• 検索結果がありません。

[∃]3‑1核戦争3分前 D

すぐには米・ソの核戦争は争は起こらないと言う人かいますガ、本当でしょうか?

米ソの対立と核兵器

アメリカとソ連は第二次世界大戦においては連合国として同盟し、ともに日本やドイツなどと 戦った。しかし両国は、一方は資本主義の国、他方は共産主義の国であり、国家の性格はそもそ

も根本的に異なっている。そのため、大戦中から両国の間には対立のきざしがあった。そのうえ、

第二次世界大戦までは共産主義の国はソ連だけであったが、戦後、東ヨーロッパやアジア地域で 次々に共産主義国家が誕生したことから、アメリカ・イギリス・フランスなど欧米の資本主義国 は、これに脅威を感じ、警戒を強めた。一方、ソ連はアメリカが核兵器に関する技術を独占して いることに脅威を感じ、独自の原爆開発研究を続け、 1949年にはアメリカに後れること4年目に

して原子爆弾を完成させた。

両国は、その後、より破壊力の大きい核兵器を求めて研究開発を続け、 1950年代にはいるとあ いついで水素爆弾を完成させた。また、原水爆を運搬する手段としてミサイルの開発が行なわれ、

両者を合体した「核ミサイル」の登場は、両国民のみならず、全世界の人々を恐怖につつみこん だo こうした核軍拡競争がその後も続けられた結果、今や米ソが保有する核兵器は、それぞれ相 手国を全滅させうるどころか、全世界を何回も破壊し、人類を絶滅させるに十分な質量にまで達

しており「絶対兵器」と呼ばれるにいたっているo

なぜ大量の核兵器を保有するのだろうか

1950年代後半、アメリカに後れてソ連も核兵器を配備したことで、アメリカの核独占は破られ たo これに対処するため、アメリカはソ連をはるかに上回る大量の核兵器を配備することを決定 したo 「大量報復戦略」と呼ばれるアメリカのこの戦略は、核兵器を積んだ大型の戦略爆撃機多数 を常に配備しておき、敵からの本格的攻撃を受けた場合、即座に巨大な報復力をもって反撃する というものである。この戦略は、大量報復のための核戦力を常に待機させることによって、戦争 の発生を未然に防ぐことができるとする考え方にもとづいている。この考えは「核抑止論」と呼 ばれ、その後の核軍拡競争を根底から支える理論となった。

1965年、アメリカのマクナマラ国防長官が発表した「確証破壊戦略」は、この「核抑止論」の 考え方をいっそう発展させたものである。この戦略は、仮に敵に先制の第一撃をかけられたとし ても破壊をまぬがれた核兵器による報復攻撃によって、敵に対してとうてい耐えられないような 大損害(人口の5分の1‑4分の1の死亡、工業能力の2分の1‑3分の2の破壊)を与える戦

力を維持する戦略を言う。こうした戦略をとる限り、

自国が保有すべき核兵器の量は、敵からの先制攻撃に よる破壊を考えて、十分に余裕のある量でなければな らなくなった。その結果、米ソ両大国が保有する核兵 器の量は、全地球を何回も破壊できる量にまでなった。

とくに米ソ両国がたがいに相手を確実に破壊できる状 態になった1970年代以降の状況は、 「相互確証破壊」

(Mutual Assured Destruction‑MAD)の段階と呼 ばれている。こうした状況について、米ソ両国はもは や相手国の核兵器に対する恐怖心から大規模な軍事衝 突を起こしえなくなったとみる考え方もある。つまり、

核兵器が生みだす「恐怖」のおかげで、人類は大規模 な戦争を回避しているという考えである。だが核兵器 は、はたして絶対に使われることのない兵器といえる のだろうか。

核兵器使用の可能性

右上の資料は、核兵器が使用寸前にまでいたった歴 史的事実をまとめたものである。これらの事例に共通 するのは、 (彰使われようとしたのはすべて戦術核兵器 (p.37参照)であり、②意図されたのは限定核戦争(P.

44参照)であったこと、 ③その戦場はすべてアジア、

太平洋地域であったことである。これらの事実から、

核兵器の使用は、夢物語ではなく、常に現実的な戦争 方法として軍や国の首脳たちによって検討されている ことがわかる。

なお右上表の事例以外にも、 1962年のキューバ危機 において、アメリカのジョン・ケネディ大統領が全面核 戦争の勃発を予想していた事実が明らかにされている。

「核戦争3分前」 ‑時計は止められるか アメリカの月刊誌「ビュレ テイン・オブ・ジ・アトミ ック・サイエンティスッ」

の表紙には、核戦争による 世界の破滅が何分後に迫っ ているかを告げる時計が掲 載されているが、 1984年新 年号で、時計はついに核戦 争3分前を告げた。

(「核いま地球は‑・」より)

核のニアミス年表

ーニクソン 1969‑1974 964‑1969 劍  zI t「  田  ラFトヲツ 7ノゼン‑ワ‑ 1953‑1961 劔住人 任紙 朔絹 間と 

再 二〇 謀ツ Dツ 九 疋ツ 〜 円 仞2 ナし 早 仞2 ヘツ ヘツ 九 三L rtl 仞2 鍈 辛 偖ネ4ツ 6vツ '" 耳 ツ nイ イ K,ツ  r    

ト 十 A 儺「   ツ チ + r     ト ナ ー.  r ,B 樗 ★ 秩 刧   (  ヒテ l 2 蝿 ■ 

敗 舵 か 刀 唯 刀 也 件 し 燃 2   R コ,ツ       ツ Pq 人 グ) 柁 ■ Fl 雲 ド 千 ム 入 ) 主卜 FllJン 捜キ しン て神 辛 汁 の で ち あ Ef Fl沖 島縄 へか 8 イ チ ヤ 7‑ 砲 jノ を 励x4" 488ツ   ZH*クフ8 "  ィ橙 痛│r ハ ,R 悩9屍 か7 ー〉 7 提ン 案7, 汁 相 ど ド 1 に 7 レ 7, 舒リェ2 4貿b 齪フ夷2 箔B ,h.メ 鳬?「 / r : イ  h   *リ‑b +X,ツ ,Hレ「 [「 ■ 付 

ur7 本1 寿主/レ 一斉7 斬レ M.ノ 与ド Pql ‑̲+ ′\ユ ト 狽 r "籘H8イ ? ハ 64驂モr 5ネ,ネ92 97$ツ エB  ハ2 V  ウ 7, ト モ I 卜'   8  u ̲「 ユ「 チ ム ス 千 l ね 授 6r 5ツ 8ツ (92 5   / 92   6  ア ∫ 七' 「7 】 匝1 ● きま 2 冖?「 ヘツ ヘツ ツ ど ド l ケ十 和 唸 ツ  r 5ィ ツ  Sr ツ ニH 「    *  孟止 言 

破滅の日を刻む時計

1972       W7 1 2分fi

t‥Il l qllLR■■■

¶lk1      1958

7分切 米ソ書事書のエスカレート

1●●      ●●●

r        ヽ ヨ^      ′‑

7分fI ILJl fII

3分甫 ソ)の水IM

2分■米ソの水■桝 1953棚Jt事(栄) 1954 Jll次インh:シナtl争 1958台BtW扮事(栄) 1059ベルリン点*(栄) 1962キューバ危tr米・ソ)

7分fi 7t仏中と柵書FIのJ+加

(「核いま地球は‑」より)

参考文献

「人類危機の13日間‑キューバを めぐるドラマ」ジョン・サマヴィ ル 岩波新書

「核いま地球は‑」講談社

41

3‑2 偶発核戦争 占コ

核兵器事故による大惨事や、誤警報による核戦争の危険性はないのでしょうか?

たびかさなる核兵器事故

核兵器や核戦略は、現在、きわめて複雑で巨大なシステムとして構成されている。そうした中 では、ちょっとしたミスがはかり知れないほどの危険性を生み出す恐れがある。そのため、核兵 器システムには事故防止のための何重もの安全装置がとられていることが多い。しかしそうした

システムを扱うのは、結局は誤りやすい人間である。人間の行動に100%の完全性を期待すること はできない。事実、米国防総省の報告によると、 1950年から80年12月にかけて、アメリカだけで

も計32件の核兵器事故が起きている。次にあげるのは、米軍での事故の例としてよく知られてい るものである。

① (米サウスカロライナでの水爆投下)

1958年3月11日、 B47爆撃機が誤ってメガトン級水爆を落とし、通常火薬が爆発して直径22メ ートル、深さ約11メートルのクレーターができ、一軒の農家がつぶされた。だが死者はなく、放 射能も検出されなかった。

②く米ノースカロライナでの水爆搭載機墜落)

1961年1月24日、同州ゴールズポロ付近でB52が墜落して、 24メガトン水爆が破壊0 6つの安 全装置のうち5つが壊れ、残る1つがかろうじて核爆発を防いだ。

③ (スペイン、パロマレス上空での空中衝突)

1966年1月17日、 B52爆撃機が空中給油機と接触して、水爆4個が付近の陸上および海中に散 乱した。水爆は大規模な捜索で回収されたが、一部の通常火薬が爆発してプルトニウム汚染が生

じた。

㊨ 〈グリーンランドでの着陸の失敗)

1968年1月21日、 B52がツーレ空軍基地で緊急着陸に失敗、積んでいた水爆4個の通常火薬が すべて爆発して幅約100メートル、長さ約660メートルにわたって放射能汚染が生じたo

⑤くタイタンⅠⅠの爆発事故)

1980年9月19日、アーカンソー州ダマスカス付近の地下サイロで、漏れでた燃料のエアロジン50 が爆発、サイロを守る重さ750トンのコンク))‑トふたが吹き飛んで、直径80メートルのクレータ ーができた。このサイロには大型ICBM (タイタンⅠⅠ・ 9メガトン)が格納されていたが、重さ 2.7トンの核弾頭は、翌朝サイロの北450メートルで発見された。

一日7回もの「疑わしい」映像‑ミサイル警報装置の誤報

現代の核兵器システムでは、敵からの攻撃をいちはやく正確にキャッチするための情報システ ムが重要な役割を果たしている。このシステムのミスから、誤ってソ連ミサイル攻撃の警報が出 され、実際に反撃態勢がとられてしまう事件が起きている。

G) 1979年11月9日、北米防空司令部(NORAD)のコンビュタ‑がソ連の潜水艦ミサイルによる 攻撃があったことを告げた。これを受けて、全米のICBM基地、戦略空軍基地に警戒警報が出 され数分後に10機の迎撃機が飛び立ったが、 6分後にコンピューターミスと判明した。 (原因‑

演習用のプログラムがシステムに流れこんだ)

② 1980年6月3日・ 6日、 NORADのコンピューターがソ連のICBMとSLBMの発射を告げ たo 一定数の戦略空軍機と指揮管制機が即座に待機の態勢に入ったが、 3分後にコンピュータ ーミスと判明した。 (原因‑たった1個のICが故障し、その原因を調べているうちに誤警報を 出した)

また、敵からの攻撃をとらえる探知装置は、ミサイル以外のさまざまの物体にも感応するため、

警報装置のブラウン管には毎日何件もの「疑わしい映像」が映し出され、そのたび緊急の検討会 議が開かれている。米上院の調査報告によれば、こうした検討会議の数は、 1979年から1980年6 月までの1年半だけで、実に3703回に達している(1日平均7回)。このうち4日に1回(147件) は、直接北米大陸に対する脅威の可能性があるものだという。また、中でも特に重大なものにつ いては脅威評価会議が開かれるが、この会議は1980年だけでも4回開かれている。

折  仙n  (」:Pチリ)  1 988年(昭和61年) 8月288 (木qE8)

高まる「誤警報による発射」の危険性

80年代にはいり、ミサイルのMIRV (多弾頭個別 目標ミサイル)化と命中精度の向上により先制の第 一撃で敵国の核兵器をすべて破壊できるようになっ た。この戦略のもとでは、相手側からのミサイル発 射が探知されしだい、直ちに報復のボタンが押され

ることになる。自国のミサイルが破壊されるのを防 ぐためである。通常、 ICBMは発射されて30分後に は目標に到達するし、SLBMの場合はもっと短かく、

10分足らずで到達するので、報復を行なうかどうか を検討する時間的ゆとりはきわめて乏しい。その結 果、情報の真否を十分に確認することなく、 「誤警報 による発射」に踏み切ってしまう危険性が高まって いる。核兵器システムの複雑化、高度化は、偶発核 戦争が生じる可能性をますます高めている。

広島の625倍

フ+i‑>三起爆蓑雷の‑8B爆発

これはアルパカーキ・ジャ

・+ル把が、什¥り公開状を 利用して入手した米軍の淋料 墓にgFじたもので'同乾に よると、l̲車水蝉はロスアラ モス周〃研欝でF二年に製 妨きれLJ「マークE:」で、じ き約七・.I.㍍'相槌丁六㍍、

推淀城刀が十‥りで広Hり以瀬の

tニューヨークニー七日i' 閃】一千九年別のl九五七勺 五月に、米ニrJ‑メキシコ州 アルバカーキ埠くそ米州・耶伽 や点からあっ言Tut八・九 トノの入部水欝地1に紘下へ 芳ハ饗の也虎狼選が触児し たが'水廿そのものは僚機光 を免れていたことがニーヒ 日、明らかになった。

(「毎日新聞」 (夕刊) 1986年8月28日)

参考文献

「核兵器事故一人間はそれを管理できるか」高榎 尭 「世界」 1981年4月号

「新・核戦略批判」豊田利幸 岩波新書

43

関連したドキュメント