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毛沢東の長征

ドキュメント内 yasu19 (ページ 58-75)

第5章  中国共産党の天命政治

第4節  毛沢東の長征

中国のことを考える場合、「おどろきの中国」(橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司、20 13年2月、講談社)は必読の教科書であると思う。以下においてこの著書を私の教科書 と呼ぶこととする。この私の教科書は、橋爪大三郎を中心に三人の鼎談がすすめられてい るのだが、橋爪大三郎は、中国研究のスペシャリストである。中国についての著書も多 く、奥さんの張静華さんは中国人で、当然のことながら、橋爪大三郎は日常的に中国と接 している。中国には、彼の友人や親戚は多く、彼の中国語もネイティブなみであると言 う。橋爪大三郎の中国に関する知見はまさに核心を突いている。

そこで、毛沢東の長征を説明するに当たって、まず、この私の教科書から毛沢東に関する 核心部分を紹介することとする。その部分というのは次の通りである。すなわち、

『 毛沢東の権力に関連して、10億人前後の人を統治する権力が如何なるものだったの か、どうしてそうしたことが可能だったのか。とても興味深い問題です。』

『 毛沢東は、ほとんどイデオロギーに内実らしいものがない。毛沢東は、ヒトラーとは ちがって、国民の前で演説はしませんよね。とすると、毛沢東の支配に正当性を与えてい たイデオロギーは何なのか。』

『 毛沢東が農地再配分をしたということ、それによって農民の支持をどんどん獲得して いき、各地に根拠地を作っていったということ、そうした事実自体が、むしろポイント だったのではないでしょうか。』

『 農民が支持したのはイデオロギーそのものでは到底あり得ません。つまり、毛沢東が 語るイデオロギーが何であるかということは、実は判っても判らなくてもさして違いはな いのです。毛沢東が行なった農地再配分を含めた実践を評価するが故に、人びとが毛沢東 という人を評価し、まさにそれゆえに、毛沢東にこそ天命が下っている筈だというふうに とらえた。そんな気がします。イデオロギーという抽象的な概念的原理は、毛沢東につい ていく民衆には見えても見えなくてもあまり関係がなかったのではありませんか?』

『 例えばキリスト教会の場合、人びとがドグマに縛られ、リーダーもドグマに縛られ る。ドグマに違反するリーダーは打倒されたり、交代させられたりして、運動が持続す る。こういうことが中国共産党にあってはならない訳だから、中国共産党には本当の意味

でのドグマは存在しない。指導部が正しいと考えることが正しいのであって、他の人たち はそれを学習しなければならない。「指導部が正しい」という前提が、ドグマなんです。

それ以上踏み込んで、具体的なドグマを信奉する人間は、かえって粛正されてしまう。』

『 毛沢東は、死後も、旧ソ連や東欧の社会主義諸国のリーダーたちのように100パー セント偶像が破壊されるということはなくて、基本的には今でも、優れた指導者だったと いうことになっている。おどろきです。中華人民共和国になってから毛沢東が行なった政 策の中でも、大躍進政策と文化大革命は、特に大きな失敗だったと思います。』

『 毛沢東は、ある意味で、伝統中国における皇帝とまったく同じと考えたらどうだろう か。<毛沢東は皇帝である><共産党の中国は毛沢東王朝である>という命題は、社会学 的に見て正しい主張なのか。それとも根本的に誤った権力の性格付けになるのか。』

『 毛沢東は皇帝か。イエスであり、ノーですね。(中略) 毛沢東が皇帝そのものかと いうと、決定的な点が違っていた。毛沢東の共産党は、伝統中国の官僚制に比べ、はるか に社会の末端まで支配の根を下ろしているという点。伝統中国の政権は、社会の基層の ローカル・コミュニティの自立性を認めて、いちいち干渉しないんです。けれども、毛沢 東の共産党政権は、党組織の末端を村に伸ばした。どの村にも党書記を置き、工作隊を送 り込んで、土地改革(再配分)、合作社、人民公社などの政策を実施した。農村の現場に 直接、党の指令を送った。学習会を開き、地主や反革命分子を打倒し、政治運動を行な う。いつも新しい目標、新しい敵を見つけ出し、大衆を動員した。都市にも、新しい共産 党のユニットを作った。<単位>と呼ばれるものです。』

『 伝統中国の皇帝と官僚の権力は、宗族の中には及ばない。しかし、毛沢東や共産党の 権力は、単位のあり方にまで及んでいる。』

『 天は、天命によって統治権力をある人に与えた後、チェックがない。契約ではなく て、丸投げなんです。丸投げだから、チェックをかける基準がない。そこで、政治権力者 として振る舞うというパフォーマンスをやり続けるのが自己正当化になる。このシステム でずっときているわけです。』

『 天が毛沢東に権力を丸投げした。毛沢東に個人的な欠陥があっても、それを承認す る。人びとは、毛沢東にあたかも欠陥などがないように彼に従う。周恩来がやったこと も、鄧小平がやったことも、これだと思う。』・・・と毛沢東の本質が語られている。

私の教科書では、「 毛沢東は、死後も、旧ソ連や東欧の社会主義諸国のリーダーたちの ように100パーセント偶像が破壊されるということはなくて、基本的には今でも、優れ た指導者だったということになっている。おどろきです。」と語られているが、次にこの

毛沢東の象徴性 について説

明しておきた い。

2007年05月12日、北京市中心部の天安門に掲げられている故毛沢東主席の肖像画に 発火物のようなものが投げつけられ、市警察当局が投げつけた男を拘束した。

拘束されたのは、新疆ウイグル自治区のウルムチから来た無職の35歳の男。

肖像画はほとんどは無傷だが、左下の隅の部分が少し焦げて黒い汚れが残った状態。

13日午前、新しいものに取り換えられた。

毛主席の肖像画をめぐっては、1989年5月、湖南省出身の男3人がペンキをかけて逮捕され、無期懲役 などの判決を受けたことがある。かれらは「五千年の隷属、個人崇拝を止めろ」と訴えた。

現在なお、天安門に掲げられている故毛沢東主席の肖像は大事に守られている。

( http://blog.goo.ne.jp/think̲pod/e/e0db8d6e9b3e6201218f8fa2c7d7e040 より)

天安門は、中華人民共和国の北京市東城区に位置する城門。

世界遺産・故宮の正門であった門である。

楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行なった。

毛沢東の肖像は、天安門とともに中華人民共和国の象徴のひとつとされている。

国旗なるものと指導者の肖像というものが、辛亥革命において、実際にどのように利用さ れてきたか、その象徴性については、丸山孝志の優れた研究論文があるので、まずそれを 紹介しておきたい。

http://www.jaas.or.jp/pdf/50-3/p1-20.pdf

丸山孝志は、『 神像を代替する形での毛像の浸透は、現世利益的な観点から信仰する神 を取捨選択してきた民間信仰の形態を踏襲するものでもあった。また、神々の役割分担に 多様な現世的利益を反映させる民間信仰において、毛像は主に個別家庭の繁栄を司る神と しての位置を与えられたものと考えられ、左傾政策時期の社会不安に際して民衆は、新た な神を求めて行動を起こすこととなった。このような心性に支えられて農村に普及した毛 像は、国家や政権の尊厳を示す象徴として定着するには未だ不安定な要素を抱えていた。

このことは、この時期の中共権力の農村への浸透の成果を否定するものではないが、中共 が自らの権威づけを企図して民衆に求めた毛沢東への信仰は、サクストン氏らがイメージ するような農民固有の心性に基づく中共への支持を通じて定着するようなものではなく、

現世利害的で多神教的な農民の信仰形態を改造して到達できるものであったことは確認さ れねばならない。』・・・と述べている。

しかし、私は、天安門に掲げられている毛沢東の肖像が有するその象徴性は、現在におい て、丸山孝志が考えているものよりもっと深いものがあるように思われる。すなわち、毛 沢東の肖像は、現世利害的で多神教的な農民の信仰形態を改造して到達したものであった かもしれないが、現在では、中国における信仰、それは「道教」ということだが、農民の

信仰のみならず一般庶民の信仰と両立しうる中国の象徴である。さらに、毛沢東という存 在は、天命を受けた今皇帝という意味で秦の始皇帝以来の歴史的重みがあり、その点で国 旗を超えている。日本の天皇がそうであるように、毛沢東は国民統合の象徴である。

では、毛沢東が天命を受けて今皇帝となり、遂に現在のような国民統合の象徴になった、

その初期の経緯について説明をしていきたい。毛沢東は中国共産党の歴史にその名を刻む のは1921年の中国共産党第一次全国代表大会からである。毛沢東は湖南省長沙の代表 としてその大会に出席している。その大会では中国共産党綱領が決議されたのだが、その 後の活動ははかばかしくなかったらしい。そこで、毛沢東は、井崗山(せいこうざん)に

立て籠ってま ず活動の拠点

を作る。その 頃の毛沢東集

団は山賊みた いなもので

あったらし い。井崗山

は、江西省と 湖南省の省境

に位置し、羅 霄(らしょ

う)山脈に属 する急峻な山

である。

羅霄山脈は2000 mクラスの山々が連

なっている

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