彼は「自助への援助 (Hilfe zur Selbsthilfe)」を教育の基本姿勢としていたと言ってよい。ペスタロッチーは、
貧困に陥り、見捨てられた子どもは、傲慢な階級を富ませる歯車となるために生まれてき