二
宗教の形而上学と科学
工学的︑哲学的︑科学的
で︑本論では 暫 らくそれらの定義のどれかを︑ もしくほ全部を借用するに
念 との関係について説かれ
言 しようと思う︒
の間に説かれている ょ 一一一一一
とされてしまうのである︒
れに転じたことに大きい 責
任 がある︒
的形態であるというのが
のでほないように︑有形無
﹁存在理由﹂とを見出し得
ぇば ︑日本の天照大神の神
oHo で圧の ヨ︐ にまで遡る 何
ならない︒少くともそのよ
称する﹁論理﹂の 御 遍路の
れば ならない︒
拠 にあると説かれた︒
験 的に局限をもつことの
るというように解されたの
宗教が存在するとほ一般に
︑またあらゆる発達した 宗
つ たのは︑文明の相当に発達した後のことで︑ そのような高度の観念を
なる︒歴史的に存在した 原
ために宗教を最も単純の形
︑宗教の根本の性度を知る
不可快の条件でほないとさ
一一一一一一
宗教的行動及
び 心志㏄ 7
﹁無限﹂の観念が 士 示教の根
の 観念哲学のいわゆる
在 ﹂である︒
科学的心理学11 0 ﹁ 実 ﹁ 無 ﹁有る﹂である 0 これほ ギ を ﹁ 有 ﹂の っ ≦ちに︑ 一 ・ 有 ﹂
く ︑局限の有無を超絶した
押麦はまが
、わは必
、 一念 は自を 用 究め
あ たす 度 力に 珪 ・ ら を
被
、 のとあ
か " るだダこ播的
るめれがを対性
、 以の 仏が ︑ 彼らの祀のような
無紳教 というのに 肖 るもの
もある︒ 三四 お 8
の 主体としての﹁全能者﹂とか﹁具足円満者﹂ とかい う のも︑それを持つ
三五 ㏄ 9
宗教的行動及
び 心意しかし︑それが宗教の心
は上 ﹂の﹁実在﹂の観念に
を 逆に﹁実在︐ 一 かも派生し
の 観念 は ︑知覚的表象に
︑科学的宗教学の説明とし
人間心理に於て思考される
い う 心理の成立過程を科学
ければならない︒
やもすれば︑当初から﹁経験以上しの﹁実在﹂ を 想定して︑それた研究
科学者その人でさえ︑その
者のそれを説明し得ない
科学的立証をサボ っ ているのである︒とに目をつけたからで︑
︑﹁ 範礒 ﹂とか﹁理性Ⅰ と
たつもりでいるの ほ︑彼
は ﹁ 綺祀 しでつくられた
社会学の形而上学的哲学的
義 ほど う あろうとも︑ 宗
の文化的に発達した形式で
他ならない︒
構の動きに 伴 う︑行動の
から怒る﹂のであるが︑ 言
三宗教的行動と心意の機能
前 あ れ 泣 こ
存在だという方が 造 かに
解 ﹂・である自然科学 はそ
く ﹁経験以上﹂の﹁眞に
人文現象の﹁科学﹂には
ればならない︒
的に認めているところ
統 をついでいる 0 ドイツ
点で︑やほ り一 ドイツ 哲
学 ﹂である︒
378
意味しを与える︑ 心 以前の
る ︒
いう意味の儀式や行事を
象 としての行動である 0 始
式 が発達したのである︒
教 的意識の発生について
くの動機に
よ る人間的行家 が原始人に与える刺戟に
よる反応と興らない性 廣の
が 社会的に成立したのほ ︑
ける個人々々の行動傾向の
応の形が模倣によって伝播
且 1%九八の ︐目ヰ ︒Ⅰ B, 0
が ︑意識的もしくほ 潜意
の 原始人の宗教的行動がそ
動 ﹂が起つたのでほなく︑
事実ぼその逆である︒
理も心理もさま
ム
Ⅱの形三七
宗教的行動及
び 心意371
る ﹁意味﹂をもつに至った
に 過ぎない︒
﹁意味﹂をもつ1行動
が ﹁機能的﹂の行動であるに対して︑後者 は︑ たビ その﹁反対﹂を表わす
といつたか︑し目 毛 ぎの 術
もっ1行動だが︑犬が主 三八
ところ ほ無 かつたに相違な
居しなかっただけだが l
敬して遠ざける﹂一定の行
るに至ったのである︒
魂 ﹂の観念が生じる 理
成せしめられる関係にある
行動に止まることなく︑ そ
﹂﹁ 願かぅ ﹂﹁命じる﹂﹁ 抑
稚は ︑必然に内省的心理を
感情 は ︑いわゆる﹁おのれ
︑内省的に意識に上るか︑
間 現象﹂に対する﹁人間的
372
ような 防 徳行動の﹁ 逆 ﹂ の
いてほ﹁接触﹂が目的で︑
ある︒しかし︑吠えるの ほ
ないというのであるりそこ
だわけである︒
能 をもつ行動なので︑ 強
習俗的の
|
としても︑ほ ならない︒日本人の﹁お
ガ︐ 0 行動である︒︵ある
そのようなものである︒
Ⅰ甘の四の ︐の 行動だといつ
ものである︒
一般に︑宗教意識の成立
ほ ︑ 覗覚が ﹁象徴﹂的形相
であって︑宗教意識のすべ
行事としての﹁ 行 ﹂ ぼ 宗教
にしても︑結局 は ︑生活の
の 合一が完全に達成される
宗教的行動及び心意
三九373
ドキュメント内
『宗教研究』128号
(ページ 33-41)