4-1. 福島第一原子力発電所事故後での福島県産農産物における風評被害の問題
本節においては、3-1で説明した処置による二次的影響の不存在性(SUTVA-NI)が成立 たない場合の具体的事例として、福島第一原子力発電所事故後の福島県産農産物の卸取引 における風評被害の問題について説明し、3-3で新たに開発した処置による二次的影響を 識別・特定し補正する事後対策手法の適用とその有効性について検討する。
4-1-1. 風評被害問題の発生と福島県産農産物の卸取引における問題 (表4-1-1-1,-2参照)
2011年3月に発生した東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故により東北地方太 平洋側の各県においては大きな人的・経済的損害を受けたところである。
特に福島第一原子力発電所事故により放出された放射性物質による汚染の懸念から、表 4-1-1-1及び表4-1-1-2に示すとおり事故直後に福島県産農産物など多くの品目で国によ る出荷制限・摂取制限などが行われた*226結果、実際には検査により汚染していないことが 確認されて出荷された農産物についても消費地側の卸売市場などにおいて取引拒絶や買控 えなどの風評被害による需要減少や価格下落が生じたことが知られている。当該風評被害 の問題については、古屋他(2011)、阿部(2013)、吉野(2013)*227などによりその発生が 報告されているところである。
具体的には、東京都中央卸売市場など消費地側の卸売市場においては、事故後において 福島県産農産物に対する流通関係者の取引拒絶や消費者による買控えなどにより需要が大 幅に減退して価格が下落した一方で、同種の他都道府県産の産品の需要が相対的に増加し 価格が上昇する状況が生じていたところである。更に当該問題に起因して、被害が深刻な 福島県漁業協同組合や浜通*228地域の米作農家においては海面漁業の操業自粛や米の作付 自粛などの自主的生産・出荷制限なども実施されているところである。
当該問題については、福島第一原子力発電所事故の影響を「処置」と見なせば福島県産農 産物がただ一つの処置群であると見なすことができ、福島県産農産物の価格・数量などの 観察指標における事故前と比較した減少の程度など福島第一原子力発電所事故の影響を
「処置の効果」として推計することが評価の目的であると見なすことができる。
他方で、一般に農産品の価格・数量は産品別に毎年の気象条件や消費者嗜好の変化など の外的要因に大きく影響されるため、処置群である福島県産農産物のみでの単純な時系列 比較には問題が多い点が指摘できる。更に対照群となるべき他都道府県産の同種の農産物 については当該事故の二次的影響を受けて価格・数量が変化している可能性があるため、
単純な産地別比較による横断面分析や当該問題を考慮していない従来の横断面前後差分析 (DID)による推計では結果に偏差が残留してしまう懸念が指摘できる。
従って、福島第一原子力発電所事故による福島県産農産物の価格・数量などへの影響を 横断面前後差分析(DID)などにより偏差なく推計するためには、当該事故による他都道府 県産農産物への二次的影響を識別・特定しこれを補正した推計を行うことが必要であるこ とが理解される。
[表4-1-1-1. 福島県における福島第一原子力発電所事故に関する出荷制限品目の 指定経過(解除済品目含む)]
対象品目 指定時期 (備 考)
乳肉類食肉 イノシシ・クマ・ノウサギ肉等 2011年11月 9日~
カルガモ・キジ・ヤマドリ肉等 2013年 1月30日~
牛肉(県の出荷検査外のもの) 2011年 7月19日~ (※ 2011年8月から全量検査開始済)
原乳 原乳 2011年 3月21日~ 会津・中通地域は2011年 4月に解除
野菜類茸山菜 野生キノコ・コシアブラ等 2011年 9月 6日~
タケノコ 2011年 5月 9日~
ゼンマイ・タラノメ・ワラビ等 2012年 5月 2日~
露地栽培シイタケ 2011年 4月13日~
施設栽培シイタケ・畑作ワサビ 2011年 7月19日~
果物 クリ・ウメ・ユズ・キウィ 2011年 6月 2日~
葉茎菜 ホウレンソウ・カキナ 2011年 3月21日~ 会津・中通地域は2011年5,6月に解除 コマツナ他非結球性葉茎菜 2011年 3月23日~ (同上)
キャベツ他結球性葉茎菜 2011年 3月23日~ (同上) アブラナ科花蕾類(ブロッコリ等) 2011年 3月23日~ (同上)
根菜類 カブ 2011年 3月23日~ (同上)
穀類・雑穀類*
米 米(県の出荷検査外のもの) 2011年11月17日~ 会津・中通地域は2014年産から解除
豆類 大豆・小豆 2012年11月15日~ (※ 2016年11月に全面解除)
水産物*淡水魚 ヤマメ・ウグイ・コイ・フナ等 2012年 3月29日~ 会津地域は2012~14年度で解除 海産魚 クロダイ他貝類含む16種 2012年 6月22日~ (当初48,うち32種は2016年に段階
解除)
表注: 厚生労働省「食品の摂取制限及び出荷制限(福島原子力発電所事故関係)」を集約して作成。
各時点での正確な制限品目・制限地域については当該原出典資料を参照ありたい。
下線は2017年迄に全面解除された品目を示す。
[表4-1-1-2. 2017年4月時点における福島第一原子力発電所事故に関する出荷制限 品目の指定状況概要]
対象品目 対象区域 (備 考)
乳肉類食肉 イノシシ・クマ・ノウサギ肉等 福島・岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・千葉県内全域 (品目差あり) カルガモ・キジ・ヤマドリ肉等 福島県内全域
牛肉(県の出荷検査外のもの) 福島・岩手・宮城県内全域
原乳 原乳 南相馬市他福島県東部2市6町3村
野菜類茸山菜 野生キノコ・コシアブラ等 福島・岩手・宮城・茨城・栃木県内全域、青森・群馬県他の一部
タケノコ 福島市他県中東部11市6町5村、岩手・宮城・栃木県他の一部
ゼンマイ・タラノメ・ワラビ等 福島県中東部、岩手・宮城・茨城・栃木県の一部 (品目差あり)
露地栽培シイタケ 福島第一原子力発電所から20kmの区域内
施設栽培シイタケ・畑作ワサビ 福島県川俣町、伊達市(県の出荷検査外のもの)
果物 クリ・ウメ・ユズ・キウィ 福島第一原子力発電所から20kmの区域内 (品目差あり)
*229 統計等資料2.東京都中央卸売市場「市場統計情報」を参照。
*230 統計等資料3.農林水産省政策統括官室「米の相対取引価格」を参照。
*231 統計等資料4.農林水産省「作物統計調査/作況調査/水陸稲」を参照。上記「※の相対取引価格」と異なり、
作物統計調査では銘柄別の統計値は得られず都道府県別の総収穫量の統計値のみが得られることに注意。
*232 当該福島県産を除く相対取引価格推移においては、他産地に及んだ本件事故の二次的影響部分が含ま れており、そのままでは正確な比較とは言えないことに注意ありたい。
葉茎菜 ホウレンソウ・コマツナ等 (同上)
キャベツ・ブロッコリー等 (同上)
根菜類 カブ (同上)
穀類*米 米(県の出荷検査外のもの) 南相馬市他県東部1市6町3村 (収穫年度により地域差あり) 水産物*
淡水魚 ヤマメ・ウグイ・コイ・フナ等 福島県内の湖沼・河川ほぼ全域、岩手・宮城・茨城県他の一部
海産魚貝クロダイ他16種 福島県沿岸部全域
クロダイ 岩手県・宮城県沿岸部全域
表注: 厚生労働省「食品の摂取制限及び出荷制限(福島原子力発電所事故関係)」を集約して作成。
各時点での正確な制限品目・制限地域については当該原出典資料を参照ありたい。
穀類のうち米(水稲)については福島県において出荷制限の対象外の地域においても作付自粛などが 行われており水産物については福島県・茨城県北部などにおいて出荷制限の対象外の産地・品目につい ても出漁自粛などが行われていることに注意ありたい。
4-1-2. 風評被害問題による農産物卸取引における二次的影響の概況 (図4-1-2-1~-14参照)
実際に定量的な分析を開始する前に、福島県の代表的な農産物である牛肉及び米の事例 について、当該事故が福島県産品や周辺都道府県産品などにどのような直接的効果及び二 次的影響を介した間接的効果を及ぼしたのかを時系列での公的統計値を用いて観察する。
1) 統計出典
牛肉(和牛めす・生体枝肉・A4等級)については2002年4月からの東京都中央卸売市場「市 場統計情報」各月報*229における産地別卸取引価格及び数量の統計値を用いて分析を行う。
米(コシヒカリ)については2003年9月からの農林水産省政策統括官室「米の相対取引価 格」各月報*230などにおける産地・銘柄別の卸取引価格及び「作物統計年報」各年度報による 都道府県別の水陸稲収穫量の統計値*231を用いて分析を行う。
2) 牛肉(和牛めす・生体枝肉・A4等級)の状況
福島県産牛肉であって東京都中央卸売市場で最も多く取引されている品目は和牛めす・
生体枝肉・A4等級であり、当該品目の東京都中央卸売市場における取扱量構成比が事故前 の2002~2010年度において概ね1%以上である主要13道県について概況を観察する。
a. 取引価格
図4-1-2-1に和牛めす・生体枝肉・A4等級の月次時系列・名目での取引価格推移を、図 4-1-2-2~-4に福島県産を除く平均取引価格を1とする主要な産地の相対取引価格推移
*232(全体・主要価格下落産地・上昇産地別)を示す。
事故前の時点において取引価格は需給の影響を受けて変動して推移しているが、特に 三重県産牛肉(いわゆる「松阪牛」)がkg当500円程度相対的に高値で取引されている他 は、いずれの産地ともほぼ同様の価格で取引されていたことが観察される。
*233 当該取引数量構成比においては、前述の相対価格同様に各産地に及んだ本件事故の二次的影響部分が 含まれており、そのままでは正確な比較とは言えないことに注意ありたい。米についても同様である。
*234 当該福島県産を除く相対取引価格推移においては、他産地に及んだ本件事故の二次的影響部分が含ま れており、そのままでは正確な比較とは言えないことに注意ありたい。米についても同様である。
*235 米の作付(田植)は4月~5月、収穫は9月又は10月であることに注意。
事故後の時点においても価格は大きく変動して推移しているが、2011年度に福島県 産を始め栃木・茨城県産など福島県に近隣する産地の取引価格が相対的に下落したが、
2012年度以降は主に福島県産の取引価格が相対的に下落して推移していることが観察 される。他方で2011年度においては鳥取県産・佐賀県産など福島県から遠隔した産地の 取引価格が相対的に上昇しており、二次的影響が存在していたことが観察される。
b. 取引数量
図4-1-2-5に和牛めす・生体枝肉・A4等級の月次時系列での取引数量推移を、図4-1-2 -6に当該取引数量の構成比推移を示す。更に図4-1-2-7及び-8に主要な産地の取引数 量の構成比推移*233(主要構成比下落産地・上昇産地別)を示す。
事故前の時点において取引数量は緩やかに増加する傾向にあり、東日本各産地の構成 比が緩やかに減少し西日本各産地が増加して推移していたことが観察される。
事故後においては、2011年度に福島県産の構成比が著しく減少した反面、北海道産・
佐賀県産などの構成比が顕著に増加し二次的影響が存在していたこと、2014年度から 福島県産の構成比が回復し風評被害の問題が改善に向かっていたことが観察される。
3) 米(コシヒカリ)の状況
福島県産の米であって最も多く栽培・取引されている品目はコシヒカリであり、当該品 目を含む米の収穫量の全国構成比が事故前の2003~2010年度において概ね1%以上であ る主要12道県(福島県・新潟県は県内産地別)について概況を観察する。
a. 取引価格
図4-1-2-9にコシヒカリの月次時系列・名目での取引価格推移を、図4-1-2-10~-12 に福島県産を除く平均取引価格を1とする主要な産地の相対取引価格推移*234(全体・主要 価格下落産地・上昇産地別)を示す。
事故前の時点において取引価格は需給の影響を受けて変動して推移しているが、特に 新潟県魚沼産コシヒカリが60kg当10,000円程度、新潟県一般産コシヒカリが60kg当2, 000~3,000円程度相対的に高値で取引されている他は、いずれの産地ともほぼ同じ価 格で取引されていたことが観察される。
事故後の時点においても価格は大きく変動して推移しているが、事故直後の2011年 度*235及び過剰豊作であった2013・14年度に福島県中通産・浜通産の取引価格が相対的に 下落したが、2015年度以降は回復していることが観察される。他方、新潟県一般産や 熊本県産などの産地では2011年度以降において取引価格が相対的に上昇しており、二 次的影響が存在していたことが観察される。
b. 収穫量(参考)
米については銘柄別の収穫量や卸取引数量の数値が時系列で得られないため、参考迄 に各年度の主要コシヒカリ産地県別の米の収穫量推移を図4-1-2-13及び-14に示す。
本件事故による作付自粛の影響により2011年度に福島県産米の収穫量が大きく減少 しているが、米全体の需要が緩慢に減退傾向にあるため他に大きな変化は見られない。