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窮 一一節 藍 案 粉 と衣 生 活 (附 )相星

〔研究方法 〕

準牌 としては.調査地蚊確 定肘先生の紹 介 され た「歴史地理 ・郷土地理 」

.

「地方史 研究・R磯 」

「近世地方史研発入門 」を玩むO

調査地域が 「術中町 」 と確 定 してか らは.幽係地図 (油木.親 免の五万分之‑ )の作温 県立 図蕃鯨に て 「川上郡誌

J

. 「日本良薬 発展 史 」、卒 慮 「音節高原の良作物」等を参考程度 VC呂を 通すo アンケー ト葬は 作 らず恥 き込みに主点 をお く8

現地VC於いては、ます役機 で 「現 勢朗 色簿 」を写 し、史 作付如横 の 多い

譜家相 を調査対 象地 とす る。 I/0オ以上 の老人 を対象 vtして藍 作翰 ・鮒

について の開 き込みを行 った 。 行程 26日 布滅

27日 黒,B 敏之瀕 長谷 布 賀

28日 乳 R・ 後谷 中 迫 肘谷 井 川 田原 川合 地 頭 黒鳥 29日 限鳥 志藤 用瀬 A.CU

幕 末 ・明治(,tお け る畑 作物 1. 畑作物や概況

封 建制下 の良民の 日は畑作 物による生活縦痔へ と向 け られ.そ のよ うな畑 作物 をまず冬作 の髪臥 夏 作では賂 稗 .大豆等 の鵜 蟻

串に

求めた (.I

馴 封 & )会は山菜 V'依存 し.腿 は あ くまで も米作を巌本 としていた ので.雑穀及 び四 木三卓 と呼ばれ る冶用作物は米作の防音 と/Lらめ嘘

VC於いて作付 を許 さ れ て い た<.これ ら四

≡耳 と呼 にrれる料 肖作物は 日常生 活必繭品で あったので、元醸 ・享 俳 境か ら商品eFL通 鏑 は 代に よる帥 鮎 の発旗、諒 解 轟 紳 財政 鞘乏は. これ ら剛

f ・ F ・

物各 級鹿枇 奨励 し 濃初か ら版元を 鋸 勺として栽 培され.加工 cijtるので晶解 の良 い催 いは.ただ

Vr‑価格に 臣 拶す る為.栽培 者.加工若柳 ⊂品甥 の向⊥む杷えす恵 凶 し、成増技術く滋F常 に進ん でいた.

しかし価格は市況に故他 に左為 されたのて, iV畠が著 しく祝われ、労働者に転落す るもの 反対に資本 7i・苔桃 してい った少故の もの もめ った凸

特畑 作物 としては.粂!3)苑 措、払 監 柾 Lt.敵 組l薬楓 煙草、 雌 があげ られ る。

この うち鰍 Ii徳目伸 畑jK於いて.藍 もそ の化藍鵜 として碓止 しておi).皇国 的 fJ:市場 を有 す る商 品作物であるC 川上郡 vC於いて も明rE,初 年頃には.払 胤 藍t甘酪 桔皮、 うる し

.

棄鹿島 紅花等 が 由品 としての純允を

. 恥

と して栽培 され てい るC

術中町に於いて も恐 ら

15J陳の畑作物が

r・

目 され ていた と思われ るo (WJ'中町 化於ける 明 治畔代のIL'L.i・料が rcいのは vC知念 である凸

)

(肖∠)

(1) 「日本加薬技術史 」参考 (2日3) 「日本座薬発展史 」巻3 参考 (41 「岡山県統計年 報 、 明治

14

年版

2, 藍 .

『我 国 に直す る藍の種類 を 見てい くと ㊤ 各地VC自生 する個有の山藍 ⑦ 北 海道 地方に 藍す る大 骨

鹿 児 島や沖縄に産 す る山室 ① 全国 に栽培 され て きた藍 の四つ VCわ かれ るQ これ らの うち(丑 は古 く摺染 ほだけ使用 された もので経済的価値は な く

⑦ と(塾 は産地が辺 地で あった bした牌係 で.それi・消班す るの も蔭地力bJVd撮 られ てい るo そ こで④ だけが広 く栽培 されて.普通盤 といえば この種 を指 すのである。 この藍 は古代に シ

ナか ら渡来 した奮 料の植 物でLそ の形がvcよく似 てい るので整藍 とも呼 ばれ る。 J)又 「日 本植 物薪典

に よる と藍 は 「盤 藍 とも称 し.最 も古 く支那か ら輸入 された染 料穐 物の11 で 音色の染 料植物として はヤマ7 イ托次いで古 くか ら用い られてい るa 1年生草木 で高 さ50

‑70

cn.垂 は紅紫 色を帯 び.席は卓二臥 広地針 形.長楕 円形叉は卵 形で.短柄 を以 て互生 L^ 菜 は敬状 をTL:し肇を抱 き毛線

れ 貫に穂状に紅色.5が く片. 触花弁 の′J、花 を開

き.

花後3稜 、卵形 鼎褐色l 長 さ2JtJlばか 少の果 束を結び品種は 多

.「小子本 」

.

「百官

「1 粉 百」「,J、上粉」が有

b

」(引用 )と説 明 され てい るoJlL上軒及 び 臓中町 に於いては. こ の夢藍 が作付 されていftJ,

(1) 藍 作の捜史的変蓮

Jdl.オjlの祖先 遠は.衣料 (蘇 )を染 めるのVCは山野 に自生す る植 物 と赤土 にた よるほか TL:く、背色 とか赤色を求める こと しか出来TJ:か ったO藍 は古米か ら染料 としての主要 な地 位を 占めていて.殊

L

'C徳川中相似 降 の摘発 の発達が大 きな原田を Ti:L^ 棉作 と平行 してそ の近傍VC於い て藍作が托座 していったo

(2)

に放ける軌 培 他 欽明天皇 の御幸 (540年〜571年 )vEイン ドか ら

州龍 野 に

伝来 し‑rtものがは じまDで.それが各地En:伝わ ったo Lか し後 約1OOO年間 とい うもの は たい した栽培法.染 色技術がな か った為、小数 の趣好品 として珍塵が られ る程度だ った。

16LLr

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に於け る外敵 易('CよLJ外国か ら打場 株 の輸入以後t大和 ・摂 弊 ・山城 ・和泉 等 の凶 々VC拡ま れ さらVC播磨 ・術如

術中 ・術後 ・t勾画各地に伝わ れ っいで全国各地vc 栽培 され る よ うになる と

.

勅 を向 しこくして京洛 ・摂 津 ・阿波 の各国 vc藍 の特 産地が形成 さ れたo特 ‑ 被 国‑ 、てほ 1585年

掬家竺が馴 佐朋

別珂鯛 ‑ 転封 された 後一埠頭懲家 の保 雄奨LilJと志野川流域 の先 供 ・土 壌 とが1804年 (文化元年 ) 以後 vUL ると阿波藍が天 下 の台所である大阪市場菅独 占す るに至 る大 き/L原因 とな ってい る。

さて、 肺中国vc於いては時頃か ら藍 雛 が なされ ii‑した のだろ うか。 「中隔 榔 勿史

には、 「東山天皇天 和等閲兵藍の伝来せ しよ L).各地方之 を栽培 し・・.・・・」(引用 )と 記 され てい るo 船中且にい てL 天和牛鰍 ,C早 くも藍栽培が行われてい るこ とが うかがえ るO又高 見家家系 図に よる と「鵜 胎元年 (1658)館 主山 崎甲斐字成羽〜御移 城 の喝ヽ 庶

(83)

民追従 を&‑ぅ者多 し。

bてエ商の者一姓 に‑人 を許 し給 ふ。 壷韮染 色 の妙技 を棲め たる を以 て成羽に随行す。二 男一女あれ 女は布瀬村隣 新氏 に媛す。 隣氏は 陣中松 山奴 三三村 民の浪士 なbo同人早世 して. ・・・・・・作兵術斯 く長す るに及ぶo天 和二年 (1682年 )隣

家を辞 しl当村 の村字宝村の株 を引諌け一 家を創建 づ㌔ 而 して桝転の余暇 父祖 伝来の染殿 薬を始めた

bo

」(引用 )とあ

D.

天利年制に染 物屋が出来ていた ことか らも当時VC於 い て藍 の作付がな され ていた こ とが うかがえ る。以上 よ

b

術中町vE於 いて既

に17

世 紀の終

bvcは 藍栽培が 行われていたQ (自鋭 ) (2)藍 作 技 術

〔気候 ・土壌 〕

留 か 好 土 ○ 壌 土 ● 延 質

第 6 両上郡 土性 区

藍は 高温 多湿の気 候を好み . 土宜 は砂賀 ・壌土 が適地 である。

令.川上都 の土 性 図を示 す と第 6陶 の如 くであ る。 叉藍 は水は け の使 利 な柵泡 が して あれば一 層長い。

成羽川の上 流幼年 舶谷底 筋の 用瀬 ・志藤 ・長屋 ・黒鳥 ・数之 漸 ・井 川 ・Lfl原 は.砂質土 地帯 の為、 水はけも よ く野 呂vC比べ て作付 血揃は 多か った。 しか し

この よ うな適地 も気俵条件、特 に 日照特 例の長短vcよって質 も 13等・つてい たo 「志蕗 辺

D

は 日 照時 間が削合 VC良 く、そ の うえ 砂質土 地梢 の為. 普、 他地域 で平年作一反LR:付 き30貫術後 の収稚腐 であるがこでは、‑反 L^C付 き50‑ 60甘の収種高 で ある。 しか し砂封土地帯 は地‑JJ維持 が酬 皇な為、 負は悠 かっ'cc

( i j

細 別 、芳賀仁 書、 志藤 )しか し兜 と丑が相 括抗する とは考え られない。

〔苗床 〕

「3月上 B]L/Cl平方 メー トル位 の苗床 を作 lJ.接を播 く一過JdpWu'忙人糞 尿を 施 してお く0 4月上 胡散栖 して&.を まき、わ らを破 くQ 苗床 には竹を漉 してお くo発芽 し一寸位い伸び る とをわ らを とり又水 肥を'j6すQすすめか鬼ナ0,で追 うの か大変 だ ったO 胸 取 )敏之湖 杉 ti]クキ ノ (82オ )坪当 Dの橋租丑 及 び畑 一反 歩 VEつ きどの位 の苗床 を要 してい たかは 明かでない。 しか し.I.YL]山拐塊炎梁

賢に

「4月上 旬坪 当 り1台内外 の割合を以 って碓 子を

(84)

撒指 し・‑‑ ・発芽後移植 迄に1.2回

縛な る人或尿を追肥 として 施用 すO 本 日卜 反歩 vc付、苗床3. 4坪架す。」 と記戟 され ているのか らして、備中町に於いて も大体同様 だった と推察 出来 るQlLお 僻中町VC於いて塵・& のみ を EI的 とする探線 栽培法 は行わ れて い ないO

〔移植及び施肥 〕

「5月中 67頃に.7.8寸vc生 長 した苗 を抜 き取 って移植 する凸 移植 する畑は表が 作 付け され ていてl敦 と茨の

VC格和 を切 9. 20cn間隔 (

1

ヶ所

7.8

本植える

)v C

定植 す る。 6月中bvc芝 刈を L^ 株根を掘り返 して中桝 を行 い、 水肥を 施 して藍の頼 際 に土寄せす る0 7月下 わの一番桐 の後父中耕 して二番肥を施す

Q

」(6dl純 )藍作には

「肥料代 」とい うFu地 が あ るだけ

K

.頗 単vc購 入 肥料 は施 川きぬ 、O術中町.'

K宮家 村 の出家では. 自給肥料の人 虫民が主体 であ れ 金 11日はほ とん ど

抱 川

されていTJ:い。 し

か し、志藤 では硫裾 が敏之瀬辺bでは抽かす. LJ=うち ゅうかすが地相 されてい る。

〔収機 〕

7月下 わ頃迄 に根か ら7‑ 10C刀残 して一番藍 を刈 るC 中耕 して 水肥を汲んでお くと 残枕 から再び蛍が生育す る。 9月中 和に これを 傾元 か ら刈取 る。 「阿波国 では下葉.本 糞.心強と区別 して収雌 していたが.古 家vc於い ては全 継 別 され ないで収 穣 され てい た

。 J 7

と馳 )

この よ

に して刈b取 られた二 番藍はt一番

K比 べて兜 も,1!・;く他段も非

に如 、。 しか し一 番藍刈り取Ll臥 他の作物に変 史する ことな く.無条件 に二番藍を刈取 ってい たこ とはL当時の換 金作物 (良作の)としては並 が11紅一一の もので参った ことを如葵に示

してい る。 ′

〔乾燥 〕

蛇出 が完全か不完全 かは価格のrlJ'低 に非 常 に好等す る。藍 の刈 Llと りと藍粉庇は しっ か

D

天気を 見きだめ た うえでせわにJ:な らない。刈 bとった 蛍を たば オごたま ゝ髄 くと、 す

く笥 醸 して葉VC払 皆 を与 えるo 正午頃K なる と藍 は禰 々鵜 色を帯びて くるO (熟 、色程 値 段が高い )これ をか らざおでひど く樹にならない よ うvcfrち、蔀 としくをみ で きひ て発だけ干 す0 日のカけ ら['・い午後3岬‑ /iu梱 りW す る。 E̲の乾燥 したのが発藍で、

この棄藍をつ くる作 集をj・E粉IJk'とい F,。濫作人 は この作弟 まで して売 ってい たQ十分乾 蛙 しない細 VC雨が怖 る と.布瀬ではL・しろをひ ろげたま ゝ家 の中K入 れ ると場所 を とる

ので. LnLろを劫 しの如く巻い て家

に収

糾す るのが一般的 に行われていた。

〔筈虫鮎除 〕

藍には 「あ1こ 」がつ き安 い。宮崎安虫の 「曲集全 部

」 に

「虫 を損ひは らふ乱 藍 を 作る第一 の辛 労私 大

vt機 せる

1 . E如

」と醜 明 してい る。虫 が繁殖 す ると兼 は顧 み 架 の包 ま変 るO葉の 色が 少 し変 る と山 か ら化が木 を掛 tkLてっ さ くだ を、水

申化4

. 5時 針 つけてお くとかこが汁が Lhるo これを薬 の炎

(,Cgiつて鹿 除 してい たo当 時の唯一

CB5)

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