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亭一

‑也

︒還 ハ猶 レ又 ノ也

︒出 川浦 ェ詑 二 古緋

‑一 也︒ 葛巾 ハ慮 士之 服︑ 謂レ 己ヲ

︒蔽 側ハ 言二 酔態

↓︒ 暗ニ 用一 一落 帽

( )

︿ )

之意

↓︒ 蓋亭 設ヨ 錦席

↓︑ 延

w客

ヲ宴 飲ス

O

設蓋 豊甘

︑曹 連壷 川敷 ヲ︒ 抵ニ

( 世

H

醇既 ニ飽

︑席 終に 散セ ント 実︒ 乃又 移川 テ宴 ヲ詑 一一 前湖 一‑

︒於 レ是 ニ乗 同テ 歌ニ 復大

‑一 飲︑ 至一 一酔 態払 知的 骨︑ 巾傾 テ欲 誌ニ 落ン ト︑ 而尚 未レ 同門 サ船 ヲ︒ 逸興 快襲

︑遂 ニ船 酔散 シテ 而タ 露侵 ゴ也

︒ ( 注

9)

例えば︑﹃字葉﹄に﹁久留なり︒滞なり﹂と︒

( 注

m )

又は︑更にの意︒なお︑部偉﹃集解﹄に第三匂の下に﹁既に亭に宴し

て︑而して又た湖に泥ぷ﹂と注する︒

(注目)郁宝﹃集註﹄および蕗益﹃分類﹄に﹁還って浦を出づは︑湖に詑ぶな

り﹂と︒﹃分類﹄は宇都宮遜庵の増広本にも挙げる︒

(注ロ)孟嘉落帽の故事︒訳註稿岡︑阻﹁九日産氏藍田の荘﹂詩の詳解に﹁晋

の桓温︑九日龍山に遊宴す︒参軍孟嘉之に従ふ︒風吹いて嘉が帽を落とす︒而して酪町して知らず︒温︑孫盛に命じて文を新って之を瑚る﹂と︒

その(注

9)

参照

(注目殺差は︑美味佳肴︒﹃詩経﹄小雅・楚茨に﹁爾の殺既に将ふ︑怨む莫

くして具慶す﹂とあり︑その鄭築に﹁女の殺差己に行ふ﹂云々と︒豊甘

は︑﹃耳白書﹄巻人十︑王義之伝に﹁飲食豊甘﹂と︒ちなみに︑釈大典之子

語篇﹄巻上︑交遊類に﹁豊甘﹂の語を挙げ︑﹁ケツコウ﹂と左訓︒

( 注

M)

﹃詩

経﹄

小雅

・楚

茨に

﹁既

に醇

い既

に飽

く︑

小大

稽首

す﹂

︑同

じく

周額

執競に﹁既に醇い既に飽く︑福録来たり反る﹂と︒

(注目)婆裟は︑酔ってふらふらよろけるさま︒畳韻語︒例えば︑﹃抱朴子﹄

外篇巻二十四︑酒誠に﹁漢高(漢の高祖)婆裟として巨酔す︑故に能く

蛇を

斬り

旅に

鞠く

﹂と

(注団)部偉﹃集解﹄に第五句の﹁霞締﹂の下に﹁晩霞﹂と注する︒︿掩﹀は︑滞である︒︿錦席掩留﹀は︑亭中に宴することである︒

︿還﹀は︑又とほぼ同じである︒︿浦に出づ﹀は︑湖に︿船﹀を浮

べて 乗る こと であ る︒

︿葛 巾﹀ は︑ 処士 の服 で︑ 己れ のこ と︒

︿鼓 側﹀

は︑酔態を言︑っ︒暗に落帽の意を用いる︒けだし亭では︿錦席﹀を

設け︑客を招いて宴飲する︒美味佳肴は豊かで︑居続けて歓を尽く

す︒すっかり酔い存分に食べて︑席まさに散ぜんとし︑ようやくさ

らに宴の場所を移して︿前湖﹀に︿舶﹀を浮べた︒そこで気分が乗っ

て再び大いに飲み︑酔ってふらふらとよろけ︑頭︿巾﹀が傾いて落

hyちそうになるが︑それでもなお︿未だ船を回ら﹀せない(岸にもど

らない)︒逸興快楽(世間を忘れた格別の遊楽)は︑そのまま晩︿震﹀

が︿散﹀じてタ露がおりる時分に至るのである︒

(

)

尊曽 コテ 霞縞 一一 軽シ テ初 テ散 シ脇 陣叩

W2

荷珠

↓砕 テ翻 テ園 ナリ

※軽・:ヒラ/¥散・:キヘ/¥ニナリユク

) ( )

嘗ハ 針也

︒霞 締ハ 謂二 彩震 如サ レ嘘

‑ 4錦 締ィ

︒謝 眺ず 詩ニ 飴霞 散シ テ如 レ 締ノ

︒関 門樽 ヲ封 以之 ニ︑ 言一 一風 景之 美↓

︒酒 亦有

‑一 流霞 為的 伊}

︒見 一一 樽酒

之色奥レ霞比九曜f

︑非

‑一 復人 間尋 常之 物一 一実

︒軽 シテ 初テ 散ス ノ一 二字

︑ 極テ 有一 一恥 勝一

︒軽 切守 締ノ 字一 一︑ 散ハ 謂ニ 色漸 タ薄 シテ 而減 す︒ 蓋天 迫ニ

(

)

黄昏 一一 也︒ 荷珠 ハ荷 上ノ 露珠

︑見 ニ梁 ノ元 帝ノ 詩一

‑︒ 此言 レ入

w夜‑

一︒ 荷聞 廻 円 ︑

γ

梓ヲ 而過 ク︑ 露珠 鯛

w梓

ニ砕 散シ テ倒 テ復 圏園 ナル 也︒ 蓋初 飲二 亭上

‑一 一︑ 酉連 己ニ 久シ

︑向 昨暁 ェ乃 花ニ 前湖 一‑

︑而 同ワ 船ヲ 之遅 キ︑ 遂ニ 及レ 侵

h露 ヲ

(

也︒ 上ノ 匂酷 顔嫡 漫︑ 不レ 勝一 言什 熱マ 一︑ 下ノ 匂涼 集冷 然︑ 何等 ノ爽 快ッ

︒ 且初 ノ字 見ニ 其久

↓キ ヲ

O

倒ノ 字見 一主 連↓ ルヲ

︒只 爾虚 字︑ 勢態 如レ 賭ル ヵ︑

()

看コ 他ノ 斡旋 之妙 ィ︒

(注げ)ちなみに︑鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄(巻二十二は第五匂を﹁樽は当

る霞締軽くして初めて散ずるに﹂と訓ずる︒

(注国)︿擢﹀字︑銭注および輯註は︿梓﹀に作る︒

二宮俊博/津阪東陽「杜律詳解」訳注稿

( 注

MM)

部停

﹃集

解﹄

に見

える

(注

却)

宇都

宮︑

遜庵

の詳

説に

﹁霞

締ハ

霞如

レ締

ナル

ヲ云

︒締

ハ羅

締リ

之締

也︒

トリ︒又ハカンハタト読︒字業ニ給也︒今細綾ト註ス﹂と︒

(注幻)釈大典﹃杜律発揮﹄に﹁第五匂用鈴霞散シテ成

ω締ヲ語ごと︒南朝斉・

謝跳﹁晩に三山に登りて京巴を還望す﹂詩(﹃文選﹄巻二十七)に﹁徐

霞散じて締を成し︑澄江静かにして練の如し﹂と︒鈴霞は︑消えかかっ

た夕

焼け

雲︒

(注辺)もとは神仙の飲み物︒転じて︑酒をいう︒

(注お)﹃唐詩貫珠﹄に﹁直ちに樽酒の色︑霞と艶を比するに至る﹂と︒

(注弘)釈大典﹃杜律発揮﹄に(注幻)に挙げた箇所に続けて﹁軽シテ初テ散スノ

三字

︑極

テ有

一一

状態

こと

︒状

は態

︑表

現さ

れた

様子

ただよ

(注お)輯註に﹁梁元帝の百花亭に受る詩に︑荷珠水銀を渓はす﹂と︒宇都宮

遜庵の増広本にも挙げる︒梁・元帝(粛鐸)の﹁江州の百花亭に登り荊

楚を懐ふ﹂詩(﹃古詩紀﹄巻七十この第五︑六句に﹁柳袈晴雪を瓢かし︑

荷珠

水銀

を渓

はす

﹂と

(注お)耳熱は︑酔いが廻って耳たぶまで熱くなるo

﹃文

選﹄

四巻

十一

︑前

漢・

楊憧﹁孫会宗に報ゆる書﹂に﹁酒後耳熱し︑天を仰いで缶を撫して鳴鳴

と呼

ばふ

﹂と

︒ (注幻)ここでは﹁他の斡旋の妙を看よ﹂と訓じるが︑本来︿看他﹀でひとま とまりの語︒その場合に︿他﹀字は軽く添えられただけで意味はない︒

この

こと

訳︑

注稿

目︑

四﹁

曲江

一一

L其一の(注目)参照︒斡旋は︑運

用︒ちなみに︑三浦梅園﹃詩轍﹄巻五︑字法に﹁好語アリテモ︑引回ス 者ナケレバ︑車有ツテ行事能ハザルガ如シ︒鶴林玉露ニ目︑要コ活字ノ斡

旋司

︑生

理何

ノ顔

面ソ

︑憂

端且

歳時

︒名

ハ山

豆ニ

文章

二著

ンャ

︑官

応一

一老

病ュ

40

何ト

与一

一旦

ノ字

‑︑

山豆

ト与

二応

ノ字

一︑

乃斡

旋也

︒斡

旋如

一一

車之

有寸

レ軸

ト︒

斡︑

烏括

ノ反

﹂と

︒守

鶴林

玉露

﹄は

︑宋

・羅

大経

の著

︒慶

安元

年(

一六

四八

刊)

の和刻本があり︑汲古書院﹃和刻本漢籍随筆集﹄第入集に影印を収む︒

その巻六︑詩用字の条に﹁詩を作るに健字の捧柱を要し︑活字の斡旋を

要す﹂云々と見える︒︿生理﹀云々は︑社甫﹁舎弟の消息を得たり二首﹂

其二(詳註巻四)の頚聯︒︿名は査に﹀一云々は︑同じく﹁旅夜書懐﹂(詳

註巻

十四

)の

頚聯

︿当

﹀は 対︑ であ る︒

︿霞 締﹀ は︑

彩りあざやかな霞が錦や締(あ

ゃぎぬ)を献すがごときをいう︒謝跳の詩に﹁徐霞散じて締の如し﹂

と︒樽を聞いてこれに対す︑風景の美を言︑っ︒酒もやはり流霞の称

がある︒樽酒の色が︿霞﹀と艶を比べるのをあらわす︒もはや世間

一般のありきたりなものではないよ軽くして初めて散ず﹀の三字は︑

極め て巧 なみ 表現 であ る︒

︿軽

﹀は

︑︿ 締﹀ 字に ぴっ たり だ︒

︿散

﹀は

︑ 色が しだ いに 薄れ て減 ずる こと

︒け だし 黄昏 に迫 るの であ る︒

︿荷 珠﹀

は︑隣の上の露珠︒梁・元帝の詩に見える︒ここでは夜に入るのを

+

一言

︑っ

︒︿ 荷﹀ の聞 を棋 を廻 らし て過 ぎる と︑

︿珠

﹀な す露 が棒 に触 れ

て砕け散り︿却﹀ってまたまるく結ぶ︒けだし当初は亭上に飲んで

いたが︑ずっと居続け︑晩になろうとする頃に︿前湖﹀に︿船﹀を

浮べた︒そして︿船を回らす﹀の遅きこと︑そのまま露を侵すに及

ぶのである︒上の句は酔顔嫡漫として︑耳たぶまで赤くなっている

が︑下の句は涼気冷然(ひんやり)として︑なんと爽快なことか︒

それに︿初﹀字は(やっとの意で)その久しきをあらわし︑︿却﹀

字はその速かなるをあらわす︒ただ二つの虚字で︑勢態(なりゆき

ありさま)を目のあたりにするかのようだ︒斡旋(運用)の妙をと

くと 見よ

不一

一但

習池

一一

時テ

酪町

ルづ

ノミ

ナラ

君看

ョ鄭

火口

去テ

量縁

スル

※酪町・:ノミツブレル資縁ヒッ︑ク

()

習池

ハ比

以前

湖一

一︒

酪町

ハ甚

酔貌

︒騎

テ酪

町ハ

倒語

︒謂

一‑

酪町

γ

而蹄

↓︒

菅ノ

向伊

鋸コ

裏陽

↓︒

毎一

一出

テ遊

一︑

之コ

習氏

ノ園

池一

‑︑

置酒

γテ靴酔フ︒児

童歌テ日︑山公出ルコト何レノ許ソ︑往テ至コ高陽池一一︒日夕倒載シ踊ル︑酪

)町無以前レ知︒君ハ指二二公子寸︒鄭谷見レ前ニo

亦因

げ姓

ニ用

レ之

ヲ指

レ亭

O

()蓋亭傍レ山‑一也︒去ハ猶レ往ノ︑謂レ赴同亭ェ也︒資ハ進也︒呉都ノ賦ニ貴ニ

へ 生

mMJ

縁ス

ト山

岳之

宮一

一一

o韻合ニ資縁ハ縁連也︒此眼コ第三勾一一︒一百二再タヒ就w

亭ニ而憩息づヲ罵︒蓋海面ノ二字︑一篇ノ植軸︒不下但如町︑ナラ山公遊二

習家一一︑徒ニ池上ニ酪町シテ而還よ︑要ニ復同テ到ニ鄭谷之亭一一︑縁遠海曹

之久キ︑入同夜ニ倫未一一百テ時一︑主人股勤之厚キ︑有レ加ルコト無同己コト

文化情報学部紀要,第13 2013

()也︒園町賂ニ干シ進ヲ︑亦矯一一資縁↓︒一一説ニ因テ謂此寓コ譜謹む貯↓︒空

鄭谷

寸矯

一一

難レ

到之

所↓

︒責

縁シ

テ方

ニ許

レ到

コト

ヲ耳

0

案ス

ルニ

孟海

側つ

詩ニ

()沙岸暁資縁スO皇甫再ヵ詩ニ責縁ンテ幽谷遠ンO

韓退

お初

)詩

ニ青

谷鉦

小川

一ァ

難斗

資縁

︑ヴ

︒是

皆馨

縁之

義︒

取‑

一諸

ヲ呉

都ノ

賦一

一︒

公詩

亦奥

一一

谷ノ

字一

通マ

脈ヲ

用レ

之ヲ

︒断

シテ

非一

一齢

相之

謂一

一︒

(注お)蔭益﹃分類﹄に次の(注

mU

)

に挙げた箇所に続けて﹁酪町は甚だ醇ふ

貌﹂

と︒

宇都

宮︑

遜庵

の増

広本

にも

挙げ

る︒

(注却)醇益﹃分類﹄に﹁習池は︑習家の池闘︒亜日の山筒裏陽に鎮せしとき︑

すなは多く其の池に遊び︑統ち酔うて帰る︒児童歌いて日く︑山翁出づること

何れの許ぞ︑往きて高陽池に至る︑日夕倒酔して帰る︑酪町して知る所

無し﹂と︒宇都宮遜庵の増広本にも挙げる︒﹃正日書﹄巻四十三一︑山筒伝

に﹁

永嘉

一一

一年

(三

O九)︑(中略)裏陽を鎮す︒時に四方冠乱︑天下分崩

し︑王威振るはず︑朝野危懐す︒筒︑優擬して歳を卒へ︑唯だ酒のみ是

れ耽る︒諸習氏は︑荊土の豪族にして︑佳圏池有り︒筒︑出でて嬉遊す

る毎に︑多く池の上に之き︑置酒して執ち酔ひ︑名づけて高陽池と日ふ︒

時に童児有り歌いて日く︑山公出づること何れの許ぞ︑往きて高陽池に

至る︒日夕倒載して帰る︑若す知る所無しL

云々

と︒

若苧

Jは︑酪町と音

義同

じ︒

畳韻

語︒

(注却)訳註稿

ω

︑問﹁鄭尉馬潜曜洞中に宴す﹂詩の第七句に﹁自ら是れ秦楼

鄭谷を圧す﹂とあり︑詳解に﹁漢の鄭子真︑名は朴︒谷口県の人︒身を

修め自保す︒王鳳之を轄す屈せず︒楊子法言に谷口の鄭子真︑其の志を

屈せずして巌石の下に耕す︒名︑京師を震はすと﹂︒

(注目品)﹃文選﹄巻五︑西晋・左思の﹁呉都の賦﹂に﹁山獄の邑に責縁し︑江

海の流れに纂歴す﹂と︒

(注

幻)

釈大

典﹃

杜律

発揮

﹄に

﹁韻

会ニ

責縁

ハ縁

遠也

︒世

説ニ

会縁

ンテ

須レ

入一

都公

厨一

一︒

此以

レ人

ヲ一

言︒

孟浩

然詩

乙沙

岸暁

資縁

ス︑

此以

レ地

二一

一口

︒君

看ョ

鄭谷

ニ去

資縁

スル

コト

ヲ︑

此属

ユ地

ト与

一一

一レ

Lと︒韻会は︑﹃古今韻会挙要﹄のこと︒そ

の上平芦真韻の食字の条に﹁資は縁連なり﹂と︒世説は︑﹃李卓吾批点

世説新語補﹄巻十九汰修︒ちなみに︑元禄七年(一六九四)刊の和刻本

は︑資字を誤って寅に作るが︑安永八年(一七七九)刊本はこれを正す︒

備公は︑唐の章惨のこと︒孟浩然の匂は︑後の(注お)参照︒ なお︑釈大典の指摘は︑清・陳廷敬﹃杜律詩話﹄(巻下)に﹁韻会に貨縁は連絡なり︒本と詩家常用の字︒孟浩然に沙岸暁食縁す︒公の詩に

薄泥んで貨縁を苦しむ﹂とあるのを補‑訂したものであろう︒社甫の例は

﹁秋日豪府詠懐︑鄭監・李賓客に寄せ奉る一百韻﹂(詳註巻十九)の第

三十

六匂

(注お)ちなみに︑﹃杜律詩話﹄に(注幻)に挙げた箇所に続けて﹁俗語に賄

をもって道地を為す︑亦た資縁と日ふLと︒道地は︑安全弁︒陳廷敬の

説は詳註にも引くが︑それには﹁俗語に潜かに賄賂を通ずるを以て資縁

と為す︑此れと同じからずL

と ︒

(注担)顧展﹁註解﹄に﹁末の二匂︑諾譲の意を寓す﹂と︒宇都宮遜庵の増広

本にも挙げる︒また﹃唐詩貫珠﹄には﹁資縁は︑是れ延縁鐙刺之を用ふ︒

乃ち一諮意を兼ぬ︒鄭谷を尊んで到り難きの所と為す︒資縁して方に到る

ことを許さる耳﹂というo

︿鐙

刺﹀

は︑

近世

語で

人に

取り

入る

意︒

例え

ば︑

宋・命文豹﹃吹剣四録﹄に﹁資縁鎗刺︑奔競して風を成す﹂と︒

( 注 目

ω)

盛唐

・孟

浩然

﹁腕

淳の

作﹂

(﹃

全唐

詩﹄

巻一

五九

)に

﹁石

浬隈

隈に

傍ひ

沙岸

暁に

食縁

す﹂

と︒

(注お)中唐・皇甫出汁﹁鄭少すの中岳寺を祭り北のかた粛居士越の上方を訪ぬ

るに和す﹂詩(﹃全唐詩﹄巻二四九)に﹁食縁して幽谷遠く︑策散たり

白雲

の徐

﹂と

(注幻)中唐・韓愈﹁古意﹂詩(﹃韓日田繁集﹄巻一二)に﹁我之を求めんと欲し

て遼きを僚らず︑青壁路無くして資縁し難し﹂と︒

(注お)前の(注担)に挙げた﹃唐詩貫珠﹄参照︒

︿習池﹀は︑︿前湖﹀に比す︒︿酪町﹀は︑はなはだしく酔うさま︒

︿帰って酪町﹀は倒語で︑︿酪町﹀して︿帰﹀ること︒晋の山簡は︑

刺史として嚢陽を治めた︒出でて遊ぶたびに︑習氏の園池にゆき︑

置 酒 し て そ の た び に 酔 っ ぱ ら っ た

︒ 子 供 た ち が 歌 っ て 日 く

﹁ 山 公 出 づ る こ と 何 れ の 許 ぞ

︑ 往 き て 高 陽 池 に 至 る

︒ 日 夕 倒 載 し 帰 る

︑ 酪 町して知る所無し﹂と︒︿君﹀は︑三公子を指す︒︿鄭谷﹀は︑前に 見 え る

︒ こ こ も 姓 に ち な ん で 用 い 亭 を 指 す

︒ け だ し 亭 は 山 に 傍 う て いるのであろう︒︿去﹀は︑往とほぼ同じで︑亭に赴くことである︒

︿貴﹀は︑進である︒﹁呉都の賦﹂に﹁山岳の巴山に貴縁す

L

﹃韻

会﹄

ドキュメント内 津坂東陽『社律詳解』訳注稿(十五) (ページ 34-38)

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