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〜 EfSA (Education for Sustainable Agriculture) への模索

2. 日本の「失敗」から何を学ぶべきなのか

(1)江戸から明治へ

 日本の社会にとって、明治維新(1868年)は国家の近代化とその経済的基盤としての資本主義経済の導入に

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向けた重要な出発点であったと考えられる。約240年間にわたる江戸時代は、そのほとんどの時期を鎖国政策 によって域内循環を基礎とした社会経済システムで支えられていた。その中でも、「百姓」と呼ばれた農民を 中心とした村落共同体(ムラ)の役割が極めて大きかった。国家・社会の資本主義化は、この村落共同体の解 体による市場の創出を前提とするものである。

 それまでの労働集約的な農業のあり方を転換するために、明治政府は当初、欧米型の農法の導入を積極的に 進めようとした。しかし、この試みは見事に「失敗」したと言わざるをえない。日本の風土に適さず、農民が 慣れ親しんできた農法とまったく異なる農業のやり方が簡単に根づくはずはなかったのである。そこで、明治 政府は「老農」と呼ばれる在来農法の指導者たちに注目することにした。ある意味で、トップダウン型の営農 指導をボトムアップ型の営農指導に切り替えたのである。こうした生まれた農法は「明治農法」と呼ばれてい る。

 明治以降の日本の経済成長には目をみはるものがあった(図1)。

 GNP(国民総生産)の変化を見ると、1894年(日清戦争)以降、次第に伸び始めて、1915年から1919年にか けて第1次世界大戦によって「急増」した。ヨーロッパからの戦争特需がなくなった後に「停滞」期に入り、

1929年の世界恐慌によってGNPは減少するが、1931年の満州事変を契機に日本は中国やアメリカ・イギリス等 との本格的な戦争(1937年からは日中戦争、1941年からは太平洋戦争)に突入することでGNPは軍需を中心に 再び急増した。しかしながら、太平洋戦争末期の日本本土の壊滅的な破壊によって、戦後日本は1955年頃まで 1930年代の経済規模を回復することはできなかった。その後、朝鮮戦争による特需を契機に再び急速な経済成 長が始まり、1960年の「国民所得倍増計画」の登場によって1973年まで「高度経済成長期」を迎える。

(2)1950年代の「戦後農法(農業の内発的発展)」の可能性

 第2次世界大戦の敗戦によって、日本農業は新たな展開の可能性が生まれた。戦後日本を占領下に置いた 図1 戦後日本のGNP

4. Keynote Lecture in Japanese

1 GHP(連合国軍最高司令官総司令部)は、1947年に寄生地主制の解体を目的とした農地解放(農地改革)を日 本政府に指令した。日本政府は地主の保有する農地を安値で買取り、耕作していた農民たちに払い下げた。そ の結果、1950年代には新しい農業の発展基盤が生まれていた。①「自作農」を基盤とした高い営農意欲に支え られた農業経営。②農村社会教育(青年団、婦人会等)に象徴される農村の民主化。③耕運機に代表される小 型機械化体系の登場。ここに、「明治農法」に代わる「戦後農法」の可能性が生まれていたと見ることができる。

 明治以降、1950年代までの日本社会の産業の一つは、明らかに農林漁業であった(図2)。

 第1産業従事者の割合はほぼ50%を維持しており、この割合が急速に減り始めるのは1960年代(より正確に は1950年代の終わり)以降のことである。いわゆる高度経済成長とそれを支える産業政策(農業政策も)が、

日本農業の内発的発展の基盤を掘り崩し、「戦後農法」の可能性をつぶしてしまったと考えることができる。

(3)高度経済成長期以降の農業政策

 高度経済成長政策のもとで農業基本法(1961年)を中心とした農業近代化政策、いわゆる「基本法農政」が 進められた。農業構造改善事業(中大型機械化一貫体系、圃場整備事業など)が農村に広く導入され、その延 長上に減反・転作政策が位置づけられた。その結果、1960年以降の総農家数は明らかな減少を続け、606万世 帯あった農家は2005年には285万世帯(53%減)にまで減少した(図3)。

図2 日本社会の産業構造の変化

 専業農家の減少に対して増加を続けていた兼業農家も1970年をピークに減少を始め、農山村地域の過疎高齢 化が著しく進みはじめる。国勢調査(2005年度)にもとづく産業別就業者の高齢化割合をみる限り、農業従事 者に占める65歳以上の高齢者の割合は51.5%(75歳以上は17.9%)であり、全人口に占める高齢者(65歳以上)

の割合23.1%(2010年度)の2倍以上となり、他の産業に比べても明らかに高齢化が進んでいると言わざるを えない(図4)。

 農家数の減少と過疎高齢化が進む中で、日本はますます食料を輸入に頼るようになっていった(図5)。

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図4 産業別就業者の高齢化割合 'VMMUJNFGBSNFS

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図3 総農家数の変動

4. Keynote Lecture in Japanese

 1965年にはカロリーベースで70%を越えていた食料自給率は、2009年には40%程度にまで下がっている。

 その後、日本政府は農業基本法に代えて食料・農業・農村基本法(2009年)を制定し、農地・農業の多面的 機能を評価し、国土保全機能(環境保全)を視野に入れた農業政策への切り替えを図ろうとしている。しかし ながら、グローバリゼーションのもとで引き続き国際競争力のある農業の生き残り(輸出型農業)を模索して おり、TPPやEPA、FTAへの積極的な対応が目立つ。貿易自由化に対する農林漁業関係者の不安や反発は大きく、

国内消費者が農産物に対しいてより高い安全性と安心を求める傾向が高まっていることにも配慮しなければな らない。東日本大震災の復興と原発事故への対応の長期化によって、日本の農林漁業政策はますますむずかし い決断を迫られている。

 こうした困難な状況のもとで、政府が進める農業近代化政策や補助事業が目指した大規模農業への道とは異 なる、「もう一つの農業」のあり方を模索する動きが注目されている。ここでは、こうした農民を「プロフェッ ショナルな農民」と呼んで、現代の「老農」としての役割を期待したい。