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: 抑止刑論と「積極的」一般予防論(アンデネスの見解について)

第二章 : 「積極的」一般予防論

第三節 : 抑止刑論と「積極的」一般予防論(アンデネスの見解について)

目のアプローチが,人間やその心構えではなく,むしろ規範システムの維持 にその重点を置くものである。これは,現に在る制裁システムの,既に展開 されている規範の妥当を確証するという安定化力 (Stabilisierungskraft) に着目をする見解である。

このアンデネスの見解は,刑法が教育的な形で個々人の考え方に影響を 与え得るという基本的な表象を前提に,刑罰によって生じた威嚇効果が,

消極的な作用を含むだけでなく,別の側面として,社会の構成員への積極 的な規範安定化的影響をも生じさせるということに基づいている。つま り,刑法の道徳的そして教育的影響を,威嚇効果の対として200),いわば,

威嚇と表裏のものとして構想することを試みているのである201)。 もっとも,アンデネスは,刑法の道徳形成力には限界があるとみてい る。なぜなら,刑法は「複雑な網における一本の糸」にすぎず,人間の考 えや態度に大きな影響を与えるものには,刑法以外のさらに多くのものが 存在しているからである202)。また,アンデネスによれば,規範設定のプ ロセスを分析すると,道徳の変化が刑法の改正に先行している場合が,そ の逆の場合に比してしばしば多いものであるとされる203)

そのため,H・マイヤーに比べれば,一般の人々における道徳意識への 直接的な影響はわずかなものであり,せいぜいのところ,制裁の賦課は,

発覚した行為者に対して道徳的に「目覚めさせるもの (eye opner)」 とし て機能することになる204)。この見解は,一般の人々に対して,直接的に 道徳形成を働きかけないものであるために好意的に受け止められるかもし れないが,しかし,犯罪行為者は,あくまで刑罰によって教えられる存在 となってしまう。

さらに,アンデネスが主張するところの間接的影響にも問題が残る。す なわち,アンデネスによれば,刑法には,市民の意識形成に幅広く大きな 間接的影響が認められるのであるが,この間接的影響は,悪例が道徳を崩 壊させるという考え方から展開するものである。例えば,駐車禁止区域に

200) Andenaes,op. cit., 110.

201) Andenaes,op. cit., 124∼125.

202) Andenaes,op. cit., 113.

203) Andenaes,op. cit., 120.

204) Andenaes,op. cit., 117.

もかかわらず多くの車が駐車されている場合,人々は自らもそこに駐車を しようとするか,あるいは駐車をしても良いものとみなすようになってし まう。規範違反が広まるにつれ,潜在的な模倣者の良心の呵責はわずかな ものとなっていく。それを防ぐために,刑法は威嚇により規範違反の数を 限界づけることになる。人々は,通常,公共の場で目にするその他の人々 の態度と一致させて行動するため,そして,標準からずれるのを嫌うため に,刑法による威嚇が,規範違反を比較的珍しいものとするからである。

しかし,刑事訴追が行われないならば,威嚇的効果はなくなり,規範違反 を犯す者の数は増え,誘惑者としての悪例の模倣者の数も増え,その結 果,規範違反が,標準となる,あるいは大量に見られる現象となってしま いかねない。そこから,「刑罰を受ける危険は現実味を失っていき,それ と同時に道徳的な抑制が崩れていく」と言うのである205)

刑事司法機関は,この悪影響を二通りの方法で阻止をする。第一の方法 が,抑止やそれ以外の方法により悪例の数それ自体を減少させるものであ り,第二の方法が,悪例を魅力のないものにすることによってである206)。 つまり,刑法は,悪例の伝染効果を無効にすることによって,個人の道徳 的抑制を推奨するという重要な機能を有していることになる207)

以上のように,刑罰には威嚇効果だけでなく,間接的影響として,社会 の構成員への積極的な規範安定的影響をも認め,模倣犯や誘発者を防ぐ機 能を認めるアンデネスの見解は,確かに,単なる威嚇や心理強制による抑 止刑論であると片付けることはできない。消極的一般予防論ではないとい う意味で,「積極的」な側面を有するものとも理解できそうである。

しかし,ここで注意すべきは,この間接的影響においても,刑罰により 道徳が形成される,あるいは,社会倫理的な判断が形成されることを前提 としている,ということである。従って,人々は刑罰による「啓蒙」に

205) Andenaes,op. cit., 123.

206) Andenaes,op. cit., 123.

207) Andenaes,op. cit., 126.

よって教育される存在となってしまい,ここでも,「国民教育」的発想と 同様の問題を孕むことになる。刑罰に行動を動機づける機能を認めるとい うことは,社会の人々を,自らでその善悪の判断が信頼できる,すなわち 各人で完全に自律的判断ができる存在とはみなしていない。そのため,刑 罰によって人々に立ち居振る舞いを教えるかの如きこの考え方は,結局 は,人々を行動統制の客体と見ることになってしまう。ここでも,消極的 一般予防論と同じ問題が現れてくるのである。