• 検索結果がありません。

唯 美津木

ドキュメント内 本扉~プロ (ページ 38-41)

私たちの身の回りにある物質のほとんどは、化学技術によって人工的に作られたもので、

必要な物質を効率よく作る方法の開発は化学における最も重要な課題の一つです。手に入 る原料から必要とされる物質を効率よく作るには、原料となる物質の特定の部分の化学結 合を切断し、複数の反応物の結合の切り貼りによって、合成したい分子のみに変換するこ とが必要です。「触媒」は、このような人類社会に必要な物を生産する化学工場の役割を 担っており、世の中で使われている物質のほとんどが触媒を用いて合成されています。

現在の化学工業プロセスでは、一般に固体の触媒が用いられます。触媒反応の多くは、

固体触媒の表面で進行するため、優れた固体触媒の開発にはその表面の活性構造をいかに 緻密にデザインできるかが重要になります。合成原料となる分子は複数の異なる結合を持 つことから、触媒の表面で目的の結合のみを選んで切断、結合の組み替えを行うことは難 しく、目的の物質のみを合成できる高い選択性を持つ触媒の設計はけっして簡単なもので はありません。ここでは、固体の表面に金属錯体を化学結合で固定した固定化金属錯体

(図 1)を用いた優れた機能性触媒の表面設計を紹介します。

「触媒」は有用物質を作る化学工場ですが、触媒自身も分子から作られます。図 1に金 属錯体分子を用いた固体表面における触媒設計の方法を示します。金属錯体を担体となる シリカゲルなどの酸化物の表面と反応させて化学結合によって固定化すると、広い表面積 を持ったシリカゲルなどの酸化物担体の表面に高分散に活性点となる金属錯体を分布させ ることができます。触媒反応は、この金属錯体ひとつひとつの上で進行するので、担体の 東京大学大学院理学系研究科

上に高分散に分布した固定化金属錯体は効率よく触媒反応を進行させることができます。

フェノールは、2004 年の国内生産量が 9 万 6,000 トンにものぼる最も汎用的な化学物質 の一つです。古くは殺菌消毒薬として使用され、現在はビスフェノール A やフェノール 樹脂、ポリカーボネート樹脂などの合成原料であり、CD、住宅建材、自動車部品、接着 剤などの日用品にも多く使用されています。フェノールを作る原料としては、天然資源で ある石油(ナフサ)から精製できるベンゼンが用いられ、酸素と反応(酸化)することでフ ェノールが作られます。この酸化反応には空気中に含まれる酸素分子を用いるのが最も安 価で安全な方法ですが、ベンゼンと酸素分子を直接反応させようとするとベンゼンが燃え てしまい、フェノールはほとんど合成できません。図 2の触媒は、ゼオライトという 3 次 元の骨格構造を持つ酸化物担体の空孔の中に 10 個のレニウム原子がクラスターとなって 担持されたものであり、現在世界最高の 94 %のフェノール選択性でベンゼンと酸素分子 を一段でフェノールに変換できることがわかりました(2005 年 12 月 2 日朝日新聞などに 掲載)。

医薬品合成などに必須の不斉触媒反応は、分子の右手型と左手型を区別することが必要 なため、一般に固体触媒の表面での反応制御が困難でした。しかしながら、最近は固体表 面での触媒構造を精密に設計することで、これまでほとんど不可能であった不斉触媒反応 も高い不斉選択性で進行させることが可能になってきています。図 3はバナジウムの錯体 をシリカゲル表面に固定化して設計された触媒で、BINOL という不斉分子の合成に世界 最高の不斉選択性を示すものです。BINOL は、2001 年にノーベル賞を受賞された野依良 治教授のグループにより開発された不斉配位子 BINAP の原料であり、2-ナフトール分子 の酸化的カップリングによって合成することができます。

若手化学者が市民に語るⅡ

●図 2 ベンゼンと酸素分子から一段階の反応でフェノール を生成するゼオライト担持レニウムクラスター触媒

図 3のバナジウム錯体をシリカゲル表面にある水酸基と反応させると、不斉自己組織化 という現象により 2 つのバナジウム錯体が不斉に会合した新しい構造が表面上に作られま す。2 つのバナジウム原子の間にちょうど反応分子である酸素分子が入る空間があいてお り、反応分子を効率よく活性化でき、また 2 つのバナジウム錯体の会合体そのものが不斉 な構造をしているため、BINOL 分子の片方の配座のみを 95 %の選択性で合成することが できる非常に優れた触媒です。

●図 3 シリカゲル表面でのバナジウム錯体の不斉自己組織化と表面で形成される不斉会合 体による不斉 BINOL 合成

唯 美津木(ただ みづき)

東京大学大学院理学系研究科化学専攻・助手。博士(理学)。

2001 年東京大学理学部化学科卒業。2003 年東京大学大学院理学系研究科修士 課程修了。2004 年東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。2004 年より現 職。

専門は触媒化学。金属錯体を用いた高機能触媒設計、放射光を利用した触媒構 造の解析に関心をもつ。

2003 〜 2004 年日本学術振興会特別研究員。

共著に「Surface  and  Nanomolecular  Catalysis(Ed.  R.  Richards)」(分担執筆、

Taylor & Francis、2006 年)などがある。

このシンポジウムのタイトル「ものづくり−化学の不思議と夢」にもあるように、化学 は「ものづくり」の科学です。また会社の名前で「○○化学」というものがたくさんあるよ うに、化学は「ものづくり」の技術としても世の中に貢献しています。

今回「右と左−その後の展開−」というタイトルで発表を頼まれて、「『その後』ってな んだろう? 最近の自分の研究? 自慢するほど『展開』できてるかなあ?」などと思っ たりするわけですが、「右と左」(≒不斉合成)において、『その後』といえば、2001 年のノ ーベル化学賞以降のことを指しているというような広い見方もできます。ここでは「もの づくり」の科学技術としての不斉合成について考えてみます。

では不斉合成がどんな段階にあるかというと、ノーベル賞はでたし、一部は実用化して 技術として世の中に貢献していることも確かですが、まだ「ものづくりの科学技術」とし て完成したとはいえない状況にあります。100 点満点で 30 点くらいでしょうか。技術の レベルを上げるという目標に対しても、企業ではなく大学の研究者が、利益に直結しない

(ことのほうが多い)研究を(科学研究費を使って)たくさんやらないと進んでいかない状 況にあります。

インターネットの百科事典ウィキペディアには、辛口な批評が書いてあります。「不斉 合成反応の致命的な欠点として挙げられるのは、その汎用性のなさである。…モデル化合 物で選択性の高い反応が見つかっても、有用な化合物の生産には全く役立たずということ がある。…高価な不斉触媒を使うよりも、ラセミ体を合成して、それを分離するほうが手 間がかからず、安価になる場合も少なくない。応用化学における不斉合成の研究目的は、

有用な化合物を安価に製造することであって、不斉合成は手段でしかないことを肝に銘じ るべきである」(ウィキペディアの「不斉合成」より抜粋)

ここで指摘されている汎用性のなさのほかに、触媒の量がなかなか減らせない、触媒の 再利用が難しいということも技術的な問題として存在します。ウィキペディアの批判にも 九州大学大学院理学研究院

ドキュメント内 本扉~プロ (ページ 38-41)

関連したドキュメント