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7 埦D

9 埦A

6

杯B蓋

2

表1 平城京の灯火具

遺構 土器 器種 灯火具 出土点数 口径 器高

SK820 土師器 坏AⅡ 3 27 19.9 4

(平城Ⅲ) 坏AⅢ 4 32 17.2 3.4

坏CⅠ 8 75 17.8 3.3

皿AⅠ 1 133 22.5 3

皿AⅡ 1 21 18.3 2.8

皿C 1 2 11.1 2.5

埦C 4 20 13.2 4

須恵器 坏AⅠ 1 - 19.1~19.5 3.9~5.3

坏AⅡ 2 - 17.0~17.2 3.4~4.7

坏AⅢ 11 - 14.1~15.8 3.6~4.3

坏AⅣ 4 - 11.5 3.4

坏BⅠ 1 18 19.9 6

坏BⅣ 1 - 11.7 4

坏C 2 2 -

-合計 44 - - -SK2101 土師器 坏AⅠ 1 - -

-(平城Ⅱ) 坏AⅡ 1 - -

-坏CⅠ 1 - - -皿AⅡ 1 - - -埦AⅡ 1 - - -不明 1 - - -須恵器 坏AⅢ 1 - - -坏A 3 - - -合計 10 - -

-SK2113 土師器 坏AⅠ 1 31 -

-(平城Ⅴ) 皿AⅠ 2 30 21.8 3.0 (4点平均値)

皿AⅡ 10 95 17.0 3.0 (5点平均値)

埦AⅠ 27 83 13.1 4.2 (2点平均値)

埦C 5 13 13.0 4.4 (2点平均値)

合計 45 252 -

-SK870 土師器 坏AⅠ 1 - -

-(平城Ⅴ) 皿AⅡ 1 - -

-埦AⅠ 4 - - -不明 4 - - -須恵器 坏BⅡ 1 - - -坏C 1 - - -合計 12 - - -SE2128 土師器 坏AⅠ 1 - -

-(平城Ⅴ) 合計 1 - -

-*口径と器高は遺物の記述による

『平城宮発掘調査報告Ⅶ』(1973年)表10の一部を加筆修正

第3図 灯火具の各種組合せモデル 1:Aタイプ・完形(土師器)

3:D-1・SA-2タイプ

5:SCタイプ・完形

2:完形、Aタイプ、D-1タイプの組合せ

4:D-1、SA-2タイプの組合せ

6:完形、SCタイプの組合せ

表 2 若葉台遺跡 須恵器の形状タイプと灯火具点数

表 3 若葉台遺跡 土師器の形状タイプと灯火具点数

第4図 若葉台遺跡 須恵器の形状タイプと灯火具の点数

表 4 若葉台遺跡 土師器灯火具付着物(LA・LB・LC類)

第5図 若葉台遺跡 須恵器・土師器杯の灯火具時期別点数

第7図 住吉中学校遺跡 須恵器・土師器杯類の形状タイプ・灯火具時期別点数

表 6 住吉中学校遺跡 土師器 形状タイプと灯火具点数 表 5 住吉中学校遺跡 須恵器 形状タイプと灯火具点数

第6図 若葉台遺跡 灯火具、形状タイプ杯類点数と竪穴住居軒数

表 7 霞ヶ関遺跡群及び関連遺跡

須恵器坏 形状タイプと灯火具点数

表 8 氷川神社東遺跡 ロクロ酸化焔焼成・還元焔焼成坏 形状タイプと灯火具点数

第8図 氷川神社東遺跡 灯火具としての再利用の組合せ

(A-2タイプ+完形・10号住居跡)

2 完形、付着物LA

3 1

A-2タイプ 付着物LA

第9図 若葉台須恵器蓋形状のタイプ別出土点数時期別 2

3 2

23 16

24 55

13

50 14

13 14

0 10 20 30 40 50 60 70 80 90

9C後 9C中 9C前 8c後~9C初 8C中 8C前 時期

点数 A~Rタイプ Sタイプ

第9図 若葉台遺跡 須恵器蓋の形状と時期別点数

時期

形態タイ プ タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具

А 6 *1 5 1 1 5 2 16 3 2

B 9 1 4 2 11 1 24 2 2

C 6 2 6 2 3 1 15 4 1

D 2 #1 2 2 4 3

完形 1 1 1 2 4 1

SA 19 4 2 4 15 2 38 6 2

K 12 3 1 3 11 26 3 1

SM 24 1 1 6 24 2 54 3 1

79 11 6 29 6 1 73 8 2 181 25 9

時期

形態タイ プ タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具

А 16 3 2

B 1 1 1 1 2 2 26 4 2

C 1 1 2 1 17 4 1

D 1 1 5 3

完形 1 1 5 1

SA 2 1 4 2 2 8 3 46 9 2

K 1 2 1 4 30 3 1

SM 11 1 7 1 11 29 2 83 5 1

15 3 16 4 16 47 8 228 32 9

*1は硯として再利用後、更に環状鈕の中央が穿孔されている  表9 若葉台遺跡 須恵器の蓋タイプと灯火具・硯点数表

8C前葉 8C中葉 8C後~9C初

#1は短頸壷の蓋

合計

9C前葉 9C中葉 9C後葉

9

時期

形態タイ プ タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具

А

B 5 2 2 1 7 2 1

C 2 1 3 5 1

D 1 1 1

完形 4 2 1 1 5 3

SA K SM

11 5 7 1 2 17 6 2

・灯火具及び硯はタイプ別に含まれている

・霞ヶ関遺跡群には霞ヶ関遺跡、天王遺跡、山王久保遺跡、

 新田屋敷遺跡が含まれている

 表11 霞ヶ関遺跡群の蓋タイプと灯火具・硯点数表

7C末~8C初 8C前葉

時期

形態タイ プ タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具 タイプ 灯火具

А 2 1 3

B 4 3 1 1 8 1

C 4 1 2 4 1 10 2

D 1 1 1 2 1

完形

SA 4 4 1 1 1 10 1

K 9 1 1 11

SM 1 4 6 1 3 3 17 1

3 25 1 16 2 1 8 1 9 1 61 3 3

・灯火具及び硯は、タイプ別に含まれている  表10 住吉中学校遺跡の蓋タイプと灯火具・硯点数表

8C中葉 8C後~9C初 9C前葉 9C中葉 9C後葉

第4章 硯としての土器の再利用

古代の硯は、律令制の形成過程において、「刀筆の吏」ともいわれる官人と文書行政を 象徴する遺物の一つとして研究が行われている。この時期の硯は、実用的な文房具として の役割に加え、国産品か三彩、白磁を含む輸入品かという、品質と種類や形状とその大き さによって、官人の階層差を表すものとしての役割もあることが、多くの研究によって既 に指摘されている。

しかし、硯の研究は円面硯や風字硯などの定形硯が主たるものであり、実際に文書行政 を行う大多数の下級官人層が使用したと考えられる土器再利用の硯(転用硯)を含む研究 は、一部を除きほとんど行われていない。従来の定形硯のみの研究では、硯の使用状況の 実態、及び律令制文書行政の全体像を考察することは困難といえる。

本章は、関心がほとんど向けられていない、供膳具や甕などを硯として再利用していた 再利用硯の実態に関する分析を試みる。古代における資源の再利用に関して、土器の再利 用からライフヒストリーという視点をもとに、主な用途の一つである硯に着目する。

地方における律令制の整備状況と文書行政の実態を把握するため、本項では古代武蔵国 において定形硯だけでなく、再利用の硯を含めた硯の数量的な動態傾向と特徴を把握し、

硯としての再利用に関して考察することを第1の目的としている。

まず、古代武蔵国の消費地として、武蔵国府関連遺跡をはじめとする各遺跡の陶硯及び 再利用の硯に関して出土状況を把握してゆく。これらの遺跡の硯と武蔵国各遺跡の硯の動 態過程を比較することにより、第2の目的として、硯からみた地方官衙の性格が浮かび上 がると考えている。第3に古代の武蔵国においては、定形硯のみではなく、再利用の硯の 意義を提示し、二つのタイプの硯に関する考察を通して、律令制社会形成過程に関する研 究の一助としたい。

第 1 節 硯 の 研 究 史 と 問 題 点 の 整 理

再利用の硯が、日本の陶硯のなかでどのような位置づけであるのかを把握して理解する ために、日本の陶硯の研究史を概観する。

第1項 硯の学説

日本の硯の研究は、基本的に定形硯の研究史である。内藤政恒氏による研究[内藤 1944]

を基礎にして、楢崎彰一氏[楢崎 1981]をはじめ、石井則孝氏[石井 1980]、山中敏史氏

[山中 1983]などの研究がある。楢崎氏は機能面を重視する分類、山中氏は平面形態に基 づく分類を行った。

大まかな分類としては、墨を磨る陸部と墨を溜める海部をあわせて硯面(部)の形状に より、硯面が円形の円面硯、「風」という文字の形状から風字硯(第1図1)及び、鳥な どの動物を現した形象硯、須恵器の坏身や蓋及び、甕の胴部破片を再利用した「再利用硯」

がある。従来は転用硯と呼称されていたが、本稿では再利用硯と呼び変える。

円面硯は、脚部の形状や透かしの形状によって細分される。獣の脚部を現した獣脚硯、

羊の蹄の形状を現した蹄脚硯(第5図1)、脚部に長方形の透かしが施された圏足硯(第

7図1)などである。こうした形状タイプの差異は、官人層の身分表徴と考えることがで きる。つまり、7世紀に輸入された三彩や緑釉の獣脚硯及び白磁の蹄脚硯、また、国内で も生産が開始された蹄脚硯を最高ランクとする。そして、長方形の透かしをもつ圏足硯、

さらに下級官人用の再利用硯という序列があったとみられる[西口 2003]。即ち、硯は単 に文房具としての実用的な側面だけではなく、律令制において官人層の身分表徴としての 役割があったといえる。

日本で出土する硯は、中国や韓半島からの輸入品である三彩・緑釉獣脚硯などと国内で 生産された円面硯に大別できる。7世紀初頭から生産が始まる日本の硯の製作技法は、基 本的には中国から韓半島に伝わり、韓半島で変化して日本に伝えられたと考えられている

[西口 2003]。中国及び韓半島と日本の陶硯については、系譜を含めて研究されている[吉 田恵二 1985]。韓半島と日本との関係では、特に7世紀代においては百済の影響が強いと いう[巽 2004]。日本の7世紀末から8世紀前半代に多くみることができる初期圏足円面 硯の脚部の透かしと、三国時代の陶質土器が類似するという指摘もある[吉田恵二 1985]。

中国の漢代には、文書行政は用語や書式に至るまでシステムとして確立し、日本には韓 半島経由で確実に

7

世紀にはもたらされ、その導入には渡来人の果たした役割が大きいも のであったと考えられている[平川 2005]。

日本の陶硯と関係の深い韓半島において硯の研究は、近年、山本孝文氏[山本 2003]や 洪潽植氏[洪 2006]により進展している。しかし、定形硯が主な対象であり、再利用硯に ついては、わずかに存在の可能性について触れられている程度である

1)

。まず、韓半島に おける硯の研究について、簡単に整理したい。百済に関しては主に山本氏、新羅について は洪潽植氏の研究を参考にする。

韓半島において最古の筆は、紀元前1世紀の昌原茶戸里1号墳から発見されている[李 健茂 1992]。この頃、楽浪地域においては、中国後漢代とみられる円形板硯が石巌里9号 墳(第2図1)と、長方形板硯が石巌里6号墳、同 205 号墳、養洞里3・5号墳から出土 している。南井里 116 号墳(彩篋塚)からは、漆塗りの硯台と長方形板硯(第2図2)が 発見されている。また、貞柏里 127 号墳(王光墓)からは、筆の一部も検出されている[(株)

出版科学総合研究所 1985、高久 1995、山本 2006]。

百済地域の漢城期にあたるソウル夢村土城からは、中国南朝晋の輸入品とみられる円形 硯(第2図3)が出土している。また、

6

世紀前葉の中国南朝系譜の無蓋三足硯(第2図 4)が公山城で検出され、泗沘期(538~660 年)では硯の出土点数が増加し、本格的に文書 行政が導入されたことがうかがえる。硯は扶餘官北里推定王宮址、扶蘇山城(第2図5・

9)、錦城山朝王寺(第2図6)[山本 2003]、陵寺(第2図 7)[扶餘国立博物館 2000]、

泗沘軍守里地点(第2図8)[忠南大学校百済研究所他 2003]、益山弥勒寺など、王宮関 係の政治的に重要な施設から出土している。石製の硯[洪思俊 1961]もあるが、ごくわず かで、基本的には陶製の円面硯であり、脚部の形状による分類が行われ、水滴硯(第2図 5)、蹄脚硯(陽刻蓮弁文も含む・第2図6)、環脚硯(第2図 7)、日本に多い圏足硯

1)再利用硯は百済漢城期には既に多く使用されたと考えられているが、具体的に報告されていな

い[山本 2003]。

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