第3章 ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトのレクイエムの比較考察
第2節 合唱部分の類似点と相違点、演奏表現の提案
第2節以降では、両レクイエムの合唱部分における類似点と相違点、およびその演奏表現 について考察していく。勿論、オーケストラ部分にも数々の類似点と相違点があり、オーケ ストラと歌唱は常に互いに影響し合いながら進んでいくが、本論文では声楽家の立場から 考察を行うため、ここでは歌唱部分に焦点を当てる。なお、分析していく上で必要不可欠と 判断したオーケストラ部分に関してのみ記述する。また、両レクイエムの歌唱形態が異なる 場合は、モーツァルトの方に合わせて述べる。1
1.イントロイトゥス(入祭唱)
1)冒頭の合唱フーガ
●類似点
両作品とも完全 5 度の音程差による合唱フーガとなっており、バス→テノール→アルト
→ソプラノの順で歌われている。(ハイドン:C→G→C→G、モーツァルト:D→A→D→A)
●相違点
非常に良く似たフーガだが幾つかの相違点があり、それが両作品の音楽の違いを効果的 に表している。ハイドンのフーガの主題は原則的に2小節続き、1小節おきに次の声部が入 って来るため、規則正しく落ち着いた印象を与える(譜例56)。一方、モーツァルトの主題 は実質3拍のみで、2拍おきに次の声部が入るという、やや切迫感を帯びたフーガであるよ うに感じられる(譜例57)。また、 “aeternam” (永遠の)につけられた旋律が、ハイドン では跳躍音程で歌われているのに対し(譜例58)、モーツァルトでは音程差が小さい中で横 にゆったりと広がるように歌われる。
1 ハイドンが独唱で、モーツァルトが合唱で作曲している部分は第3章第2節「合唱部分の類似点および 相違点、その演奏表現の提案」において、ハイドンが合唱で、モーツァルトが独唱で作曲している部分は 第3章第3節「独唱部分の類似点および相違点、その演奏表現の提案」において論述する。
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譜例 56.ハイドン〈イントロイトゥス〉「入祭唱」冒頭合唱部分(第11~13小節)
譜例 57.モーツァルト〈イントロイトゥス〉「入祭唱」冒頭合唱部分(第5~11小節)
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譜例 58.ハイドン〈イントロイトゥス〉「入祭唱」 “aeternam” における跳躍
(第14~16小節)
●演奏表現の提案
ハイドンのレクイエムでは規則的な手法による落ち着いたフーガの中で、 “aeternam”
につけられた跳躍音程が多少の衝撃を与えており、「永遠の」という歌詞の持つ表情として 天に一気に昇る神々しさを表現する旋律であるように思われる。一方モーツァルトのレク イエムでは主題が短くなっているため、各声部の入りを際立たせながら独立感をもって歌 われるのが望ましいのではないだろうか。また、 “aeternam” につけられたゆったりと横 へ広がって行く旋律は、神々しさというよりもむしろ、過去から未来まで続く「永遠」を表 現しており、密度のある声が空間にゆっくりと充満していくように歌うのが良いと考える。
ザルツブルク大聖堂音楽監督のヤノシュ・チフラ János Czifra (1951- )によれば、両 作品ともに4/4拍子の Adagio で書かれているが、モーツァルトの方がハイドンよりも若 干遅めに演奏されるのが一般的だと言う。それは理屈ではなく、オーケストラの前奏を演奏 する中で彼らが音楽から自然に感じるテンポ感なのだそうだ。1 このことは、上記の「密度 のある声が空間にゆっくりと充満していく」という演奏表現の提案に繋がるものと考える。
1 2012年2月6日、ザルツブルク大聖堂練習ホールにて、筆者がザルツブルク大聖堂音楽監督(ムジーク
カペルマイスター)のヤノシュ・チフラ氏に行ったインタビューより。
120 2)et lux perpetua luceat
●類似点
同じリズムによる、和弦的な合唱により歌われる。 “et lux perpetua” が少し音程を上 げて2回繰り返される点も同じである(譜例59、60)。
譜例 59.ハイドン〈イントロイトゥス〉「入祭唱」“et lux perpetua”(第18~20小節)
譜例 60.モーツァルト〈イントロイトゥス〉「入祭唱」“et lux perpetua”
(第15~17小節)
ポーランドはこの部分について「両作品共に明確なリズムの類似性を持つ5小節間で、
ソプラノとテノールにおいて確かな調和を作り出している」と述べている。1 確かに譜例 59と譜例60を見ると、リズムの類似性に加え、共にソプラノ声部とテノール声部が3度
1 Poland, op. cit., p.121.
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の音程差で歌われ、“perpetua” の語尾に向かってその音程差が交差しながら、高低が入れ 替わっているのがわかる。
●相違点
譜例 60 で示したように、モーツァルトはこの部分を終始、和声的に書いている。また
“luceat” でソプラノ声部によって歌われる跳躍音型は「永遠の光で照らし給え」と願う光
が、遥か高みから差し込む御光の如く明るい光であるかのような印象を与える。
一方、ハイドンの方は譜例59で示したように、対位法的に書かれており、そのフレーズ の終わりでは和声的手法を厳守していない。また、ソプラノにつけられた保続音による
“luceat” は、モーツァルトのような煌びやかな御光とは対照的に、遠くから細く且つしっか
りと照らす光を表しているように感じられる(譜例61)。
譜例 61.ハイドン〈イントロイトゥス〉「入祭唱」“luceat” の部分(第20~22小節)
●演奏表現の提案
“et lux perpetua” につけられた同じ音型が印象的なだけに、 “luceat eis” の描き方の違 いが両作品の音楽的表現の個性を顕著に表している。モーツァルトの方ではまず、しっかり とした合唱 4 声の和声的な構造を堅持することが求められるだろう。そして重要なのは、
ソプラノの第16小節4拍目から17小節目 “luceat” にかけてのC音からG音への跳躍を 出来るだけ繋がるように、C音がG 音に引き上げられるように歌うことが望ましく、また 17 小節目の “luceat” はこれ以上ない程に、煌びやかに明るいポジションで声を響かせる 必要がある。筆者の工夫としては、16小節目のEs音→D音→C音という下行音型でポジ ションが下がって来ることを避けるため、共鳴腔の引き上げを緩めないことが大切となる。
それどころか、むしろ上行音型を歌う時のように更に引き上げていくべきではないだろう
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か。最も重要なのは、4分音符のC音を歌唱している間に次のG音のポジションを用意し、
身体の準備も含めて全ての用意がG 音を出す前に行われることである。1 G 音に飛びつく ように歌唱してしまうのを避けるために、空気の流れを止めることなく、下半身の支えと声 を当てるポジションに集中するという意識が求められる。
一方、ハイドンの方では 20小節目から対位法的に書かれているため、例えば譜例 61で 示したように、20小節目3拍目のアルトとテノール、21小節目1拍目のテノールとバスな ど、音型が重複するパートをやや強調しながら、声部間で細かいバランスを取りながら演奏 することが望まれる。また、第20~21 小節目にかけてのソプラノの “luceat” は、モーツ ァルトとは対照的に極めて穏やかに保持されている。従って、ここは遠くの光がうっすらと、
しかししっかりと照らすように、メッサ・ディ・ヴォーチェで歌唱されることが望ましいの ではないかと考える。
3)Te decet hymus Deus in Sion
この部分にも類似点と相違点を見出すことができるが、ハイドンは合唱で、モーツァルト は独唱で書いているため、本論文では第3章第3節「独唱部分の類似点と相違点、その演奏 表現の提案」で取り扱う。
4)Requiem aeternam の繰り返し冒頭部分
●類似点
両者ともに “ad te omnis caro veniet” まで歌われた後、 “Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luceat eis” の歌詞を繰り返している。その音型は、冒頭の主題に よる完全なフーガではなく、新しい動機により新たに作られており、冒頭部分の構造にも類 似部分が見られる。
ハイドンはアルトとテノールを対にして、3 度の和音を形成した同じ音型で “Requien
aeternam” を歌わせている。その後すぐにソプラノとアルトが対になり、同様に3度の和
音で “Dona eis” と歌う傍ら、テノールとバスの対も違う音型で歌われている(譜例 62)。
1 軟口蓋の引き上げをおでこの方にまで引っ張り上げる感覚と、身体の支えが上がらないように胴回り全 体を広げながら、丹田を強く入れ、腰回りを下に広げていく感覚が必要となる。
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譜例 62.ハイドン〈イントロイトゥス〉「入祭唱」“Requiem aeternam” の繰り返し部分
(第38~39小節)
このような対による歌唱はモーツァルトのレクイエムでも見られ、アルトとソプラノ声部、
バスとテノール声部がそれぞれ同じ音型を歌っている(譜例63)。
譜例 63.モーツァルト〈イントロイトゥス〉「入祭唱」
“Requiem aeternam” の繰り返し部分(第34~36小節)
●相違点
まず大きく異なるのは、ハイドンではここからソロによる四重唱で歌われ、モーツァル トではそのまま合唱で歌われる点である。また、譜例62のハイドンの方では “Requiem
aeternam” も “Dona eis” も同じ音型により歌われる。一方、譜例63のモーツァルトで
は、 “Requiem aeternam” は冒頭のフーガの主題動機を再現し、“Dona eis” で新たな主 題が歌われている。また、アルトとソプラノ、バスとテノールの対により主題が受け継が れているが、それらは同時に歌われるのではなく、それぞれが独立した形のフーガのよう に構成され、続く “Kyrie eleison” の二重フーガへの布石となっているように思われる。
ポーランドもこの点に関して、「モーツァルトはキリエの二重フーガを予示するための二