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第 3 章 舌端母音—その音声的特徴と体系的位置づけ

5.3 型の中和

5.3.2 平板中和

下降中和は主格助詞 =nu が単独で後続するときにも起こると松森 (2010: 494) は述べている

が、実際にはそうではない。青井 (2012b: 11) で私は、主格助詞 =nu が単独で後続する環境で

は、(11) とは異なる中和が観察されることを指摘した。(14) に名詞に主格助詞 =nu が単独で後

続する場合にアクセントの実現を示す。

(14) 助詞 =nu が付加されたときのアクセント実現(平板中和)

a. 下降1型: madu=nu ...「暇が…」 madu]nu

b. 下降2型: jadu=nu ...「戸が…」 jadunu 中和 c. 平 板 型: juda=nu ...「枝が…」 judanu

(14) に示した通り、主格助詞 =nu が単独で後続する環境では、型の区別は2つしか実現され

ない。すなわち (14a) 文節内(より具体的には当該名詞と =nu のあいだ)に急激な下降が生じ

る型と (14b, c) 生じない型である。3つの型の対立が2つしか実現されない点では、(14) の環

境における中和は (11) におけるそれと同じである。ただし中和する型の組み合わせにおいて両 者は異なる。すなわち (11) では下降1型と下降2型が中和していたのに対し、(14) では下降2 型と平板型が中和している。

(5) と (14) とを比較すると、下降2型のピッチパターンが異なっていることに気づく。つま

り (5b) では文節内にピッチの下降が認められたのに対し、(14b) ではそれが認められない。し

たがって (14) の中和は、下降2型のピッチ下降が失われることによって平板型のピッチパター

ンと一致した結果生じたと考えることができる。下降2型のピッチ下降が失われて平板型と中 和される点から、本章ではこのタイプの中和を「平板中和」と呼ぶことにしよう。平板中和は

共格助詞 =tu、や与格助詞 =n、対格助詞 =ju などが付加されるときにも生じる。これらの助詞

は、主格助詞 =nu も含め、すべて1モーラであるという特徴を共有している。

(14a) 下降1型のピッチパターンにも (5a) におけるそれとの違いが観察できることに注意し

ておこう。すなわち (5a) においてはピッチの下降が当該名詞の次末モーラに現れていたのに対 し(つまり ma]du)、(14a) においては当該名詞の最終モーラにピッチの下降が現れる(つまり

madu])。松森 (2014: 15) も付加された助詞によっては下降1型のピッチ下降位置が交替する(つ

まり ma]du ~ madu])ことを指摘している。下降1型のピッチ下降位置の交替は、5.3.1節で述べ たように、韻律語は2モーラの形態素からなる、言い換えれば、1モーラ助詞は独立して韻律語 をなさないと仮定することで、記述ができる。

(14) の韻律構造は、(15) のように、1つの文節に対し1つの韻律語を含むと分析される。

(15) 名詞に1モーラ助詞が単独で付加されたときの韻律構造 a. 下降1型: madu=nu ...「暇が…」

{(ma.du.nu)}

b. 下降2型: jadu=nu ...「戸が…」

{(ja.du.nu)}

c. 平 板 型: juda=nu ...「枝が…」

{(ju.da.nu)}

5.2.3節で提示した (7) のアクセント規則に従えば、(15) のとき下降2型は(平板型とではな

く)下降1型と中和することが予測される(五十嵐 (2015: 34))。言い換えれば、平板中和では なく、下降中和が予測される。なぜなら (15) は (13) と同じ韻律構造を持っており(ただし文 節・韻律語に含まれるモーラ数は異なる)、(13) においては下降中和が生じているからである。

しかし同じ韻律構造を持つと仮定される (15) においては、下降2型のピッチパターンは、1つ 目の韻律語で下降するパターン(つまり jadu]nu)ではなく、ピッチの下降を持たない平坦なパ ターン(つまり jadunu)をとる。そしてその結果、下降1型とではなく、平板型と中和してい る。

(7) のアクセント規則では平板中和を正しく記述することができないという事実について、五

十嵐 (2015) は、今後検討すべき価値のある可能性として次のようなものを提示している。すな

わち、一定の条件下において、従来の文節(名詞+助詞)よりも大きい範囲でアクセントが実 現するという可能性である。具体的には (15) の韻律構造を (16) のように考えるわけである(述 語として neen「ない」をとった場合)。

(16) 名詞に1モーラ助詞が単独で付加されたときの韻律構造

a. 下降1型: madu=nu neen.「暇がない。」 {(ma.du*.nu)(ne.e.n)}

madu]nu

b. 下降2型: jadu=nu neen.「戸がない。」 {(ja.du.nu)(ne.e*.n)}

jadunu

c. 平 板 型: juda=nu neen.「枝がない。」 {(ju.da.nu)(ne.e.n)}

judanu

(16) のように、「文節」を、名詞+助詞ではなく、述語まで含む単位と考えることができれば、

下降2型のピッチパターンを正しく記述することができる。つまり (16b) において「文節」内 の2つ目の韻律語は述語 neen に当たる。そしてその次末モーラにアクセント核が付与された結 果、従来の文節(名詞+助詞)においては下降がない平坦なピッチパターンで実現され(つま

り jadunu)、平板型と中和する。しかし (16) の分析は、その他に類例がなく、いわゆる文節よ

りも大きな単位でアクセントが実現される条件や要因を明らかにしていないため、現時点では アド・ホックな分析であると言わざるを得ない。