監修 平川新
編訳者 寺山恭輔 藤原潤子 伊賀上莱穂 畠山禎
訳者(五十音順)
木寺律子 斎藤由佳 塩谷昌史 松本郁子
東北大学東北アジア研究センター 教授
東北大学東北アジア研究センター 助教授
東北大学東北アジア研究センター 講師(研究機関研究員)
大阪大学大学院言語文化研究科 助手 小渕フェロー
大阪外国語大学大学院言語社会研究科 博士後期課程 近畿大学留学生別科 非常勤講師
東北大学東北アジア研究センター 助手 京都大学大学院人間環境学研究科 修士課程
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重石9ムl〜10ムー
賭し岩
1・コサック五十人隊長ヴラディミル・アトラソフ1の「陳述書」。1697年のカムチャツカ遠征に ついて㌔(③No.15)
1701年2月10日
1701年2月10日、シベリア庁にヤクーツク・コサック五十人隊長ヴォロディメル・オトラソ フ【ヴラディミル・アトラソフ】が出頭し、尋問に対し以下のとおり答えた。
「彼、ヴオロディメルは2033【1695】年8月末、陛下のヤサク税徴収のため、ヤクーツクからア ナドウイルスク越冬′ト屋へ出発したとのことである。ヤクーツクの下級勤務員13名が彼に同行
した。ヤクーツクから′ト舟でレナ川を渡り、荷馬車を雇い、アルダン川まで林間や草原を3日ほ ど進んだという。1日あたりの行程は30露里程度となる。アルダン川を小舟で渡り、アルダンか らは馬を雇い、アルダン川をその河口【レナ川との合流点]からトクラン川河口【アルダン川との合 流点】に向かって一日分さかのぼった。アルダン川はモスクワ川とくらべて倍の大きさであろう。
トクラン川右岸を、ぬかるみや岩の多い場所づたいに最上流まで、馬で11日間かけてさかのぼっ た。トクラン川の河口で冬が到来した。一方、トクラン川はモスクワ川より小さい。トクラン川 を渡り、カーメ二をとおって、1日でヤナ川の水源に到着した。ヴェルホヤンスク越冬小屋まで、
ヤナ川に沿って下流へ馬で2週間ほど進んだ。
ヴェルホヤンスク越冬小屋で新たに馬を雇い、ヤナ川沿いに下流へと向かった。ヤナ川はモス クワ川よりも幅が広い。そしてタスタクに移動した。タスタク川はモスクワ川より狭く小さな川 だ。タスタクからガリャンディナ川へ行った。このガリャンダ[ガリャンディナ】川はインディギ
1アトラソフ、プラディミル・ヴラディミロヴィチ−著名なロシア人探検家、カムチャツカの調査者。近年、
B.Rポレヴォイが明らかにしたように、未来の「カムチャツカのエルマーク」はヤクーツクで生まれた。1682 年、コサック兵に徴集され、遠方のウダ要塞での勤務に配属された。1684年の春にようやくヤクーツクへ戻っ た。ⅤⅤアトラソフの父はコサックのヴラディミル・テイモフェーヴィチ・オトラス、母はヤクート人である らしい070JIeBO益B.Il.BJIaEZ4WpATJIaCOB−yPOXeHeI15lKyTCrCa//noJI叩H細3Be3Aa,1974,N0.3を参 照)。ⅤⅤアトラソフの功績を否定はしないが、1651年から1657年までの間、北はペンジナ川から南はオホ一 夕川までのオホーツク海沿岸部を調査したM.Ⅴスタドゥヒンから、ロシア人がカムチャツカにかんする最初 の情報を入手したことは認めなければならない。アトラソフと直接かかわる前任者は、1691〜1692年、1693
〜1694年および1696年にカムチャツカでヤサク税を徴収したアナドウイルスクのコサック、LS.モロスコ とⅠ.Ⅴゴルイギンである。すでに17世紀中葉には、同半島でのロシア人の最初の越冬が行われている。
アトラソフは、アナドウイルスク要塞を出発し、ティギリ川を通過し、それからカムチャツカ川に向かっ た。半島の南端から100キロメートルのところまで踏破した。ⅤⅤアトラソフの遠征の意義は、彼がその土 地の住民をロシア帝国臣民にしたことだけでなく、「カムチャツカとクリルの地」にかんするきわめて価値の ある地理学的・民族誌的情報を収集し、総括した点にある。1700年、ヤクーツクに帰還すると、アトラソフ は報告書を携えてモスクワへ派遣された。首都で「カムチャツカのエルマーク」はコサック隊長に昇進し、
ふたたびカムチャツカへ派遣された。1711年1月、カムチャツカで蜂起したコサックによって殺害された(史 料集③C.112より)。
2【編訳者補注:訳出にあたり、以下の邦語文献を参照した。村山七郎『漂流民の言語→ロシアへの漂流民の 方言学的貢献−』吉川弘文館、1965年、6頁、高野明『日本とロシア一両国交渉の源流−』紀伊国屋 書店,1994【初版1971年】、49〜52頁】
3【訳者補注:原文では宇宙開開紀元の年号(ビザンツ暦)を使用している。以下も同様】
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ルカ要塞付近でインディギルカ川に注いでいる。このガリャンダ川に沿ってやはり馬でインディ ギルスク要塞までたどり着いた。ヤクーツクからインディギルスク要塞までの全行程は、旅先で の滞在時間も含めて6、7週間だった。
インディギルスク要塞からトナカイを雇い、インディギルカ川に沿って下流へと向かい、5、6 日でウヤンディンスク越冬小屋に到着した。このウヤンディナ川はインディギルカ川へ左側から 流れ込んでいる。ウヤンディン[ウヤンディナ】からインディギルカ川沿いに下流へ川幅の狭い場 所を進み、尾根を越えてアラゼイスク越冬小屋に出た。8日か10日はどの道のりだった。アラゼ イスク越冬小屋からやはりトナカイで尾根を越え、コルイマ川のヤルモンガ自然境界まで2日間 かかった。ヤルモンガからコルイマ川に沿って下流へ向かい、ニジネコルイムスク越冬小屋まで 樋で約10日を要した。この越冬小屋は河口のすぐ近くにある。
コルイムスク越冬小屋からアニユヤ川に沿って上流へと向かい、尾根を越えてヤプロンナヤ川 に出た。それからヤプロンナヤ川に沿ってアナンドウイリ【アナドウイリ】川まで下り、さらにア ナンドウイリ川に沿って下り、アナンドウイルスク【アナドウイルスク1要塞まで約4週間を要し た。春ならもっと楽に3週間ほどでたどり着く。彼ら下級勤務員は自分たちで、ヤサク税が課さ れている異郷人から荷馬車や荷構用の馬やトナカイを雇っている。
コルイマ川とアナンドウイリ川の間にニエオブホディモイ4岬があり、海に突き出ている。この 岬の左岸の海上には夏でも氷が残り、冬、この海は氷結する。岬の反対側は春に氷が残ることも あるが、夏には氷はない。彼、ヴオロディメルはこのニエオプホディモイ岬に行ったことがない。
この岬やアナンドウイリ川河口の周辺に住む、かの地の異族人チュクチ人は、ニェオブホディモ イ岬の向かいに島があり、海が凍る冬にこの島から異郷人がやって来て、独自の言葉を話し、ケ ナガイタチに似たやせたクロテンを運んでくる、と云っている。ヴオロディメルはこのクロテン を3匹見たことがある。その尾の長さは4分の1アルシンほどで、黒と赤の横縞が入っている。
彼、ヴォロディメルはアナンドウイルスク越冬小屋で約60名の下級勤務員や毛皮採集者を集 めたという。これらの人びととともに彼がなにをしたのか、どこに行ったのかについては、ヤクー ツクから送られてきた彼の尋問書の中で、またヤクーツクから書面で送られてきた彼の嘆願の中 で述べられているという。
カムチャダール【カムチャツカ】の地を往復したとき、彼らは異郷人から略奪したトナカイや異 郷人から取った魚を常食とし、またアナンドウイルスク越冬小屋から持参した網で自ら魚を獲っ ていた。
カムチャツカの地の川に住む魚は海水魚で、特殊な種である。ある魚はサケに似て、夏には赤
4つまり「通行不可能な」の意。
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色でサケよりも大きい。異郷人はこれをオヴェチナと呼んでいる。他に多くの魚−7種のさま ざまな魚がいて、ロシアの魚とは似ていない。海からこの辺りの川にやって来るそのような魚は 非常に多く、海には戻らず、これらの川や川の入江で一生を終える。この魚を求めて川辺には獣、
すなわちクロテン、キツネ、カワウソが生息している。
彼らは夏と冬、このカムチャツカの地をトナカイで回った。冬はトナカイを榛につなぎ、夏は トナカイの背に鞍を置いて移動した。鞍は木製の場合がある。
カムチャツカの地の冬はモスクワよりも暖かく、雪も少ない。クリルの異郷人のところでは雪 はさらに少ない。カムチャツカでは冬の日照時間は長く、ヤクーツクの倍近い。クリルの夏は太 陽が頭の真上を通過し、ひとの影が見られない。
クリルの地の冬は、海に鳥がいる。カモとカモメが多数おり、また湖沼には白鳥が多数いる。
というのもこれらの湖沼は冬、凍結しないからだ。夏は日光で非常に暖かく、雨や雷も多く、稲 妻がひんぽんに発生するので、これらの鳥は飛び去り、残るものはわずかである。この地はかな
り南にあると彼は考えている。
カムチャツカとクリルの地には干しぶどうより小さいが、甘さでは勝るベリー類、つまりコケ モモ、ウワミズザクラそしてスイカズラがある。草むらの中に、地面から4分の1アルシンの高
さで生育しているベリー類は、その実の大きさが鶏卵よりやや小さく、熟した果実は緑色だが、
味はキイチゴに似ており、種もキイチゴのように小さい。樹木には実がまったく見られなかった。
また異郷人がアガタトカと呼ぶ草がある。膝の高さにまで成長するが、枝が細く、異郷人はこ の草を引き抜き、皮をむき、軸をヤナギの内皮で結わえて天日干しにする。乾くと白くなり、こ の草を食べる。甘い味がする。もむと白くなり、砂糖のように甘くなる。
樹木は、ネズよりも低いkedry[シベリアマツのことか】が生えており、実がなる。カムチャダー ル側[カムチャツカ川のことか】には、シラカバやカラマツ、エゾマツが多く、ペンジナ海側には、
川岸にシラカバとヤマナラシが生育している。
ペンジナにはあご髭を生やしていないコリャーク人が住んでいる。顔は赤銅色、中背で、独特 の言葉を話す。信仰は持たないが彼らの仲間のシャーマンは、彼らが必要とすることについては シャーマニズムを行い、タンバリンをたたき、叫び声をあげる。トナカイの皮から作った衣服と 履物を身につけ、靴底にはフイリアザラシの皮を使っている。魚とあらゆる獣そしてフイリアザ
ラシを食べる。彼らのユルタはトナカイやへラジカの皮を縫い合わせてできている。このコリヤー ク人の向こうには異郷人リュトレツ人が住んでいる。言葉などあらゆる点でコリヤーク人に似て いるが、リュトレツ人のユルタはオステヤク人のそれのように土でできている。
このリュトレツ人のさらに先には、川沿いにカムチャダール人が住んでいる。背は低く、適度
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