⑴ 人と家畜との親密な関係
家畜飼育は400年にわたりジュンベシ谷の植生に影響をおよぼしている。定住村での有畜農 業、高度差を利用した移牧の生活により、人と家畜との関係が極めて親密である。村人は山の 中で出会う家畜の所有者をすべて識別している。また人と家畜の関係は緊密で親しい関係にあ り、他人の家の家畜を識別し、名前まで知っている。 8 歳の子供が集落のすべての家畜の名前 を知っていることに驚いたことがある。村での日帰り放牧でも、朝夕の群れの誘導は子供の仕 事である。移牧している期間は常時家畜と生活をともにしている。人々は家畜が食べる植物の 嗜好性の程度、食べない植物の知識を子供の時から日常生活を通して身につけていく。
家畜は重要な財産であり、仔家畜がビク(シェルパ語で毒)を食べて死んだという話はよく 耳にする話題である。村の中で家畜を屠殺し、食肉にすることはない。
ジュンベシ谷にはヤク、ゾム、ウシ、ヤギ 4 種の家畜が常住し、ヒツジは高山草原の放牧地 への移動の往復時に通過する。それぞれの家畜は、生活できる高度と食草選択に幅がある。ヤ クは夏には標高5000mまで放牧し冬には標高3000mまで下ってくる『写真 3 』。食草は草本植物 とタケ類である。ゾムは標高4500mから冬にはセメカルピフォリア・カシ林帯の下限の標高2300 mまで下降することができる。ヤクの食草に加え、樹木の葉やヤクよりは多くの種類の草本植 物も食べ、ウシに近い食草選択をする。
村で飼育されているウシは、日帰り放牧では森林や草地の植物、刈り落とした枝の葉、畜舎 では干し草の他に、コムギ、オオムギのワラ、カブやニンジンなど野菜、チャン(酒)の搾り かすなどが与えられる。
グルン族のヒツジの群れは、夏の 2 ヶ月を高山草原で放牧し、秋の 1 ヶ月程度はジュンベシ 谷に滞在し、日中は森林と草地で放牧、夜は畑に宿営し畑に糞による施肥をする。この群れに は群れを先導する数頭のヤギが混じっている。冬には亜熱帯の標高200mまで下り、往復を繰り 返している。ヒツジは移牧される場所では草本や低木、刈り落とした樹木の枝の葉を食べる。
ヤギは亜熱帯から中間山地帯で広く飼育され、ジュンベシ谷の周辺部では標高2600m前後ま で飼育されている。食草選択はヒツジと同様に最も幅広く、ウシやスイギュウが食べない植物 までも食べる。急峻な斜面にも入り込み食草を食べ、飢えれば木にも登り葉を食べる。
⑵ ヤク、ゾム、ウシ、ヒツジ、ヤギの食草の嗜好性
表 1 の⑦には、飼料植物を野生の樹木、草本、畑の雑草、タケ類に大別して、人が刈り取っ て家畜に与えている植物に限って記した。ヤク、ゾム、ウシ、ヒツジ、ヤギは野外では多種の 野生植物を食べているので、野外での食草の嗜好性について概要を記す。
①高木性樹種: 8 件の呼称を得た。いずれもブナ科常緑樹である。枝を刈り取り葉を家畜に 与える。最も重要な飼料植物であるセメカルピフォリア・カシ、
pising
(Quercus semecarpifolia
) が、pising karuとpising nakpu
『写真15、16』とに明確に識別されていることは、特筆すべき ことである。葉の開葉・落葉の季節相が 4 ヶ月異なり、しかも垂直分布高度を分けている。pisingkaru
は 8 月に落葉し、 9 月に新葉を出すので家畜の冬の飼料として適している。標高2100〜2650mに分布する低地型である。一方
pising nakpu
は 5 月に落葉し、ひき続き新葉を出す。標 高2600m以上に分布する高地型である。葉を重要な冬の飼料とする牧者は 2 型を明確に認識し ている。このことを、植物研究者はこれまで見過ごしてきた。Quercus semecarpifoliaとその近縁種群は中国西南部からミャンマー、タイ北部、チベット、
ヒマラヤ山脈の山地帯から高山帯に広域にわたり分布している。すでに記載されている分類群の 再検討はこの地域の自然史の解明に待望されている。筆者は既に花粉形態の共同研究をおこなっ たが両者を識別する成果は得られていない。遺伝子レベルの分子系統地理研究はヒマラヤから東 アジアの山地帯の植物相と植生帯の成立の歴史を解明する手がかりになる可能性を秘めている。
このほかのブナ科常緑樹の
amdung、amdungkaru、amdungsepre、gauje、pyakar
は、いずれ も照葉樹林帯の上部の優占種であり、葉が家畜の冬の最上の飼料であるために刈り取られる。なお、照葉樹林帯の下部の優占種のシイ属の 2 種、ヒメツバキ属、ヤマモモ属の葉は、家畜が 食べることができず、家畜小屋に敷いて堆肥を作るのに利用されるだけであり、飼料木として 激しい枝打ちを受けることはない。家畜の高木性樹種に対する食草選好性は、ヒマラヤの森林
に対する人間のインパクトを考慮するにあたり重要である。
②亜高木性樹種:20件の呼称を得た。枝を刈り取って葉を家畜に与える。常緑樹の
chasingba、
gising、omiso、zomso
などは冬の家畜の飼料。落葉樹のkhilok
(カエデ属、 3 種あるが区別され ていない)、syolung、doomなどは春に若葉を食べる。charyaは秋まで利用される。khambuche の生葉は食べられるが、乾燥してくると有毒になる。クスノキ科のkarmasing、ハイノキ科の thalasing
等はヤギだけが食べる。③低木とツル植物:低木は12件、ツル植物は 2 件、呼称を得た。
ngyangimは ヤ ク が 好 む 植 物。akthungaは 家 畜 が 食 べ る が 評 価 は 低 い。larenは 若 葉、
rapchermang
は春先に新芽が食べられる。furmang、reso、saakum(Lyonia villosa)はヤギと ヒツジだけが食べる。ツル植物のキヅタ属・reche
は家畜がもっと好む植物である。④タケ類: 8 件の呼称を得たが、学名は不明。分類学研究が必要である。タケ類は桿の用途 別に使い分けられている。モミ林の林床に群生する
serngung
の葉は、ヤクの重要な飼料である。⑤草本植物:59件の呼称を得た。これには、種と対応する呼称、近縁種ないし同属の複数の 植物種の呼称、外見が類似した植物の総称が含まれている。種に対応する例として、tepkurは ヤクがもっとも好む植物である。このように利用価値がありよく目立つ植物には分類学の種と 一致する呼称がついている。
lasyupは
Senecio wallichii
を含む近縁種 3 種、このうちlasyupkaru
とlasyupnakpu
が識別さ れている。buckyochermang(アザミ)、rambu
(イブキトラノオ)、tokchar
(ツリフネソウ)、toluk
(キジムシロ)は、同じ属の数種の植物を表している。花の色、サイズ等が異なる別種の植物で あるが、家畜が食べる栄養成長段階の植物体の共通性に因る呼称であろう。tokcharには種ごと に家畜の嗜好性の違いが認識されているが、区別する呼称はない。pachabuluはヒゲハリスゲ 属の数種の植物である。keengyalはヒゲハリスゲ属の 1 種、葉身は匍匐性で
pachabulu
と区別 されている。jyangmaはスゲ属と葉の幅が広いヒゲハリスゲ属を含んでいる。イグサ科の植物 は群生して生えることはなく、量的に少ない。 家畜はイグサ属・charhildungba
を見つければ食 べる程度である。ヒツジやヤギだけが食べる植物はbale、luksademendok、 mendokserma、 potituk
などである。ヒマラヤ高山帯で多様な種分化を遂げたシオガマギク属・
luksademendok、サクラソウ属・
paakemendok
は、いずれも家畜が少し食べる程度の植物である。家畜ごとに食草選択が異なるので、食草の食べ分けが見られる。一例をあげればゾムは
mendokserma
(Senecio chrysanthemoides)の群生地を通過していくが、ヒツジの群れやヤギ は、とどまって花を集中的に食べていくのを目撃した。⑥畑の雑草:13件の呼称を得た。畑の雑草はウシの飼料に使われている。干し草に加工され
るのは
nangmicha。新たな帰化植物の chaboso、ilame
は、その特性が評価され干し草に利用されている。
表 3 には、家畜の食草になる植物について多くの呼称が蒐集されているが、それには上記の 5 種の家畜の食草に対する多様な嗜好性が反映している。
⑶ 家畜が食べない植物
25件の呼称を得た。ツツジ科のシャクナゲ属植物は、花が美しくヒマラヤの花景観を代表す
る植物であり、先述のフッカー(Hooker J. D)がイギリスに導入したロンドンのキュー植物園 のシャクナゲの植栽は著名である。しかし、シャクナゲ属の葉は家畜が食べることができない。
ジュンベシ谷のシャクナゲ属の植物は
kalma
( 2 種)、keemasur、 keesul、 masur、 masurthemba、
mikpasing、phikalma、tongmarmendok
の 9 種である。なお、ドドクンデ氷河の標高4500mか ら標高3800mのLumding Kharka
にいたる湿生の北西斜面には、約10種からなる壮大なシャク ナゲ帯が成立している。ジュンベシ谷の人々は、シャクナゲの花を愛でることはするが、庭に 持ち込んで楽しむことはない。他のツツジ科のbuluk、saakum、クスノキ科の sisi、ハイノキ科
のthalasing、低木の chasing、naplung、小低木のキク科の keefurmang
などは、いずれも家畜が 食べない。草本植物では
keerhauche、rhauche、thagnum
など、過放牧地に優占する植物は家畜が食べ ない植物である。またchanam
は葉身が固く家畜が食べず、箒を作るのに利用される。tukは家 畜が食べない草本植物の総称であり、フウロソウ属、トリカブト属、キク科など類縁の離れた3 種が含まれていた。
⑷ 干し草利用と飼料木
野生植物のスゲ属・
cheew
、cheu
(Carex sp.
)を誘導して作る草地(cheubari
、チューの草 地)、kharを株分けして移植し草地(kharbari、カルの草地)を造成することは既に報告した(土屋和三1999)。耕地の雑草は、通常は除草の対象にしかならないが、ジュンべシ谷では14種 の雑草が飼料として利用されている。とくに作物の収穫後も、メヒシバ近縁種・
nangmicha
を 畑にのこし、干し草として利用する工夫が見られた。あらたな侵入植物の畑の雑草のchaboso、
ilame
もその特性を見極め、干し草に利用している。中間山地帯では、畑の外縁部に家畜の飼料にする多種の飼料木が植えられている(土屋和三 1996)。ジュンベシ谷ではシダレヤナギ・
changmal
とポプラ・poplus
の 2 種が導入されている が、飼料になる野生植物に恵まれているので重要な飼料木ではない。このように植物には多くの呼称がある。それは、 5 種の家畜の食草選択の多様性がもたらし たものであろう。昆虫には呼称は少なく、例えば蝶と蛾を区別する呼称はなかった。
本稿で取りまとめた、民族自然誌名彙植物篇は、シェルパ族の人たちの民族学資料である。
シェルパ族の旧地、チベットでの呼称との比較研究も必要である。