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士族社会における門中制度の形成

身分制度の一環として唐系格による系図制度が導入されて以来、沖縄社会に、中国的宗 族制度に倣った門中制度が定着するが、実際に近世期の士族社会にはどのように門中制度 が形成されたのであろうか。本稿では次の点に注目しながら、近世期の士族社会に形成さ れた門中制度の実態を明らかにしたい。すなわち、第

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に注目したいのは、門中的組織の 成立過程およびその内容である。士族社会に、門中組織がどのような成員によって構成さ れ、どのように継承されていく社会単位として成立したのかを系時的に明らかにしたい。 第二に注目したいのは、門中的祖先祭杷の成立過程およびその内容である。中国の宗族同 線、沖縄の門中組織も祖先祭犯を行う単位として成立するが、実際に近世期の士族社会で は、門中を単位としてどのような祖先崇拝の形態が生まれるのかを、これも系時的にあき らかにしたい。このような点を明らかにすることによって、系図を中核とした身分制度を 導入した近世沖縄社会にどのような新たな士族アイデンテイテイが形成されたのかを明ら かにするためである。

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項 門中的組織の成す

ここでは、まず、近世士族社会に系図に関わるどのような規則が提示されたのかを明ら かにするために、 [系図座規模l

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大与座規模帳j、および

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四本堂家礼jのなかの 各関連筒所を検討する。それを踏まえて、次に、その諸規則が具体的場面でどのように適 川されたのかを明らかにするために、 『評定所余議

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の跡目関連余儀の検討をおこなう。

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系図座規模帳

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の分析

第lの点に関して、まずは『系図座規模帳

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の分析を通していくつかの点を明らかにし たい (184)0 同規模帳は、王府公認系図の記載内容や維持管理に関する諸規則を定めたも ので、

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年(薙成8)に摂政、三司官、評定所の連名で系図座に出された文書である。

系図座設置後約40年の歳月が経過しているが、この時期になってようやく系図制度に関す る問題が整理され、全体の方針が定まったものと思われる。系図座規模帳は系図に関する 規則内容を記したものであるが、系図を基にして門中は組織化されるので、系図に関する 規則は門中組織を規定する規則でもあるのである。同規模帳を本稿の観点から整理すると 以下のようになる。

第lに、この時点で諸士が、新たな先祖や由緒などを系図に追加記載したり、記載内容 の修正を要求することに関して次のような規定が示されている。

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̲‑御当国往昔者氏名乗系録無之諸事之rI記茂取失至近代漸日記等委鋪罷成品

1 :

系鉱j交 為被仰付儀候依之前代之事爾今難考得訳余多有之候勿論御世譜ニ茂足信

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rJ者被利記 l賞候然処諸士之家家伝とて元祖立井由緒相記度願出之方向後取持問敷事 (第 1条)

先祖立ニ付而古御印判言上写等ニ相見得候出ニ而申出方茂有之候得共前代将軽自

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ニも御印判被下爾今多致紛敷候且又言上之儀氏名乗茂不相記同名余多何某之物共夫 不分IYJ難相来し候剰御系図座布!立及数拾年今以訴出候儀弥紛敷有之畢克掠人之*11]"能 成候間右休之願不相達御印判者則々可取揚事(第

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条) (185) 

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~条は、当国では昔は氏名乗も用いていなかったし、記録も失われて不明な点が多いの

で、諸上が家伝といって新たな祖先や由緒の記載願いを出してきても今後は認めないとい う主宵であり、第

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条は、古い言上写しなどを根拠に新たな祖先の記載を申し山る名‑もあ るが、前代は軽い役職にも印判を与えたので紛らわしいうえ、氏名乗の記載がなく同名が 多いので特定しがたく、かつ系図座設置後数

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年を経た今になって訴えでたのではますま す紛らわしく、掠入の基になるので、そのような願いは認めないし、御印判も取り上げる という主宵である。これらの条文は、この時期になっても士族たちが、新たな机先や出絡 を発見したと称して、王府に系図修正や追加!記載を願い出る動きがかなり頻繁にあったこ とを示している。この

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条項が規模帳の冒頭、に掲げられているところからみて、諸士から 山きれる系図修正願いが王府にとって大きな問題であったことがうかがえる。というのも、

系図を身分制度の中核においている以上、系図の不確定は身分制度の動揺につながる事態 だからである。したがって、王府側としては、身分制度を確立するためには系図の修正要 求を抑えて系灰

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そのものを確定する必要があったのである。

ここでとくに確認しておきたい点は、このような諸士による系図修正要求は現代の

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純 社会におけるシジタダシ(筋正し)の源流ともいうべき動向であるという点である。

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本 当の担先

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を発見してそこへと自己の系譜を結びつけていこうとする沖縄の人々の指向性 およびその営みは、系図座が設置され、系図が身分制度の中核的制度物として採川される

と同時に始まっているのである。すなわち、近世期の沖縄士族社会において「本当の机先」

を探し11',すことは、自身の王府内部での地位を向上させることと直結していたのである。 したがって、沖縄社会において現在もなお続いている「本当の祖先」探しの源流はここに 求めることができると思われる。

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に、家督相続者の優先順位については次のような規定が見られる。

無足之者跡目之儀身之計迄ニ而次男三男より家督させ候儀不宜儀侯向後一門親類次 書を以ql日¥候ノい能々遂l吟味於御系図座可相違事(第

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条) (186) 

}~~足人の跡目については自分勝手に次男や三男にに家督相続させることはよくないことで あるが、親族一門の理由書を添えて申請があれば考慮するという主旨である。長男優先相 続の原則が示されている。冒頭で「無足之者

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と限定しているので、島持ーちゃ女11行持ちは この限りではないということであろうか。しかし、島持ちゃ知行持ちの家督相続に関する 冬項が別個にあるわけではないので、この原則は島持ちゃ知行持ちにも適用されるものと 忠われる。なお、文中に「一門」という用語が見られるが、後述の[評定所余儀jの分析 によって明らかになるように、この語は、 18世紀に入って門中組織が形成される過程で用 いられるようになったもので、それ以前には見られない用語である。

第3に、嗣子がいない場合には養子を迎えることになるが、養子選定の範囲については 56 

次の規定が示されている。

並代新参之家嗣子無之養子取候棚訟を以一門之者より及言上可為継之危同等之親類 より茂可継由緒を以訟出侯ハ、遂吟味及言上可相達候万一同等親類之内ニ

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継者於 不罷居者系絶候儀不便ニ候間新参家より茂養子可取由緒於有之者能々ll床之

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二及弓

上可相達候無系之者より養子之願一向取持問致事

附及系絶候者先祖之内申口座吟味役相勤候嫡流又者当人島持或知行持之方f1‑~H~ 系 より吟味之上及言上可相達事(第

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条) (187) 

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代・新参家で嗣子がいなくて養子を迎える場合、一門から迎えるべきであるが、理由を 添えて申請すれば同等の親類、から迎えてもよい、同等の親類にも後継者が見つからない場 合には、系絶するのは不便で、あるから、理由があれば新参家から養子を迎えてもよいが、

無系の者の養子願いはいっさい認めない。ただし、系絶となる者のうちで祖先が巾口座l吟

│床役を勤めた者の嫡流、あるいは当人が烏持ちあるいは知行持ちの場合は、無系から養子 を迎えてもよいという主旨である。この条文には養子同門制の原則が示されているが、そ れは絶対的規定ではなく、それが不可能で、あれば一定の範囲内での例外も認めていた。ゴ:

府にとっては諸士の家格の確定とその継承こそが眼目だったのである。

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に、正妻以外の女性との聞に生まれ子どもの取り扱いに関しては次のような規定が 設けられている。

一 於諸島ニ妾相求子共致出生系釣入度願出候方所之者能存知之上一門親類証拠書を以

伊守

帰国三ヶ月限ニ申山候ハ、系釣置迄ニ而居住付可相記候又懐胎内帰国之方者生産次 第可申出候若致遅引二三年相過訟出候ハ、取持間敷事

附嗣子於無之者其跡嗣計者及言上可差免事(第 7条)

於 ~11 舎妾相求子共致生産系釣入度願之方所之者能存知之上門親類証拠蓄を以! 日限中山候ハ、居住付可差免事

附右同断(第

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条)

一 妾之備茂無之者江出生之子共系継入度願之方畢寛乱人倫掠之基候間一向取持問敷事 (第11条)

傾城之為山生之子共系継入儀乱人倫基候間曽而相達間敷十

附傾城相止以後出生之子又者唐大和人取合以後出生之子共右同断(第14条) (188) 

第7条は、沖縄本烏以外の離島で、妾をもうけて生まれた子どもを系図に入れたいと願い山 た者について、地元の者が事情を承知しており、かつ一門親類の証明書を添えて帰国後

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カ月以内にLrl請すれば系図への記載と居住を認める。妊娠中に帰国した場合には誕生次第 申請すること。2、3年経った後で申し出ても受け付けないが、嗣子がいない場合には嗣 子についてだけは認めるという主旨である。第

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条は、本島内の地方で妾をもうけて産ま れた子供に関する同様の規定であるが、この場合には申請期限を30日以内に限っている。

第11条は、その女性を妾としての処遇もしていない女性との聞に生まれた子どもを系図に 掲載したいという申請があった場合は人倫が乱れ掠入の基にもなるので認めないという、

旨である。第14条は、傾城(遊女)との間に生まれた子どもの場合も同様の理由で認めな い、傾城をやめた後に産まれた子供、あるいは中国人や大和人と関係を持った後にできた 子どもの場合も同様に認めないという主旨である。正妻以外の女性との聞に生まれ子ども の場合、妾として処遇し、かつ地元の者も一門親類も認め、さらに一定期間以内に申請し

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