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束院の木塀 SA9063(6ALF I区  110次 調査 )

ドキュメント内 2滋 (ページ 51-54)

I‑3期

61  束院の木塀 SA9063(6ALF I区  110次 調査 )

園池SG5800の北方 にあ る 掘立柱束西塀。 南面大垣 の心 か ら北

100.5mの

位置 にある。10尺 等 間で12間分 を検 出 し

,さ

らに西へ のびてい る。東 は東面大垣近 くまで検 出 したが

,大

垣へ の

と りつ き状況 は不明。柱掘形 の埋土か ら

,杓

子 。折敷・ 箸 な どの木器が出上 した(fig.145)。

〔木器番号〕翠β〃δ

〔文

  

献〕平城宮跡発掘調査部 「 平城宮跡 と平城宮跡 の調査」『奈良国立文化財研究所年報

1979』  (1979生

F)p. 21‑23

62 

東面外濠

SD5780(6ALF― DoE・

F・

H,6ALG―

A・

B,6ALH,6AFI― R区

 44・ 68・

99・ 118‑23・ 123‑26yk電同ヱ竪)

東二坊坊 間大路 の西側濤 で

,第

44・99次 調査 区では

,東

院地 区東面外濠 をかねてい る。第68・

123‑26・

11823次

調査 区で は

,左

京二条二坊六坪・五坪

,左

京三条二坊七坪 にお ける南延長 を 確 認。濤 の規模 は場所 によって差 がある。第44次 調査 区の二条条 間大路 の北で は幅

4〜 6m,

深 さ

0.5mの

素掘 り洋

,二

条条 間大路 を横断す る部分 で は

,古

くは幅

4mの

素掘 り濤 だが

,後

に杭 と側板 とで護岸 して

,幅 1.2mに

縮小す る。第68次調査 区で は幅

3m,第

123‑26・ 118‑23 次調査 区では幅

2.5m, 

深 さ

lm弱 ,第

123‑26次 調査 区では

,西

岸 を シガ ラ ミで護岸す る。第

44o99次

調査 区で は天平15年(743)〜20年 の紀年木簡をおゝくむ600点以上 の木簡 と土器・ 瓦

,第

68次調査 区で は宝亀

2年

(771)の紀年木 簡 をお、くむ79点の木簡や三彩瓦・ 土器

,第

123‑26次 調

査 区で は神亀

4年

(727)の紀年木簡 をおゝくむ18点の木簡

,平

城宮土器Ⅲ を主体 とす る土 師器 。 須恵器

,緑

釉平瓦 。帯金具

,第 11823次

調査 区で は木簡18点

,平

城宮土器 正〜 Ⅲを主体 とす る 土 師器・ 須恵器 な どが木器 と共伴 した(fig.145)。

〔木 器番割

 

θ

328, 

θ∂∂5,  ヱ翠θヱ9, 57∂ θ, δθ

〔文

  

献〕前掲『奈文研年報 1968』 p.38・ 39 前 掲『 奈文 研年 報 1971』

p.27

tつ動 『 妥終が10f・F専 1977』 p. 24‑28

奈 良 目立 文 化 財 研 究所「 左 京三 条二 坊七 坪 の調査 (第

118‑23次

)」『 昭和56年 度 平 城 宮跡 発 掘 調査 部発 掘調 査 概 報』 (1980年

)p.29

前掲『 奈文 研年 報 1981』

p.27

=

北京伍大路

―条大路 二条大路

63 

束院南面外濠

SD5200(6ALS―

D・

G,6ALF一 FoM・

Q区 39・ 44・ 120次調査)

二条条問大路 の北側濤で

,束

院地 区の南面外濠 をかね る。新 旧の

2時

期 があ り

,古

い時期の 溝 は

,幅 2.4m,深

0.5mの

素掘 り濤で

,東

一坊大路 を横切 って

,SD4951に

接続す る(第39

次調査 区)。 新 しい時期 の滞 は

古 い時期 の滞 よ りも南へ約

3mず

れた位置 にあ り

束一坊大 路 の東端か ら始 ま り(第39次調査 区

),東

二坊坊間大路 の西側滞

SD5780に

合流す る(第44次調 査 区)までの全長約

230mを

確認。径20〜30 cmの 玉石で両岸 を護岸 し

,幅 2〜 3m,深

さ0,6 m。 新 旧両滞 あわせて木 簡約200点と木器が出土(fig。 145)。

〔木器番号〕25=翠 ,δ

〔文

  

献〕前掲『奈文研年報 1967』 p.42〜45 日も

'議

 

『 秀ミ)こ褐呼勾岳幸R 1968』 p. 38・ 39 前 掲『 奈 文 研年 報 1980』 p.27〜30

64 

南 面外 濠

SD1250(6AAI一 N,6AAY―

C・

F, 6ABZ― E, 6ACU一

E・

H,6ABY―

L区

 32

122・ 130・ 133・ 143次 調査)

二 条大路 の北側滞 で

,平

城 宮 の南 面 外 濠 をか ね る。 第32次調 査 区で は

束一 坊大 路 西側 濤

SD4951お

よび束方大 濤

SD3410と

の合 流 点,第122次 調 査 区で は南 面 束 門(壬生 門)前

,第

130・

143次 調査 区で は朱雀大 路東側濤

SD9920お

よび同西側 滞

SD10950と

の合 流 点

,第

133次 調 査 区で は南 面 西 門(若犬養 門)前 にお いて確 認 した。 この ほか

,第

14次 調 査 区

(6ADH区

)で も

,そ

の北 肩 を検 出。 幅3.0〜

4.2m,深

さ0.6〜

1,2mの

素掘 り滞 で あ るが

,宮

域 内か らの排水 路

(SD 3410,SD10250)を

受 け る部分 で は

,幅

が著 し く拡 大 し

,杭

で護 岸 す る。 また

,壬

生 門前 で は,

束 西 約

32mに

わ た って

,両

岸 に人頭大 の石 を積 ん で護岸 す る。大 量 の木 簡・ 土 器・ 瓦・ 金 属器

。木器が出上 し

と くに壬生 門前 で は

,霊

4年

(718)〜 天 平

6年

(734)の 紀年 木 簡 と と もに, 200点以上 の人形 をおゝくむ形 代 類 が 出土 した(fig.137,144・ 146)。

〔木 器 番 号

'〕

θ20と , =998, 

δ, Fヱ θ 翠Frθσ翠 δ ヱ ∂82=,  9=θ , 9ヱ

=, 5∂ OFr, 5を ′∂, 55θ, 55θ 5, 55θδ, 55=を,  σσ05, 5δθ7, 5δヱ∂, 58θ

9,59=ヱ

,

δ

005, 

δ2θ 翠, 7ク∂率

〔文

  

献〕 前掲『 奈 文 研年 報 1967』 p.42〜45 前 掲『 奈文 研年 報 1981』 p.14〜16 前 掲 F奈 文 研年 報 1982』 p.9・ 10 前 掲『 奈文 研 年 報 1983』 p.2・ 3

65 

平 城 宮 内で 出土 遺 構 未 確 認 の木 器

6AAI区

=20  6AAC区

,'9θ

,7=25  6AAG区

;∂

9,370δ

, δδθ2,

6ADI区

,32θ

2  6AAB区

;∂

209  6ALS区

5=7

M  平城京跡   へいじようきょう

平 城 京 を構 成 す る条坊 の発 掘調 査 は近年 著 し く進展 し

,奈

良市 教 育委 員会・ 奈 良 県立 橿原考 古 学 研 究所

,奈

良 国立 文 化 財 研 究所 が発 掘 の任 にあた って い る。以下 の遺構 解 説 で と くに調 査 機 関 を明記 して い ないの は

,奈

良 国立 文化 財研 究所 が調査 した もの。木 器 は大 路 の側 濤 あ るい は条 坊 内 の濤・ 井 戸 な どで発 見 され る場 合 が多 く

,出

土 状 況 は宮域 内 と大 差 ないが

,木

器 の種

ヱδ

2

・ ︲.ハ

西 西

ヨ 急 急 拿 享 ‡

平城京条坊概念 図

fig.146  平城宮跡南限遺構略図

〔文

類や組成・質・量 の比較 は今後の課題である。低地 の左京のほ うが出土量が多い(fig。 147)。

左京二条条間大路 の南側濤SD5785 o SD5788(6ALG―

AoC,6ALF― Q区

44・ 120次調査)

平城宮東院の 南側 にあた る三条条間大路南側滞。SD5785は平城京造営当初 の濤。のちに北 へ移動 し

, 3回

にわた って改作す る(SD5788・ SD5787・ SD5786)。

SD5785は

2.5m,深

さ 0.3〜

0.6mの

素掘 り濤。

SD5788は

3m以

,深

0,5mの

素掘 り濤で

,玉

石 で護岸 した

SD

5787が 南岸 を破壊 している。SD5785か らは和銅

7年

(714)の紀年木簡 と木器が出土(fig。 145)。

〔木器番号〕

SD5785;θ

∂θ

2, 

9∂ヱ, F5θ9, 7ヱク翠, 7′

29

SD5788;ヱ 5,  ををθ逐

献〕前掲『奈文研年報 1968』 p.38・ 39 前掲『奈文研年報 1980』 p.27〜30

法 華寺 南 限 の濤

SD03(6BFK一 D区  123‑4次

調 査)

平 城 宮束 院 の東 は

,本

,藤

原不比 等 の邸宅 で

の ち に光 明皇后 の 皇 后 宮 とな り

天 平 17 年 (745)に 宮寺 に改 め られた。 これが法 華 寺 の は じま りで

,そ

の西南 方 に天 平 宝字

3年

(759),

光 明皇太 后 の発 願 に よ って着工 した阿弥 陀浄土 院 が あ る。

SD03は

法 華 寺 旧境 内 の西南 隅 で検 出 した東 西濤 で, 北側 の掘立 柱 東 西塀 とと もに

法 華寺 と阿弥 陀浄土 院 との境 界 を画 す る。幅

2,7m,深

0.5mの

素掘 り濤 で

,43点

の木 簡 。瓦・ 土 器 と と もに,「 廣 石 」 の墨 書 の あ る曲物・ 杓子 。鳥形・ 楔・ 建 築部材 な どが出土(fig。 148)。

〔木器番号〕δθク

=

〔文

  

献〕奈良国立文化財研究所「法華寺西南隅の調査 (第123‑4次)」『昭和55年度平城宮 跡発掘調査部発掘調査概報』(1981年

)p.44〜

45

左京一条三坊十五 。十六坪の滞

SD485(6AFB―

I・

H区

 55・ 56次調査)

左京一条三坊十五・ 十六坪で

2坪

の敷地をもつ邸宅跡を 発掘 した。 数棟の 掘立柱建物があ り, その間を

SD485が

東西方向か ら南へ と曲尺状に流れる。溝幅は

2m内

外で

,部

分的に分

流・氾濫 し

,一

部を杭で護岸する。 和銅

6年

(713)・ 霊亀

3年

(717)・ 養老

7年

(723)の 紀年木 簡をおゝくむ33点の木簡

,平

城宮土器亜の上師器 。須恵器・ 施釉陶器や ■

6点

の墨書土器・土馬

とともに木器が出土 した(fig。 149・ 150)。

〔木器番号〕θ∂θ翠θ∂

27, 

θ7ヱ9, =∂θ2, 3=θ ∂∂∂θ8,  翠θヱ2, と

,27, 

翠σθδ

,492θ

,

5翠 θ翠, 57翠

2, 59=7, 59=8, 

δ7θ9, δ77θ, 7θ王を, 7ヱ

=を, 7=2ヱ

〔文

  

献〕黒崎直 「木製品」『平城宮発掘調査報告 Ⅵ』 奈良国立文化 財研究所 学報第23冊 (1975年)p. 78〜 82

左京一条三坊十五坪の井戸

SE495(6AFB― H区  56次

調査)

方形縦板組の井戸。一辺

1.8m,深

3.5mの

方形掘形内の各辺に

幅 20 cm内 外の板

6枚

を縦 に並べ

,方 6cmの

角材で内側に横棧を組んで固定する。 整地土 との関係などか ら

, 8世

紀前葉の年代があたえられる。埋土から斎串 。曲物などの木器が出土 した(fig.150)。

〔木器番号〕∂β

=を

〔文

  

献〕同

 

fig。 148 平城京跡木器出土地点(1)

(1:25000 奈良)

fig.149  平城京跡木器出土地点12)

(1:25000 奈良)

」 ①

 

左 京一 条三 坊 東一 坊 大 路 の東側 濤

SD650(6AFB― A〜

E区

 57次

調査)

東三 坊大 路 の東側 涛 。一 条大 路 の北 約

240mの

間 を検 出 した。 濤 は新 旧

2時

期 にわか れ る。

下 層 の濤

SD650Aは

2.5m前

,深

1.lm内

外 の素掘 り濤

,上

層 の洋

SD650Bは

2m前

,深

0。5〜

0,9mで ,部

分 的 に杭 や石 で護岸 す る。発 掘 南 限 の一 条 大 路付 近 で大 き く氾 濫 し て い る。遺 物 の多 くは

SD650Aに

ぞ くし

,天

5年

(828)の 告 知 札 をおゝくむ 33点 の木 簡

和 同 開I小か ら貞 観永 賓 に至 るまで の

9種

の銭 貨

,土

師器・ 須 恵器・ 施釉 陶器 。黒色土 器・ 瓦 な どと

ともに木器が出土 した(fig。 149・ 150)。

〔木器番号〕θヱθ7,  θ

===, 

θβ2ヱθ22(:',

ヱヱθ2, =20∂, =2θ, =″θ5, クラ

=を,  β2ヱ5, 72ヱδ,  ク∂θ

=, 2を θ9, 2翠

, 2翠

=9, 2イ2∂,

2δ θ5, 27θ, 27θ, 27θ8,

ど∂ヱθ, 37θど,  ∂7θ 翠, 37θ9,

イθヱ翠翠グ∂θ,  と∂

翠∂2=,

5翠=5, 5翠, 5δθσ, 5δθ8, 58θ2, 58θδ,  δθ2θδヱθ9, δσθ9, δ5ヱ ∂,  δδθを,  δδ2ヱ, δ8=∂,  δ82θ,  δ

829, 

σ8∂ θ,

θ2∂=, θ7θ 翠,  θ7ヱ ′,

ヱ〃θ7, ヱ∂θ8, 92δ,

29θ2, 〃∂θ∂, 2翠θノ,

クを率θ, 2翠2, 2翠をど,

∂θθδ,  ∂ヱヱ

=, ==5, 38θ8, 39θ, 39θδ,

翠翠θ9, 翠5ヱ θ, ̀σ

=7,

=2, 

σδグθ, 57θ=, δ20クδ2θ ∂δ2θ5, δδ

22, 

δδ

29, 

δδク5, δθθ翠,  δ9θ7, 7θθ8,

θ7=δ,  θ9=∂, =θ θ7, 22θ, 22θ

7,22=∂

,

2を θ2, 2翠θ∂,2をθ翠,

ク翠をと, 2翠

7,25θ

,

∂クθヱ, 92=θ,∂∂θ7, 99ヱθ,  どθθ7, とθθ9, ど7∂ ∂,  翠9θ

8,5ク

θ9, 57θ7, 57θ

9,57翠

, δttθ∂,  σを

=をσθ7, δ7θ δ,  δ7θ8,δ7=0,

7ヱθ

=, 7ヱヱθ

,7=2θ

, 1ヒー 条 大T各

9        Om fig.150  平城京左京一条三坊十五 遺構BII図

束二坊大路

fig.151  平城京左京三条二坊十 。十五坪遺 構略図

72=8, 7227

〔文

  

献〕痢ヽ野昭「漆器」・黒崎直「木製品」『平城宮発掘調査報告Ⅵ』p.75〜

78,83〜

97

。十六坪

左京三条二坊十坪の井戸

SE877(6AF卜 H区  83次

調査)

左 京三条二坊十坪 の邸宅の東辺 にある方形横板組 の井戸。一辺

2.3mの

方形掘形内に

,長

1.lm,幅

20〜

25 cm,厚

8 cm前

後 の長方形 の板 を井籠組 に し

,井

戸底 には玉砂利 を 25 cm ほ どの厚 さに敷 く。井戸枠 は12段がの こ り

,枠

板外面 に墨書 の番付 がある。底の玉砂利 のなか か ら平城宮土器 Ⅱ の土師器 。須恵器小片

,井

戸埋土 か ら平城宮土器

Vの

上師器・ 須恵器 ととも に

,斎

串 。曲物 。木槌・ 櫛 な どの木器が出土 した(fig。 148。 151)。

〔木器番号〕θヱθti', {;「θ∂をδどを,∂

〔文

  

献〕山本忠 尚「木製品」『平城京左京三条二坊』 奈良国立文化財研究所学報第25冊 (1975年)p。 29〜31

左 京三条二坊十五坪 の井戸

SE967(6AFI― H区 86久

調査)

左 京三条二坊十五坪 は

1坪

敷 の邸宅 で

, SE967は

その中心部 にある方形横板組の井戸。 一 辺

3.6mの

方形掘形 内に

,長

1.5m,幅 27 cm,厚

5cmの

長方形 の 板 を井籠組 に し

,さ

ら に鉄釘で固定す る。 井戸枠 は

3段

をの こ し

底 に砂利 を

2〜 5cmの

厚 さに敷 く。埋土か ら平 城宮土器

Vの

上師器・ 須恵器・ 施釉陶器・ 瓦 とともに

,木

簡1点

,斎

串・ 割物・ 挽物盤 。曲物

・ 陽物形 な どの木器が出上 した(fig。 148・ 151)。

〔木器番号〕25θ 7, 29θl:', ∂翠θδ7,  翠どを,, δ

7

ドキュメント内 2滋 (ページ 51-54)

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