1節 合衆国における文化的価値学習の概要
本章では,合衆国社会科における諸々の文化的価値学習論に基づいた教材やプ ジェクトの分析を通して,文化的価値学習の価値学習としての固有の特質を解 する。ここで言う「文化的価値」とは,第2章で述べた通り,各地域における 間の生活や社会に関する伝統的慣習などを指す。また「文化的価値学習」とは, うした文化的価値を取り扱った学習一般を指す。
第2章で見てきたように,見田によると文化的価値は,社会本位的で伝統性・
続性重視という固有の性質を持つとされていた。つまり,ある社会的価値が文 ヒ的価値として人々に認識され存在するための条件として,その社会的価値の内 が,ある一定の範囲の社会の構成員の多くが,日常で生活するために有効と思 れるような何らかの指針(基準)を提示できること,そしてその内容は長い歴
の中で大きく変化せず守られ続けていることの2つがあるとされる。
アメリカ合衆国では,価値を社会科から排除しようとする流れの中で,こうし 文化的価値は例外的に「文化人類学」の枠組みの中で,ある程度の範囲で取り われてきた。しかしそれは,世界各地域の文化的価値間に共通してみられる文
ヒ的価値に関する一般原理(一般的知識)を見出そうとするものであり,言うな ば,文化的価値の普遍性を解明しようとするものであった。これは,伝統的慣 というものは,人間の価値観や意図とは無関係に,客観的かつ普遍的な「枠組
」 (これを文化人類学では「構造」と呼ぶ1))が根底に存在し,その枠組みの中 各地域の人間が固有に持つ価値観の違いがわずかに影響して,表面的な文化的 値の相違を生み出すに過ぎないとした考え方,世界観が1970年代頃まで支配 であったという背景がある。
例えば1960年代後半にサンフランシスコ州立大学のタバ(Hilda Taba)が閲 した初等学校用社会科プログラム(「タバ社会科(TABA Social Studies)」の 称を持つ) 2)や,教育の科学化・現代化運動の中心人物であるブルーナ‑
JeromeS.Bruner)が1970年代前半にミドルスクール用に開発した「MACOS Man:ACourseofStudy)」などには,その傾向がはっきりと見て取れる3)。
こうした傾向に変化が見られるようになったのは, 1970年代後半である。それ ま,これまでのように,世界の諸地域の文化的価値に共通する枠組み(人間の意
とは無関係に普遍的に存在する「構造」)を一般原理(一般的知識)として解明 るのではなく,各地域の個々の文化的価値に注目し,各種文化的価値が生み出 れてきた歴史過程を見たり,他地域の異なる文化的価値との比較をしたりする
とを通じて,学習対象とした文化的価値を生み出すことになった背景にある人 の価値観や意図(思念)を見出そうとするようになってきたのである。つまり, 統的慣習などの文化的価値の扱いは,一般性を重視する社会科学的な扱いから, 別性を重視する人文学的なものへと変化してきたのである。そして, 「異文化理
」 「文化多元主義」 「多文化教育」などの言葉が頻繁に活用されるようになるの ある。
一般にこうした動きを「教育の人間化」と呼ぶo 70年代に入ってこうした動き 耳起きた背景には,次の3点があるo
→点目として,文化人類学において, 「枠組み」 「構造」の存在に対する従来の え方に批判が向けられるようになったことがある。つまり,全ての世界の慣習 どに共通して内在する「構造」は,人間の意図と無関係に,人間の本能に基づ た存在であるとした考え方が批判されはじめてきたのである4)。例えば構造主 の文化人類学者レヴィ・ストロース(C.Levi‑Strauss)は,世界の様々な婚姻
の慣習に内在する「構造」を解明した。彼は,女性を「贈り物」と見て婚姻の「構 造」を説明し,その「構造」は人間の本能から生じる普遍的な存在とした。これ はその考え方が発表された当時,文化の段階発展説を否定するものとして大変に 高い評価を受けることになったが,そののちにフェミニストから批判を受けるこ
とになった5)。フェミニストは,現代社会においては全ての世界に見られるこの 婚姻の「構造」も,本来的にはかつては存在しなかったものであるが,男性社会 が世界各地で形成される中で,男性が,男性中心的価値観に基づいて歴史の中で 生み出したものではないかと指摘し,その証明を図ることになった。そして,こ うした研究は,伝統的慣習など全ての文化的価値や文化の現象は,人間が歴史的 に意図的に作り出したルールに基づいて生み出されるとした文化(社会)構築主 義の考え方を芽生えさせることになり6),やがて「カルチュラル・スタディーズ (CulturalStudies)」の名前で,文化研究の一流派としての地位を築くようにな る7)。
二点目として,上記一点目の「構造」の考え方に対するフェミニストらの批判 を受けて, 「構造」を教えることの危険性が教育界で認識されるようになったこと がある。ここでの危険性とは,本論文の第1章でチェリーホームズが指摘してい る「制度化」 「物象化」のことである。おそらく,タバやブルーナ‑などの従来の 学習スタイルを支持する立場8)に言わせれば,各種地域間の文化的価値に共通す る枠組みを一般原理としてただ教えているのみであり,それが歴史的に意図的に み出されたものであるか,人間の本質として人間の意図とは関係なく人間の登 当初から存在するものであるかの解説はしていないのだから,学習者が学習し 一般原理を人間の意図とは無関係に人間の本質として昔から存在するものと捉 るとは限らないと反論するであろう。確かにそのその通りではあるのだが,し かしやはり大抵の場合において学習者は,この一般原理を全ての社会に共通する 遍的な存在,人間の本能から生まれた存在として捉えてしまうと考えるのが自 であろう。そして,この一般原理を普遍的な存在として捉えることはすなわち, 間の手では変更できないものとする認識を植え付けてしまう。これを防ぐため
・こうした「構造」 「枠組み」や,その他個々の伝統的慣習などの文化的価値が み出され,維持されていく背景にある,こうした価値を支持する人間の価値観 意図(思念)を明らかにすることで,学習者にこれらの存在をはっきりと「社
会的な構築物」として意識させていくことが求められたのである。
三点目として,合衆国では,公民権運動の影響などを受けて,これまでアメリ カ社会を支配してきた白人男性的な考え方が見直されていく中で,マイノリティ のアイデンティティを認めていこうとする動きが起こり,その手段として各民族 の個々の文化的価値を理解する学習が注目されてきたことがある。従来の一般原 理を解明するための道具として各地域の文化的価値が利用されてきた学習では, 個々の文化的価値の差異性,オリジナリティの部分がどうしても軽視されがちに なっていた。これでは,マイノリティのアイデンティティを理解するには不適で ある。そのため,文化的価値学習は,一般性を重視する社会科学的なものから, 個別性を重視する人文学的なものへと移行したのである。
1970年代後半に人文学的な方向性に転換した文化的価値学習であるが,その多 くは, 「文化相対主義」と呼ばれる考え方をベースとしていた。つまり,文化間に 上下はないとした考え方で,学習者には,その精神に則り,異文化への偏見を見 直すために,異文化に関する知識を獲得し,それを認めることができる寛容的な 態度(Cultural Tolerance)を育成することが求められた9)。この立場に立つ文 化的価値学習は,文化に優劣はないとした考え方に基づいているため,特定の地 域の文化的価値に対象を限定することを避ける傾向がある。そのため,できるだ け多くの地域の様々な文化的価値を,政治的慣習,生活・風俗,儀礼‑・といった ように文化的内容の項目別に系統的に扱おうとする傾向が見られ,その構造とし ては, 「個別配列・理解型」が基本である。この事例としては,ウイラー(Ron Wheeler)が開発した『国と文化』などを挙げることができる。
しかし近年では,こうした動きとは別に「多文化的再構築主義(Multicultural Reconstructionism)」と呼ばれる考え方が生まれ,これに基づいた教材の開発
も見られる。 「多文化的再構築主義」とは,単に世界各地の伝統的慣習といった文 化的価値に関する情報を提供するだけでなく,これの比較を通して背後にある価 値観(思念)の違いを解明してみたり,さらにはそれを批判的に吟味してみたり
などして,間地域的に融合した新しい「ユートピア」的文化的価値を構築しよう とする動きであるo ただし,教師が前もってその「ユートピア」を示すことはし ない。学習者自身が対話を通じて作り上げていくことが基本的に求められるので ある10)これは元々「人種の相場」を目指していたアメリカ社会の理念を焼きな
おし,体系化した考え方と言うことができる。
こうした考えが近年生まれてきた(「人種の相場」の考え方は苦からあることを 考慮するならば「見直されてきた」が正しいか)背景には,文化相対主義に対し て,アメリカ国内では, 80年代後半ぐらいからネオ・コンと呼ばれる新保守主義 が台頭し,彼らがこうした文化相対主義の色彩が濃い文化的価値教育は,アメリ
カ合衆国の「分裂の危機」を助長するとして批判を強めてきたことがある11)ア メリカ合衆国国内にいる保守派(例えばハーシュ(ErickD.Hirsch))は, WASP の伝統的価値を「アメリカ人が習得しなくてはならない「文化的リテラシー
(culturalLiteracy)」である」と主張し,このWASPの価値観の下で国民が1 つになることが「分裂の危機」を免れることであると唱えた12)が,これに賛同 できないリベラルな人々が,その対抗策として「多文化的再構築主義」を生み出 したのである。
この「多文化的再構築主義」であるが,その理想型として,スズキ(B.H.Suzuki) は日系人(ジャパニーズ・アメリカン)の生き方を挙げている。スズキによれば, 日系人は,明治以来の日本の伝統的価値観とアメリカの文化的価値観をうまく融 合し,アメリカ社会に対応するだけでなく,その発展に寄与してきたとする。出 身国日本の文化的価値と,移民先であるアメリカ合衆国の良い点を融合して,よ
り優れた文化的価値を創造したというのである13>
この「多文化的再構築主義」の考え方に基づく教材は,文化的価値の比較が容 となる「テーマ別構成・比較型」が基本となる14)。しかし,中には世界のグロ パル化が原因となって引き起こされた実際の文化的価値の衝突と,それによっ て生まれた論争問題を取り扱うことで教材を構成するという, 「問題別構成・議論
」という稀有なタイプも開発されている15)。前者の事例としては,シェル・ヒ ーベンタール(Judy Shull‑Hiebenthal)が開発した『文化の関係』がある。ま た後者の事例としては,ラーナ‑ (EdwardLerner)が開発した『文化の衝突』
が該当する。