第 2 章 感情動詞の特異なガ格
4. ガ格「誘因/対象」型感情動詞文のガ格の出現条件
この節では,前節までの考察を踏まえて,ガ格「誘因/対象」型感情動詞 文のガ格の出現条件を示す。はじめに述べたように,ガ格「誘因/対象」型 感情動詞文は,述語がニ格をとる感情動詞に限られる。この事実を確認する
ために,第1章で示した感情動詞(「ニ格誘因型」「ニ格対象型」「両用型」
「ヲ格型」)について,KOTONOHA『現代日本語書き言葉均衡コーパス
(BCCWJ)』(少納言)を用いて調査した。
調査の結果,ガ格をとって出現した感情動詞は,「いらだつ(1)」「うん ざりする(1)」「おどろく(1)」「こまる(38)」「びっくりする(1)」「びび る(1)」「ほっとする(5)」(以上「ニ格誘因型」),「あきる(7)」「むかつ く(11)」(以上「ニ格対象型」),「よろこぶ(7)」(以上「両用型」)であっ た(丸括弧で用例数を示す)。これらはニ格をとる感情動詞であり,ヲ格を とる感情動詞(「ヲ格型」)で,ガ格をとって出現するものはなかった9。こ の事実をそのまま出現条件として捉えると,まず次の(9)が得られる。
(9) ニ格をとる感情動詞が述語であること(出現条件Ⅰ)
次に,前節で見たように,ガ格「誘因/対象」型感情動詞文が感情形容詞 文と構文的に類似することに着目する。この類似性は,ガ格「誘因/対象」
型感情動詞文に感情形容詞の特徴が反映された結果として生じるのではない かと考えられる。感情形容詞の大きな特徴の一つに,「対象」を表す名詞句 としてコトをとることがある10。これを手掛かりにして,(1)のガ格「誘因
/対象」型感情動詞文における「誘因」ないし「対象」を表す名詞句を検討 すると,(1b)の「講演という時間的な束縛」,(1c)の「国産」はモノでは なく,「講演で時間的に束縛されること」「スペシャルドリンクに国産の蜂蜜 を使うこと」というような意味を持つコトであることが分かる。また,
(1a)の「船」は表面的にはモノであるように見えるものの,内容的には
「船で旅をすること」という意味を持っており,コトと把握される名詞であ ると言える。このことから,次の(10)のような出現条件があると考えら れる。
9 調査で得られたデータに関して注意すべき点を述べておく。第一に,収集した用例が「~ガ
困る」のようにガ格が隣接しているもののみであること,第二に,「両用型」(「よろこぶ」)で ガ格をとって出現しているものがあることである。第二の点に関しては,ニ格をとる場合の
「よろこぶ」がガ格をとっていると考えておく。なお,「よろこぶ」の7例の用例は,特定の 形式(6例は「~の方が喜ぶ」という形式,1例は「AとB,どちらが喜びますか」という形 式)で出現しているという点で,別扱いにしておくことも考えられる。
10 西尾(1972:22)は,感情形容詞と属性形容詞を分類する基準の一つとして「≪対象=コト
≫が~い(だ)」を挙げている。
(10) 「誘因」ないし「対象」を表す名詞句としてコトをとること(出現 条件Ⅱ)
さらに,ガ格「誘因/対象」型感情動詞文が,文脈なしで使われると容認 度が下がることに着目する。(11)のようなガ格「誘因/対象」型感情動詞 文の実例と,そこから文脈を取り除いた(12)の例を示す。
(11) a. 運用におけるリスクとは,利回りが上下にブレることを意味しま す。当然,下ブレが困りますので,ブレを小さくするために分散 投資をします。適切な分散投資と10年以上の長期運用なら,5%
の実現も不可能ではないでしょう。
(『朝日』2010年4月10日,朝刊,週末be・b09)
b. (筆者注:年金改革関連法案が怒号の飛び交う中で強行採決され
たことについて)「採決のやり方があきれる。参院選は年金のこ とを考えて投票したい」と,都内の会社員小貝和二さん(55)
は言う。
(『朝日』2004年6月4日,朝刊,2社会)
c. 雑誌の特集アンケートで,働くママの悩みのトップは子どもとの
関係です。時間に追われているのに子どもがくっついてくるので 家事も仕事も進まない。でも,そんな考えは子どもに良くないと 悩んでいる。2 番目が夫との関係。二人とも働いているのに,育 児への夫の無関心な態度がむかつくというもの。
(『読売』2006年6月25日,東京朝刊,朝W1)
d. 女もケラケラ笑って聞いている。ま,いいか,今夜はなりゆきま
かせだ。じゃ,もう結婚するつもりはないの?女が男のほうを振 り向くと,尋ねた。この手の質問がいちばん困る。肯定すれば,
妻を忘れられないのかとか,こりごりなのかといわれる。否定す ればなんとなく浮気男の烙印を押されるような気がする。
(山下勝利『いまさら,初恋』,『BCCWJ』所収)
(12) a. ?運用利回りの下ブレが困る(運用利回りの下ブレに困る)
b. ?採決のやり方があきれる(採決のやり方にあきれる)
c. ?育児への夫の無関心な態度がむかつく(育児への夫の無関心な態 度にむかつく)
d. この手の質問がいちばん困る(この手の質問にいちばん困る)
(11)と比較して,文脈のない(12)は,(12d)を除いて不自然である。
(12d)をひとまず措くと,丸括弧で示した,通常のニ格をとる感情動詞に よる文が文脈なしで自然であることと対照的である。(11a, b, c)を見ると,
それぞれに共通する文脈があるように思われる。(11a)では,「上ブレと下 ブレでどちらが困るかと言うと(下ブレが困る)」,(11b)では,「年金改革 関連法案の審議で何があきれるかと言うと(採決のやり方があきれる)」,
(11c)では,「夫との関係で何がむかつくかと言うと(育児への夫の無関 心な態度がむかつく)」というような文脈が想定される。一方,(11d)では,
「いちばん」と共起しており,いくつかの候補の中から一つ(「この手の質 問」)を選ぶという意味が際立っていることが注目される。この「いちばん」
によって,文脈がなくても自然であると考えられる。このことから,ガ格
「誘因/対象」型感情動詞文は,当該の問題に対して話し手が持つ感情につ いて,その感情を引き起こす候補としての複数の「誘因」ないし「対象」の 中から一つを選ぶというような文脈で使われていると考えられる。
よって,次の(13)のような出現条件があると考えられる。
(13)特定の感情を引き起こす候補としての複数の「誘因」ないし「対象」
の中から,話し手が一つを選んでいること(出現条件Ⅲ)