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正教会のかたち

ドキュメント内 序 正教会について (ページ 142-168)

① イコン

「イコン」とは

「イコン」というのは、もともとギリシャ語で、「形」とか「像」

という意味をもっています。日本正教会では「聖像」と訳されるこ ともあります。「イコン」は、狭い意味では一枚の板に描かれた絵の ことをいいますが、広い意味では、正教会が使用する絵画すべてを 指します。

カタコンベ

迫害を受けていた初代教会の人々は、「カタコンベ」と呼ばれる地 下墓地で集会を開いていましたが、彼等はその壁にさまざまな壁画 を描きました。これらは、歴史的に確認できる一番古いキリスト教 美術です。

しかし、正教会には、イコンの由来について二つの伝承が残され ています。

ルカが描いたイコン

一 つ は 、 聖 使 徒 ル カ が 、 生 神 女 マ リ ヤ と ハリストス を描いたのがイコンの始まりである、

というものです。この伝承は、正教会がイコン を用いるのは福音に基づいているのである、と いうことを教えています。福音書は、神が生神 女マリヤをとおして人となったこと、つまり藉 身の事実を知らせています。イコンの根拠は ハリストス の藉身にあります。

アブガル王伝説

もう一つは、エデッサという町にいたアブガル王が重病になり、

イイスス のもとへ使者を送って癒しを求めたところ、イイスス がご 自分の顔に一枚の布を押し当てて、それを使者に渡したという伝説 です。その布にはイイスス の顔が写っていました。これが最初のイ コンとされています。

これは、誰かが絵の具と筆を使って描いたものではないので、「手 によって作られてない」(ギリシャ語で「アヘイロポイエトス」)イ コンと呼ばれます。日本正教会では「自印聖像」と訳されます。

布 に 直 接 ハリストス の 顔 が 写 っ た と い う こ と は 、 神 で あ る ハリストス が肉体をもった現実の人間であったこと、そして誰かが 勝手に想像して描いたのでもなく、幻影

をスケッチしたのでもないことを教えま す。イコンの中のハリストス の顔は、こ の自印聖像に源流をもっています。それ は、イコンというものが画家の個人的な 裁量やイメージに任せられないことを意 味しています。

聖像破壊論争

正教会の歴史の中で、イコンに関する是非が問われた時期があり ました。イコンは偶像であり十戒の「刻んだ像を造ってはならない」

に反するものであって正統と認められないと主張する人々が続出し たのです。「イコノクラスム」とか「聖像破壊論争」とか呼ばれるそ の期間は、八世紀から九世紀にかけて、百年以上も続きました。し かし、結局、イコンは正統なものと認められました。正教会では、

そのことを年一回、大斎の第一主日に「正教勝利の主日」と称して お祝いします。

イコンが正統である理由

正教会がイコンを使用するのには主に三つの理由があります。

(1)イコンは正教会の信仰を伝える

一つは教育的な目的で使用します。イコンにはハリストス だけで なく、生神女マリヤや聖人たち、また聖書や教会の歴史の中の出来 事が描かれます。

例えば、降誕祭のイコンであれば、そこに描かれている場面や人 物や構図や色や形をとおして、私たちは降誕祭の意味をくみ取るこ とができます。またマリヤやハリストス のイコンにも、それぞれの 色や形に深い意味が込められていて、私達は、それらをとおして正 しい信仰とは何かを学び取ることができます。

イコンに込められた意味、表現される内容は、正教会の信仰を語 るものでなければなりません。そこに個人的な感情や感動や思想や 解釈があってはなりません。イコンは誰でも作ることができるもの ではなく、しっかりとした正教会の信仰をもっている人のみにゆる されたものです。

正教会の信仰の内容を正しく伝えるため、イコンには色や線や形 の伝統があります。そういう意味で、(正教会にも西洋画の影響を受 けた形のイコンがありますが)西方教会が用いる聖画や単なる宗教 画とは区別されます。

(2)イコンは崇拝でなく崇敬される

正教会がイコンを使用する第二の理由は、イコンそのものを神と して拝むのではなく、イコンに描かれたハリストス を崇拝するから です(それがマリヤや聖人たちのイコンであれば彼等への敬愛)。難 しくいえばイコンの中にある原像を見るのです。

やさしく言えば、愛する人の写真に似ています。人は写真を愛す るのではなく、写真に写っている彼女もしくは彼を愛します。それ

と同じように、イコンの中に映し出されているハリストス 、敬愛す るマリヤや聖人たちの姿は、信仰の心を育み、支えてくれます。写 真が一枚の紙にすぎないように、イコンもある意味では一枚の板や 紙きれにすぎません。しかし、私たちは愛する人の写真を大切に扱 うように、イコンを大切に扱います。

イコンを見つめ、イコンの前で頭をさげ、イコンに接吻し、イコ ンを前にして祈るのは、そこに愛する対象が描かれているからです。

しかし、イコンへの敬いとイコンの中の原像への信仰心とは厳密 に区別しておく必要はあります。イコンそのものを大切にし、イコ ンに対して接吻したりする行為に関しては「崇敬」という言葉を使 い、イコンの中にいるハリストス ご自身に対しては「崇拝」すると いう言葉が用いられます。「崇拝」と「崇敬」を混同しない計らいと して、正教会では立体的な像を用いません。イコンはすべて平面で す。

しばしば「イコンは正教会において信仰の対象となっている」な どと言われますが、それは間違いです。イコンは信仰の対象ではあ りません。イコンは信仰の尊き媒介なのです。その尊く聖なるイコ ンをとおして、時々奇跡が行われることもありますが、それはイコ ンが単なる「道具」ではなく、神の恵みを与える機密的な物質だか らです。

(3)イコンは神の藉身をあかしする

正教会がイコンを正統なものとして使用する三つ目の理由は、

ハリストス ご自身に関わる教義的な理由です。ハリストス は、神様 が人間になったお方です。神様が私達と同じに人間になった、そし て死までも味わわれた、しかし、そこから新しい生命へと復活した、

これが正教会のキリスト教の信仰の真髄です。

神が私達と同じ人間になったということは、つまりハリストス に は肉体があったということです。そして、それは完全に神の性質と

一つに合わせられたのです。仮にとか一時的にではなく、完全に神 様が私たちと同じこの目に見える体を取られました。だから、

ハリストス をイコンとして描くことができ、描かれたハリストス は 同時に神でもあるので、ハリストス を拝むことは神を拝むことにな ります。

神さまは目に見えないお方だから、イコンとして描くことはでき ない、という人たちは、「神が人となった事実」を否定する人たちで あり、それではもはやキリスト教ではありません。ハリストス を「神 が人となったお方」であることを信じるなら、イコンは当然、公認 されうるもの、さらにいうなら、イコンこそ、キリスト教(正教会)

の信仰の力強い証です。

② 聖堂

神の国をかたどる聖堂

正教会が建てる聖堂は、単なる集会所とか祈祷所ではありません。

聖堂とは「神が私たちと共におられる」という信仰を具体化したも の で す 。聖 使徒 パウェル は 「 私た ち は 生け る神 の 神殿で あ る 」

(コリンフ 後書6:16)と言いました。ハリストス と聖神をとお して、神が人と共にあり、人の内にいまし、生きておられることを、

正教の教会建築は表現しています。言い換えるなら、神の国の 象かたどり として聖堂は建てられています。そのために聖堂の形や内装にはそ れぞれ深い意味が込められています。

聖堂の形

聖堂を上から見た形としては、主に「長方形」と「十字架形」の 二つがあります。「長方形」は、ノアの箱船の 象かたどりです。教会がこ の世という海を航海し神の国という港に向かう船であることを表す わけです。「十字架形」は、ハリストス の十字架による救いを 象かたどり ます。聖堂の中に入ることは、ハリストス の救いの中に身をゆだね ることになるわけです。

東向き

聖堂は普通「東向き」に建てられます(入口が西ということ)。太 陽という光の昇る方向である東に向かうということは、ハリストス という救いの光に向かい、神の国を待ち望むという姿勢を表すから です。もちろん方角自体に何か神秘的な力があるわけではないので、

やむをえず「東向き」ではなく建てられる場合もあります。

屋根

「ビザンチン建築」と呼ばれる聖堂では、大きなドームの屋根を

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