先史時代芸術と呪術との関係についての諸見解
芸術の始まりがどのようであったか、最初の絵画における生との連関、誕生時にこそ示される「絵画」の本質…十九 世紀後半に遡るアルタミラ洞窟の発見以来、多くの知性が古くて新しいこの謎に惹きつけられてきた。しかしながら、
知性がどれほど科学的な正確さを追求しようとも、謎は謎にとどまり、推測と仮説だけが堆積した。そこで知性の無力 に絶望するのはむしろ傲慢である。初めから問題は驚きであり、想像力であり、太古の絵画に引き寄せられた思惟の飛 翔である。
先史時代芸術をめぐる言説はしばしば曖昧さと自由を伴うが、討議の場が成立しないわけではない。例えば「呪術的 起源」という芸術の試金石の、鑑定と価値付けについて議論は為されるだろう。実際のところ、十九世紀末から現在に 至るまで、先史時代芸術は「呪術」を中心に考察されてきた。壁画を残した旧石器時代の人々が狩猟によって生活の糧 を得ていたこと(狩猟の場面を思わせる描写も壁画に残されている335)、彼らが人工的な光源を頼りに敢えて暗い洞窟の 奥深くに、ある種の「聖域」に壁画を残したということ、これらの比較的確実な証拠から、壁画を狩猟と宗教的儀式に 結び付けて解釈するのは、ある意味で当然とも言えよう。
先史時代芸術における呪術的要素は、かなり早い時期から認められていた。例えば、サン=ジェルマン博物館336で最 初期の先史時代美術のコレクションに接したサロモン・レナック337は、「馴鹿時代における芸術の大いなる跳躍は、狩猟・
漁労部族の研究において浮かび上がるような、呪術の展開に結びついている338」と述べている。ここでレナックが述べ ている呪術とは、トーテム信仰339における「類感呪術Homoepathic Magic340」の実践を指している。こうした呪術の説明
335 おそらくラスコーより後代になるが、例えばニオー洞窟には、矢に射ぬかれ血を流している獣が多数描かれている。
cf. Breuil, op., cit., pp.180-184.
336 «Musée de Saint-Germain»と通常呼ばれる(バタイユもそう呼んでいる)のは、パリ近郊のSaint-Germain-en-Layeに建
つ「国立古代博物館」を指している。ナポレオン三世は、ガロ=ロマンとケルトの遺物を国家的遺産として展示するこ とを目的に、古城を改装し博物館とした。十九世紀後半に発展した考古学は、先史時代まで領域を広げ、博物館に新た なコレクションをもたらした。この時に多大な貢献をしたのが、フランス先史時代学の父とも言われるJacques Boucher de Perthes (1788-1868)や、Gabriel de Mortillet (1821-1898)、Edouard Piette (1827-1906)などの考古学者とその所蔵品であった。
もちろんコレクションの中心はいわゆる「動産芸術」であった。
337 Salomon Reinach(1858-1932)フランスの考古学者。ギリシア文化や宗教(ユダヤ教徒であったが、多くの”異教”に通
じていた)、神話、美術を横断する著作を残している。後述する国立古代博物館にも関わっている。
338 Salomon Reinach, «L'art et la magie», in Cultes, mythes, et religions, t.I, Ernst Leroux, 1905, p.136.レナック主たる叙述は「動 産芸術」を念頭においたものだが、既に発見されていた(ラスコー以前の)洞窟壁画への言及もある。
339レナックのように、壁画に描かれた動物を「トーテム」として解釈することも不可能ではないだろう。しかし、とり わけバタイユの論にとってはトーテムとしての解釈は様々な不都合を引き起こす(実際彼が、壁画の動物をトーテムと して述べることはない)。そもそも、様々な見解が存在するトーテミズムを検討し取捨選択するのは芸術論の役割ではな いだろうし、先史時代美術の解釈に人類学の知見を適用することに彼が批判的であったことを忘れてはならない(それ ゆえ本論は、人類学を横目で通り過ぎるばかりになる)。『ラスコー』は人類学による推測よりも、人類誕生の弁証法的 過程が際立っている。それゆえ、トーテムよりもタブー(労働)が重視されている。しかし、膨大な人類学者の定義の 試みを通り過ぎて、原父殺害への罪悪感に発するトーテム共同体(cf. フロイト「トーテムとタブー」、『フロイト著作集 3』西田越郎訳、人文書院、1969年[Sigmund Freud, Totem und Tabu, 1912-1913.])は、僅かにバタイユの論に反映され ていると言えなくもない。「深い類縁が私たちと私たちの原父を接近させている。[…]私たちの父親が愛するもの[動 物=父の父]を殺すのに−そして殺さなければならなかったことに−恥辱を感じていたのと同様に、私たちはラスコーの 洞窟で、何があっても私たちが従わなければならない労働に理性によって従属しているという状態に恥辱を感じる(«Au rendez-vous de Lascaux, l'homme civilisé se retrouve homme de désir» in OCXII, p.292).」とバタイユは述べている。原罪は私 たちを理性に従属させるのだろうか。
としては、バタイユその他への後の影響力を鑑みても、フレイザーの明確な定式を参照したい。レナックの同時代人で あるフレイザーは、膨大な神話伝承や調査資料をもとに、様々な社会における「共感呪術Sympathic Magic」の実践を指 摘した。フレイザーによれば、共感呪術とは「秘密の共感を通して、離れた事物が互いに影響し合うことであり、私た ちがある種の不可視のエーテルと見なしうるようなものによって、一方から他方へと衝撃が伝達されること341」である。
共感呪術はさらに二種類に分類され、一方が接触と隣接を原理とする「感染呪術Contagious Magic」であり、他方が類似 を原理とする「類感呪術」である342。とりわけ「類感呪術」は、絵画が類似の技術とされてきた社会においては、壁画 解釈において最も納得しやすい原理となるだろう343。
実際のところ、呪術的絵画という発想が、壁画の内在的解釈に由来するとは言いにくい。偶然の一致と言うべきか、
先史時代芸術の研究が開始された十九世紀後半から二十世紀前半は、人類学(民族誌学)の黎明期でもあった。初期人 類学と先史学の相互関係を、ここで包括的に述べることはできないが、例えばレナックがアボリジニに関する民族誌344に 依拠して先史時代芸術とトーテミズムの関係を推論するように、バタイユがシベリア少数民族に関する民族誌から獣と 人間との友愛を導出するように、先史時代芸術の解釈は、数少ない「資料」として、少なからず民族誌学の成果に依拠 せざるを得なかった。つまり、現代の「未開民族」の慣習や儀礼が、「原始」芸術の解釈に適用されていたのである345。 おそらく同時代の思潮が社会進化論346から決別していたとしても、壁画解釈を行う先史学者は、「未開民族」の絵画と儀 礼からの類推に少なくとも部分的に頼らざるを得なかった。この点に関しては、『ラスコー』の基本的データを支え、そ ればかりでなく二十世紀における先史時代芸術研究の基本的枠組みを確立したアンリ・ブルイユも例外ではない。ブル イユは以下のように述べている。「大規模な狩猟の時代には、日々の獲物の追跡と、自然のなかでのそれらの増加、狩猟 遠征の成功が、一番の関心事であった。獲物が豊富なこと、繁殖して、充分に捕獲できることは、大切なことであった。
それを実現するためには、舞踏や儀式[cérémonie]などの儀礼[rites]が必要だった。あらゆる狩猟民族が無数の実例を
340 Reinach, op.cit., p.133.
341 James Frazer, The Golden Bough [abridgement], WordsWorth Editions, 1993 [1922], p.12. ここでフレイザーが述べている ことは(これだけなら)「交感」の発想に近いが、問題はもう少し微妙である。
342 具体的には、例えば、感染呪術とは自らの身体を離れた爪や髪などへの危害が自らに及ぶことであり、類感呪術は「模
倣呪術Imitative Magic」と同義であり、類似したイメージに働きかけることによってイメージのオリジナルに効果をも
たらすこと、この文脈では、イメージの殺害は獲物の殺害を、イメージの繁殖は獲物の繁殖に結び付く。フレイザーの 定式を詳述することはできないが、彼の発想が進化論的だと批判されていることは付け加えておかなければならない。
フレイザーにとって、呪術とは「誤った科学であり、同様に、挫折した芸術である」(Ibid., p.11)。バタイユがラスコー の壁画を賞賛する背景のひとつである。
343 フレイザーの「共感呪術」論は、壁画解釈だけでなく、芸術の起源をめぐる言説にも影響を及ぼしている。例えば、
芸術の起源について、遊戯やエロティックなものなど、興味深い視点をいくつか提示しているイルジュー・ヒルンは、
フレイザーとダーウィンに依拠しつつ芸術と呪術の関係を論じている(Yrjö Hirn, The Origins of Art, Macmillan, 1900,
chap.XX.)。ヒルンは先史時代芸術には言及していないが(時代的制約もある)、大局的視点から見るならば、アルタミ
ラやラスコーの発見が「芸術の起源」をめぐる思惟に決定的な、しかし暫時的な転換をもたらしたと言えるだろう。少 なくとも、ラスコーの壁画によって、進歩すべき起源という考えは否認されることになる。言うまでもなく、バタイユ の『ラスコー』の意義は、実証性よりむしろ、この点の強調にある。
344 cf. Walter Baldwin Spencer & Francis James Gillen, The Native Tribes of Central Australia, Macmillan, 1899. スペンサーとギ レンのアボリジニに関する調査は、フレイザーやデュルケムにも強い影響を与えた。
345 現代に至るまでの、«primitif»という形容詞の不毛さが状況を物語っている。この語は、もはや作り替えなければ使用 に耐えうるものではない。
346 イギリスの社会学者スペンサー(Herbert Spencer 1820-1903)が提唱した理論で、ここでは先史学と人類学への影響とい う点において、その負の側面のみに着目している。「未開社会」の「劣った」慣習や思考体系を、文明社会の「起源」と して研究するという意味で、初期の人類学(タイラーやフレイザー等)には社会進化論的な発想に基づいている。こう した発想からの脱却は、続くデュルケムに帰せられることもしばしばであるが、自らの立ち位置も含めて、私たちが常 に定位し直さなければならない問題であろう。本論とはあまり関連しないが、同質性から異質性への移行、天体を含め た有機体としての社会など、スペンサーの思想は、変形や転倒を経てバタイユに届いている可能性があるように思える。