とが必要なのだろうか。
重要なのは、誤報・人権侵害を生み出す仕組みともいうべき「速報=事実かどうか確認 できなくてもとりあえず報道する=他社に先んずる(勝つ)=警察に普段から食い込んで オイシイ情報をもらう=特ダネ=部数が増え利益も上がる=記者など個人の評価も上が る」という図式を断ち切ることであると思う。そのためには、誤報を防ぐための諸原則の 徹底(裏付け取材等による真実性の確保・情報源の具体的明示など)、人権侵害を防ぐため の諸原則の徹底(匿名報道原則など)の諸原則を新人だけではなく、ジャーナリストとし て多くのキャリアを積んだ人たちにも実施し、教育制度として確立していくことはできな いだろうか。
こういった考えはすでに多くの研究者が述べている60ことであり、筆者自身も大いに賛成 する。しかし、筆者独自の考えとしては、新人とキャリアで異なった教育制度を確立する 必要があるということを述べてみたい。新人には徹底した“報道倫理重要”の観念を教育 することはもちろん、キャリアを積んだ人にはジャーナリストとしての本来のあり方をも う一度考え、見直す教育を施すとともに、メンタル面のケアを中心とした教育も取り入れ るべきだと考える。
そして最後に、メディア規制法に関する報道機関のよりよい方向への取り組みについて であるが、一章三節で述べたように、人権擁護法案などは確かにマスコミの表現の自由を 脅かすものである。しかし、このような法案が企図されている背景にはマスコミによる報 道被害によってプライバシーを侵害された人が過去に多くいたからである。ということは、
今後報道による被害が少なくなるということを確かな形で、国や国民に対してアピールし、
結果を残していけば、強行に人権擁護法案を制定するといった動きも収まるのではないだ ろか。また、すでに制定されている個人情報保護法に関しては、災害や人身事故などの場 合、殺人事件の場合など、報道する事件や対象によって、どこまでの情報開示を求められ るのか国がきちんと制度化することが必要なのではないか。
メディア規制法に対しては、マスコミの報道の自由の権利をしっかりと確保していくた めにも、上に挙げた倫理の見直しや、報道の仕方の再教育などを通して、結果として残し ていくことが重要になると思う。
60 浅野健一『犯罪報道は変えられる』日本評論社、1985年、358~360ページや、同著『過激派報道の犯 罪 マスコミの権力を批判する』三一新書、1990年、247~254ページ等で紹介されている。
結論
この論文を通して、現代の犯罪事件報道では様々な問題が起こっていることがわかった。
一章から三章を整理してみると、犯罪事件報道に潜む問題には、報道の仕方(取材方法や 表現方法)に関する問題と、報道全般に関する権利についての問題の二つに分けられるの ではないかと考えられる。報道の仕方に関する問題については、倫理綱領が守られていな い現状があるということを、松本サリン事件を中心に検証してみた。そして、権利に関す る問題については、三章を中心に、実際松本サリン事件ではどのような権利が、どういっ た状況でぶつかり合っていたのかを分析した。
これらの調査・分析を踏まえた上で、望ましい報道の姿とは、“真実を常に探求し、それ を倫理に則った形で取材・報道し、なおかつ冤罪を作らないために、常に人のプライバシ ーについて考え報道をする”であると筆者は感じた。この姿に近づくために、「倫理綱領の 見直し」、「ジャーナリスト教育制度の確立」の必要性を筆者は導き出した。そして、これ らの政策を実施した結果を形として残していくことが必要であると考えた。
マスコミとは本来、市民の味方として存在するはずである。しかし、マスコミによって 報道被害を受けた人は大勢いる。この人たちにしてみれば、マスコミは社会復帰を阻む最 大の敵と考えているのではないだろうか。プライバシーという権利は誰もが持っている権 利であり、それを侵害することは誰にもできない。そして、マスコミがメディアスクラム を引き起こす要因として、国民の「知る権利」に応えるためといった考えがあることを本 論で述べたが、マスコミ側が言う国民の知りたいことと、実際、国民が知りたいと思って いることが同じではない。報道機関が報道したいもの、又は報道すべきものとされるもの 全てが必ずしも国民の求めるものとは言えない。こういった状況を、報道に携わる人々が 考えなければならないし、同時に我ら国民も、報道のあり方について考えなければいけな いのではないだろうか。
おわりに
今回、報道に関する論文を書くに当たって、多くの本や雑誌、新聞などを読んだが、「正 しい報道の姿とはこれである」と断言しているものは多くなかった。たくさんの研究者や ジャーナリストの方々が、それぞれ望ましい報道のあり方に近づくためにはこういった方 法をとっていくべきだと、過去から現在に至るまで主張し、それぞれの考え方を広めるた めに多くの努力をなさっている。このような現状の中で、一学生である私がどういった主 張をすることができるか初めは不安であった。論文を書き終えた今でも、私の主張ははた して正しいのかと聞かれると、自信を持って“正しい”とは言えないのが現状である。特 に、四章で考え、検証した項目は、この論文を書くために多くの書物を読んでいる途中に 自分なりに考えた結果である。しかし、現状で足りていないことを考えていくうちに、マ スコミ報道をどのように変えていくべきか、変えていくためにはどうすることが必要か、
ということともに、こうやって常日頃から今のマスコミ報道に疑問を感じ、それについて 自分なりに考えてみようとする姿勢が大切なのではないかと今は感じている。この論文に 取り組んでみて本当にたくさんの事を考えてきたことは決して自分の中で無駄になること はないと思う。
約一年間を通して論文を書き上げたわけだが、多くの方向転換とともに、自分の力が及 ばないため、書ききれなかったこともたくさんある。特に、松本サリン事件とともに、神 戸市須磨区連続児童殺傷事件についても調査したが、分析には至らなかった。これは私の 力不足であることは否めない。この事件の調査した内容を参考資料として最後に載せてお いた。犯罪事件報道を取り巻く状況については今後、自分の人生の中でずっと考えていけ たらいいと思うし、また考えていかなければいけないことであると感じている。
<謝辞>
この論文を書くに当たって指導をして下さった、竹村卓、林夏生両先生方に心より感謝い たします。そして、たくさんのアドバイスをしてくれた比較社会論コースの皆、論文を読 んでくれた親友に感謝します。最後に、私が論文を書く環境を少しでも良くしようとして くれた家族に感謝の意を捧げます。
2006年1月16日 瀧田知美
参考文献
文献
奥平康弘『知る権利』岩波書店、1979年
奥平康弘『表現の自由Ⅰ-理論と歴史-』有斐閣、1983年奥平康弘『知る権利』岩波書店、
1979年
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浅野健一『犯罪報道は変えられる』日本評論社、1985年
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志賀信夫『昭和テレビ放送史 上』早川書房、1990年 清水英夫『マスコミの倫理学』三省堂、1992年
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小川一「犯罪報道の現場から」メディアと人権を考える会『徹底討論 犯罪報道と人権』
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読売新聞社『新書かれる立場書く立場 読売新聞の「報道と人権」』読売新聞社、1995年 村上孝止『プライバシーVSマス・メディア』学陽書房、1996年
奥平康弘『ジャーナリズムと法』新世社、1997年
羽島知之『写真・絵画構成 新聞の歴史 1、新聞の誕生』日本図書センター、1997年 羽島知之『写真・絵画集成 新聞の歴史3、現代の新聞』日本図書センター、1997年 酒井昭「表現の自由と放送倫理」、日本民間放送連盟研究所『「放送の自由」のために 多チャンネル時代のあり方を探る』日本評論社、1997年
のぞみ総合法律事務所編『被害の実態とその対策実務 名誉毀損』商事法務研究会、1998 年
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東山麟太郎『実名報道の犯罪』近代文芸社、2001年
法務省法務総合研究会編『平成13年版 犯罪白書 増加する犯罪と犯罪者』財務省印刷局、
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竹田稔・堀部政男『新・裁判 実務体系第 9 巻 名誉・プライバシー保護関係訴訟法』青 林書院、2001年
河野義行『松本サリン事件 虚報、冤罪はいかにして作られるか』近代文芸社、2001年