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日間の旅をして(1)

ドキュメント内 目 26 番 5 号 ~ 113 (ページ 95-103)

井 上 加 代 子

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年の旅はシノレクロード

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日聞を選びました。

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コ ス モ ポ リ タ ン」という初めての旅行会社でとてもつらい旅で Lた。上海,西 安,蘭州,敦煙,北京で泊まりました。今回の旅支度の特徴は,懐 中電灯,帽子,サングラス,マスク,のど飴,運動靴,小さな水筒 を準備するようにということで,懐中電灯は,敦短莫高窟内の壁画 色彩保護のため照明設備が設けられてないこと。ザングラスは陽差 しが強いため,マスグ,のど飴は,気候が乾燥して,時として砂嵐 に見舞われることが忘るため,運動靴は動きやすい恰好でというこ とでLた。

まず上海は,国慶節と重なり空港近くのホテノレに泊まり,市内は 車両進入禁止のため市内見物はありません。翌日は西安で大雁塔,

秦始皇帝兵馬儒坑博物館を見物して,竹下首相が泊まられた同じホ テノレですと言われ,ロビーで鍵を待っていると急に変更になり,唐 城賓館に連れて行かれた。案内には華清池に行くようになっていた が省略された。誰かが尋ねると「また来て下さい」とのこと。慌た だLく蘭州に向かう。蘭州は興味はないのに,どういうわけかここ はたっぷり時聞があった。ここは甘粛省の省都で工業都市で西成の 中継点である。黄河はこのあたりから水の色が黄褐色に変わること を知る。煉瓦の大生産地である。黄河の船下りがあり,途中羊り皮 袋の筏が見られた。甘粛博物館の陳列ケースはところどころ空のと ころがあり,尋ねると「只今奈良のシルクロード博に出展 Lてま す。」とのこと。甘粛の陶磁器は世界で最も古いものだそうで,

「甘粛彩陶」の本を求め帰国後習っている油絵の先生に差し上げた ら,とても喜んでくださった。大きなガラスケースの中に

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体の 遺骨が並んで安置されているのがあった。殉死の骨で真中が主人で 右隣が第一夫人で左隣が第二夫人で,主人が亡くなってから二夫人 は生きたまま埋葬されたとのこと。どうしてそのことがわかるのか 尋ねると,

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亡くなってから埋められると骨はだんだん細くなる が,生きたまま埋められた場合は骨はあまり痩せない」とのこと。

関州から敦虐行きの飛行機を待つため, 14時間も空港に待機させ られた。蘭州では珍しく雨が降ったこと。それが終わると敦燈は,

砂嵐のため飛行機の着陸不能ということが重なったためでした。午

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時まで空港で待ち,皆も疲れていると,民航接待所という所に パスで運ばれ,思い出しでも悲しくなるような所に休むようにいわ れる。ベッドにもぐり,足を伸ばして横になるだけでも幸せという 状態でした。僅か

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時間のことでしたが,空港で寒くて震えて いるよりもましでした。

蘭州から敦燈までジェット機で

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時間

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分ほどで着く。蘭州に荷 物を置いたまま,身の廻りの品だけ小さなバッ

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に 入 れ た 旅 で

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た。井上靖氏が

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年ほど前に上海から敦埋まで汽車で

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日かかっ たと,何かで読んだことがある。ジェット機は砂漠の上ばかり飛ん でいた。敦生皇は国のはずれという感じが強く遠くへ来たという感激 を覚えた。着陸後早速20キロ離れた莫高窟に向かうと,私たちの到 着前日に敦煙人文研究所の女性の

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歳の研究員が,交通事故で死亡 したため葬式で全員喪に服しているため,門は開かないとのこと。

一同がっかりしていると,中国側の通訳の男性の大学時代の友人が 研究所に勤めているから頼んでみると,行って下さり北側の窟の少 ない方を案内して下さった。主皇々苦労しでも来て良かったと思っ た。内緒で見ているのでとても慌ただしいのが残念でした。帰り道 で砂漠の中に

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メートルほどの砂が盛ってあるのがあり,いろいろ と供え物がしてあった。人文研究所の喪に服している人の墓である ことが知らされた。砂嵐になると,何処がお墓かわからなくなりそ うでした。

翌日は喪があけたからと出かけると,余りに悲しみが深く今日も 開けられないとのこと。あまり日本語が上手でないジャーナリスト 出身の通訳氏が粘って交渉して下さって,またまた内緒で南窟を見 学する。窟はそれぞれ上と下に鍵がついていて別々の人が開けてく れる。カメラは莫高窟の門から入れない。懐中電灯は天井が意外と 高〈小さい物は良く見えない。中には料金の別払いの窟があった。

写真1 敦纏のゴピ砂漠で小さな突起は墓である

日本病院会雑誌 19892月

私たちは添乗員を含めて

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名で

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万円というのもあった。色彩が鮮 やかで窟の損傷が少なかった。夢心地である。今見ているこれらを 忘れたくないと思う。アッという聞に時がすぎてしまう。現地の案 内人の早く終わりたいという様子がありありとする。通訳氏が叱略 している。全部をチzット見るだけでも15日閣はかかるものを 2 日で

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時間くらいで見たのは僅かである。竹下首相はここで

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億円 寄付している。

夕方はラクダに乗り鳴沙山に行く。鳴沙山の砂を踏むだけでも厄 除けになるという。麓には,月牙泉という三日月形をした泉で,砂 漠の中で

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年も湧きつづけているという。ここではドイツ,イ ギリス,アメリカなど,いろいろな国の人々がきていた。途中で聞 いたところによると,中国旅行では何度も予定がかわり無駄に待さ れることが多しいらいらしても日本人はジッと我慢Lて待つ努力 をするが, ドイツ人の添乗員は中国側の通訳に殴りかかるそうであ る。

「敦煙」の映画のセット跡は観光場所になってた。砂漠の中での 設営はさぞ苦労されたことでLょう。撮影に使われた鎧,兜が置か れてあり,それを着用して写真を映しますとしみ現地の人がし、た。

敦煙の町の百貨庖には,何でも売っていた。衣類も色々あり,食 べ物も豊富である。ワインは

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円{立で味も結構である。砂漠 の中のオアシスの町ですからお風呂は入れない,と覚悟して来たの ですが,毎日入浴できました。ただし早く入らないと水は出なくな る。

帰りの前州行きの飛行機が出航できないといわれ,パスで

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時間 かかり

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日かけて行きますとのこと,一同さあ大変と準備をしてい ると,今度はパスの運転手が怖いと逃げてしまった,という。旅行 者。中には勤務の人もあり休寂を延ばせない人もいる。すると中国 旅行をするには,旅程の

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日は余分にとるのが常識です,という。

皆が議論している間に,要領のいい方は他のグノレーフ。に入札 3回 自の莫高窟行きをしている人もいた。関係者の奔走の結果,夕方に なってやっとプロベラ機が飛ぶことになり,午後4時15分に離陸す る。日町州まで

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時間

3 0

分かかり,プロベラ機なので低空飛行で地上 がよく見えた。砂漠ばかりであった。岩,砂,赤褐色のものと砂漠 も色々あることを知る。もし不時若するようなことがあれば,助か らないだろうと怖かった。

敦煙出発が遅れたので北京滞在が短かくなる。北京で買物をした い人達はいらいらしていた。北京は

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白が

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泊になり,しかも

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時 間ぐらいしか余裕がない。見物はいらないから買物だけさせてほL いと添乗員にねだる人,逆に,買物はいいから見物をさせろと主張

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する人,また中には「他社の同じコースより

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万円高いのだ,もっ とサービスをよくしろ」と添乗員を責める方と,ちょっとパニック 状態となる。あんな素晴らしい莫高官の大画廊を見ることのできた

ことで十分ではないか,と密かに思う。

北京では故宮博物院を

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時間ぐらい通り,あとは友誼商広の買物 タイムになった。

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日日の午後

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分全日空に格乗

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,その清潔 なこと,乗務員のスマイノレにホッとして日本はし、し、なあと思った。

昭和

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年に桂林,広州に旅したときに旅行会社より,中国旅行の 心得,中国旅行の特色を書いたものを渡され,現地に着くまでに必 ず読んでおくようにと言われた。次のがその概要である。

中国旅行の心得

日中間には明治

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年日清戦争力、ら昭和

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年日本敗戦に至る不幸な 関係があった。中国に旅行しようとする人は,国交正常化の基礎と なった日中協同声明の精神をよく認識してください。

その中で特に忘れては困ることを抜粋する。

前文 日本側は過去におL、て日本国が戦争を通じて,中国人民に 重犬な損害を与えたことについての責任を痛感 L,深く反省する。

第5項 中華人民共和国は中日両国人民の友好のために, 日本国 に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

日本の侵略から始まった田中戦争により中国側が受けた損害は,

死者

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0 0 0

万人,被害額は現在の金に換算して

3 5 0

兆円(現在国家予 算の約

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年分〕以上にのぼるといわれている。それにも拘らず中国 は友好のために賠償を放棄したのである。かつて日本が中国を侵略 し,残虐行為を働いたことについて中国の人びとは「あれはー握り の軍国主義者がやったことですj といって,日本軍国主義者と人民 を区別している。しかLこれは日本の侵略と残酷行為を水に流して 忘れ去ったということでは絶対にありません。自分が関係していよ うがし、まいが, 日本という国日本人がやったことについての責任を 痛感 L,再びこのような戦争を起こさないようにするには,どうす ればよいのかを考え,それを自分のできる範閲で実践することが必 要でLょう。

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項 目本国政府は中華人民共和国が中国の唯一の合法政府で あることを承認する。中国を旅行する人は,日本の民間使節という 自覚を持ち責任ある行動をとって,現実に見てきた中国の姿をまだ 訪問しない人達に伝えて,中国を理解する手助けをし日中友好,相 互理解の輸を一層拡げるようにしてくださし、。

中国は発展途上国のため服装も質素であり,生活水準が高くない の事実である。だがこれは中国人民が数千年にわたり皇帝の残酷な

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