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ドキュメント内 棲神 第七號 (ページ 64-74)

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五百 々人 間枇 曾は

︑諺 に云 ふ旋 は道 連れ 世は 情け

たさひ一枚の着物一一粧の御飯でも︑皆ニれ何十人

何百人のカど汗の仁慈の賜︒互に相寄b相扶りて双方持もつ持たれつ紅互仁︑枇曾人生の接展があ

る︒宗門ごても此通り︒本門の御本管を打仰ぎ︑

王偽冥合の戒掴を三園一日﹂飾り立て冶妙法五宇の旗風勇し︿︑此大日本闘を中心仁︑四海蹄妙︒世

界統一を理想ごする上からは︑百五十高の信徒︒

五千個寺の寺院一一服平等自他彼此の心なく︑七百

年来雄ムザし︿も掲げ来った金招牌の箔を増乙︑内外相寄り異俗打ごり盆々宗門の説明展宗風護持の計

必立つべきである︒其秘訣ごは外に無い︒身樫は十人が十人争がら異℃居ても︑心は百人が百人ながら同じく一つ

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云ふ

﹃異 鶴岡 心﹄ の四 字乙 れで

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こ︑に同心ご云ふ︒誰の心に回心するのか︑云

ふまでも争︿︑一家には小借さんも居れば番頭さ

んも居る︒番頭さんが小借さんの心に同心して好

奇異川川を乙︑小借さんも番頭さん仁同心して勝手なニご計りしては︑家は乱脈︑商責は出来ぬ︒小

借さんも番頭さんも︑等しく主人の心を心ごし主

人じ同心し℃︐玉︑︑家も囲満商責も繁昌と云ふもの︒四十七士は大石良雄一人の心ご争ってむ君の迫善を完うした︒宗門に先師先哲皐者信徒借俗ご

聴ムザ雑多に仕事も分れ身躍も謹ム︒されざ︑宗門

たる一−家族の主人は誰である︒一城一固に馨れば其の城主閥主は申すま.てもなく︑大事人の外じな

い︒ きれ ば﹁

H蓮ト同意ナクバ﹄ご仰せられ︑﹃白蓮

ガ一類ρ異韓同心ナレバ人今少タ候ヘド毛大事ヲ

成ジア一定法華経弘?9ナント畳へ候﹄ごも︑﹁日蓮ガ弟子檀那白他彼此ノ心ナク水魚ノ思ヲナジア

異臨 同心

﹄な れ︑

﹃若 然一 フバ 庚官 一流 布ノ 大願 屯叶 フ

イキモノ賊剰へ日湾ガ弟チノ中二川股異心ノ者之

アレバ城者トジテ域ヲ破

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刀如 ジ﹂ ご︑ 御誠 め下 呂 れて 居る

既じかく同心=しまゐらせた上からは︑自分ご同

じ︵同心しで居る同志者同主義者を互に供養恭敬曾重讃歎し︑担架経の﹁内エ川智慧ノ弟子ア9−Y

備法ノ深義ヲ悟9

外ユ

ρ清博ノ檀越アFア悌訟久

住﹄する道理︒大事人の遣を修行するものは︑正し

︿其の道を数授乙て下さる善智識を正師ご仰ぎ︑

道を修行する同行者同志者は﹃忠νア毛法華法ヲ

持ッ者ヲバ互三段Yペカヲズ﹄ご︑﹃法苓経ノ功徳

川讃

νバ捕功徳TMF﹄ごの御数を躍し

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じ相

策紬

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︑互に扶助誘披し︑内は正法を護持乙︑外

は侮を傑がねば杏らぬ︒﹃同行讃美﹄ごはこれであ

る︒五指の交々強かんよりは一拳に如か令︒一人一人の力は以て一つの大なるカに及ばない︒我等

は大事人の仰を其偉仁上は教授の善智識︒下は外

護の善智識︒同行相侍・り相扶上下等し︿大聖人の必を心ごし︑上下を一つに乙て時機相障の順風に︑

乗台船の迫手天候大事人の御指同船長次第に打任

せ︑凶↑持続妙の港仁入るや

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共に力を添へねば守

る ま い

︒ 以 上

(61) 

ー全会E

の 孝 道

慈 典 藤

孔子は﹁夫れ孝は仁を鶏すの本か﹄ご云はれ︑蒋

骨骨は﹁数化の紀は孝順を本ごす﹄ど日はれてあるが総て善根の根本ぜ成る者はキである︒宗組云︿︑

﹃如何に況や偽敷を争らはん者父母師匠園恩を忘るアしや﹄ご︑御墓訓は詮する所報恩の二宇仁蹄

するのである︒報思は本如岡山よb殺る故仁思を報壱んさする仁は先づ恩を如らねばならぬ︒此釦思

報思は貨仁世間出世間の最大事である︒故に悌陀

は思を知b思を報ずぺしと仰せられたのである︒今是れ含宗組仁於℃窺ム争らば︑宗組御一代の行事は穂て如思報恩の錨である︒天幅一冗年御年十二

仁して清穆山仁登り︑延隠元年御年十八仁しで御剃髪し︑仁治三年より己来十二年の問叡山に奈良

仁三井仁高野じ修事せられた宗組の前竿生は︑賓

仁・知恩報思の準備であった︒きれば宗組は又﹃比大恩を報守んじは必ず悌法を習ひ究め智者ご争ら

.て は叶 ふぺ から や﹄ ご仰 せに 争っ て居 る︒ 此仰 仁

依て見れば宗組の修皐は父母師匠岡主等の大息を

報ずる所の智者ご成らんが鴬である︒然らば何故に智者ご争らでは思を報守る事が出来ないのであ

らうか︒宗祖があらゆる刻苦修皐避ばされたのは先づ悌致の構買を排へんが鴬である︒教法の樺賓

を排へず・して︑如何仁父母師匠閥思を報十る事が

出来

るて

あら

ふか

而し

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宗組 の後 竿生

︑即 建長 五年 四月 御年 一宇 ニ仁

して開宗︑以来弘安五年十月の御入寂仁至る三十

年間は此大思を正し︿報守られた時代である︒建長第五の開宗は則其宣言であるo開宗後御敵景信の難を避けて輩・房仁到り︑進んで鎌倉に大折伏をせんさ決意したる宗祖は︑先づ故郷仁蹄ちて父母

を得度せしめ︑本門の妙戒を二親に授けられたご

云ふ事は賓仁意味の深い事

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ご思ふ口而して後宗

組は或は鎌倉の克石の雨の中仁ても︑或は龍の口の頭の座比℃も︑寸時も忘れた事の無いのは御雨親の事である︒伊豆の伊東へ御流罪仁成りたる時

も船守捕三郎夫婦の厚い情りを受付ては父母の伊東仁生れ替b℃日蓮を感れみ給ふかご思召3

れ ︑

龍の口の土鑓場民ても今度額を法華経に奉り共

功徳を以て父母に回向せんど︑則宗祖は諸の善根

功徳は先づ父母に奉ったのである︒身延御隠棲の稜も倫父母を慕ひ︑験阻極まる五十町の急坂を風

雨を厭はす奥之院に墨られ︑東の方議かに故郷を

眺めては暗涙に咽びたまひで追善の御議経遊ば

3

れし如きは︑稗曾はいぎ知ら今︑他民於て如是孝養を見る事が出来得るであろうか︒我ι

ザ法 華経 の 行者 は事

・訓 に随 ひ思 を如

hリ而して報思の修行が何

より 肝要 であ る︒

宗 教 家 の 受

t 醒

今や文連日さ共仁進み︑明治維新己来︑五十年

の進歩は賓じ偉大争ものであるの然し此れを以て完杢争る準歩ごは言ひ得られ亭ぃ︑何故なれば︑ そは物質的文明にのみ走りて︑某蕗仁何等内面的精神文明が伴はぬからである︒科血中文明は可成進歩した様であるが︑精神的文明も是仁伴つ℃進歩したであらうか︑甚だ疑はしいものである︒諸君試みじ眼を現時の思想界仁放て見よ︑共感に何れ

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り︑五回人じ満足を能へる者があるか︒ないではないか︒殊に思想界じ於ても︑宗教界仁於て

も然

︐﹃ ノゼ 争る

︒現 時の 宗教 界は 如何

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︒其の信仰は太︿衰へ徒ら仁儀撞の︑末節じ華美を競ひ︑

借侶は救済の道ぞ忘れて︑衆俗ご共に︑現世の欲

求にのみ扱々ごして︑日も足らざる有様︑てはない

か︑往古淳朴の風︑敬度の俗︑蕩然ごして︑購じ地を掃はんをし℃居る︒賞じ宗敢界の危機である︒

宗教家は︑大いに費醒せねば杏ら向︒殊に吾宗の如

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︑一生活動を以てせられし︑組師日蓮の門下

ごして︑其の主義を織承する吾入︑斯の如︿仁

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て︑備本化門下ご帯する資格があるか︒吾宗は賓

じ六百年の昔︑宗組が︑鎌倉の街頭仁 v四筒の格

言を絶叫せられてよb︑己来多︿の︑先師の︑血

(63) 

吉︑涙を以て︑織り出店れた宗旨である o吾へ今

にして︑大いに畳醒する争︿んば︑如何に︑口に︑皆蹄妙法を︑唱ふるも︑詮争き事である︒戦って

こそ始めて︑向上もし︑殺展も︑錯し得らる︑のである︑雫闘が争くして︑向上は奇い︑闘争があって︑始めて︑向上があるのである︒吾人が︑五口

が日蓮主義を︑宣博するに嘗って必すや幾多の闘

争が︑演じられるであらうo何故なれば︑それは

我が弘艇法が︑折伏主義であるから

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︑賓仁本化

の弘艇は︑研伏でな︵℃はならぬ︒然し時機仁よ

りでは︑揖d質的順化も併せ用ひなげればならぬ︒

山市組嘗時ご今どは︑時に於て︑人情に於て︑所化の相官識に於て︑大いじ異って居る︑故に宗組の折伏を以て︑一概に現今を律する誇仁村かない︒現

代は︑凡でを︑科準的仁︑組識し様ご︑企℃て居る時である︑斯かる時に属すに︑我々布教家は

奈何しでも︑布教上の金部面を︑串科的民︑調整

しなげればならぬ︒現代は︑凡仁智的である︑故に我等布教家は︑勢ひ︑豊富な︑而も確賓な︑思 想がなくては︑衆人をう争づかせ︑誘引する事は困難である︒唯説教の様式や詑材の配列︑を知るのみが︑布教者ではない︑高座の上ゼの︑手付きや︑鰭の廻し方が︑巧いのが︑必ずしも布教家の誇りでは奇い︒今の布教は︑談して居る時︑一時戚勤を興へる

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け︑

ては

駄目

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︑其の土地の人情集風︑侍語︑叉信仰賦態等を︑調査した上で︑臨

機の布教を鴻し︑聴者をして︑永久に︑忘れられん何者かを︑輿へ奇ければならぬ︒新︿布教する

じは︑布教に劃して︑今少し熱誠ならでは駄目

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要する仁︑今の宗教家には︑布教じ針する︑熱

誠が足h奇い︑ぜ勢ひ死気力に争る︑賞際今の宗教家には気力がない︒吾が徒は︑最少し布教仁熱

誠を以て劃機に掛し

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万刷 所の 同情

︑満 膝の 慈悲 を

以て︑而も︑如設修行抄の不惜身命の︑連旨を奉じ︑宗家第二の離承者として︑充分仁其の責任を果さねばならぬ︒諸君大いに︑醒めよ︑而う乙

て奮闘し以て本化問Fたるの責任を果乙后霊山仁

於て 宗姐 の慈 顔に 見ゆ 可き であ る︒ 大二 ぺ一 一一 一︑

ドキュメント内 棲神 第七號 (ページ 64-74)

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