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 ここで問題となるのは[国民]と「臣民」が、前述したように言語的構 造が違っているというだけではなく、その政治的、イデオロギー的な使い 方がちがっていることである。つまり、明治政府は「天皇制国家」を正当 化し、天皇の臣下(=subj ects)として、日本の人民すべてを国家に組み込

むことを目的として、「臣民」という言葉を意識的に選択したのである。

これは、序論で指摘された「政府の言語的魔術1と呼ぶべき「言語操作」

の典型的な一例としてあげられるだろう。 「臣民」のほうが、君主を除い て、被治者を体現した言葉であるからだ。とりわけ、 「天皇・皇族・君主」

などのような国家の構成員はこの「臣民Jlこは当然含まれないことになる。

これは、大日本帝国憲法「臣民権利義務」にも示されてあるように、日本 の近代国民国家における体制側が示した公式の「ネーション1観であった。

 「臣民」は現実に日本の敗戦まで政治用語として人々を支配し続けたが、

「国民」も日常に広く浸透した。このように長期にわたって続いた「臣民」

と「国民」の対立と並存は、日本人の社会的政治的な意識を探る興味深い 現象である。しかしこのような並存にはついに終止符が打たれた。敗戦に より「天皇制国家」が崩壊し、天皇が人間宣言をし、日本における「君主」

に対する考えが根本的に変化することになったのである。1946年H本国憲 法は次のように「国民」を宣言する。 {国民の権利及び義務} {すべて国 民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地に

より、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない…}

 ここにおいて日本の「全体」が史上初めて、西欧的な平等原理に基づく

「ネーション」に近い形成としての「国民」の政治的存在が公式に宣言さ れ、 「国民」が1946年日本国憲法に登場したことによって、正式に日本国 の政治的な概念となった。

]v 結び

 イスラーム社会に基づくエジプト、あるいは日本における政治言語研究 の一部とするこの本論を終えるにあたって、政治的に形成された「シャア ブ1と「国民」の変容及びその定着の実態に関し、次の2点に注目してま

とめたい。1点目は、西欧との接触という現象をみた場合、両文化にとっ て「接触1とは何を意味し、それによってどのような結果がもたされたか

という点である。

 7世紀以降、コーランの普及に始まり、政治思想や制度の変遷を通して、

現実生活に使われている言葉の形成と変遷の分析をした。イスラーム世界 における政治的な存在の実践知覚論、次に西洋との接触による国民国家の

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ての轍員が国家の一つの枇して完全に結合されていない・その1つには・

「皇族」が「国民」の一部としてみられていないことが理由としてあげら れよう.つまり、「国民」という諜であれ・「臣民」という譲であれ・

胎者」とr被治者」とを区別レ両者鮒立する立場であることを含み として持っている。結果として、近現代日本のfネーション」観において s.この2つの単位の区別ははっきりと調られる・しかしながら・硝の 間にはそれぞれの灘と権利という明確な規定が設けられたため・日綱 民は、単なる・subject、・・だ}ナではなくなった・それは齢上の「国民」の 基本的な特徴と思われる。

古典用語のウンマは汰衆を「臣」の「則と指すよりも「嚇」を含 蓄して指すという特徴がある.世俗的な用語のウンマもミッラも齢上の 蟻において各単位の撒・権利を含むが・r瀦」と「被治者」をBl」々 にせず洞者を合わせて指す語彙である.なぜならば・コーランによって 規定され嫌治嬬では翅者と繊酉己者のそれぞれの役目が設けられて いるが、シャリーアの下で「ひと」は皆博しいものである・この思想が・

イスラ_ム登場以来現代に至るまで、コーランとV・う伝統に基づいて近代 化繊の「ウンマ」、そしてシャアブ(Dtil」fikRの関係を翅している・従 って近代啓蒙家繍じたように、国家の「全体」の中に酬的なもの・あ るいは「臣」が眠」と対立する立場}こはなりえない・シャアブ鵬は・

国家の構頗耐べてを含んで指す蹄であるとV・う特徴を持っている点    「国民」と違うところである。が.

 麟との繊虫のもとで、藤醜家によってエジプトと日本に導入された

「ネ_シ。ン」などの世紬な聴iま、剛の国民国家形成のために効果 的な繰をもたらしたが、臓化における伝統的な政治聡の上に意識的 な混乱も引き起こしたことはいうまでもない.これは現代のエジプト人及 びアラブ人が、どのように自分のアイデンティティを考穏識しているの  か、個人がどのような共同体を想定し、自分の所属意識を抱いているのか・

つまり「複合アイデンティティ」という問題である・こ醐題自体淋稿 の対象ではなかったが諏り上げた政治語奨の「二面性」にみられる政治 馴の混乱は宇常的であると同時}こ中東地域の麟的な醜でもある・

  同様に、現代躰語でいう「国則にも同じ蹴がみられる・具体的に 述べると、「天皇観」の他、昧の住人として存在レあるいは躰を故

国としているのに日本国籍を取れない人々に関する諸問題である。中国残 留孤児の人達や、日本が国土に帰そうとしている北方領土の住民などが、

咽民」に対して、どのような地位を占めているかという問題がある。そ して「全体」としての「国民」は、外国人を除いて日本領土に存在してい る人々すべてを含むか;否か。それぞれ、本論では論じなかった問題とし て残されている。

本論において欧化主義のネーション概念の対応された政治語彙とりわけ

「ウンマとシャアブ」と「臣民・国民」の研究を行ってきたが、それぞれ の概念における歴史的な変遷に基づいて、言葉の政治的な働きとその関係 が明かになるように試みた。イスラームの政治言語的な研究から出発して、

日本のポリティカル・ボキャブラリーにおける特徴にも気付きはじめ、比 較検討するに至った。この方法によって様々な政治意識の混乱の原因が明 確になったと思われる。今回の政治語彙が「政治言語学」的t4研究の典型 的なモデルであるが、ダローパル化時代を目指そうとしている現代世界は 現実政治意識の混乱を解消しようとするならば、まず政治語彙の「二面性」

に真正面から取り込む必要があると思われる。

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