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一切のマ久メディアも政府の
方針に加担し︑組合への非難と攻撃に終始する︒組合が対経済
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政治権力闘争におもむくのもゆえなしとしない︒ベックラ
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議長は︑五O
年の組合員に訴える年頭の辞で︑人間の尊厳と正義の実現のため︑労働者階級が労働者の諸権利と共同決定の権利闘争のためにたたかう決訟をうながした?巳・百件︒円︑白・ω・ 0.
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︒組合は権利闘争
をすすめるうえで政党と世論の支持をうることに努めた︒とくに有利な材料としてとりあげたのが︑七三回ドイツ・カ
トリック大会(四九・八・三一l九・二﹀のポッフュム宣言である(拙杭︑京洋法学六起一号三五l六貝参照)︒組合指導者
は機会あるごとにこの宣言に言及し︑
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結成大会ではベックラl
も主阪の材料にする︒宣言は社会的カトリシズムの産物である︒それは司教の見解でもなければ︑教会人の芯見でもなかった︒経営内共同決定に資本と労働の同根
と同じ責任を課し︑職業身分的国家への前段階と規定し︑経営協定による導入を意図する︒経営を国家の内部的秩序
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補助的地位におくため︑経営に疎遠なエレメγトをなす経営をこえた分野の共同決定権に熱怠はない︒かような社会的カトリシズムからは︑組合の共同決定権要求に一片の考慮も払わないにかかわらず︑組合指導者は社会的カトリ
ック主義者と共同戦線をくめるものと錯覚した︒ポッフュム宣言は︑社会的カトリシズムの戦後における特質すべき
勝利であると同時に﹁最後の燕﹂
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年一月三日︑ピオ一二世は︑巨大企業の管理が匿名の団体のもとにおかれ︑あるいは経営に親しまない企業外組織に委ねられるのは危険なことである旨を表明する︒法王の発言は︑わたしたちに想像だにできないほどに︑組合
の共同決定権要求に反対するものすべてに福音としてなりひびき︑権力や資本を有するものは勿論のこと︑世人の心
の奥底にふかく惨透した︒法王のそうした一連の表明がなかったとすれば︑アデナウア
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は好んでまで連邦議会で強行することはしなかったであろう︑とのうがったみかたさえある
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︒社会的カトリシズムの主張
者は︑西ドイツの共同決定に反対するものによる法王の発言の一方的解釈から防衛するため︑彼らの全能力を動員し
なければならなかった︒それはもはや︑彼らなりの共同決定権実現という実践的行動から身をひき︑アカデミックな
論争へと移行することになる︒
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・法王は︑五O年六月の世界会議で︑ポップュム宣言︑ことにそこにいう経済的共向決定権を批判する︒それは固有の権利ではない︒それが是認されるのは︑資本集中の濫用と公共の福祉の侵害のおそれのある場
西ドイツの共同決定法の成立とその背景
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合であるむ所有権は無制限なものではなく︑社会と公共にたいし義務を負い︑社会の要請の範囲内で制約をうける︒社会の要請する制約の範囲内で︑経済的共同決定権がうけいれられる︒すなわち︑その許零範囲は社会が妥当視する必要性の基準内で︑所有とその経済的決定の自由への国家の介入を認めるというのである?巳・町・﹀
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一般に︑根本的ないし重要な一部の体制変更ないし修正に反対し︑反体制の抵抗なり反抗を至当でないとよく
批判する︒体制を維持しようとするものの方がそれを克服しようとするものより有利である︒国家や経済における権
力的地位は体制の評価のあらわれである︒現実のものを維持することに利益を有する権力的地位にあるものは︑
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に合法性の所有から流出する直接的な力をそのうちに有している︒そのうえ世論の形成力を併せもっているため︑そ
の多くの支持をうることも容易である︒組合運動がつねにかみしめる経験である︒
西ドイツの一九五
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年という時期は︑経済的にはすでに戦前三九三六年﹀の水準に回復しており︑また政治権力とコγツェルγの延る実質的な権力との癒着がなった年でもある︒
一方
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ヨーロッパ防衛共同体︑ジュlマ
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γなどの一連の歩みのなかで︑西ドイツはヨーロッパの対等な強力な一員にむかえられる︒こうした国の内
外の状況を反映して︑共同決定権を要求する組合は︑政府と使用者の連合戦線による徹底した非難攻撃にさらされ
る︒組合は︑四七
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八年にすでに獲得した共有財産である共同決定権を︑たんに連邦統一法により画一・拡大的に法制化しようとするにすぎない︒組合の最後通牒もつまるところ防衛闘争にほかならない︒それが五
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年後半期から五一年前半期にかけて︑組合みずから予想もしなかったほどのいわゆる二・一ゼネ九トをくむまでにはげしい反権力悶