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於 ける同教授の口話

ドキュメント内 録 ●襲火財源二就テ (ページ 44-56)

                    編

 者

漫  録

 記

本日は斯く天氣の悪しきにも掬は夕す今般僕の

るを祝せんピて諸君が此の盛なる會

を御開き下されたζ巴は誠に有難く存します僕

七 十 九

   

  鎌 が 乙國へ留學を命ぜられたは明治三十年の夏 て 時 恰も學校の夏期休業中でありましたなれぜ

吊諸君之盛なる⁝送別の會Y開かれたるのみなら

竜既に卒業せられカる人〃ピ共に紀念巴して金

牌 及 白金ピ金芒の聴計の鎖を贈られました叉

僕の宵像を額に・して之を本稜ゐ寄贈ぜられまし

爾 來満二年以上を経過をる乙ピであうますか

ら當時の學生諸君n既ふ大宇學稜ゼ卒業せ︸れ

て今や砒會に有爲の人ピなつて居らる︑は僕の

最も喜ばしきとピであうます夫故今日此席にあ

集り諸君の大宇は初めてあ目にか︑る乙ピであ

うますが個人的に云へばそんな勢のなれピも學

校の學生巴しては同ヒこ巴で學生諸君が初あう

ある厚意ゐ封しては實ふ戚謝の至ユ存じまそ

前ふ述べたる金牌な已之僕ゲ出聚の68日東京

                       

て出來次第直に受領致した次第にて贈られさ

る御常人がまだ實物之御存eなゐことであうま

そから此席であ廻し申して取目にかけ僕亡叉得

難き品巴して生涯大切に致しますが僕ハ光榮至 極ピ存eますうら更めて諸君あ厚く御禮を申し

ます此光榮セ共に僕n我學校a封しても盆々勉

め渉けれは窃らぬこ巴︑存します籾濁逸國等に

於て二年聞に見聞したとピを話そうなタ随分澤

山あうますが諸君ピ之以後毎臼親しく接するζ

ピでありますから詳細の事亡折を得てΦるー

た話を致す乙巴︑して今目は演舌めきたる長談

議をせすに草稿も何もせす唯出鱈目に僕が掲逸

國等に於て満二年館の歳月を如何に利用し△か

ピ云ふヒピに付即ちぎつと経歴を述へて諸君の

好 意 る禮あ代へよー巴思ひます

線で旅ををるには其出駿に先だつて全族中の方 針を細かよ定めなけれn族中の聴日を充分有蚕

に利用するζピこ出來ぬ・つダ自分も色〃ピ勘考

しました叉緻多の途別會に於てハ四方の諸君は

僕を大なる希望Y以て途られましたが僕は當塒

乙う考へましさ僅か二年蓬云ふ限ある歳月間ふ

於て之妄冠よ仕事な︒芭に手Y出して此貴重なる

目月を一事に消費するよウも學問上の仕事な.蓬

受負仕事の檬に一定の時日よ成し途くる

こピ之出來市寧ろ一般の硯察をな壱が將來に利

ピ老へました一体目醒しき大仕事な已は長き

れ土産で15あるが﹁がルタ!ヌス﹂が金圃の格子

に懸けさる蛙よりして一種此電氣を曇明し﹁ワ

r﹂が沸湯を見て蒸漁機械Y案出するか如き

偶一然の現↑果が其曇明の且基εらる13多ゐこεであ

 ●漫  録 言即ち天蓮もゐるζ巴であ冠ますが叉當人自己

素注意深く且つ學識も志ければ大事績を塞

る事n出牽ませぬ卒素控意周到ε云ふごピハ何

に込必用なごξであウますが不肯にn目醒t

き旋土産な已の能く爲し得るピ否ハ自ら疑ふ所

であうますから仕事を爲す畜已n出登の當時自

●の目的ではなかつた︑のらU進聲學の源△る濁

逸に着したらば彼地の人は如何なる工合ゐ研究

をするや今日の有檬はピふであるかを實際に硯

察L一般に見聞を援め傍ら人情風俗等を探究し

ようピ思ふ位であうました

さて微洲に着し伯林に入り百般の事物見るもの

聞くもの悉く新にして大ユ域心し安した夫よう

直ちに伯林の大學み入學し二三の講義なピを購

魯叉僕は外科専門の乙巴であるから特に外科の

                        入十一

 ●漫  録

泰 斗る﹁ベルグマシ﹂の教授の講莚に出ました 一週二週ピ其臨床講義を聴ゐて居つ72が自分も 十数年來燭逸の讐學難誌を自讃し居る乙竃であ

るから他事は兎も角外科の事に付ては左程驚く

程のとピはない唯防腐法の如き悉く實施し居う

て手術の成蹟の佳真なる事等は流石の乙と︑思

心したが講鐸ぶ0はぜーだ巴云ふに随分粗

漏にして我がなし來ウしものよう或は不親切で

ひゐかピ思ふた兎に角極めて大休を講凄る事で

あるあら自分に之新らしきこピもなく一時亡つ

まらぬ巴云ふ念慮Y起しだζ巴も砺る然し其後

に外科外ゐ他の講義な音を聴⁝くに其敷授法は何

れも實地的即ち實物欠13標本の説明的の教授で

あつて甚だ軍簡で之あるゲ甚だ明瞭である故ユ

後に善く考へて見ると先生達の⁝教授は不親切吻仏

                       

入十二

〇巴思ひしこ巴は宇ば我誤であるピ云ふ乙εに

氣が付ゐた即ち先生は學生よ向ひ最も要瓢Y摘

みて散授するので我々の如き多少外科を實駿せ

るものを鍛もるのではなゐ學生ゐ大体の道案内

をするので散授法が生きて居つて學生汀生きヵ

學問をする習ふた學問ゲ生きて居るから卒業の 後も活動そる叉卒業後何か仕事をして何某先生

導よよりな.世︑仕事の末尾に先生に禮の辞 が出てあるが仕事の最中に先生自ら毎日仕事に

助力をして呉れる様なζピはなゐ叉出來もせぬ

n

志わらば何々を研究して見ろピ意に任

て問題Yさづけ之に要する材料を呉れる位の 事である仕事の研究は何人句自分がする分ら玖

庭があれは書籍で取調べて見る街了解を得ざれ

ば自分が説明を下す蓬云ふ檬な課で分らなけれ

直ゐ先生芭か叉ハ外の人ユ質開するε云ふ様

な委頼心は起さロ自分の仕事13自分がする濁立

濁歩人の助を仰がずして仕遽る定云ふ精祠憾自

然ユ學生の時より養成せらる︑標よ見ゆるので

あδまを我學校に於てを敷授法は右の様に悉く

實物の説明的で渉けれ之秀らぬピ思ひますが残

念渉がら未だ其實物即ち標本な︒芭が備はらない から眞似之出來ぬが然し敷授上ユ付て自分は大

ユ利盆を穫たこピ︑思ひます︑

前にも述たる通う僕n蹄朝の後自ら何事◇研究

するに當り彼地の人之如何檬に研究する乎巴云

こピを幌て來て参考にする積であう叉將來外

科を研究するには病理は基礎の學巴して最も必

要Y戚eて居りましたから伯林に於て彼有名渉

る﹁ウイルビコウ﹂氏の教室ゐ入り惑理Y阜びま

   

漫  録 した氏の標本説明の如きZ氏が五十年の實験を

ア︑するこ巴な琶ば氏の一見は他人の顯微鏡Y

用ふるよりも深く透見するなるべく僕も病理の

新らしき乙ピ多くて面白かうしが之も矢 圭ピして要鮎Y摘みて示すなう︑

右の如く﹁ウイルヨゥ﹂氏や﹁ベルグマン﹂氏の激

ユ毎日通ひて研究し自ら利する庭も多かりし

され主ピて前の通ウ先生の講義之軍簡なれげ手

術の聴な.巴時ピして流石は先生なり巴思ふ乙ピ

もあれぜも貴重の時日Y費す丈の償も嵌しと思

ました大家の説Y直接に聴くなざSハ牛素は

六ケ敷とピで殴盟學會では登明老自身が講演・をる

こ巴故之Y聞くは最も面白ゐ乙電あれ.巴も之は

毎日あるこピでもなく叉大なる曾にn講演の時

間に定限渉ざあ¢て十分精密あ演舌が出.來ぬ乙

                      入 十 三

   ●漫  録

εが多ゐ故に會場の演舌亡何々自説を世に公に

する爲の儀式εでも見て可なウε思はる︑場合

名あウて此の如き説も新誌や書籍で見れば多く

分であ0まを︑

ヒんな有様であるから此二年間ユ於て如何Lた

タぱ最も有益ならんピ更に考へて見だグ僕も授

業・巴實地よ之多少経験もあるとピであるから臨

床講義な︒芭暫らく聴講すれば其先生の長所ハ大

体 硯ると巴が出來る様であウ叉其人の磯明せる

乙定な於は後に書籍等ゐ就て見るを得可ければ

自分之此二年間み可成澤山の先生の臨床講義Y

難冨乙宅︾.の利盆ピ考へたから文部省へ願つて

「.

3

イブルグ﹂や瑞西﹁ペルシヤ﹂填國﹁ウイー

ピ﹂の大學よ韓學の許可を得ました其外ゐ自費

方Y巡歴して猫逸國の大學の多数ハ見弊し

                        八 十

て來ました之も大に利蚕を得た様ゐ考へます最

も雑用が澤山ゐるからそi放斗りして居る課に

も行かすずるピ其他の賠日に於て何をするあピ

科以外の一學科の講義ハ耳新らしき故之

を聴きまLたが街最一初n少しも目的ピせざうL

事岱時日の聞隙Y埋むる爲に13最も便利渉り

巴考へ出して﹁ベルグマソし氏の敷室よて一寸や

て見安したが之は仕事ピ名つくる程のもので

多いから公に之せざウしが伯林に都合一年居り

て後﹁フライブルグ﹂ユ行き此慮ふては外科教授

クラスグ﹂氏等の講義等を時〃ハ聴きましが

主ピして彼有名なる病理家﹁チーグレル﹂氏の数

室に入う仕事の﹁プーマ﹂を與へられん事を希望

しましたするε流石ハ先生だけに螢學の聴事問

題あ注目し居・りて即時に撒多の問題を出し之子

ドキュメント内 録 ●襲火財源二就テ (ページ 44-56)

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