編
者
●
漫 録
速 記
本日は斯く天氣の悪しきにも掬は夕す今般僕の 無 慈 蹄 校
せるを祝せんピて諸君が此の盛なる會
を御開き下されたζ巴は誠に有難く存します僕
七 十 九
● 漫 鎌 が 燭乙國へ留學を命ぜられたは明治三十年の夏 て 時 恰も學校の夏期休業中でありましたなれぜ
吊諸君之盛なる⁝送別の會Y開かれたるのみなら
竜既に卒業せられカる人〃ピ共に紀念巴して金
牌 及 び白金ピ金芒の聴計の鎖を贈られました叉
僕の宵像を額に・して之を本稜ゐ寄贈ぜられまし
た 爾 來満二年以上を経過をる乙ピであうますか
ら當時の學生諸君n既ふ大宇學稜ゼ卒業せ︸れ
て今や砒會に有爲の人ピなつて居らる︑は僕の
最も喜ばしきとピであうます夫故今日此席にあ
集り諸君の大宇は初めてあ目にか︑る乙ピであ
うますが個人的に云へばそんな勢のなれピも學
校の學生巴しては同ヒこ巴で學生諸君が初あう
終ある厚意ゐ封しては實ふ戚謝の至ユ存じまそ
叉前ふ述べたる金牌な已之僕ゲ出聚の68日東京
入十
ゐて出來次第直に受領致した次第にて贈られさ
る御常人がまだ實物之御存eなゐことであうま
そから此席であ廻し申して取目にかけ僕亡叉得
難き品巴して生涯大切に致しますが僕ハ光榮至 極ピ存eますうら更めて諸君あ厚く御禮を申し
ます此光榮セ共に僕n我學校a封しても盆々勉
め渉けれは窃らぬこ巴︑存します籾濁逸國等に
於て二年聞に見聞したとピを話そうなタ随分澤
山あうますが諸君ピ之以後毎臼親しく接するζ
ピでありますから詳細の事亡折を得てΦるー
た話を致す乙巴︑して今目は演舌めきたる長談
議をせすに草稿も何もせす唯出鱈目に僕が掲逸
國等に於て満二年館の歳月を如何に利用し△か
ピ云ふヒピに付即ちぎつと経歴を述へて諸君の
好 意 ゐ 封 する禮あ代へよー巴思ひます
線で旅ををるには其出駿に先だつて全族中の方 針を細かよ定めなけれn族中の聴日を充分有蚕
に利用するζピこ出來ぬ・つダ自分も色〃ピ勘考
しました叉緻多の途別會に於てハ四方の諸君は
僕を大なる希望Y以て途られましたが僕は當塒
乙う考へましさ僅か二年蓬云ふ限ある歳月間ふ
於て之妄冠よ仕事な︒芭に手Y出して此貴重なる
目月を一事に消費するよウも學問上の仕事な.蓬
は 到 底受負仕事の檬に一定の時日よ成し途くる
こピ之出來市寧ろ一般の硯察をな壱が將來に利
蚕ピ老へました一体目醒しき大仕事な已は長き
れ土産で15あるが﹁がルタ!ヌス﹂が金圃の格子
に懸けさる蛙よりして一種此電氣を曇明し﹁ワ
ツr﹂が沸湯を見て蒸漁機械Y案出するか如き
偶一然の現↑果が其曇明の且基εらる13多ゐこεであ
●漫 録 言即ち天蓮もゐるζ巴であ冠ますが叉當人自己
が 卒素注意深く且つ學識も志ければ大事績を塞
る事n出牽ませぬ卒素控意周到ε云ふごピハ何
事に込必用なごξであウますが不肯にn目醒t
き旋土産な已の能く爲し得るピ否ハ自ら疑ふ所
であうますから仕事を爲す畜已n出登の當時自
●の目的ではなかつた︑のらU進聲學の源△る濁
逸に着したらば彼地の人は如何なる工合ゐ研究
をするや今日の有檬はピふであるかを實際に硯
察L一般に見聞を援め傍ら人情風俗等を探究し
ようピ思ふ位であうました
さて微洲に着し伯林に入り百般の事物見るもの
聞くもの悉く新にして大ユ域心し安した夫よう
直ちに伯林の大學み入學し二三の講義なピを購
魯叉僕は外科専門の乙巴であるから特に外科の
入十一
●漫 録
泰 斗たる﹁ベルグマシ﹂の教授の講莚に出ました 一週二週ピ其臨床講義を聴ゐて居つ72が自分も 十数年來燭逸の讐學難誌を自讃し居る乙竃であ
るから他事は兎も角外科の事に付ては左程驚く
程のとピはない唯防腐法の如き悉く實施し居う
て手術の成蹟の佳真なる事等は流石の乙と︑思
ひ 戚 心したが講鐸ぶ0はぜーだ巴云ふに随分粗
漏にして我がなし來ウしものよう或は不親切で
ひゐかピ思ふた兎に角極めて大休を講凄る事で
あるあら自分に之新らしきこピもなく一時亡つ
まらぬ巴云ふ念慮Y起しだζ巴も砺る然し其後
に外科外ゐ他の講義な音を聴⁝くに其敷授法は何
れも實地的即ち實物欠13標本の説明的の教授で
あつて甚だ軍簡で之あるゲ甚だ明瞭である故ユ
後に善く考へて見ると先生達の⁝教授は不親切吻仏
入十二
〇巴思ひしこ巴は宇ば我誤であるピ云ふ乙εに
氣が付ゐた即ち先生は學生よ向ひ最も要瓢Y摘
みて散授するので我々の如き多少外科を實駿せ
るものを鍛もるのではなゐ學生ゐ大体の道案内
をするので散授法が生きて居つて學生汀生きヵ
學問をする習ふた學問ゲ生きて居るから卒業の 後も活動そる叉卒業後何か仕事をして何某先生
の 指 導よよりな.世︑仕事の末尾に先生に禮の辞 が出てあるが仕事の最中に先生自ら毎日仕事に
助力をして呉れる様なζピはなゐ叉出來もせぬ
先 生
n
唯 志わらば何々を研究して見ろピ意に任せて問題Yさづけ之に要する材料を呉れる位の 事である仕事の研究は何人句自分がする分ら玖
庭があれは書籍で取調べて見る街了解を得ざれ
ば自分が説明を下す蓬云ふ檬な課で分らなけれ
ば直ゐ先生芭か叉ハ外の人ユ質開するε云ふ様
な委頼心は起さロ自分の仕事13自分がする濁立
濁歩人の助を仰がずして仕遽る定云ふ精祠憾自
然ユ學生の時より養成せらる︑標よ見ゆるので
あδまを我學校に於てを敷授法は右の様に悉く
實物の説明的で渉けれ之秀らぬピ思ひますが残
念渉がら未だ其實物即ち標本な︒芭が備はらない から眞似之出來ぬが然し敷授上ユ付て自分は大
ユ利盆を穫たこピ︑思ひます︑
前にも述たる通う僕n蹄朝の後自ら何事◇研究
するに當り彼地の人之如何檬に研究する乎巴云
ふこピを幌て來て参考にする積であう叉將來外
科を研究するには病理は基礎の學巴して最も必
要Y戚eて居りましたから伯林に於て彼有名渉
る﹁ウイルビコウ﹂氏の教室ゐ入り惑理Y阜びま
●
漫 録 した氏の標本説明の如きZ氏が五十年の實験を
以…
ア︑するこ巴な琶ば氏の一見は他人の顯微鏡Y
用ふるよりも深く透見するなるべく僕も病理の
事
は 耳新らしき乙ピ多くて面白かうしが之も矢 張圭ピして要鮎Y摘みて示すなう︑
右の如く﹁ウイルヨゥ﹂氏や﹁ベルグマン﹂氏の激
室ユ毎日通ひて研究し自ら利する庭も多かりし
され主ピて前の通ウ先生の講義之軍簡なれげ手
術の聴な.巴時ピして流石は先生なり巴思ふ乙ピ
もあれぜも貴重の時日Y費す丈の償も嵌しと思
ひました大家の説Y直接に聴くなざSハ牛素は
六ケ敷とピで殴盟學會では登明老自身が講演・をる
こ巴故之Y聞くは最も面白ゐ乙電あれ.巴も之は
毎日あるこピでもなく叉大なる曾にn講演の時
間に定限渉ざあ¢て十分精密あ演舌が出.來ぬ乙
入 十 三
●漫 録
εが多ゐ故に會場の演舌亡何々自説を世に公に
する爲の儀式εでも見て可なウε思はる︑場合
名あウて此の如き説も新誌や書籍で見れば多く
ハ 充
分であ0まを︑
ヒんな有様であるから此二年間ユ於て如何Lた
タぱ最も有益ならんピ更に考へて見だグ僕も授
業・巴實地よ之多少経験もあるとピであるから臨
床講義な︒芭暫らく聴講すれば其先生の長所ハ大
体 硯ると巴が出來る様であウ叉其人の磯明せる
乙定な於は後に書籍等ゐ就て見るを得可ければ
自分之此二年間み可成澤山の先生の臨床講義Y
難冨乙宅︾.の利盆ピ考へたから文部省へ願つて
「.
3
ライブルグ﹂や瑞西﹁ペルシヤ﹂填國﹁ウイー
ピ﹂の大學よ韓學の許可を得ました其外ゐ自費
で 諸方Y巡歴して猫逸國の大學の多数ハ見弊し
八 十 四
て來ました之も大に利蚕を得た様ゐ考へます最
も雑用が澤山ゐるからそi放斗りして居る課に
も行かすずるピ其他の賠日に於て何をするあピ
云 ヘ バ 外 科以外の一學科の講義ハ耳新らしき故之
を聴きまLたが街最一初n少しも目的ピせざうL
仕事岱時日の聞隙Y埋むる爲に13最も便利渉り
巴考へ出して﹁ベルグマソし氏の敷室よて一寸や
つて見安したが之は仕事ピ名つくる程のもので
多いから公に之せざウしが伯林に都合一年居り
て後﹁フライブルグ﹂ユ行き此慮ふては外科教授
「クラスグ﹂氏等の講義等を時〃ハ聴きましが
主ピして彼有名なる病理家﹁チーグレル﹂氏の数
室に入う仕事の﹁プーマ﹂を與へられん事を希望
しましたするε流石ハ先生だけに螢學の聴事問
題あ注目し居・りて即時に撒多の問題を出し之子