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―『オセロー』における“taint”を含む台詞についての小論考―

松 浦 雄 二

(総合文化学科)

All You Need is Love?: an Interpretation on the Lines Including the Word “taint” in

Othello

Yuji M

ATSUURA

キーワード:シェイクスピア、任命権者、評価、名誉、愛       Shakespeare, power, estimation, honour, love

-128- 島根県立大学短期大学部松江キャンパス研究紀要第53号(2015年)

と、ヴェニス共和国という世界では、ヒエラルキー のトップにいる大公を中心に「国家を代表し国事に 参与される元老議員諸卿、敬愛おくあたわざるご一 同」(小田島雄志訳) 2)が続き、それにかしづき従 う者たち、すなわち「周辺」が続く、というかたち である。

 オセローたち軍人の世界は、ヴェニス社会全体で は周辺であるが、軍人の世界そのものも上と同様の かしづきの中に上官と部下というかたちで位置づけ られる。中心と周縁を結ぶ直線的な軌道を想定する と、オセローたち軍人は、自分が挙げた功績によっ て、その軌道上の中心に近い方位に位置するか、周 縁に近い方位に位置するかが定まる。もちろんここ で注意すべきは、オセローの出自である。異邦人で あるオセローは、本来的には、ヴェニス共和国とい う白人キリスト教社会に存在せず、従って周縁どこ ろか、その埒外にある。オセローは、ただ彼の軍事 的功績によって中心にいる人々に認められてのみ、

ヴェニス社会の中心に近い周辺、要人として位置す ることができる存在であり、ヴェニスという地域に 白人に生まれてキリスト教の洗礼を受けただけで、

一市民としてともかく社会の枠組みの中に無条件に 取り入れられることができる人々とは、一線を画さ れた存在である。その意味ではオセローは、軍人と しての存在意義を失えば、所属を望んでいる世界の 埒外に飛ばされる危うさと常に隣り合わせである。

 一方、女性の中だけにも中心-周縁の関係がある。

中心から周縁に向かう軌道上に、デズデモーナ、エ ミリア、そして娼婦であるビアンカの順に続く。こ の女性たちの世界は、男性中心の世界では周縁に追 いやられるものだが、白人でキリスト教徒である。

つまりそれは、男性が持っている様々に有利な条件 や権益などについて、女性が意識し所有の権利を主 張しなければ、あるいは侵さなければ、ヴェニス共 和国という社会の中の位置づけにあっては安定的に 存在できる、ということである。ただ、ビアンカは 少し違う位置づけになるが、それは後に言及したい。

3.任命権者と評価と存在理由

 『オセロー』という芝居の中では、ヴェニス共和

国の中心にいる人々は、概ね社会的地位を持ってい て、概ねその地位に伴う命令権や任命権などの権力 も持っている白人男性キリスト教徒として登場す る。また、そのような人々は、地位や権限という、

社会の運用システムの中にきちんと組み込まれてい る社会統治装置を所有しているだけではないように も見える。例えばそれは、オセローの最初の方の台 詞の中にも滲み出ている。オセローがヴェニス共和 国の公人としてヴェニス大公の前に初めて出て来る 時に「お歴々」に対して呼びかける言葉は、そのこ とを物語るように見える。

 OTHELLO

  Most potent, grave, and reverend signors,   My very noble and approved good masters, . . .        (1.3.77-78) 3)

この「いかにも勿体ぶった呼び掛け」 4)は、オセ ローがこれから行う一連の自分の物語への序奏であ り、またその物語る内容の伴奏としても響くであろ う。現実の生活の中で用いられるこういう、‘potent, grave, and reverend’と言ったような言葉遣いは、た だのお決まりの定冠詞程度に使われる場合もあれ ば、ただの「おべんちゃら」として使われる場合も あるかもしれない。が、劇が進むにつれ、一連のオ セローの語りには或る態度があったのだと感じ取る ことができるであろう。彼がくどいぐらいに用いる これら人間の立派さを表わす形容詞に、儀礼的な響 きを、というより寧ろ言葉通り誠実に気持ちを込め て使おうとしているような態度である。

 イアーゴーに簡単に騙されてしまう、「大らかで 真っ直ぐな」(松岡和子訳)オセローの言葉遣いは、

言葉は大仰だが良い意味でも悪い意味でもオセロー という人間の単純さを感じさせる。「中心」の人間 には、その地位・権限に伴う名声があり、あるい は、他者から尊敬も敬愛も受けるような、人望を得 ることができるような人間性がある  「正直な」

オセローの台詞には、そのような言説的な「中心」

の人間像を、イアーゴーに騙されるのと同じぐらい 単純に肯定していることが、劇の進行に従ってほの

松浦雄二:彼と彼女の大事なもの -129-

めかされていくように思われる。そういう言説にお ける善き人間性は、個々人の実態としては本来的に は地位・権限の絶対的属性ではあり得ず、基本的に は別問題の、違う次元の話であるが、オセローの大 仰な言葉遣いは、地位・権力と人間性が相調和する ことを彼が前景化しているように感じさせるのであ る   ちょうど外見は内面に調和しているものと 信じ込むのと同様に。それはあくまで上の形容詞の 言葉遣いの、オセローにおける側面であって、普遍 的真理ではないことを観客は感じるであろう。オセ ローと、上の台詞でオセローが呼びかけたヴェニス の要人たちとの1幕3場におけるやり取りは、お互 いの人間性をえぐり合うような、人間性の深い所が わかるような、そこまでのやり取りとしては描かれ ていない。ここでは、地位・権限を持つ人がその属 性として善き人間性をも持つという前提・言説を承 認する、自身善き人であるオセローの言葉遣いがあ るのである。もちろんこのような態度は、オセロー にとって「お歴々」が、自分のヴェニス社会での存 在理由を左右する権限を持つ任命権者であることと 表裏一体である。このオセローの、言説の承認の仕 方に、オセローがヴェニスという白人キリスト教社 会で生きていくスタンスというものがまず、現われ されている。オセローを軍事作戦の総責任者と認め て任命できる権限を持ったこれらの人々がオセロー の軍事的功績の大きさと意義を認めること、その任 命権をオセロのために行使すること、すなわち彼ら のオセローへの「評価」(“estimation”) 5) が、有色 異邦人オセローのヴェニス社会における存在意義を 生成しているのである。

 任命権者によって軍事作戦推進権を与えられた者 でも、例えば(イアーゴーのように)「任命されて 当たり前」と思う者もあるかもしれない。が、劇の そこここでオセロの人となりの立派さが伝えられて いる観客は、先の引用の仰々しさが、ヴェニス社会 に評価され得る「高潔さ」とも結びつくものだと感 じていくであろう6)。主人公にとって、またキャシ オー、イアーゴーにとって、任命権者のestimation とは、ヴェニス社会における自らの存在意義と抜き がたく結びついており、評価に伴う‘reputation’「評

価、評判、名声」という言葉とも、当然、緊密な関 係を持っている。イアーゴーの計略にまんまと乗せ られ、酔って不祥事を起こしたキャシオーが繰り返 し叫ぶ“reputation!”(2.3.258ff.)の言葉は、劇中 の軍人の世界では、中央-周縁をめぐる鬩ぎ合いに おいて「評価」がいかに本質的に重要で致命的であ るかを物語るものである。軍人の鬩ぎ合いの世界に おける任命権者はオセローであるが、その権限と評 価の関係を一番よく身に染みて知っているのはイ アーゴーであり、後でも触れるが、評価されないこ とで起こる男の‘jealousy’の毒を劇中に振り撒く。自 身がその毒に犯されて、彼は、上官であるオセロー、

キャシオーより一段上の認識力を悪魔のように駆使 して、謀略の限りを尽くすのである。

4.鬩ぎ合うもの、合わないもの

 話をヴェニス共和国に戻せば、ヴェニス共和国と いうのは、白人かつ男性が権力を握って国政を運営 する、キリスト教徒が中心の世界である。であるか ら、先に述べた、白人と有色人種、男性と女性、キ リスト教徒と異教徒という中心-周縁の関係が三重 に重なっている世界である。この世界の中で主だっ た人々は、白人男性キリスト教徒であることに加え、

中心にいるための権能を握っているので、その中心 に座して動く必要がない。軍人の世界におけるよう な、周縁から中心を目指しての競争・鬩ぎ合いが無 い。それから、女性たちも、基本的に、中心に座し て自ら動く必要はない。デズデモーナは、オセロー と結婚することによって、白人社会の周縁をも超え た、白人キリスト教社会の枠外に追い出されるかの ようだが、オセローがヴェニス共和国に貢献する存 在である限り、白人キリスト教社会の中の中心的位 置・地位を外れることは無く、その社会の中に留ま る。また、デズデモーナの父ブラバンショーは、皆 の前で、しかも筋道の通ったことを理解し許容でき る父親として、一度悪魔呼ばわりしたオセローを娘 の夫として公認する。大公と肩を並べる権勢を持っ ている政治家として描かれているブラバンショーか らも結婚を許されたお墨付きをもらったことで、オ セローは白人キリスト教社会の枠そのものからはは