本研究によって,土砂法に基づく区域指定の効果について,理論的な考察から導かれた仮説を,
実際の土地取引及び居住者の世帯動向について計量分析手法により実証した。これまでの章を踏 まえ,本章では,実証分析に明らかになった課題を踏まえ,①から③の政策提言を行う(図12)。 ①土砂災害警戒区域の義務化
②土砂災害リスクの認識を高めるための防災教育及び啓発活動
③強制加入保険制度の創設
また,④及び⑤について併せて論じる
④土砂法に基づく区域指定の基準の見直しの必要性 ⑤土砂災害リスクが高い地域における土地利用規制の展望
図12 ―政策提言の体系―
7.1. 区域指定の義務化
7.1.1. 現状
第4章で示した実証分析において,理論的に導出した仮説1では,「急傾斜地崩壊警戒区域は,
傾斜地の危険性を目視で判断できるため,区域指定によって土砂災害リスクに関する情報の非対 称性は軽減されない」としていたが,実証分析による結果では,土砂災害の種類を問わず取引者 間における土砂災害リスクに関する情報の非対称性を軽減したことを明らかにした。
特に,急傾斜地崩壊警戒区域については,指定される前の急傾斜地は,眺望などの居住快適性 を優先することから区域外の地価と比較して上昇しており,土砂災害リスクが考慮された価格を 形成していなかったが,区域指定後には地価が下落することから,区域指定によって土砂災害リ スクに関する情報の非対称性を軽減するという重要な意義を示した。
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しかしながら,現行法での土砂災害警戒区域の指定は「できる」規定となっており,土砂災害 のおそれがある地域であっても,区域指定ができていない地域があると考えられる。2012年に実 施された「土砂法に関する政策レビュー」では,住民等の反対があり,区域指定が進んでいない 地域があることが示されている20。 平成26年の法改正により,住民等に土砂災害の危険性をよ り早期に認識してもらうことを目的として,基礎調査の結果の公表を義務付けることとした。し かし,基礎調査の結果の公表だけでは,居住者に対しては,土砂災害リスクを認識させることが できるが,新たにその土地を購入しようとするものは,重要事項説明がないため,土地の取引に おける情報の非対称性の軽減にはつながらない可能性がある21。
7.1.2. 提言
区域指定の基準を満たす地域については,土砂災害リスクに関する情報の非対称性を軽減する ために区域指定を義務化する。
土砂法に基づく区域指定によって指定される土地については,当該土地が危険性を内在してい るために,区域指定されるのであり,区域指定されたことによってその土地が危険になるわけで はない。そのため,住民や市町村の意見を踏まえて区域指定するか否かを判断する余地はないと 考えられる。
地形,地質,降水等の客観的な基準から危険性があると判断されれば,区域指定を行い,土砂 災害リスクを公表し,土地取引の際には重要事項説明によって土地取引者に伝えることが望まし い。
7.2. 土砂災害リスクに関する教育(啓発)
7.2.1. 現状
第5章で示した実証分析において,理論的に導出した仮説2のとおり,甚大な被害をもたらし た土砂災害の後では,土砂災害リスクを強く認識したことが明らかになった。一方で,区域指定 だけでは災害が起こる前から土砂災害リスクに関する情報の非対称性を十分に軽減できない。
20 国土交通省「土砂災害防止法に基づく施策の主な取り組み状況」(2012)
(http://www.mlit.go.jp/river/sabo/dosyahou_review/03/120130_shiryo1.pdf)
未指定の理由として,「市町村の反対への対応に時間を要すること」「住民の反対への対応に時間を要すること」があげられ ている。
21 第4章における実証結果からも示されたように,急傾斜地崩壊警戒区域の対象地域の場合,区域指定される前であれば,購 入者は,土砂災害リスクよりも居住快適性(眺望,日照等)を考慮することから,土砂災害リスクに関する情報を自ら手に入 れようと考えにくい。
43 7.2.2. 提言
①学校教育
土砂災害のおそれのある地域については,学校教育を通して日常的に土砂災害リスクを認識さ せる必要がある。たとえば,他の地域で災害が発生した場合にも,その都度,土砂災害に関する 危険性を伝えることで,土砂災害の危険性を認識させることが重要であると考える。
②定期的な防災訓練
また,住民に対しても区域指定や基礎調査を行った時だけでなく,定期的に土砂災害リスクに 関する住民説明と防災訓練を実施することで危険性を認識させることも必要である。22
③土砂災害表示板の設置
東日本大震災による津波の被害を受けた宮城県では,被災事実を後世に伝承し迅速な避難行動 に繋げるために,「津波浸水表示板」を設置している。23土砂災害についても,被災した地域は,
どの範囲まで土石流等が到達したかを認識できる表示板(図13)を設置することで,居住者だけ でなく,その地に足を運んだものに対しても土砂災害の危険性を認識することができると考える。
イエローゾーン・レッドゾーンの指定は,住民や市町村からの反対を理由に指定ができない地 域もあったことから,設置主体は都道府県,設置場所は公共施設(道路,河川等)であることが望ま しい。
図13 土砂災害表示板(宮城県の津波浸水表示板を参考に筆者作成)
7.3. 強制加入保険の導入
7.3.1. 現状
第6章で示した実証分析において,急傾斜地崩壊警戒区域については,仮説3のとおり区域指 定だけでは,転居するインセンティブを与えていないことが示された。土石流警戒区域について は,区域指定によって土砂災害リスクを認識して転居する居住者もいるが,多くは転居するまで
22 木屋雅彦・木下武雄・若松加寿江・羽鳥徳太郎・石井弓夫(1996)「自然災害を知る・防ぐ」p208-古今書院.
災害の経験が住民に継承されているか否かによって被害に極端な差が出た1957年諫早水害と1982年長崎水害の比較につい て「諫早水害における長崎県下の犠牲者は739人で諫早市に集中したが,長崎市は幸いにもゼロであった。ところが25年後の 長崎水害での犠牲299人に対し,諫早市はゼロであった,ハードな対策を行うとともに,定期的な防災訓練を行い,市民の防 災意識を高めていたため」と記している。
23 宮城県ホームページ「3.11伝承減災プロジェクト」(http://www.pref.miyagi.jp/site/0311densyogensaip/)
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には年数がかかることを示した。このことから区域指定だけでは,転居するインセンティブを十 分に与えていないことがわかる。また,転居が進まない理由として考えられるのは,被災時に政 府の救助や支援に期待し,区域外へ転居するようなインセンティブが働いていないと考えられる (図14)。
政府による支援には,自然災害によりその生活基盤に著しい被害を受けた者に対し,被災者の 生活の安定と被災地の復興を目的とした支援金を支給する被災者生活再建支援制度がある24。被 災者に対する公的支援が充実する一方,地主(2011)では,「公的支援の充実が支援への依存を招い て自助努力低下をもたらすという『モラルハザード』への懸念がある」と指摘している25。
図14 土砂災害リスクの認識と社会的最適
7.3.2. 提言
土砂災害リスクのある区域(イエローゾーン・レッドゾーン)に居住するものに対しては,強制加 入保険制度を創設することが必要であると考える。
区域指定された地域では,土砂災害リスクは予め把握できており,そのリスクを認識したうえ で居住する必要がある。よって,本人が被災時の物的被害等についても自己負担することが望ま しい。
保険加入者の対象としては,イエローゾーン・レッドゾーンに居住する住民とし,保険の使途 としては,被災者の生活再建費用に充当することが望ましい。
24 当該支援制度では,被災した場所や,被災した建築物の状態に関わらず,全壊であれば100万円,大規模半壊であれば50万 円と規定されており(基礎支援金),さらに住宅の再建方法に応じて支給する支援金(加算支援金)も規定されている。
25 地主敏樹(2011)「被災者生活再建の支援」『災害対策全書①応急対策』p386-p387ぎょうせい.
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任意加入保険ではなく,強制加入保険とした理由は,土砂災害リスクを過小評価して,保険に 加入しないことが考えられるためである。
海外の災害保険の例として,トルコの地震保険では,強制加入地域を定めており,2012年から 地震保険に加入しない世帯に対して,ライフライン(水道水,ガス,電気)の契約を結ばない取り組 みを推進しており,2014年以降,加入しない世帯へ罰則を課している。また,フランスでは,巨 大自然災害保険制度を創設しており,民間保険会社が提供する住宅保険等の財物保険に強制付帯 し,自然災害リスクが高い地域を確定する「自然災害リスク防止計画」の策定と併せて運営され ており,高リスク地域の引受及び保険金支払いを抑制する仕組みをとっている26。
このように,海外では,自然災害に対する強制加入を創設し,災害リスクに備えている国もあ ることから,他国の例を参考にして,土砂災害に備えた強制加入保険を創設することが望ましい と考える。
7.4. 区域指定の基準の見直し
本節は,仮説及び実証結果から導かれている提言ではないが,土砂法に基づく土砂災害リスク を軽減するための政策提言を論じる。
7.4.1. 現状
現在の区域指定の基準は平成13年に施行されて以来見直されていない,地形的な要因によって 区域指定を行っている。
また,平成30年7月豪雨による被害では,土石流の首振り現象や建築物や道路等の影響によっ て,土砂災害警戒区域外で28名の方が区域外で犠牲となっている。
7.4.2. 提言
現在の画一的な区域指定の基準から、人口密集地など費用対効果の高い地域27においては、
地形的な基準だけでなく地質・降水等の基準も追加することが望ましい。また、すべての地 域で詳細な調査を行うにはコストがかかるため、優先的に人口の多いところを調査すること が望ましいと考える。
7.5. 土地利用規制
前節同様,仮説及び実証結果から導かれている提言ではないが,これまでの提言によっても土 砂災害リスクを正しく評価することが困難であれば,居住を制限するような土地利用規制も検討
26 一般社団法人JA共済総合研究所「諸外国の主な自然災害保険制度の現状について」
(http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hisaisha_kyosai/dai2kai/pdf/shiryo01.pdf)
27 国土交通省「交通事故減少便益の原単位の算出方法」によれば,死傷者一人当たり損失額は2億4千5百万である。損失額 に対する調査コストを比較し、費用対効果が高い地域を優先的に行うことが望ましいと考える。