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想 の 享 受 に 関 連 し て

は じ め に

天 地 四 方 拝 は

、 元 旦 四 方 拝 の 構 成 要 素 の う ち の 一 つ で あ る

。元 旦 四 方 拝 と は

、元 日 早 朝 に 天 皇 が そ の 年 の 属 星 お よ び 天 地 四 方

・ 山 陵 を 拝 し て

、 年 災 を 払 い

、 宝 祚 を 祈 る 儀 式 で あ る

。 四 方 拝 の 研 究 は

、 こ れ ま で そ の 成 立 時 期 を そ の 焦 点 と し て き た

。「 元 旦 四 方 拝

」 を 記 載 す る

『 内 裏 儀 式

』 に 基 づ く 嵯 峨 天 皇 朝

( 弘 仁 九 年 頃

) 成 立 説 と

、 当 該 祭 祀 の 初 見 記 事 で あ る

『 宇 多 天 皇 御 記

』 に 基 づ く 宇 多 天 皇 朝

( 寛 平 二 年 頃

) 成 立 説 で あ る

ま た

、『 口 遊

』 時 節 門

の 記 述 な ど か ら

、『 口 遊

』 の 性 質 や 列 挙 さ れ た 神 名 か ら 推 し て

、 お そ ら く 源 為 憲 が 中 国 の 通 俗 類 書 か ら 引 用 し た も の で

、 少 な く と も 日 本 固 有 の 祭 礼 で は な く

、『 口 遊

』 こ そ が 元 旦 四 方 拝 の 典 拠 と 解 す る 説

民 間 の 四 方 拝 は

、当 時 す で に 宮 中 の そ れ と 頗 る 様 相 を 異 に す る も の で あ っ た と す る 説

日 本 固 有 の「 伝 統 的 祭 祀 伝 承

」の 要 素 を 重 視 し つ つ

、出 典 検 索 を さ ら に 深 化 さ せ て

、中 国 に お け る 元 旦 四 方 拝 成 立 の 可 能 性 を 求 め る 説

な ど も 展 開 さ れ て い る

元 旦 四 方 拝 の 構 成 要 素 の 一 つ で あ る 天 地 四 方 を 拝 す る

( 祭 る

) こ と に つ い て

、『 礼 記

』 に は 天 子 の み に 許 さ れ た 祭 祀 で あ る と 明 記 さ れ て い る こ と に 注 目 さ れ よ う

。 ま た

、 元 旦 に 天 皇 が 属 星

・ 天 地 四 方

・ 山 陵 の 三 所 を 拝 す る 祭 祀 を

「 元 旦 四 方、 拝、

」 と 称 し

、 天 地 四 方 の

「 四 方、

」、 が 名 称 と し て 残 さ れ た の で あ ろ う か

本 章 で は

、 我 が 国 に お け る

『 礼 記

』 の 伝 来 と 朝 廷 内 部 に お け る 享 受 に つ い て 注 目 し

、 天 子 の み に 許 さ れ た

「 天 地 四 方 拝

」 を 組 み 込 ん だ

「 元 旦 四 方 拝

」 成 立 の 背 景 を 考 察 す る

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、 天 地 四 方 拝

― 天 子 の 拝

天 皇 が 行 な っ た

「 拝 四 方

」 の 初 見 記 事 は

、『 日 本 書 紀

』 皇 極 天 皇 元 年

( 六 四 二

) 八 月 朔 日 条 で あ る

『 日 本 書 紀

』 皇 極 天 皇 元 年

( 六 四 二

) 八 月 甲 申 朔 条 八 月 甲 申 朔

。 天 皇 幸

南 淵 河 上

。 跪 拝

四 方

。 仰

天 而 祈

。 即 雷 大 雨

。 遂 雨 五 日

。 溥 潤

天 下

。〔 或 本 云

。 五 日 連 雨

。 九 穀 登 熟

。〕 於

。 天 下 百 姓 倶 称

万 歳

至 徳 天 皇

〕 は 細 字 及 び 割 書

、 以 下 同 じ

『 日 本 書 紀

』 の 記 述 に よ れ ば

、 皇 極 天 皇 は 南 淵 の 河 上 に 行 幸 し

、 跪 い て 四 方 を 拝 し

、 天 を 仰 い で 祈 る と

、 雷 鳴 が 轟 き 大 雨 が 降 っ た

。 つ い に 雨 が 五 日 間 降 り 続 き

、 天 下 を 普 く 潤 し

( 或 本 に は

、 五 日 間 雨 が 降 り 続 い た の で

、 九 穀 が 実 っ た と い う

)、 こ れ に よ っ て 人 民 は 大 い に 悦 び

、 万 歳 と 称 え て

「 至 徳 の 天 皇 で あ る

」 と 申 し た と い う

。 こ れ 以 前 に 蘇 我 蝦 夷 が 仏 教 的 儀 礼 に よ っ て 祈 雨 を 行 っ た が 失 敗 に 終 わ っ て い る

皇 極 天 皇 の 祈 雨 の 拝 礼 は

、仏 教 的 な 儀 礼 に よ っ て 行 わ れ た 蘇 我 蝦 夷 の 祈 雨 が 成 就 し な か っ た こ と を 受 け て 行 わ れ た も の で

、 こ の 時 に 天 皇 は 神 仏 を 対 象 と せ ず

、 四 方 及 び 天 を 直 接 拝 礼 さ れ た こ と を 重 要 視 し た い

中 国 に お い て 天 地

・ 四 方 を 祭 る こ と は

、 古 く は

『 周 礼

』・

『 礼 記

』 に 記 述 か 見 ら れ る

『 周 礼

』 春 官 大 宗 伯

玉 作

六 器

。 以 礼

天 地 四 方

。 以

蒼 璧

。 以

黄 琮

。 以

青 圭

東 方

。 以

赤 璋

南 方

。 以

白 琥

西 方

。 以

玄 璋

北 方

『 礼 記

』 曲 礼 下 第 二

天 子 祭

天 地

。 祭

四 方

。 祭

山 川

。 祭

五 祀

。 歲 徧

。 諸 侯 方 祀

。 祭

山 川

。 祭

五 祀

。 歲 徧

。 大 夫 祭

五 祀

。 歲 徧

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『 礼 記

』 曲 礼 下 第 二 の 鄭 玄 注

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四 方

。 謂

五 官 之 神 於 四 郊

。 句 芒 在

。 祝 融

。 后 土 在

。 蓐 収 在

西

。 玄 冥 在

『 礼 記

』 曲 礼 下 第 二 の 孔 穎 達 疏

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天 子 祭

天 地

。 祭 天 謂

四 時 迎

。 祭

五 天 帝 於 四 郊

『 周 礼

』 に よ れ ば

、 玉 を 以 て 蒼 璧

・ 黄 琮

・ 青 圭

・ 赤 璋

・ 白 琥

・ 玄 璋 の 六 器 を 作 り

、 そ れ ら を 用 い て 天 地 四 方 を 祭 る と さ れ る

。 具 体 的 に は

、 天 を 祭 る に 蒼 璧

、 地 を 祭 る に 黄 琮

、 東 方 を 祭 る に 青 圭

、 南 方 を 祭 る に 赤 璋

、 西 方 を 祭 る に 白 琥

、 北 方 を 祭 る に 玄 璋 を 用 い る

。『 礼 記

』 で は

、 天 子 は 天 地

・ 四 方

・ 山 川

・ 五 祀 を 祭 る と さ れ

、 諸 侯 と 比 較 す れ ば

、 特 に 天 地 と 四 方 は 天 子 の み が 祭 る こ と が 許 さ れ て い る と い え よ う

。 鄭 玄 注 に は

、 四 方 の 祭 り は 五 官 の 神

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を 四 郊

( 東

・ 南

・ 西

・ 北

) に 祭 る こ と と 説 き

、 孔 穎 達 疏 で は 天 子 が 天 地 を 祭 る こ と は

、 四 時 の 気 を 迎 え 五 天 帝 を 四 郊 に 祭 る こ と を 指 す と 解 し て い る

。 ま た

、『 礼 記

』 の 思 想 に 基 づ く か 不 明 で あ る が

、『 漢 書

』 に

「 令

祠 官

天 地 四 方 上 帝 山 川

。 以

時 祠

」 と 見 ら れ る よ う に

、 前 漢 の 高 祖

( 劉 邦

) は 祀 官 に 命 じ て 天 地 四 方 を 祭 ら せ て お り

、 古 く か ら 天 子 が 天 地 四 方 を 祭 る 実 例 も 窺 い 知 る こ と が で き よ う

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『 周 礼

』・

『 礼 記

』に 見 え る「 天 地 四 方

」の 祭 礼 は

、鄭 玄 注 と 孔 穎 達 疏 の 記 述 か ら『 大 唐 開 元 礼

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に 記 載 さ れ る「 冬 至 祀 圜 丘

」・

「 夏 至 祭 於 方 丘

」・

「 立 春 祀 青 帝 于 東 帝

」・

「 立 夏 祀 赤 帝 于 南 郊

」・

「 季 夏 土 王 日 祀 黄 帝 於 南 郊

」・

「 立 秋 祀 白 帝 於 西 郊

」・

「 立 冬 祀 黒 帝 於 北 郊

」 な ど の 郊 祀

(「 昊 天 上 帝

」・

「 皇 地 祇

」・

「 五 方 上 帝

」 を 祀 る

「 大 祀

」) に 相 当 す る と 考 え ら れ

、 こ れ を 我 が 国 の 元 旦 四 方 拝 に お け る

「 天 地 四 方 拝

」 と 同 一 視 す る こ と は で き な い

。 し か し

、「 天 地 四 方

」 を 祭 る こ と が で き る の は 天 子 の み に 限 定 し て い る こ と に 注 目 し た い

。 鷲 尾 祐 子 氏 は

、 祭 祀 を 差 別 化 し 身 分 間 の 序 列 を 明 確 化 す る 意 図 で

、 天 地 祭 祀 を 天 子 に 限 定 す る 思 惟 が

、『 礼 記

』 曲 礼 が 成 立 し た 紀 元 前 四 世 紀 中 葉 に は 存 在 し た と 指 摘 し た 上 で

、 天 子 が 天 地 を

、 諸 侯 が 社 稷 を 祭 る と 規 定 さ れ た こ と は

、 天 子 が 普 く 天 下 を 支 配

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