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性における多様性の不在

ドキュメント内 3ドク論本文.doc (ページ 70-88)

  性規範が変化し,人々が性に対し自由に振る舞えるようになったといわれて久しい.

「男女七歳にして席を同じうせず」と言われた価値観が当然と思われた時代に比べると,

たしかに性規範は寛容になったと言える.しかし,それら性に対する認識の変容が行わ れる一方,「性が乱れている」という表現に代表される,旧来の価値観に依拠した上での 個人の性生活に対する批判が現在も行われ続けている.それらの多くの価値観が混在す る中では,旧来の性規範に従って,配偶者以外との性行為を人倫にもとると批判したり,

逆に,比較的新たな価値観により,婚姻も買春契約の一種とみなす指摘が行われたりす る.また若い年齢で性行為を行えば,まだ早いと批判され,高齢者が性行為を望めば,

それも異常だとして批判される.夫婦においても,その性行為の方法が取りざたされ,

サド・マゾヒズムのような幻想を含め,様々な性の装置を用いれば異常とみなされ,そ れらを取り去った性行為も,個人の身体能力や体格が問題となる.性行為は,その行為 が有する社会的背景や,行為の動因となったり行為が再生産する思想的基盤を考慮しな いまま,その時々の政治的力学に従い,一方的に善悪が決定されうる状態に放置されて おり,性行為に対する批判はいわば無尽蔵である.

だが実際,他者から非難されない性のあり方のみを実践して一生を終える人が,どれ だけいるであろうか.多くの人々が,夫婦で,恋人の間で,友達の間で,日常生活の一 部として性行為を行っている.殆ど全ての人は実際に「けがらわしい」と疎んじられる 性行為から生まれ,その性行為により子孫を生みだし,家族が形成される.性行為は,

これら全ての人が直面する出来事であるにもかかわらず,常に批判の対象となり,隠す ことだけが非難を免れる唯一の道となっている.性行為に対する認識は,いわば無法と も言える状態に放置されており,人々を貶めたり,失墜させる手段として用いられる危 険を孕んでいる.戦後から近年を通じて寛容になったとされる性規範は,性に対する認 識の一部分でしかなく,異なる側面から眺めると,性行為に対する社会の閉鎖性は,現 在に至るまで存在し,場合によっては強化されていると言えるのではないだろうか.

本章では,明治期から戦後,現在にかけての,性行為に対する言説が閉塞化し,画一 的な性規範が生まれていった歴史と性規範変容に影響を与え続けた女性解放運動の変遷 を踏まえつつ現在の性認識が形成されてきた構造の概観をとらえた後に,近年の政治家 の性的スキャンダル報道における人格批判を取り上げ,性行為を用いた人格批判の例と

して,その現状を考察する.そして現在,わが国で性的関係性とその内容を含む性行為 に対する批判が広範に適用され,個人の多様な生活を尊重しようとする近年の社会構造 と相反した方向性を有し,人々の社会生活を困難にさせる構造について述べることにる する.

5.1 性による人格批判

性規範の変遷

  古来わが国は,性行為の相手やその内容に厳しい規範が課せられず,性に対して「お おらか」で,貞操や婚姻関係に縛られないゆるやかなものだったとする見方が一般的で ある.しかしそれらの性規範は,明治期を境として変容していった.政府が西洋的近代 化への一貫として生殖行動を統制しはじめたり,知識人による西洋的近代意識に基づい た性規範の啓蒙が行われつつ,『女大学』を踏襲した儒教的セクシュアリティが普及47し,

「貞操」観念が重視され,わが国の「おおらか」な意識は次第に消え去り,抑圧的な認 識へ変容していったとされている48.特に1910年〜20年代にかけて,性行為を生 殖の合目的的行為としての視点から論じた性科学49の影響も伴い,夫婦間での性行為の みが「正常」であり,その他,自慰行為,同性愛,売買春,婚前セックスを含め,夫婦 間以外の性行動が,「正常」からの「逸脱」と判断され,性行為を社会的に公認された夫 婦の間に限定しようとする言説が強まり,夫婦間で行われる性行為のみが,エロティシ ズムにおいても生活においても,全ての面で最も望ましい形態であると考えられていっ た(赤川1999,pp.195-198).

だが,これら明治期以降の新たな性規範は女性にのみ適用され,男性に対しては旧来 の「おおらか」さが保持され続け,性別による二重規範が拡大される結果となった.こ の状態は平塚らいてふをはじめ『青鞜』誌をもとに女性解放論を唱えた女性達により疑 問視されたものの,当時の女性解放論は,西洋的身体観に基づいており,性愛における 精神的要素としての「恋愛」を最重要視しつつ,肉体上の現象としての「性交」「性欲」

の価値を軽視し,性行為をはじめとして性に関わる諸現象は「恋愛」が伴うことによっ てのみ価値を持つとする「恋愛至上主義」に彩られたものであった.たとえば,夫婦間 へ性行為が限定されることに疑問を呈していた女性解放論者の間でも,恋愛至上主義に は疑問なく同意を示しており,安田皐月は『青鞜』で,生活のために身体を売る女性と

一時の恋愛を比較して,恋愛があれば貞操を失うことは許されるが,生活のために貞操 を失うことは許されないと主張している.

戦後,のちに第二派フェミニズムと呼ばれる女性解放運動が活発化した1960年代 に至ると,かつての性規範の中心的概念であった「貞操」が次第に薄れ,相対的に恋愛 至上主義が重視されていった.その結果,婚姻という制度枠から離れた視点によって男 女関係を捉えるべきと考えられはじめ,性行為に対する夫婦の枠を取り外し「結婚まで 貞操を守る」か「愛があれば婚前交渉も可」とする選択的規範が形成されることとなっ た.そして70年代には,それまで絶対的な価値を有するとされた「恋愛」も,ジェン ダー化された存在として相互を理想化する物語を有し,性別役割分業を前提とした装置 であることが認識されはじめ,恋愛至上主義のみから性的関係を捉える視点に疑問が呈 されるようになった.

また,女性の社会的立場の変容からも,男女の関係に対する疑問が浮き彫りにされ続 けている.わが国では1985年の均等法,1989年の「マドンナ旋風」と呼ばれた 女性議員の大量当選など,女性の社会的立場に対する性差別解消が行われ,ジェンダー による不当な格差が人々に意識されはじめ,90年代からセクシュハル・ハラスメント 裁判が多数行われ,さらに1997年には雇用機会均等法改正においてセクシュアル・

ハラスメントが条文として記載されることとなった.こうして公的領域に根強く存在し た性差別構造が積極的に是正されていくに従い,それらの差別構造を再生産させている,

個人的な男女関係でのジェンダー差も改めて疑問視され続けている.そこではジェンダ ー差を前提とした幻想としての「恋愛」だけではなく,対等な立場による男女のあるべ き関係性とは何かが模索されはじめ,1990年代半ばから現在に至るまで「恋愛」の 次に訪れるもの,またはその代替が模索され続けている.たとえばギデンズは,男女間 を含めた性的関係においては,対等な個人を前提とした「純粋な関係性」が存在すると 述べ,主として男性が取り組んできた公的領域の民主化と同様,私的領域においても民 主化が行われ,多様な価値観を容認していく必要があるという主張を行っている

(Giddens,1992=1995,pp288-290.).

女性への性の人格批判

しかしながらわが国での性規範に対する取り組みは,『青鞜』からウーマン・リブまで,

性の二重規範に対する差別是正であり,概して女性にのみ課せられる規範を男性なみに

軽減させるべきとする主張と,男性への寛容さを減少させるという,既存の性規範に両 端からアプローチすることで行われてきた.たとえば第一次世界大戦か後から第二次世 界大戦中とその後を通し,山川菊栄をはじめとした一部の女性解放論者は,「純潔」を重 視して健全な妻と子を守ろうとする発想に基づいた矯風会の廃娼運動に参加しており

(藤目,1997,pp.167-168.),当時の女性解放運動が抱いていた性規範に対する意識の焦点

が,二重規範の解体ではなく,既存の性規範を自明なものとして認め,その中で,男性 と女性の格差を同程度に是正することにあてられたものであることが現れている.

そして現在活発化している,男女の関係性に対する議論も「婚姻」または「婚姻する ことを期待する男女」関係の中での権力是正に焦点をあてており,既存の性規範を解体 するには至っていない.わが国の場合,1980年代中頃から「テレホンクラブ」「援助 交際」「出会い系サイト」などの風俗が象徴するように,多くの女性が自ら積極的に,二 重規範に囚われず意志を尊重しようとする行動50が増加し,規範の二重構造が是正され,

性行為のあり方が自由になりつつあるように見えるものの,その一方で現在も,夫婦間

(「純潔」概念の薄れた現在では,将来夫婦になりうる恋人関係も含めて)での性行為に は特権が与えられている.そして,この枠組みの外で性行為を有する人には,人格に問 題があるとしてスティグマを課す形式が規制力を持ちつつ残されている.

それら性行為に対する人格批判は,大まかに二種類に分けられる.まず一つは貞操論 争や家族問題に代表されるような性的関係のあり方に対するもので,女性に対しては,

その男性との関係性を決める指標となる「貞操」観念から,全人格を批判される方法が 頻繁に用いられてきた.たとえば 1997年の電力会社OL 殺人事件に対する報道では,

のちに人権無視として問題視されるほどの過度な報道により,被害者の女性のプライヴ ァシーが暴かれ,メディア表現の中で,被害者である女性が一方的に裁かれる現象が生 じていた.また司法の場では,裁判官や検察官,弁護士の発言の中に女性に過度に貞操 観念を押しつける傾向の存在するケースがあり,女性は男性との性的関係に従って価値 づけられ,裁かれる差別的状況が指摘されはじめている51.さらにもう一つは性交に限 らず自慰行為も含めた性行為で用いられる幻想や,それに基づいた行為であり,性行為 に内在される生殖を目的とした行為に反するとして性行為からの逸脱とみなしたもので ある52.そしてこの性行為の内実への批判は,性行為が行われたことを前提としている ため,同時に「貞操」観念の存在を必然的に疑うものとなり,女性に対してその批判が 行われることは,男性の間では,人格のうち,性に関する部分のみが問われるのに対し,

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