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図5 美化される自殺(〔事例n〕朝鮮日報,1990年9月16日)
が︑切羽詰まって追い詰められた危機
30 的 状 況 に お い て
は︑子殺しよりも優先 1
される別な判断規準︵法律には規定さ
れ て
い
ない一種の民俗文化的な価値規
準︶が作用してくるだけでなく︑社会
もそうした﹁事情﹂を察し︑可愛い我
が 子
を殺すほど︑親には余程の﹁事
情﹂があったのだろうと︑子どもを殺
した﹁事実﹂や﹁道義﹂よりも︑親の
事「
情﹂や﹁心情﹂に対する推察や心
的 仮 託
が
優先され︑一種の共感が注が
れ て いく構造が︑口韓には存在してい
るといえよう︒
これは例えぽ事例hの﹁大学生心変
りの恋人抱き抱えて焚身﹂に対しても
同じことがいえる︒ここにも殺害とい
っ
た 記 述 や 表 現は一切なく︑大学生の
側にもどこか同情しているために︑一
概 に 殺 害と書いて断罪することが揮ら れ て い
く︒事例aやbまたhにも︑子
どもや恋人を殺害したことが悪いこと
だと受け取れる表現が出てこないばか
〈親子心中〉をめぐる象徴的システムの日韓比較(1)
りか︑自殺に対しても︑これを罪悪視する記述は全く認められない︒そ
れ
よりも図5にあげた事例nになると︑﹁殉愛譜﹂といったように︑自
殺 を
む
しろ明らかに美化した価値意識も読み取れ︑西欧の神の意思への
冒漬とするキリスト教的な罪悪感とは︑相当の違いが存している︒ちな
み に
ヨ
ーロッパではフランス革命以降徐々に自殺禁止法を撤廃しはじめ
として︑正式に自殺禁止法を撤廃したのは一九六一年のことであった︒
︵31︶
たが︑イギリスが﹁自殺は宗教的問題ではなく︑医学上の問題である﹂紙
余
もないので︑以下では日韓の類似性よりも質的な相違の方に論点
を
移
していくが︑先に示した朝日新聞半月分の自殺記事を︑韓国の大学
生 二
〇
名に読ませて︑日本の自殺・親子心中に対し︑韓国人がどのよう
な印象を持つか︑自由記述式のアンケート調査を行ってみた︒この調査
の 詳 細 はまた別な機会に譲るが︑簡単に紹介すれぽ︑最も多かったのは︑
病「
気に罹かった人の事件が多い︒でも克ち抜く心が弱い﹂という感想
であった︒
例
えば事例3のディズニーランドの事件は︑妻が病気で希死念慮が強
く︑常々死にたいと口にし︑夫もそれに同情し︑また妻の痛みや苦しみ
を
見
るに見かねて︑それならいっそのことといった心理過程が︑日本人
なら容易に推定されよう︒しかし韓国人の感覚ではこの部分の心情・論
理 に
一
番の違和感を覚えるという︒韓国人ならぽ︑病気なら最後まで打
ち
克
とうとするだろうし︑家族も励ましたり︑皆で治そうと努力するだ
ろ
う︒そして最後に妻だけ自殺するかもしれないが︑夫や子どもがそれ
に同情し︑見かねて死ぬというのは信じられないという︒
韓国ならアボジ︵父親・家長︶が病気ならば︑残された家族に生活力
もなく︑生きていくのも難しいと判断されたときには︑同伴自殺する場
合
もあるだろう︒が︑妻の病気を家長が見るに見かねて一緒に死ぬなど
考えられず︑ましてや=歳の子どもが﹁お父さんお母さんが苦しんで
い
るのを見てボクも決めました﹂と遺書を書くなんて︑韓国の子どもな
ら︑絶対にこんなことを書くわけないと断言する︒とにかく韓国人なら
皆で病気を治すよう努力を尽くし︑また病気の本人が死ぬのは仕方がな
いというのが︑その典型的な見解であった︒
確 か に
そ
ういわれてみれば︑母子同伴自殺を除いた韓国の一家同伴自
殺
は︑アボジ中心的といった傾向が認められなくもない︒薄給や伝貰・
婚
需の準備ができないなど︑家長の責任を果たせないといった家長の単
独
自殺も︑日本とは違って相当数見られたが︑それはさておき︑日本で
は 先 の 記 事 を み
て
もわかるように︑障害とか病気を苦にし︑それを家族
が
「
見るに見かねて﹂というタイプが統計的にも多く︑またこうした心
情は日本人には極めて理解し同情しやすいものであるといえる︒
しかしここで仮に︑韓国の人々がいうように︑日本人家族において︑
病 人 を 家 族中で励ましたらどうなるか︒おそらく最初は励ますだろうが︑
そ
の
うちに励ましそれ自体が忌避されていくに違いない︒病苦の妻を励
まし続けたら︑妻はおそらく﹁あなたは病人でないから︑そんなことが
い
えるのよ︒私の苦しみなんてわかるはずない﹂と僻んだり︑たとえ口
に
出さずとも︑そうした被害妄想的な感覚を抱くことは容易に予測され
る︒妻を追込み︑妻にそうした孤立感や淋しさを与えないよう︑また妻
131
国立歴史民俗博物館研究報告 第54集 (1993)
に
自分自身が﹁冷たい人間と思われたくない﹂といった心理も働き︑そ
れ を 事 前 に 予 測 できるから︑励ましそのものが慎まれ揮られていく︒
す な わ ち日本人の心情・論理では︑励ますこと自体が﹁冷酷な人間﹂
を 意
味
してしまうのであって︑﹁情のない人間﹂と妻や世間から見倣さ
れるよりはと︑やはり一緒に死ぬことしか夫の選択は残されていない︒
つ
まり一緒に死ぬことが︑唯一夫に残された妻への励ましの方法なので
あって︑これがまた典型的な日本人の﹁情﹂の示し方なのだといえよう︒
一一歳の子どもの遺書も︑日本の子どもなら︑こうした自己犠牲的な
言
動が美しいこと善いことだと︑無意識に教え込まれているため︑こう
こと︑特に母親の気持ちを察することが︑日本の躾の一番の基調であり︑ ︵32︶ 書
く子どもがいても︑そう不思議ではない︒相手の立場に立って考える
そ れが
美徳として無意識のうちに内在化され︑価値体系としても機能し
て
い
るから︑子どもの遺書も︑自発的にそう書くよう仕向けられていた
といっても過言ではない︒
⇔ ﹁死の美学﹂の相違
これに対して韓国の事例aは︑一見︑ディズニーランドの事件と似て
い
るが︑細かく内容をみると大きな相違が認められる︒前述したような
家長中心の事件ということなどもあるが︑それよりも注意したい重要な
相違は︑その当時伝貰金が暴騰し︑そのための自殺者が続いたことで︑
記事の主眼はむしろこの点に置かれていることである︒
記
事の最後の段には︑嚴氏の遺書の一部が掲載されているが︑﹁暴騰
す
る不動産価格に自分の家の夢はさておき︑毎年上がる家の貸借料も充
当できない庶民の悲哀を︑家族たちに感じさせたくないL﹁経済担当者
た ち が 卓 上 空 論
で
実施する経済政策の度に外れて失敗し︑貧しい庶民の
︵33︶ 首
を絞める﹂とあり︑こういう内容が書かれていたために︑マスコミに
は 物 怪
の
幸い︑こぞって記事に取り上げたといっても過言ではない︒す
なわちこの記事の目的であり︑隠れされたメッセージは︑あくまで伝貰
金の暴騰︑政府の政策への抗議であって︑この同伴自殺自体は︑そのた
め の 手 段 に
す
ぎない︒この記事に見られるような抗議性・攻撃性が︑日
本
の
自殺記事︑さらには日本人の自殺自体との最も大きな違いといって
よく︑実は新聞が何を取り上げ︑どう記述するのか︑読者は何を新聞に
求めているのか︑また自殺記事が及ぼす現実の自殺への影響等が︑本来
最
も問題とすべき点であるが︑このメディアと社会との相互交渉は︑詳
しくは別稿に回さざるを得ない︒ただ簡単にいってしまえぽ︑韓国の自
殺 そ
の
ものも︑その抗議性に特徴があるが︑新聞もそのなかから主に抗
議 性 ︵34︶ (
憤り︶を取り上げていく傾向にあり︑これに対し日本の傾向は
迷「 惑 を 掛けること﹂にその基調があるといえる︒仮 に
事
例aのような事件が起こっても︑日本の新聞ならこうした記述
もしないだろうが︑論点を自殺自体に限っていくと︑日本人ならまずこ
ういった遺書も残さない︒たとえ政府の政策が悪くても︑おそらく自分
の 無 能 を
恥
じ︑遺書には﹁自分が悪かった︑もうこれ以上人々に迷惑を
掛 け
た
くはない﹂と書くだろうし︑たとえ原因は書いたとしても︑あか
らさまにそのせいにするような表現はしないことだろう︒誰かやどこか
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