第 5 章 政策提言
第 2 節 特定健康診査の見直しと義務化
現在、各医療保険者が加入者に対して提供している 35 歳以上の被保険者に対する生活 習慣病予防健診と 40 歳以上の被扶養者に対する特定健康診査がある。これらの健康診査 は、糖尿病や高血圧症、脂質異常症など生活習慣病のリスクの有無を検査するものであ
り、2008 年度からは医療保険者に対して 40 歳以上の全ての被保険者・被扶養者を対象に 特定健康診査と特定保健指導を実施することが義務づけられている12。
健康診査は生活習慣病の予防だけでなく、生活習慣病に起因する要介護リスクを低減す ることにもつながる。介護が必要となる主な疾患要因には、脳血管疾患(脳卒中)、認知 症、高齢による衰弱、関節疾患がある。このうち、脳血管疾患の危険因子には、動脈硬 化、高血圧、高血糖、脂質異常、内臓脂肪肥満、不整脈がある。健康診査の基本的な検査 項目は、身体測定、理学的検査、血圧測定、検尿、血中脂質検査、肝機能検査、腎機能検 査、血糖検査の 8 項目であり、これらの多くは脳血管疾患につながる危険因子の有無を調 べるためのものとなっている。
このように、国民の健康改善に大きな役割を持つ健康診査であるが、現在のところその 役割を十分果たせているとは言えない。「平成 25 年度 特定健康診査・特定保健指導の 実施状況」(厚生労働省)によると、特定健康診査の対象者数は約 5,326 万人、受診数は 約 2,537 万人、受診率は 47.6%であった13。特定健康診査の年齢階級別の内訳としては次 の表となっている。
表 5-1 特定健康診査の受診率
(資料) 厚生労働省 平成 25 年度 特定健康診査・特定保健指導の実施状況
40 歳から 59 歳までの受診率を 5 歳間隔で見てみると、いずれの年も 50%前後であり、
一方で 60 歳を超えた高齢者の受診率は、急激に約 10%も低下していることが確認でき る。この受診率の低下には、60 歳以上の多くは退職しており、現役期とは異なり健診を受 けるための手続きが煩雑になることや、すでに何らかの生活習慣病を発症し治療中である ことなどが要因として考えられる。
12 生活習慣病予防健診は被保険者を対象に行い、特定健康診査に心電図の検査が加わったものである。
特定保健指導とは、階層化により「動機付け支援」「積極的支援」に該当した人に対してのみ実施され る。特定保健指導の目的は、対象者が自分の健康状態を自覚し、生活習慣の改善のための自主的な取り組 みを継続的に行うことができるようにすることにあり、対象者が健康的な生活に自ら改善できるよう、さ まざまな働きかけやアドバイスが行われている。
13 厚生労働省による正式名称は実施率であるが、分かりやすさを考慮して本稿では受診率としている。
40~44歳 45~49歳 50~54歳 55~59歳 60~64歳 65~69歳 70~74歳 25年度 全体 52.1% 52.9% 53.6% 51.1% 42.6% 40.0% 41.2%
健康診査には病気の早期発見、健康状態の確認という基本的な機能のほかにも、健康状 態の把握を契機とした健康に関する意識の向上という付随的機能があると考えられる。し かしながら、受診率は必ずしも高いとは言えず、健康診査が国民全体の健康増進に対して 十分な成果を上げていないのが現状である。
現在は、医療保険者に対して加入者の受診率を基準とした支援金の減加算による受診率 向上の動機づけがされているが、加入者本人に対する動機づけにはなっていないため、受 診率が低いままとなっていると考えられる。より多くの人に健康診査を受診してもらうた めには、もっと強い動機づけが必要である。また、受診にかかる費用は加入先によってま ちまちであるが、それなりの金銭的負担がある。このことも、受診率を低くしている要因 であると考えられる。
そこで本稿では、新たな政策として、健康診査受診の無料化および、対象者本人に対し て健康診査受診の義務化を提言する。
受診費用の無料化は、対象者の金銭的負担をなくすことで、受診時間が生む逸失所得や 受診のための手続きが生む機会費用を軽減するためのものである。健診費用は医療給付費 で全額賄うとし、自己負担はないものとする。
無料化の一方で、対象者本人に対して受診を義務化する。受診への動機づけを与えるた めに、未受診者に対して追加保険料を求める。追加保険料をどの程度とするかは、次の政 策シミュレーションを踏まえて検討する。
表 5-2 は、特定健康診査の見直しと義務化を実施した場合の政策シミュレーション結果 を示している。左から3列までは図 4-7 と図 4-8 で示した、要介護認定率が 2030 年まで 低下した場合の費用削減額の再掲である。左から 4 つめの列は、現行制度と現状の受診率 が将来も続いた場合の健診総費用である14。左から 5 つめの列が見直し・義務化のシミュ レーション結果である。シミュレーションでは 2015 年以降、35 歳以上全員が健康診査を 受診するという想定を置いている。現状の受診率が47.3%であり、30 代後半の被扶養者
14 現行制度では健診対象者が被保険者は35歳から74歳まで、被扶養者は40歳から74歳までである と設定している。推計には、年齢別人口を被保険者数と被扶養者数に按分する必要がある。按分に必要と なる計数には厚生労働省保健局「医療保険に関する基礎資料(平成24年度)」から得られる全被用者保 険の被保険者数と被扶養者数、国保の被保険者数を用いた。現行制度のもとでは、「平成25年 特定健 康診査・特定保健指導の実施状況」(厚生労働省)から得られる2013年度の特定健康診査対象者の受診
率である47.3%が将来もつづくと仮定している。費用の計算に必要な一人当たり検診費用は、平成27年
度の協会けんぽ被保険者に対する生活習慣病予防検診の自己負担額(7,038円)と協会の補助額(11,484 円)の合計である18,522円を用いている。
にも新たに受診を義務付けるため、健診総費用は現行制度の 2 倍以上となっている。一番 右の列が、見直しと義務化により追加でかかる費用総額である。
表 5-2 医療・介護費削減額と健診費用総額
(資料)全国健康保険協会HP、「国勢調査」、著者分析結果を基に著者作成
2017 年までは、健康診査の見直し・義務化による追加費用が、将来の要介護認定率が低 下した場合の高齢者医療費・介護費用の削減額合計を上回っているが、2018 年からはその 関係が逆転する。2015 年から 2030 年までの累計でみれば、見直し・義務化による追加費 用 9.75 兆円に対して、高齢者医療費・介護費用の削減額は 63.84 兆円と大きく下回って いる。累計を年数で割った年当たりでみると、追加費用は 0.61 兆円、削減額は 3.99 兆円 であり、見直し・義務化したとしても年あたり 3.4 兆円だけの経済効果が残る。長期的に 見れば、年間 3.4 兆円だけ医療・介護給付費が削減され、国民の保険料負担と税負担がそ の分軽くなることになる。
ここからは、見直し・義務化と同時に導入する、未受診者へのペナルティの大きさにつ いての検討に移る。健診には生活習慣病に起因する要介護リスクの低減という機能がある が、健診の未受診は要介護リスクを高め、将来の高齢者医療・介護費用の増大の可能性を 大きくする。そのため未受診者本人に対して 6.2 万円の追加保険料を課す。
介護費 医療費 総額 現状 仮定・全員受診 追加分
2015年 0.04 0.06 0.10 0.58 1.22 0.65
2016年 0.11 0.19 0.30 0.58 1.22 0.64
2017年 0.22 0.38 0.61 0.57 1.21 0.64
2018年 0.38 0.63 1.01 0.57 1.20 0.64
2019年 0.56 0.93 1.50 0.57 1.20 0.63
2020年 0.79 1.28 2.07 0.56 1.19 0.63
2021年 1.04 1.68 2.72 0.56 1.19 0.63
2022年 1.32 2.10 3.41 0.56 1.18 0.62
2023年 1.61 2.52 4.13 0.55 1.16 0.61
2024年 1.92 2.96 4.87 0.54 1.14 0.60
2025年 2.21 3.30 5.51 0.53 1.12 0.59
2026年 2.52 3.57 6.09 0.53 1.11 0.59
2027年 2.83 3.99 6.82 0.52 1.10 0.58
2028年 3.13 4.42 7.55 0.52 1.09 0.57
2029年 3.42 4.83 8.25 0.51 1.08 0.57
2030年 3.68 5.21 8.89 0.51 1.07 0.57
2015~2030年 25.78 38.06 63.84 8.75 18.50 9.75
年間 1.61 2.38 3.99 0.55 1.16 0.61
削減可能額 健診費用総額(兆円)
6.2 万円の算定根拠は以下のとおりである。まず、健診の受診率が現状のままだと、累 計 63.84 兆円の高齢者医療費・介護費用の削減は発生しないと仮定する。これが健診未受 診の機会費用であると考え、この累計を 2015 年から 2030 年までの 16 年間の 35-74 歳人 口の和で割った値が 6.2 万円であり、16 年間の1人当たり平均機会費用にあたる。被保険 者および被扶養者の追加保険料は被保険者に対する通常の保険料に上乗せして徴収され る。
提案する健診を「新・健康診査」と呼ぶ。健診対象者の決定は要介護の決定要因が発症 する年齢を基準にした。介護が必要となる主な要因には、脳血管疾患(脳卒中)、認知 症、高齢による衰弱、関節疾患などがあり、それらの発症リスクは 35 歳前後から上昇し ていく(表 5-3)。そこで健診対象年齢を被保険者および被扶養者において 35 歳から 74 歳までとする。
健診項目は、要介護認定者に多く見られる疾患である関節疾患の要因の骨粗しょう症を 調べる超音波検査に、健康診査の基本的な検査 8 項目(身体測定、理学的検査、血圧測 定、検尿、血中脂質検査、肝機能検査、腎機能検査、血糖検査)を加えた 9 項目とする。
しかし、先述した介護が必要となる主な要因における対策は網羅できない。そこで、認知 症発症と高齢による衰弱に関しては現行の取り組みの強化によって、予防や改善を図る。
表 5-3 要介護要因上位 4 つの年齢層区分
(資料) 総務省統計局「患者調査」平成 23 年 上巻第 62 表より著者作成 0
500000 1000000 1500000 2000000 2500000
要介護要因上位4つの年齢層区分
(高血圧性疾患/脳血管疾患/関節症/骨折)
合計(以上4項目・骨折を除く) 合計(以上4項目)