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人権のありか

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6.1  近代的人権の形成

「人権」の成立時期は,イギリスで1215年に国王ジョンに対して,バロン(貴族)

たちの利益や自由を要求したマグナ・カルタであったと言われ,その後1689年の権 利章典でも,イギリス人古来の伝統的権利が,明確に宣言されている.だが,これらは いずれも一部の特権階級の人間に対する権利表明であって,現在用いられている近代的 な人権とは異なるものとされている.近代的人権は,1776年のアメリカ独立宣言と,

その影響により形成された,フランス革命における人権宣言を出発点としている.フラ ンス人権宣言の画期的視点は,すべての人間が身分や国籍にかかわらない普遍的な「人 権」を有するとみなすものであるが,それは,個人は国家に先行して「自然権」を持ち,

人々は中世封建社会の身分的拘束から解き放すという意義を有するものであった.しか しフランス人権宣言の内容は,経済的自由が中心であり,成立直後から,多くの批判論 が提示されており,現在も人権は変容し成長を続ける概念となっている.特に19世紀 後半から20世紀にかけては,フェミニズムや人種差別反対運動から,近代的人権が内 包する差別が表面化し,「人権の普遍性」への疑問が提唱されることとなった.また,2 0世紀半ばから,人々の生活様式や社会構造の変化に伴い,人々の身体の扱われ方にお ける人権が取りざたされることになると,近代的人権による概念枠による限界はさらに 明らかになり,人権は,その根底から新たな概念枠の再構築を迫られるようになってい る.

6.2  女性の人権の位置づけ

女性の参政権の展開

人権概念がその中に女性を含まない性差別的な思想に基づいて形成されている性格は,

早くから指摘されていた.オランプ・ドゥ・グージュは,フランス人権宣言を模した「女 性(femme)および女性市民(citoyenne)の権利宣言」を著し,人権宣言が「人(homme)

=男性」の権利宣言にすぎず,女性は無権利状態に放置されている状態を批判した.こ のグージュの宣言は,フランス人権宣言の各条文の権利主体を,女性・女性市民あるい

は両性に変更することで,人権宣言の男性中心的発想が浮き彫りにしている.(巻末資 料)例えば人権宣言前文の前半部は,次のように表現される.

<人および市民の権利宣言>(前文)

国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは,人の権利に対する無知,忘 却または軽視が,公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し,人の譲りわ たすことのできない神聖な自然的権利を,厳粛な宣言において提示することを決意した.

<グージュの宣言>(前文)

母親・娘・姉妹たち,国民の女性代表者たちは,国民議会の成員となることを要求す る.そして女性の諸権利に対する無知,忘却または軽視が,公の不幸と政府の腐敗の唯 一の原因であることを考慮して,女性の譲り渡すことのできない神聖な自然的権利を,

厳粛な宣言において提示することを決意した.

グージュに留まらず,フランス革命期には多くの女性運動家が積極的に参加し,教育,

経済,政治的諸権利など広範囲に渡り,女性の権利要求が行われた.その影響により1789 年の憲法制定過程で女性参政権問題が審査されることとなったが,その中で女性は,家 庭における子供の教育と配偶者との意見の交換等を通じて間接的に社会に参加する存在 であるとされ,女性の参政権と政治的表現の自由は否定され,再び女性への抑圧が強め られることとなった62.また,独立宣言において「すべての人(man)は平等に作られ,

造物主によって一定の奪うことのできない権利を与えられ,その中には生命,自由およ び幸福の追求が含まれる」と表明したアメリカにおいても,理念上は普遍的な人権をう たいつつ,実際には奴隷制や女性差別が行われており,フランスと同様,限られた人の ための権利に留まっていた.アメリカでも1848年には,グージュ同様に「独立宣言」

を模した「女性の所信宣言(Decration of Sentiment)」が起草されている.ここでは「人 権」が女性を阻害している事実を示すに留まらず,独立宣言で,専制君主ジョージ1世 の悪行を列挙した部分に対し,その主語を「男性(he)」に改めて,男性が女性を搾取 し,従属させてきたことも批判され,女性の排除だけでなく,その抑圧構造も意識され

ることとなった.

しかしこれら活発な女性運動が行われながらも近代的人権からの女性排除は続けられ ていった.イギリスでは当初,婚姻していない女性に限り地方選挙権のみを認めてから,

三〇歳以上という高齢を条件に女性の参政権が認められ,アメリカでは一八世紀末に四 州のみで参政権が認められるが,その後二大政党の対立の争点として扱われることで参 政権実現が遅れ,権利確立への進展は緩慢であった.男女が平等な条件下での女性参政 権が確立されたのは,アメリカ・イギリス・ロシア諸国が二十世紀前半63であり,近代 的人権の確立から100年程度,フランスに至っては,それら西洋諸国よりも四半世紀も 遅れることとなった.わが国の場合,マッカーサーの指示を受けて 1945年に女性参政 権が確立され,1946年には,GHQ民政局により作成された新憲法草案に男女平等の理 念が書き込まれ,同年制定の日本国憲法第一四条により,性差別が理念上禁止されてい る.

その一方,第二四条において「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚し」と本質的差 異を認めることで,主に妊娠,出産による身体的特質をもとに性差別的視点による解釈 が行われ,女性への差別は続いている.わが国を含め,男女を「区別」するというロジ ックでの「差別」の多くはいまだ解消せず,フェミニズムの大きな課題となっている.

これら近代的人権が女性を排除してきた原因は,次の三つの要素に分類されている.

第一には,妊娠・出産などの肉体的差異にもとづく母性の強調から導かれる男女不平等 論であり,第二には,肉体的差異を前提として,女性の特性や一般的性格を論ずる「特 性論」であり,第三は,第一の肉体的性差に依拠しつつ,性別役割分担を固定化し,こ の 役割と抵 触する女 性の権利 を否定しようとする性別役割分業論 である( 辻村 

pp.68-69.)(表5).これらの三点における差別は,いずれもその後,近代的人権を用い

る各国の憲法に適用され,その視点は現在も引き継がれ,いまだに論争の焦点となって いる.わが国の憲法でも同様に,これらを男女が性により取り扱いを異にすべき理由と して用いている.

表5  女性を近代的人権から排除している原因  (辻村,1997『女性と人権』をもとに作成) 

第一

肉体的性差に基づ く母性の強調と

男女の不平等

妊娠・出産などの肉体 的差異を重視する

そもそも男女は異なるものであ り,女性の権利や権利の平等を考 慮する必要はない

第二 特性論 女性の特性や一般的 性格を論じる

女性の能力や教育の欠如,羞恥心 や興奮しやすい特徴など,典型的 性格論から女性の権利とその行 使を否定する.

第三 性別役割分業論

肉体的差異に依拠しつ つ,性別役割分担を固 定化し,その役割と抵 触する女性の権利を否 定する.

女性の役割を家事・育児等に 留めることによって「男は外に,

女は内に」という社会的分業を 維持するために,女性の権利の獲 得と行使に反対する.

「人権」に内包される性差別に対し,1979年に「女性差別撤廃条約」(1981年 発効,日本は1985年に批准)が国連総会で裁決され,生物学的差異による区別も差 別であるとして,生殖における男女の差異以外の区別は廃止するべきとされた.

それら生殖にまつわる部分は,後にリプロダクティブ・ライツという概念から別枠で 扱われている.1994年世界人口会議の行動計画や1995年の国連女性会議におけ る行動綱領で取り上げられ,特に後者では「女性の人権には,強制,差別及び暴行のな い性に関する健康及びリプロダクティブ・ヘルスを含む,自らのセクシュアリティに関 する事柄を管理し,それらについて自由かつ責任ある決定を行う権利が含まれる」(96 パラグラフ前半)と表現されている.そしてリプロダクティブ・ライツを身体特性に限 定する女性に固有の権利ではなく,性的行動に関する権利などの「セクシュアル・ライ ツ」と捉えられるべきとみなす視点から,女性という存在に対して,それまでの肉体的 差異や特性論など,ジェンダーの視点だけでは説明されない差異も含め,それらを他者 に侵害されない「基本的人権」としての「ヒューマン・ライツ」が保証されるべきだと みなす位置づけで捉えられている(辻村,1997,p.293).

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