党政権下においても、継続・継承は可能だということである。これは、クオータ制の導入の政策効果で あると考えられる。
ベトナムからは、2006年成立のジェンダー衡平政策と関連法、2011年以降のジェンダー平等国家戦略 についての検討が報告され、それらの政策においても、依然としてジェンダー・ギャップが存在してお り、経済的領域でのジェンダー間格差・差別が大きいことを明らかにしている。この点に関して、ベト ナム共産党などの重要な政治的・公的セクターにおけるジェンダー統計が示されるなど、貴重な報告と なっており、これら主要セクターにおいて、家父長的規範、男性優位の文化的実践が根強いことを指摘 している。
日本の報告では、日本の経済政策において、女性の活用は、一方では経済成長政策の中に戦略的に位 置づけられ、他方では、人口減少を食い止めるための家族支援策などがとられるなど、政策間に矛盾や 齟齬が瞥見できることが指摘されている。これらの中でも、新自由主義的政策が女性活用を打ち出した 結果として、格差や貧困などの社会的緊張が高まり、反動としての保守的言説を社会的に醸成しつつ、
「少子化対策」の名のもとに、女性身体への国家介入という「女性の客体化」が進行している。この状 況を、報告では、新自由主義と反動的保守の共振による「新自由主義的母性」の政治的構築と定義して いる。そこでの対抗策は、対保守主義のみでは不十分で、新自由主義への回収への対抗が肝要であると 指摘している。
以上の報告で、2000年代の国家フェミニズムが保守党政権下において、いかなる変容を遂げるかにつ いて、次のような点が、共有された課題として指摘されたことが、たいへん重要であると思う。それを 踏まえて私見を述べることとしたい。
第一に、保守政権下におけるジェンダー主流化政策のテクノクラート化、第二に、革新政権下でのク オータ制導入には、保守主義への回帰の時期においても、一定の効力を発揮すること、第三に、市場中 心的な新自由主義的政策導入は、社会的緊張を高め、反動として新保守主義的イデオロギーを社会的に 醸成させ、しばしば、相矛盾する政策方向を打ち出す。すなわち、新自由主義的成長政策への女性の戦 略的充当と、低出生率・労働人口減少対策を、女性の無償労働を備給・動員するための新保守主義的言 説の生成である。第四には、これらの政策矛盾や政策の実効性喪失は、しばしば、女性の身体・生殖権 にたいする国家介入という措置によって解決しうるとみなす傾向をもつこと。したがって、第四には、
新自由主義と新保守主義の現代的結託の様相にいかに対抗しうるのかこそが、政策的かつ運動的に問わ れているということであろう。
最後に付け加えるならば、政治経済学の観点から見た場合、ジェンダー経済格差・差別に関しては、
指摘するのみにとどまっていると思う。実は、国家フェミニズムによるジェンダー主流化政策推進のア キレス腱は、経済的側面からみれば、ある種のトリクル・ダウン仮説に近い問題を含んでいることであ ろう。比較制度分析を超える、グローバル・レベルでの分析をいかに進めていけるかが、ジェンダー主 流化政策の国家テクノクラート化に対抗する方法であることは、間違いないところであると考える。
(あだち・まりこ/IGSセンター長
台湾、韓国、ベトナム、日本におけるジェンダー政策の展開と課題についての報告から、それぞれの 歴史的社会的状況の特徴とともに、共通の条件と課題が明らかになった。それは70年代以降の世界女性 会議やCEDAWの動向は重要な役割をはたして来たが、それ以上に各国における女性運動の政治力が ジェンダー政策推進の鍵を握っているということである。
韓国は国連女性の十年当初から積極的に女性政策に取り組み、95年北京会議以降はジェンダー主流化 を全面的に取り入れ、ジェンダー影響評価、ジェンダー統計、ジェンダー予算などにおいて先進的な政 策を進めている。2008年以降保守派が政権についてからも、ジェンダー政策を止めるわけにはいかない までの実績を築いている。
台湾は国連非加盟国ではあるが、2007年に女性差別撤廃条約を批准し、民主的政治体制が確立された 90年代後半以降、ジェンダー平等政策は目覚ましい成果を挙げてきた。台湾もまた保守政権が登場した が、ジェンダー政策は継続している。
両国の共通点としてあげられるのは、女性運動が政策に大きく関与し、政府の方でも女性運動のアク ティヴィストやジェンダー課題の有識者たちを参加させて、積極的な恊働体制を構築して来たことであ る。その体制は近年の保守政権の登場によってゆらいでいるとはいえ、運動の協力なくしては政策を進 めることができない状況が現に作り出されている。その背景には両国において民主的政治体制を獲得す るための人々の長く過酷な闘争があり、その重要な一翼を女性運動が担って来たことがあると考える。
ベトナムのジェンダー平等政策の実績と課題についての貴重な報告を聞くことができたことも有意義 であった。女性差別撤廃条約批准を1982年という早期に実現し、基本的に国家主導の印象は強いが、
ジェンダー平等国家戦略(2011〜)がNGOや多くの関係団体の意見を聞きながら作成されたことは、
ベトナムにおいても草の根の女性の運動の政治力を示唆している。
今なお根強い家父長的価値観や男性優遇などの東アジアに共通の状況下で、女性の政治的交渉力の一 層の拡大が問われている。
日本の場合も、70年代には女性運動の新しい動きが生じ、国連の動きに連動して政府のジェンダー政 策も開始されたが、女性運動との連携が政策を動かして来たとは言いにくいのではないか。地方自治体 レベルでは「恊働」の展開はそれなりにあったが、国レベルにおいては、女性運動との連携は活発で あったとは言えない。その理由は、ひとつには政府サイドはアクティヴィストを煙たがり警戒しこそす れ、利用しよう、政策に巻き込んで行こうとする姿勢は希薄であったし、一方運動側にも政策に対する 対決的な姿勢が強く、政治的交渉自体を否定する傾向が存在していた。
60年代末から日本では「女性の活用」政策は生じていた。「ウーマンパワー政策」と呼ばれた70年代 初期の動きは、勤労婦人福祉法、看護職や教員などに限定した育児休業制度など、すでに能力主義的女 性の選別を含んでおり、フェミニズム運動の激しい反発を受けていた。
ジェンダー政策の要としての女性運動の政治的成長
伊田 久美子
〈特集コメント〉
日本においては戦後長く安定的に続いた保守政党体制の下で、韓国や台湾のような運動の力で社会を 変革したという経験に乏しく、とくに70年代以降の社会運動には「負け癖」が付着している。「ステイ ト・フェミニズム」とは、権力に擦り寄ったかのような否定的なニュアンスによって非難のレッテルと して使用されこそすれ、その積極的意義や問題点についての議論は不足している。男女共同参画社会基 本法が1999年に成立したのは大きな成果であり、その後民主党政権下で、運動と政治の連携が一時進展 を見たように思うが、残念ながら保守政権の復活、それも戦後最悪と言うべき政権の登場によって中断 されてしまった。フェモクラットは一定程度育成されてきたし、その仕事はかなりの成果をあげている が、フェモクラットとアクティヴィストの連携は十分とは言えない。
日本の現状についての三浦氏の報告は、日本のジェンダー政策には矛盾があり、反動的保守主義が実 効性のある政策の妨げとなっていることを、女性身体のコントロール、女性の活用のような客体化とし て指摘しているが、現状においては主体としての女性のパワーが脆弱であることが背景にあると思う。
90年代以降の行政主導の男女共同参画推進が、運動の成長を妨げた側面も指摘される。しかし三浦氏の 言う「国家家族主義」に対する市民の、とりわけ女性身体のコントロールに対する反応は、運動の今後 を期待させる。女性手帳に対する激しい反発により、政権は撤回に追い込まれた。これは日本の運動に とってはきわめて貴重な経験である。変革の経験を通じて「負け癖」を克服していくことによって女性 運動の成長は期待できる。
ジェンダー主流化に向けた日本の課題は山積みであるが、女性運動の政治的成長がその鍵であること を、東アジアの各国の報告をうかがい、あらためて確信している。
(いだ・くみこ/大阪府立大学女性学研究センター長、
人間社会学部教授)