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平 三 年 の 対 策 と 聖 武 天 皇 即 位 に 関 連 し て

は じ め に

第 二 章 に お い て 桓 武 天 皇 の 延 暦 四 年

( 七 八 五

同 六 年

( 七 八 七

文 徳 天 皇 の 斉 衡 三 年

( 八 五 六

に 交 野 の 円 丘 で 行 な わ れ た 昊 天 祭 祀 を 取 り 上 げ

、 そ れ ぞ れ が 実 施 さ れ た 背 景 や 政 治 情 勢 な ど を 手 が か り に 考 察 し た

。 こ れ ま で 桓 武 天 皇 に よ る 昊 天 祭 祀 の 実 施 は

、 光 仁 天 皇 の 即 位 に よ っ て 天 武 天 皇 系 か ら 天 智 天 皇 系 に 皇 統 が 遷 っ た こ と に 伴 う

、 桓 武 天 皇 自 身 が 持 っ て い た 新 王 朝 概 念 に 基 づ く も の と 理 解 さ れ て き た

こ れ に 対 し 前 章 で は

、 桓 武 天 皇 自 身 が 初 め て 外 戚 に 渡 来 系 氏 族 を 持 ち

、 そ の 血 統 に よ り 立 太 子 の 時 点 か ら 皇 位 に 対 す る 不 安 要 素 が

、 当 時 の 朝 廷 内 部 に 存 在 し た こ と に 注 目 し

、 自 ら の 正 統 性 を 示 す の み な ら ず

、 皇 位 の 所 在 を 明 ら か に し

、 国 家 の 安 定 を 保 つ た め に 昊 天 祭 祀 を 行 っ た と 理 解 さ れ る と 結 論 付 け た

郊 祀 の 受 容 時 期 に つ い て は

、 河 内 春 人 氏

『 続 日 本 紀

』・

『 大 唐 開 元 礼

』・

『 大 唐 郊 祀 録

』 に 見 え る 祭 文 を 比 較 し

、『 大 唐 郊 祀 録

』 の 成 立 が 貞 元 年 間

( 七 八 五

~ 八

〇 四

) で あ る こ と か ら

、『 大 唐 開 元 礼

』 が 宝 亀 度 の 遣 唐 使 に よ っ て 持 ち 帰 ら れ た 可 能 性 を 検 討 し て い る

。 河 内 氏 が 設 定 さ れ た 受 容 時 期 は

、 桓 武 天 皇 の 郊 祀 を 意 識 し て の も の と 考 え ら れ る

。 し か し

、 筆 者 は 中 国 に お い て 冬 至 に は 南 郊 の 儀 と 朝 賀 儀 が 密 接 な 関 わ り を 持 ち

、 い ず れ も 重 要 視 さ れ た 儀 礼 で あ る こ と に 着 目 し

、 聖 武 天 皇 即 位 の 翌 年

、 す な わ ち 神 亀 二 年

( 七 二 五

に 日 本 で 初 め て 冬 至 朝 賀 が 行 わ れ た こ と か ら

、 聖 武 天 皇 即 位 の 前 後 の 段 階 に お い て

、 既 に 観 念 的 な 知 識 と し て 郊 祀 が 日 本 で 理 解 さ れ て い た 可 能 性 が あ る と 類 推 し た

第 二 章 の 初 出 発 表 後 に

筆 者 は

、『 経 国 集

』 巻 二 十 に

「 天 平 三 年

( 七 三 一

) 五 月 八 日

」 の 日 付 を 持 つ

「 郊 祀 之 礼

」 に つ い て 取

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り 扱 っ た 対 策 の 存 在 を 知 っ た

。 こ の 対 策 の 存 在 は

、 前 章 の 受 容 時 期 に 関 す る 類 推 を 大 き く 手 助 け す る 史 料 で あ る

。 本 章 で は

、 こ の 天 平 三 年

( 七 三 一

) の 対 策 に つ い て 考 察 を 加 え

、 そ の 知 識 は い ず れ の 段 階 で 受 容 さ れ た の か を 改 め て 検 討 す る

第 二 章 で は 冬 至 の 受 容 に 主 眼 を 置 き

、 唐 に お け る 冬 至

・ 郊 祀

・ 朝 賀 儀 の 関 わ り か ら 類 推 し た も の で あ っ た

。 し か し

、 桓 武 天 皇 以 前 に 郊 祀 を 実 施 し た 例 は な く

、 郊 祀 と い う 言 葉 も

『 日 本 書 紀

』 の 神 武 天 皇 紀 に お い て 確 認 さ れ る だ け で あ り

、 し か も そ れ は 昊 天 上 帝 を 祀 る 本 来 の 意 味 と は 全 く 異 な る も の で あ る

。 し た が っ て

、 奈 良 時 代 に お い て 本 来 の

「 郊 祀

」 の 用 例 は 示 さ れ ず

、 知 識 が 存 在 し た と 類 推 す る に は

、 史 料 的 に は あ ま り に 薄 弱 で あ っ た

。 本 章 で 紹 介 す る 対 策 の 存 在 に よ り

、 天 平 三 年

( 七 三 一

) の 段 階 に お い て す で に 郊 祀 に 関 す る 知 識 が 日 本 に 伝 え ら れ て い た こ と を 実 証 で き る の で あ る

。 一

、『 経 国 集

』 に 残 る 天 平 三 年

( 七 三 一

) の 対 策

は じ め に

、『 経 国 集

』 に 残 さ れ た

「 郊 祀 之 礼

」 に 関 す る 対 策 の 全 文 を 挙 げ て お く

。 な お

、 対 策 は 船 沙 弥 麻 呂 に よ る も の と 蔵 伎 美 麻 呂 に よ る も の の 二 通 が あ り

、 出 題 は 同 文 で あ る こ と か ら

、 蔵 伎 美 麻 呂 に 対 し て の 出 題 は 省 略 す る

『 経 国 集

』 巻 二 十 問

。 郊 祀 之 礼

。 責

簡 尚 存

。孟 春 上 辛

。 有 司 行

。 由

是 正 月 上 辛

。応

南 郊

。 歴

盈 縮

。 節 気 遅 晩

。立 春 在

辛 後

。 郊 祀 在

春 前

。 因 以 為

。 不

知 進 退 適 用 之 理

。 何 従 而 可

船 沙 弥 麻 呂 臣 聞

。登

大 宝

而 垂

。審

高 居

而 宰

。莫

二 儀 之 化 育

。 法

四 気 之 環 周

。服

蒼 玉 於 早 春

。 建

朱 旗 於 孟 夏

。 今 聖 撫 運

。 暉 光 日 新

。 明 徳 内 香

。 仁 風 外 扇

。 由

是 禾 秀

瑞 頴

。 時 表

歳 精 之 名

。 亀 啓

霊 図

。 屡 紀

天 平 之 号

。 猶 思 節 有

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遅 速

。 暦 亦 盈 虚

。 立 春 上 辛

。 或 逓 先 後

。 斯 乃 奉

遵 穹 昊

。 敬

授 民 時

。 竊 以

啓 蟄

而 郊

。 明

之 魯 策

。 立 春 迎

。 著 在

周 篇

。 然 則 拝

帝 南 郊

。 是 存

啓 蟄 之 後

。 迎

気 東 北

。 非

立 春 之 前

。 因

此 而 言 上

。 事 在

。 謹 対

天 平 三 年 五 月 八 日

蔵 伎 美 麻 呂 対

。 臣 聞

。 哲 王 御

。 郊 祀 為

。 明 后 臨

。 祰望 為

。 故 知

。 拝

天 之 礼

。 乃 往 帝 之 良 規

。 報

地 之 儀

。 寔 前 王 之 茂 範

。 雖

復 馳 驟 云 異

。 沿 革 不

。 莫

遠 郊

而 焚

。因

厚 地

而 埋

。 遂 使

莫 声 遠 著

。 茂 実 遐 流

。踰

千 祀

而 永 存

。 経

百 代

而 不

。 郊 祀 之 設

。 無

上 辛

。 事 不

。 因 為

常 会

。 然 而 日 月 廻 薄

。 盈 縮 時 改

其 行

。 節 気 推 移

。 遅 速 或 変

其 序

。 立 春 後

。 祀 日 先 春

。 不

一 致

。 寧 須

同 塗

。 且 夫 進 退 殊

。 聞

諸 鄒 衍 之 談

。 推 歩 定

。 勤 在

容 成 之 説

。 唯 愚 謂

。 適 用 之 理

。 宜

時 便

。 事 備

司 存

。 何 煩

更 議

。 謹 対

天 平 三 年

( 七 三 一

) 五 月 八 日 の 日 付 は

、 船 沙 弥 麻 呂 の 対 策 に の み 記 載 さ れ て い る

。 し か し

、 蔵 伎 美 麻 呂 に 対 す 出 題 内 容 が

、 船 沙 弥 麻 呂 と 同 じ で あ る こ と か ら 考 え れ ば

、 お そ ら く 二 通 の 対 策 は 同 年 代 の も の と 考 え て 差 し 障 り が な か ろ う

出 題 に は

、 郊 祀 の 礼 は

「 孟 春 上 辛

、 有 司 事 を 行 ふ

」 と あ り

、 正 月 上 辛 に 有 司 摂 事 に よ り 斎 行 さ れ る 儀 礼 で あ る と 認 識 し て い る

。 中 国 に お い て も 通 常 は 有 司 摂 事 で あ り

、皇 帝 親 祭 に は 即 位 後 な ど 特 定 の 年 度 に 限 ら れ て い る こ と は

、金 子 修 一 氏 の 研 究

に よ っ て 明 ら か に さ れ て い る

。 郊 祀 は 皇 帝 親 祭 で 行 わ れ る も の が 本 来 の あ り 方 で あ る

。 し か し

、 唐 に お い て は 有 司 摂 事 が 恒 例 化 し

、 皇 帝 親 祭 が 臨 時 祭 的 な も の に 逆 転 し て い た た め

、 日 本 で も 恒 例 の 儀 礼 は 有 司 摂 事 で あ る と 知 識 の 上 で は 理 解 さ れ て い た も の で あ ろ う

。 実 際 に 行 わ れ た 三 度 の 郊 祀 を 考 え れ ば

、 延 暦 四 年

( 七 八 五

) は 勅 使 の 名 を 欠 く が

、 延 暦 六 年

( 七 八 七

) と 斉 衡 三 年

( 八 五 六

) は い ず れ も 大 納 言 が 勅 使 と し て 発 遣 さ れ て お り

日 本 に お い て も 郊 祀 は

、 有 司 摂 事 で あ る こ と を 恒 例 の 儀 礼 と す る と 理 解 さ れ た 現 わ れ と い え よ う

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こ の 対 策 で 問 者 が 一 番 の 主 題 と し て い る こ と は

、「 立 春 在

辛 後

。 郊 祀 在

春 前

。 因 以 為

」 で あ る

。 こ れ は

、 正 月 上 辛 の 郊 祀 は

、 通 常 な ら ば 立 春 が 上 辛 の 日 の 後 ろ に あ り

、 郊 祀 は 春 前

、 す な わ ち 立 春 よ り 前 に 行 わ れ る と 理 解 し て い る

。 し か し

、 こ の 定 義 に 疑 念 が あ る と い う こ と で あ る

。 儀 礼 を 円 滑 に 斎 行 す る に は 弊 害 と な る の で

、 何 れ に 従 い 儀 礼 を 斎 行 す べ き か と 問 う て い る の で あ る

。こ れ だ け で は 難 読 で あ る が

、『 日 本 暦 日 原 典

』に よ れ ば

、天 平 三 年( 七 三 一

)の 正 月 上 辛 は 正 月 二 日

、立 春 は 天 平 二 年( 七 三

) 十 二 月 二 十 一 日 に あ た る

。 つ ま り

、 天 平 三 年

( 七 三 一

) の 正 月 上 辛 よ り も 前 に 立 春 が あ り

、 立 春 の 前 に 祭 祀 を 行 う こ と が 理 想 で あ る が

、 こ の 年 は 上 辛 と 立 春 が 逆 転 し た め

、 こ の よ う な 発 問 が 行 わ れ た と い う 単 純 な 解 釈 が 成 り 立 と う

。 し か し

、 暦 を 検 証 す れ ば

、 天 平 三 年

( 七 三 一

) の み を 正 月 上 辛 と 立 春 が 前 後 し た 事 例 と し て 問 題 視 し て い る も の で は な い と 推 察 で き る

。 大 宝 元 年

( 七

〇 一

) か ら 天 平 三 年

( 七 三 一

) ま で 満 三 十 年 と な る

。 こ の 三 十 年 間 の 暦 を 検 証 す る と

、 天 平 三 年

( 七 三 一

) と 同 じ く 立 春 が 正 月 上 辛 よ り 前 に 来 る 年 は

、 実 に 二 十 二 年 も 存 在 す る

10

。 つ ま り

、 立 春 の 前 に 祭 祀 を 行 う こ と が で き る 理 想 の 年 は 三 十 年 間 で 八 年 し か な か っ た こ と に な り

、 暦 と の 相 違 が 多 く

、 儀 礼 の 斎 行 上 の 重 大 な 問 題 で あ る こ と か ら

、 こ の よ う な 出 題 が な さ れ た と 理 解 で き る

。 こ れ は 郊 祀 に 対 す る 当 時 の 問 題 意 識 が

、 い ず れ に あ っ た の か を 知 り 得 る 数 少 な い 史 料 で あ る

。 後 で 紹 介 す る が

、 船 沙 弥 麻 呂 と 蔵 伎 美 麻 呂 も

、 こ の 問 題 に 関 す る 明 確 な 答 え は 示 し て い な い

『 大 唐 開 元 礼

』 に よ れ ば

、 こ の 正 月 上 辛 の 郊 祀 は

、 正 確 に は

「 皇 帝 正 月 上 辛 祈 穀 于 圜 丘

」( 巻 六

)、 あ る い は

「 正 月 祈 穀 于 圜 丘 有 司 摂 事

」( 巻 七

) と 記 さ れ る

。 祈 穀 と は

、 天 子 が 年 穀 の 豊 穣 を 祈 願 す る も の で あ り

、 日 本 の 祈 年 祭 が 中 国 の 祈 穀 郊 の 影 響 の 下 に 設 け ら れ た 可 能 性 を 考 え る 見 解 も 見 ら れ る

11

。 中 国 の 正 月 上 辛 の 郊 祀 は

、 知 識 と し て 日 本 に は 伝 わ っ て お り な が ら

、 日 本 で は 神 祇 祭 祀 で あ る 祈 年 祭 が 行 わ れ て お り

、 正 月 上 辛 の 郊 祀 を 実 施 す る 必 要 が な か っ た と 考 え ら れ よ う

。 冬 至 の 郊 祀 の 伝 来 に つ い て は 次 節 で 詳 し く 検 討 す る が

、 正 月 上 辛 の 儀 と 並 ん で 中 国 歴 代 皇 帝 の 重 要 な 儀 礼 で あ る こ と を 考 え れ ば

、 正 月 上 辛 の 郊 祀 と 同 じ く 天 平 三 年

( 七 三 一

) 以 前 に は 知 識 が 伝 わ っ て い た と 考 え ら れ る の で は あ る ま い か

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文 徳 天 皇 朝 の 斉 衡 三 年

( 八 五 六

) の 郊 祀 は

、 十 一 月 二 十 五 日

( 甲 子

) に 行 わ れ て い る

12

し か し

、 こ の 年 の 冬 至 は 十 一 月 十 七 日 で あ っ て

、 冬 至 の 日 よ り 遅 ら せ て 行 わ れ た こ と に な る

13

。 そ し て 十 七 日 は 辰 日 節 会

、 前 日 の 十 六 日 は 新 嘗 祭 が 行 わ れ て い る こ と が 確 認 さ れ る

14

。 中 国 で は 重 要 な 冬 至 の 昊 天 祭 祀 で あ っ て も

、 日 本 に お い て は

、 そ れ よ り も 神 祇 祭 祀 た る 新 嘗 祭 を 重 要 視 す る 意 識 が み ら れ よ う

。 正 月 上 辛 の 儀 よ り も 祈 年 祭 が 行 わ れ て い る こ と を 考 え れ ば

、 日 本 で は 古 く か ら 冬 至 の 郊 祀 も 知 識 と し て は 伝 わ っ て い た も の の

、 冬 至 が ほ ぼ 十 一 月 中 に あ た り

、 新 嘗 祭 の 斎 行 時 期 と 一 致 す る た め 実 施 さ れ な か っ た と 理 解 す る こ と が 可 能 で あ ろ う

。 ま た

、 冬 至 宴 は 神 亀

・ 天 平 年 間 に 限 ら れ

、 平 安 時 代 に は 朔 旦 冬 至 の 例 の み で あ る こ と も

、 新 嘗 祭 の 斎 行 時 期 と 関 わ る と 考 え ら れ る

次 に

、船 沙 弥 麻 呂 と 蔵 伎 美 麻 呂 に つ い て は

、両 名 と も こ の 対 策 以 外 に は 名 前 が 見 え ず

、経 歴 も 不 詳 で あ る

。船 氏 は

、『 日 本 書 紀

』 に よ れ ば

、 蘇 我 稲 目 が 勅 を 奉 り

、 王 辰 爾 に 船 賦 を 数 え 録 さ せ

、 辰 爾 を 船 長 と し

、 船 史 の 姓 を 賜 っ た と あ る

15

。 関 晃 氏 は

、 こ の 王 辰 爾 を 一 世 か 二 世 の 新 し い 帰 化 人 と 考 え

、 後 に

『 続 日 本 紀

』 延 暦 九 年

( 七 九

) 七 月 十 七 日 条 に

、 津 連 真 道 の 上 表 に 辰 孫 王 を 祖 と す る 伝 承 が 見 ら れ る こ と は

、 西 文 氏 と の 関 係 が 深 ま っ た と き に

、 西 文 氏 と 同 じ く 古 く か ら 伝 統 あ る 氏 と 主 張 す る た め

、 西 文 氏 の 始 祖 で あ る 王 仁 の 伝 承 を も と に し て

、 辰 孫 王 の 伝 承 を 作 り 上 げ た と 指 摘 す る

16

。 ま た 井 上 光 貞 氏 は

、 辰 孫 王 の 伝 承 は

、 王 仁 の 伝 承 を 仮 冒 し た も の と 述 べ る

17

。船 氏 の 中 に は

、 船 史 恵 尺 が お り

、 彼 は 皇 極 天 皇 四 年

( 六 四 五

)六 月 の 乙 巳 の 変 の と き に

、 炎 上 す る 蘇 我 蝦 夷 の 邸 宅 か ら

、『 国 記

』 を 取 り 出 し 中 大 兄 皇 子 に 献 じ た こ と で 有 名 な 人 物 で あ る

18

。 元 興 寺 の 僧 で あ っ た 道 昭 の 父 は

、 船 恵 尺 で あ る と 卒 伝 は 伝 え て い る 19

蔵 氏 は

、 王 仁 を 始 祖 と す る 西 文 氏 か ら 分 れ た 氏 族 で あ る

。 請 田 正 幸 氏 は

、 蔵 伎 美 麻 呂 以 外 に 王 仁 を 祖 と す る 諸 氏 に も

、 馬 大 名

( 班 田 司 算 師

)・ 浄 野 宿 祢 夏 嗣

(『 経 国 集

』 の 作 者

)・ 浄 野 宿 祢

( 蔵 史

) 宮 雄

( 大 学 助 教

) が お り

、 い ず れ も 学 問

・ 文 芸 の 系 統 で あ る と 述 べ て い る

20

。 井 上 氏 は

、 西 文 氏 の 一 族 と 船 氏 の 一 族 と は 居 住 地 が 近 接 し て お り

、 両 者 は 同 じ よ う に 行 動 し て い た と 指 摘

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