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誕生・生まれ替

欝羅=㌦

 界 鼻幽

 五十年忌

三 十   ︵弔上げ︶ 三年忌

︐亭輻

〆ノ

虻 鵠 霧・ふ.

図6 日本人の通過儀礼と霊魂観(坪井洋文1984)

ら︑客たちにいろいろ

                      36

と語りかけている︒客 1

の 方 はきまって口数が

少なく︑その顔はこの

上もなく悲しげである︒

お 母さまが私に︑にこ や か に

「息子はよくあ

なたのことを話してい

ましたのよ︑それは親

しげにね﹂とやさしく

声をかけて下さる︒涙

が出るのは私の方だっ

た︒

韓国では︑両親はそ の 悲しみを表にあらわ すことによって︑同じ

ように悲しんでくれる

周りの人たちと一体化 する︒そこで︑悲しん で いるのは自分だけで はないと︑心が慰めら れる︒しかも︑悲しみ

〈親子心中〉をめぐる象徴的システムの日韓比較(1)

は 激 情 である︒その︑勢いよく濫れ出し湧き起こってくる悲しみは︑

とえ我慢しようとしても我慢できはしない︒そして︑張り裂けんば

りの働果と涙を抑えることなど︑誰にもできはしない︒韓国ではそ

 うなのだ︒

ご両親は︑生前のわが息子との楽しかった思い出をポツポツと客た

  ち に

りながら︑日本的な表現をすれぽ︑終始そのたたずまいを乱す

ことがなかった︒そして︑最後のお別れにと︑棺桶に空けられた小さ

な窓を開いて︑あの永遠の眠りについた安らかな顔を客たちに見せる

 時︑ご両親のほほにわずかにつたった涙が印象的だった︒

悲しいのは韓国の父母であれ日本の父母であれ同じはずなのに︑な

日本人はそれを我慢することができるのだろうか? いや︑なぜ我

  慢 するのだろうか? 私はそれを単に説明的に知っているに過ぎず︑

 感覚的に﹁わかった﹂ということができない︵中略︶︒

   一緒に悲しみを分かち合い︑少しでも悲しみを解消しようとする韓

国人に対して︑悲しい心の解消はできるだけ自分の内部で処理し︑ま

りの人々には迷惑をかけまいとする日本人︒そこには︑自分だけの

  特 別

感情をあらわにすることで︑他の人びとから孤立することを避

  けようとする︑申し訳なさそうで︑小さな姿を感じることができる︒

       ︵39︶  

日本入は明らかに︑すでに亡くなった家族との関係よりも︑いまに生

 きている人々との関係の方を重要視している︒

まさにここには葬送儀礼の違いばかりか︑日韓の感情表現の相違をは

じめ︑実に多くの違いが見事なまでに写し出されている︒また彼女は友

と行った旅行の途中︑一人が海で溺れてしまった体験を紹介し︑急遽

けつけたその友人の親がやって来るや否や﹁息子の死のために旅行を

中断させることになって︑本当に申し訳ありません﹂と︑何度も何度も

頭 を

げるその姿に︑﹁死んでいった友がいかにも哀れで︑心の底に強

        ︹40︶

い 反 発

感じていた﹂とも述べている︒ここに描かれているのは︑決し

て 誇 張 で

なく︑日本人の行動や心情の一面を実に的確に描写していよ

う︒

だ︑日本人は﹁生きている人々との関係の方を重要視している﹂と

う指摘には︑多少の違和感もあり︑若干の補足をするならば︑それは

単 に

人への気配りだけでなされるものではない︒感情表現︑特に苦し

感情は表に出さないのが日本的な美意識なのであり︑そしてそれは

死 者 に

しても向けられる︒つまり韓国流に泣かれたら︑死者は﹁死ん

でも死にきれない﹂のであって︑彼女には異様に見える親の振舞いも︑

この世に未練や恨みを残さぬよう︑早く霊魂が浄化するよう︑そのため

の 種}

儀礼的な振舞いなのであって︑それは日本人の霊魂観との関連

ぬきでは論じ切れない︒

  こうした日韓の死生観・霊魂観の違いは︑韓国人研究者の日韓比較論

よく説かれる武士道のほか︑仏教の受容の違いとも当然深く関わって

よう︒浬築という言葉は︑極楽浄土を指すほか︑現世にあってなお純

潔 な 生 を 営 み つ

ある聖者の霊魂状態をも表しているが︑輪廻から解脱

して霊魂を静寂のうちに帰せしめようという純粋な死が︑仏教の一つの

本 心

あって︑そのため生きたまま浬樂に入ろうとする捨身往生といっ

137

国立歴史民俗博物館研究報告 第54集 (1993)

た 思

も生まれてくる︒﹁往生ぎわが悪い﹂といった表現も︑ここに由

していようが︑日本では捨身往生として焼身往生や補陀落渡海といっ

自殺現象が︑平安末期から中世にかけて大流行する︒少し遅れて近世

に かけては︑一種の修行儀礼として土中入定や即身成仏︵ミイラ信仰︶

といった自殺現象も流行するほか︑さらには江戸時代以降﹁桜は日本の

原産﹂﹁桜は国花﹂という誤った観念が形成され︑祖国のためには﹁桜

花の如く散りぎわ美しく死んでこそ男の本懐﹂と教え込んだ近代軍国主

義の特攻精神も︑こうした流れのなかでの一種の自殺現象といえる︒

日本仏教と自殺の関連もいずれ考えたいが︑こうした仏教やまた武士

などの︿伝統﹀のなかで︑﹁静寂な死﹂や﹁潔い死﹂も尊ばれていっ

た の

あって︑それは無個性化し浄化されていく日本の霊魂観とも深く

関わりながら︑今日の日本人の死生観を形成している︒

お︑わりに1今後の課題ー

稿で多少論じておく予定であった︑その他の相違点についても︑改

別稿を用意しなければならないが︑最後に問題点のみいくつか箇条

書き的に指摘しておきたい︒

  そ の

一つ

は︑自殺が衝動的で︑感情や破壊衝動が外側に向っていく特

とも関連していようが︑韓国には﹁自殺の名所﹂が成立していない点

ある︒日本人の死に方の場合︑やはり﹁死に場所を選ぶ﹂とか﹁死に

どころを得る﹂といった表現がしぼしば使われるように︑自殺にとって も﹁死に場所﹂が極めて重要な構成要件となっている︒﹁死に場所を誤 る︵間違える︶﹂ことは︑日本人の心情にとって︑死を完成させず︑未

練 を 残

ことにもなる︒日本人のこうした心性が︑どのように︑またい

頃成立したものか︑未決の大問題であるが︑その要因の一つに近松門

左 衛門によって完成された﹁道行﹂との関連が指摘されよう︒

  近松が元禄一六年︑﹃曽根崎心中﹄で完成させた﹁心中の道行﹂とは︑

文学・演劇的には︑地名を順次列挙しながら叙景と持情を融合させる︑

間と空間の推移を描く表現形式であるが︑一方それはこの世とあの世

を 結 ぶ 道 程

もあり︑心を浄化していく過程であるともいえる︒現実の

自殺においても﹁自殺の名所﹂とは︑そこに辿りつくまでに未練や恨み

昇華していく過程として︑﹁穏やかな死﹂を迎える儀礼として機能し

り︑また日本では情死・親子心中とも︑単独自殺より景勝地など風

光明媚なところが選ぼれる傾向が遥かに高い︒

 一方韓国の場合︑そうした傾向は全く見られない︒自宅に多いのは︑

ドルで練炭ガスが手段に採られやすいこともあるが︑その衝動的な

自殺傾向との関連も当然存しよう︒釜山太宗台の自殺岩︵写真2︶の成

立 過

も︑今後追究していかねばならない課題であるが︑集めた事例を

る限り︑死に場所として選んで来るというよりは︑家族や友人らと観

光 で 偶 然

れ︑景観美に誘われるように投身する例が多く︑やはり衝動

的な傾向が認められる︒

 もう一点︑指摘しておきたいのは︑捨子︵棄児︶との関連である︒日

本の場合︑親子心中が大正末期以降急増するのとは対照的に︑図1にも

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〈親了心rl・〉をめぐる/裂徴的シスーアノ・の11付比較(1)

写真2−a 釜川市太宗台展望台の全景

(晴れれば,ここからは対馬カミよく見える)

写真2−b 展望台の中心にある母r像

写真2−c 「ちょっと(待て)!」の看板

したように︑近代以降の捨子の激減傾向が認められ︑この

逆 相関の関係から︑両者には深い関わりのあることがわかる︒

なわち近代化・都市化によるn本社会の変質で︑子育て

はすべて血を分けた生みの親の責任という観念が生成され︑

どもを残し親だけ口殺することが︑捨fと同様︑我が子を

見捨てる非情な行為として︑また他人に迷惑をかける無.貝任

な行為︵養育の放棄︶と見倣されるに至ったことが︑親r心

      ︵41︶中を発牛.させた社会的な要因であるといえる︒

  しかし韓国の場合︑こうした川関が認められず︑同伴自殺

増加と並行し︑近代化の進行とともに棄児も増加傾向にあ

らしい︒この点︑H本とは全く対照的である︒﹁孤児輸

出国﹂の汚名を雪ぐため︑九力年より政府が規制を強めたこ

とから︑その汚名も雪がれつつあるが︑それ以前の状況は︑

                             

5でみるように︑保健

写真2−d 釜山市太宗台の展引台

   (自殺岩:土こ・ハドに]うろ)

社会部の公式統計におい

も︑ .九八∪〜八八年 の問︑年平均捨てられた 子ども︵棄児︶は一万二

∩ リ リ名︑累計一●万五 一

六名にも達し︑うち 五 九%の六万︒︑=一一二名                        39

      1

が 海外入養されたという︒

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