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第 3 章 事例研究

第 2 節 日プラ株式会社

藤繊維で働く従業員の「やる気」という情報的資源も獲得したのかもしれない。

  佐藤繊維のケースは、高品位の繊維という内部資源を有し、不足していたブランドとい う情報的資源を国際化によって獲得することに成功し、それが国内に波及したというケー スである。

  そのきっかけは、国内の危機的な状況の中、イタリアでの展示会に社長自らが赴き、独 自の製品を開発することを決意したことに始まる。そして画期的な製品の開発に成功し、

その製品の認知度を高めるために国際化が有効に働いたのである。中小企業でありながら リスクの高い国際化を志向した社長のアントレプレヌールシップもイノベーションに重要 な役割を果たしていたと言えるだろう。

をして食いつなごうとした。しかし、オイルショックで原材料が高騰し、「このままでは赤 字になってしまう」という敷山に対し、発注先は絶対に値上げを認めなかったという。

  このとき敷山は「下請けはやめよう」と決意したという。水族館用の水槽用アクリル板 の仕事は年に数えるほどしかない。食えない状況は続いたが、あきらめなかった。

「80年代は活魚料理店の生けす、あれを作っとったんです。小さいけど、どんな水槽に どんな魚を入れたら元気やとか実験の場にはなる。それで水処理の勉強もできた。」

2−3:海外進出

  しかし、状況は変わらなかった。そこで敷山社長は、「国内で評価されないなら、海外に 行くしかない」「海外ならば、会社の規模や知名度よりも技術力で評価してくれる」と踏ん で、91年に海外市場の本格的な開拓を決意した。

  まず狙いを定めたのは米国であった。「米国で技術力を認められれば、世界的に評価を高 められる」と考えたからであった。日本の大手商社に協力を依頼したが、「取扱いは見合わ せたい」と断られてしまう。しかし、実際に市場調査にあたった商社の社員からは「個人 的には御社のアクリル水槽は絶対に売れると考えている」と言われ、敷山社長は海外市場 開拓の自信を深めた。この日プラの技術を高く評価した商社の社員はいま、日プラの米国 事務所に勤務している。

93年、米カリフォルニア州のモントレーにある水族館が水槽を増設する計画をもって いる、との情報が敷山社長の耳に飛び込んできた。敷山社長はすぐさま積極的な営業活動 を展開し受注に結び付けた。これが地元の新聞に大きく取り上げられ、日プラの知名度は 急上昇、敷山社長の期待通り、米国内のみならず世界中から引き合いが来るようになった。

  ほぼ時を同じくして、日本でも改めて実力を示す機会が訪れた。93年にオープンした 八景島シーパラダイスの水槽である。高さ約8メートルの水槽が観客の頭上にせり出すよ うな形になっていて、さらにその中にトンネル型の通路を設置するという大胆な計画だっ た。

  布留川信行館長は「建設会社から住友化学工業(注:日プラに出資しており、原材料で あるアクリル板を日プラに供給している)を経由して日プラに話が持ち込まれた。大がか りな水槽づくりを日プラのような小さな会社に任せることにはやや不安もあったが、十分 に満足できる出来映えに仕上げてくれた。」と話す。これ以来日プラは国内でも実力を広く 認められ引き合いが増えた。

2−4:独自の技術

  水槽といえば、ガラスと思いがちであるが、今ではアクリルが大半を占める。ガラスで はなくアクリルを使うのは透明度や強度のためである。大型の水族館で使用するパネルの 厚さは見た目にはそれほどの厚さに感じられないが、実は60センチもある。ガラスを使 った場合、同じ厚さではこれほどの透明度は出ない上、水槽の中にある大量の水の圧力に

も耐えることができないのである。

  しかし、厚いアクリル板をつくるのは容易ではない。原料のアクリル板を生産する大手 メーカーが供給するのは、厚さが4センチまでである。日プラはこれを何層にも重ねるこ とで必要な厚さを出している。単純に張り合わせるわけにはいかない。光の屈折率が異な る接着剤を使用すれば、光が散乱してしまい透明度が下がるからである。十数枚も重ねれ ば、向こうはほとんど見えなくなってしまう。

「アクリル板同士が分子レベルで再結合して一体化するんですよ」と敷山社長は説明する。

  アクリルは82度の温度で変形が始まるアモルファス樹脂である。2枚のアクリル板の 間に同じアクリルの液体(モノマー)を流し込み、変形の始まる直前の温度まで加熱し、

重合と呼ばれる化学反応(樹脂化)を起こさせる。うまく重合すれば2枚のアクリル板は 一体化する。

  ポイントは温度と圧力だという。広いアクリル板の各部分で起きている速度の異なる化 学反応を制御する。コンピューターなどは使わない。作業員の手作業だ。センサーと経験 が頼りの職人の世界である。室温は22℃に保たれ、工程で使う器具は、「使う三日前まで に持ち込み室温に慣らす」という。だが、さらに難しいのは、幅を出すためにパネルの横 につなぎ合わせる技術である。

「建設現場で温度と圧力を管理しながら重合反応させる技術は門外不出。作業中は社員以 外は退去してもらう。」という。

  この技術を有するのは世界で3社しかない。日プラ以外ではもう1社も日本の会社であ る。大型の水槽の場合は、事実上日プラ以外に受注できる能力を有する会社はないという。

2−5:事例分析

図表3−2:日プラ株式会社 

会社名  日プラ株式会社 

モデル分類  本業波及型 

どのような資源を獲得したか  実績、評判、知名度、ブランド力 

どのように資源を有効活用したか  海外での実績が国内だけでなく、世界中からの受注に つながった。 

どこに進出したか  米国 

外部環境  大手メーカーの参入により、日本では水槽の受注がで きず、OEM や小型水槽でしのいでいた。 

内部環境 

画期的な新技術を開発していたが、認知度が低く、収 益につながっていなかった。 

そもそも「水槽市場」は小さいため海外市場を求めな ければ、存続できない状況だった。 

組織モデ  インターナショナル型 

機能ごとの国際化の程度  セールスの国際化  出所:筆者作成

  日プラのイノベーションも前節の佐藤繊維と同様に国際化することでブランド力を高め ることができたというケースである。

  世界初のアクリル製水槽を実現しながら、大手メーカーの参入によって国内では受注で きなくなった。国内で受注できなかった理由はいくつかあったと思われる。ひとつは、ア クリル製水槽そのものがプロダクトライフサイクル上では導入期であり、存在そのものが あまり知られていなかったからである。つまり、製品そのものがほとんど認知されていな かったことが原因のひとつである。二つ目は、日プラが中小企業だったためである。この 製品は、佐藤繊維のケースとは違い高額なB to Bの取引であることから、企業の信用力が 重要なファクターであるが、日プラが中小企業であったためその信用力が低かったのであ る。特に安全にかかわる製品であったためにその影響は大きかったと思われる。三つ目は、

日本企業独特の要因である。日本企業は保守的な側面があり、余り実績のないものを積極 的に採用しない、あるいは、規模や知名度の低い企業と取引しないという傾向があるから である。上記最初の2つの要因は、世界各国共通の傾向であるが、三つ目の要因が、国内 で受注できなかったもっとも大きな要因であったと考えられる。これらの理由があった故 に、日プラは、「実績」という情報的資源を必要としたのである。

  日プラの選択した市場は、「水槽市場」である。世界シェア7割を占める現在においても 売上は20億円に過ぎない。つまり、水槽市場はニッチ市場であり、生き残るために海外 市場を求めなければ生き残れないという逼迫した事情もあったと思われる。したがって、

海外に進出するのは必然の結果であったともいえよう。しかし、日本においても受注でき ない状況が続く中で海外を志向するのはリスクが大きいのも事実であり、そこには自社技 術への自信と社長のチャレンジ精神があったためであったことを見逃してはならない。

  そこで、進出したのが、米国であった。米国も日本と同様の取引慣行があるが、日本ほ ど保守的ではなく、「良いものは良い」と評価し、新しいものをより採用していく傾向があ る。そこで成功し、「米国での実績」という企業の信用を高める働きをしたと思われる。こ れが米国で話題となり、デモンストレーション効果(客が客を呼ぶ)につながったのであ る。

  これは、顧客の選択によって知名度を高めたケースであり、佐藤繊維同様マーケティン グ的な要素が成功の要因であるが、そもそも高い技術力を有していたことが故にマーケテ ィング成功につながったのである。

  日プラのケースは、高い技術力という内部資源を有し、不足していた知名度、ブランド 力という外部に蓄積される情報的資源を国際化によって獲得し、それを有効に活用できた というものである。

  日本の中小企業にも高い技術力を有するところは多い。ターゲットとしている市場がニ ッチであればあるほど世界を目指す必要があるのではないだろうか。ニッチであるが故に 競合は少なく、製品が優れていれば、世界の「グローバル・ニッチ」になりうる可能性を 秘めているからである。