• 検索結果がありません。

たしかに,現在の日本の学部教育にみられるようなカリキュラムと同様 の制度的枠組みを18世紀後半から19世紀後半のドイツの法学部に見いだそ うとすることは,困難であるばかりか,いささか非歴史的な発想であると さえ思われる。しかし当時においても,在学期間中に法学生が受講すべき 諸科目やそれらの科目を学んでいく上での受講の順序については,緩やか なものではあれ,事実上のアウトラインが存在するのではなかろうか。す なわち,ここまでの検討をふまえると,次の三つの条件が,そのアウトラ インを複合的に形成しているものと考えられるのである。

① 諸邦〔国〕における国家試験の出題内容および受験資格は,学生の 受講行動に対して事実上の拘束力を有し,一定の規則的な科目受講のあり 方を促すような制約条件であるといえる。ただしその条件といえども,国 家試験との関連という文脈に限り,なおかつ大学で最低限受講しておくべ きコアとなる科目の部分について範囲を定めるという意味で,拘束力をも つにすぎない。

これに対して,学生に推奨される受講のモデルである「学びのプラン」

は強制力をもたないが,学生自身による学びのメニューの構築に対し,た

とえ参考としてではあっても具体的な影響を与えうる。特に,様々な科目 を受講していくうえで,適切に学びを積み上げることや学びに体系性をも たせることについて学生が指針を求める場合,①のような制約条件よりも,

むしろ「学びのプラン」の方が学生の学びの中身について実質的な影響力 を及ぼし得るであろう。そして「学びのプラン」は,② 大学・学部当局 によって提示されている「公式」のものと,③ 個々の教員や著作家によ る出版物(例えば法学教育に関する著作,学生向けに大学での学びや学生 生活をガイドする著作など)の中に掲載されているいわば私家版のプラン,

という二種類に大別できる。

以上から,①〜③の要素は,程度や文脈の差はあれ学生の受講のあり方 に影響を与えており,それらの相互作用の上に,当時の法学部における科 目受講の進め方に関する一定の輪郭線が形成されていると考えられる。ま とめて言えば,まず①は,実質的な強制力を伴って,大学で最低限学んで おくべき科目について範囲を定める。だが,①による科目指定以外にどの ような科目をさらに学ぶべきかについて,そして,どの科目をどのセメス ターで学ぶべきかといった実際の受講の仕方について,②および③の「学 びのプラン」は,任意的なものではあれ学生に対して具体的な指針を示し うる。なおかつ,大学・学部によって公式に出される②のタイプの場合は,

その大学の所属する邦〔国〕における国家試験および同受験資格(①)に 対応した内容になっていると仮定してよいであろう。③の私人による「学 びのプラン」であっても,特定の大学や地域での就学を想定して作成され ている場合には,当該の邦〔国〕における①の条件を前提とする内容であ ると考えられる(たとえば,第2編第3章第1節で取り上げるアドルフ・

ズッコウ刊のプランは,国家試験の受験資格との関係について明確に言及 している)。

それゆえ以下では,「学びのプラン」(上記②および③)を読み解いてい くことにより,まずは大まかな輪郭という次元であっても,当時の法学部 における入学から修了までの科目受講のモデルを仮説として描出すること

を試みたい。たしかに,そのようにして導き出されるモデルに細部まで沿 うかたちで,個々の学生の実際の受講が行われているとは限らない。だが 本稿にとっては,18世紀後半から19世紀後半の刑法家のもつ知的素養を理 解していくという目的のために,当時の法学生に対して期待されている典 型的な学びのパターンを把握できればそれで十分なのである。

なお,続く第2編では,基本的に古い時代から新しい時代へと時系列的 に「学びのプラン」を取り上げていくことにする。その際,考察の対象と する時期を,18世紀後半,19世紀前半および19世紀後半の三つに区分する。

「学びのプラン」の中には,専門的な法学系科目のみを取り上げているも のと,法学以外の学問分野に属する「教養」的な科目も併せて取り上げて いるものとがあるが,本稿では両者とも考察の対象とする。大学教育の場 において,法に関する専門的な知が隣接諸学の知との間にいかなる影響関 係をもって存在し修得されていくのかを問うことは,ドイツ近代刑事法学 の学問的特性を同時代の補助学との関わりの中に位置づけつつ幅広く理解 していくという筆者のこれまでの関心からしても,重要なことである。法 学生の専門的な学びにとっての「教養」的な諸科目の意義を考えることは,

さらに大学教育史一般という視点からみて重要な問題であるばかりか,現 在の高等教育における専門科目と教養科目との適切な関係について考える 際にも,歴史的視点から一定の素材を提供することにつながるであろう。

ただし,以下での「専門科目」および「教養科目」という表現は,当時に おける歴史上の概念としてではなく,あくまで説明のための便宜的な概念 として使用する。

第2編 近代ドイツにおける法学部の「学びのプラン」

関連したドキュメント