井 上 加 代 子
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年の旅はシノレクロード9
日聞を選びました。r
コ ス モ ポ リ タ ン」という初めての旅行会社でとてもつらい旅で Lた。上海,西 安,蘭州,敦煙,北京で泊まりました。今回の旅支度の特徴は,懐 中電灯,帽子,サングラス,マスク,のど飴,運動靴,小さな水筒 を準備するようにということで,懐中電灯は,敦短莫高窟内の壁画 色彩保護のため照明設備が設けられてないこと。ザングラスは陽差 しが強いため,マスグ,のど飴は,気候が乾燥して,時として砂嵐 に見舞われることが忘るため,運動靴は動きやすい恰好でというこ とでLた。まず上海は,国慶節と重なり空港近くのホテノレに泊まり,市内は 車両進入禁止のため市内見物はありません。翌日は西安で大雁塔,
秦始皇帝兵馬儒坑博物館を見物して,竹下首相が泊まられた同じホ テノレですと言われ,ロビーで鍵を待っていると急に変更になり,唐 城賓館に連れて行かれた。案内には華清池に行くようになっていた が省略された。誰かが尋ねると「また来て下さい」とのこと。慌た だLく蘭州に向かう。蘭州は興味はないのに,どういうわけかここ はたっぷり時聞があった。ここは甘粛省の省都で工業都市で西成の 中継点である。黄河はこのあたりから水の色が黄褐色に変わること を知る。煉瓦の大生産地である。黄河の船下りがあり,途中羊り皮 袋の筏が見られた。甘粛博物館の陳列ケースはところどころ空のと ころがあり,尋ねると「只今奈良のシルクロード博に出展 Lてま す。」とのこと。甘粛の陶磁器は世界で最も古いものだそうで,
「甘粛彩陶」の本を求め帰国後習っている油絵の先生に差し上げた ら,とても喜んでくださった。大きなガラスケースの中に
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体の 遺骨が並んで安置されているのがあった。殉死の骨で真中が主人で 右隣が第一夫人で左隣が第二夫人で,主人が亡くなってから二夫人 は生きたまま埋葬されたとのこと。どうしてそのことがわかるのか 尋ねると,r
亡くなってから埋められると骨はだんだん細くなる が,生きたまま埋められた場合は骨はあまり痩せない」とのこと。関州から敦虐行きの飛行機を待つため, 14時間も空港に待機させ られた。蘭州では珍しく雨が降ったこと。それが終わると敦燈は,
砂嵐のため飛行機の着陸不能ということが重なったためでした。午
日本病院会雑誌 19凶3年2月 93(271)
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前
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時まで空港で待ち,皆も疲れていると,民航接待所という所に パスで運ばれ,思い出しでも悲しくなるような所に休むようにいわ れる。ベッドにもぐり,足を伸ばして横になるだけでも幸せという 状態でした。僅か3‑4
時間のことでしたが,空港で寒くて震えて いるよりもましでした。蘭州から敦燈までジェット機で
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時間1 0
分ほどで着く。蘭州に荷 物を置いたまま,身の廻りの品だけ小さなバッF
に 入 れ た 旅 でL
た。井上靖氏が1 0
年ほど前に上海から敦埋まで汽車で5
日かかっ たと,何かで読んだことがある。ジェット機は砂漠の上ばかり飛ん でいた。敦生皇は国のはずれという感じが強く遠くへ来たという感激 を覚えた。着陸後早速20キロ離れた莫高窟に向かうと,私たちの到 着前日に敦煙人文研究所の女性の2 2
歳の研究員が,交通事故で死亡 したため葬式で全員喪に服しているため,門は開かないとのこと。一同がっかりしていると,中国側の通訳の男性の大学時代の友人が 研究所に勤めているから頼んでみると,行って下さり北側の窟の少 ない方を案内して下さった。主皇々苦労しでも来て良かったと思っ た。内緒で見ているのでとても慌ただしいのが残念でした。帰り道 で砂漠の中に
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メートルほどの砂が盛ってあるのがあり,いろいろ と供え物がしてあった。人文研究所の喪に服している人の墓である ことが知らされた。砂嵐になると,何処がお墓かわからなくなりそ うでした。翌日は喪があけたからと出かけると,余りに悲しみが深く今日も 開けられないとのこと。あまり日本語が上手でないジャーナリスト 出身の通訳氏が粘って交渉して下さって,またまた内緒で南窟を見 学する。窟はそれぞれ上と下に鍵がついていて別々の人が開けてく れる。カメラは莫高窟の門から入れない。懐中電灯は天井が意外と 高〈小さい物は良く見えない。中には料金の別払いの窟があった。
写真1 敦纏のゴピ砂漠で小さな突起は墓である
日本病院会雑誌 1989年2月
私たちは添乗員を含めて
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名で6
万円というのもあった。色彩が鮮 やかで窟の損傷が少なかった。夢心地である。今見ているこれらを 忘れたくないと思う。アッという聞に時がすぎてしまう。現地の案 内人の早く終わりたいという様子がありありとする。通訳氏が叱略 している。全部をチzット見るだけでも15日閣はかかるものを 2 日で5
時間くらいで見たのは僅かである。竹下首相はここで9
億円 寄付している。夕方はラクダに乗り鳴沙山に行く。鳴沙山の砂を踏むだけでも厄 除けになるという。麓には,月牙泉という三日月形をした泉で,砂 漠の中で
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,0 0 0
年も湧きつづけているという。ここではドイツ,イ ギリス,アメリカなど,いろいろな国の人々がきていた。途中で聞 いたところによると,中国旅行では何度も予定がかわり無駄に待さ れることが多しいらいらしても日本人はジッと我慢Lて待つ努力 をするが, ドイツ人の添乗員は中国側の通訳に殴りかかるそうであ る。「敦煙」の映画のセット跡は観光場所になってた。砂漠の中での 設営はさぞ苦労されたことでLょう。撮影に使われた鎧,兜が置か れてあり,それを着用して写真を映しますとしみ現地の人がし、た。
敦煙の町の百貨庖には,何でも売っていた。衣類も色々あり,食 べ物も豊富である。ワインは
7 0 0 m l 4 0
円{立で味も結構である。砂漠 の中のオアシスの町ですからお風呂は入れない,と覚悟して来たの ですが,毎日入浴できました。ただし早く入らないと水は出なくな る。帰りの前州行きの飛行機が出航できないといわれ,パスで
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時間 かかり2
日かけて行きますとのこと,一同さあ大変と準備をしてい ると,今度はパスの運転手が怖いと逃げてしまった,という。旅行 者。中には勤務の人もあり休寂を延ばせない人もいる。すると中国 旅行をするには,旅程の2
日は余分にとるのが常識です,という。皆が議論している間に,要領のいい方は他のグノレーフ。に入札 3回 自の莫高窟行きをしている人もいた。関係者の奔走の結果,夕方に なってやっとプロベラ機が飛ぶことになり,午後4時15分に離陸す る。日町州まで
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時間3 0
分かかり,プロベラ機なので低空飛行で地上 がよく見えた。砂漠ばかりであった。岩,砂,赤褐色のものと砂漠 も色々あることを知る。もし不時若するようなことがあれば,助か らないだろうと怖かった。敦煙出発が遅れたので北京滞在が短かくなる。北京で買物をした い人達はいらいらしていた。北京は
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白が1
泊になり,しかも6
時 間ぐらいしか余裕がない。見物はいらないから買物だけさせてほL いと添乗員にねだる人,逆に,買物はいいから見物をさせろと主張日本病院会雑誌 1985年2月 95(273)
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する人,また中には「他社の同じコースより
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万円高いのだ,もっ とサービスをよくしろ」と添乗員を責める方と,ちょっとパニック 状態となる。あんな素晴らしい莫高官の大画廊を見ることのできたことで十分ではないか,と密かに思う。
北京では故宮博物院を
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時間ぐらい通り,あとは友誼商広の買物 タイムになった。9
日日の午後3
時1 0
分全日空に格乗L
,その清潔 なこと,乗務員のスマイノレにホッとして日本はし、し、なあと思った。昭和
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年に桂林,広州に旅したときに旅行会社より,中国旅行の 心得,中国旅行の特色を書いたものを渡され,現地に着くまでに必 ず読んでおくようにと言われた。次のがその概要である。中国旅行の心得
日中間には明治
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年日清戦争力、ら昭和2 0
年日本敗戦に至る不幸な 関係があった。中国に旅行しようとする人は,国交正常化の基礎と なった日中協同声明の精神をよく認識してください。その中で特に忘れては困ることを抜粋する。
前文 日本側は過去におL、て日本国が戦争を通じて,中国人民に 重犬な損害を与えたことについての責任を痛感 L,深く反省する。
第5項 中華人民共和国は中日両国人民の友好のために, 日本国 に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
日本の侵略から始まった田中戦争により中国側が受けた損害は,
死者
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,0 0 0
万人,被害額は現在の金に換算して3 5 0
兆円(現在国家予 算の約1 2
年分〕以上にのぼるといわれている。それにも拘らず中国 は友好のために賠償を放棄したのである。かつて日本が中国を侵略 し,残虐行為を働いたことについて中国の人びとは「あれはー握り の軍国主義者がやったことですj といって,日本軍国主義者と人民 を区別している。しかLこれは日本の侵略と残酷行為を水に流して 忘れ去ったということでは絶対にありません。自分が関係していよ うがし、まいが, 日本という国日本人がやったことについての責任を 痛感 L,再びこのような戦争を起こさないようにするには,どうす ればよいのかを考え,それを自分のできる範閲で実践することが必 要でLょう。第
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項 目本国政府は中華人民共和国が中国の唯一の合法政府で あることを承認する。中国を旅行する人は,日本の民間使節という 自覚を持ち責任ある行動をとって,現実に見てきた中国の姿をまだ 訪問しない人達に伝えて,中国を理解する手助けをし日中友好,相 互理解の輸を一層拡げるようにしてくださし、。中国は発展途上国のため服装も質素であり,生活水準が高くない の事実である。だがこれは中国人民が数千年にわたり皇帝の残酷な
日本病院会雑誌 19回年2月