篠山城跡は今日まで、4次にわたり保存管理及び整備計画を策定している。その時々によって城跡 の保存管理上の課題があり、それらの解決策を模索してきた結果といえる。以下にそれぞれの計画策 定の背景、検討の経緯、基本方針等を整理する。
(1)第1次計画(「史跡篠山城跡総合整備計画」昭和 45 年度)
篠山城跡の整備は、昭和 42 年(1967)の石垣修理に始まる。史跡篠山城跡整備促進期成会の尽力によ り、明治 26 年(1893)頃から徐々に崩壊し荒れたまま放置されてきた二の丸北側の石垣修理工事を国、
県の補助を受けながら実施した(詳細は 74 頁参照)。
その後、石垣修理工事については国、県の補助金で毎年継続的に実施していたが、昭和 45 年(1970) 9 月に東馬出の中に建っていた多紀福祉事務所の車庫増改築の現状変更許可の条件として、文化庁から
「総合整備計画書を昭和 45 年 12 月 31 日までに提出すること、その際城跡地内の小学校及び中学校を 昭和 51 年 3 月 31 日を目途に史跡指定地外に移転すること」の通知が行われた。さらに多紀福祉事務 所についても東馬出という城郭遺構上重要な場所を占領しており、史跡の保存上大きな障害となって いることから、昭和 47 年(1972)12 月 31 日を目処に城外へ移転するようにとの指示が出された(多紀 福祉事務所は昭和 53 年(1978)に城外移転を実施)。これを受け、篠山町として初めて昭和 46 年(1971) 1 月 12 日に第1次となる「史跡篠山城跡総合整備計画書」を文化庁へ提出した。
「史跡篠山城跡総合整備計画」整備方針
1 石垣の保存修理を継続的に実施すること。2 城跡地内に現存する、城と無関係の建造物の撤去並びに整理に努めること。篠山町立篠山小学 校の移転については昭和 51 年を目処に考えたい。
3 土地所有状況を整理し、全て公有化を図ること。
4 城の復元に努力すること。城門、隅櫓、土塁、内堀の復元は十分調査し研究の上復元に努力す る。
この計画案に基づいて石垣修理の継続実施や史跡地内の民有地の公有化を実施してきた。
(2)第2次計画(「史跡篠山城跡保存管理計画」昭和 52 年度)
第2次計画の策定は、日本全体が 高度経済成長期における開発の波 にさらされていた昭和 52 年度に実 施した。この時期、地方都市が大き な転換期を迎えており、篠山町でも 国土庁から提起された「定住圏構 想」や「町づくり」の政策を推進す るため、「思わず住んでみたくなる ような地方都市」を目指して取り組 みを行っており、篠山城跡はその
「目玉」としての役割を求められた。
計画においてはより具体的な取 り組みが求められ、篠山町は史跡篠 山城跡保存管理策定対策協議会を 組織し、文化庁、兵庫県から指導を 受けながら8回の委員会を開催し、
篠山城跡の現状における問題点、将 来計画等を審議した。
計画の中では、管理計画の基本的 方針を定めるとともに、当面する課 題とその解決策を提示している。
この計画の策定により、篠山城二 の丸整備計画が具体的に進展する ことになった。
「史跡篠山城跡保存管理計画」基本的方針
1 現状変更について・築城当時の姿にすることは不可能に等しいが、少なくとも現存する遺構は完全に保存。
・指定区域内の復元可能な、しかも史跡として必要なものについては考えていく姿勢を堅持。
2 史跡公園としての位置づけ
・三の丸内のグラウンド、スポーツ広場や学校用地等の総合的検討と史跡公園としての利用計 画の具体化
・公共建造物の移転(小学校、幼稚園、養護学校、篠山中学校、学校給食センター)
・指定地内の保存のため現在ある 10 戸の民家の公有地化
3 修復の計画的推進(石垣工事の早期修復、堀護岸工事の着工、堀水の浄化、内堀の改修)
4 住民組織の設立(城跡保存、町並み及び城跡関係資料収集保存、城跡の美化など)
図 3‑35 篠山城跡復元計画(出典:史跡篠山城跡保存管理計画策定書)
(3)第3次計画(「史跡篠山城跡整備基本構想」昭和 60 年度)
篠山町は昭和 55 年(1980)に国土庁の地方整備パイロット事業の一つである「伝統的都市環境保存 地区整備事業」の対象として指定を受け、「伝統的文化都市づくり」を進めることになった。この中 で、歴史的文化的遺産の保存と活用の課題に対し、伝統的文化都市を代表する歴史的文化的遺産とし ての篠山城跡の保存活用を目的に、篠山町のシンボルとしての整備、町民の憩いの場としての整備、
城跡周辺地区の景観整備の三つの整備計画が示された。これを受け、篠山城跡の整備方針を見直す必 要が生じたことから、昭和 60 年(1985)に篠山城跡整備委員会を発足させ、文化庁も委員会に加わっ て6回の委員会を開催し、第3次計画として「史跡篠山城跡整備基本構想」を策定した。
構想では、史跡篠山城跡の環境整備のあり方を総合的視野から検討するとともに、二の丸跡の整備 基本計画を併せて行ったほか、石垣修理の段階的実施計画、青山神社の移転計画、民有地の公有化等 の方針を定め、また将来の整備構想図も作成した。この計画に沿って二の丸の石垣修理に着手し、以 後計画的に天守台の石垣修理工事までを実施してきた。
図 3‑36 篠山城跡全体構想計画図(出典:史跡篠山城跡整備基本構想報告書(昭和 60 年度))
「史跡篠山城跡整備基本構想」基本方針
1 文化財の保存を第一義とする。2 復元的整備は、往時の姿、風景が見る人の想像力によって偲ばれる程度の最小限の表現とし、
過剰な表現によって誤解を与えないことを原則として行う。
3 資料そのもの、復元的整備、その他の環境整備施設それぞれが素人にも容易に識別できるよう にする。
委員会での学校移転問題及び建物復元問題についての協議と結論については以下のとおりである
(一部要約)。 1 学校移転問題
小中学校は将来的には城外移転を行うことを前提とする。しかし現時点では移転を促進できるよ うな環境とはなっていない。特に小学校については学区や学校に対する愛着など開校以来の歴史的 経緯もあり大変難しい問題となっており、これらを踏まえて学校移転の解決策を見出していくこと が大事である。このため篠山町は、教育施設の配置を含めて将来の教育環境整備方針を長期計画の 中で策定していく必要がある。
2 建物復元問題
郡民や町民の建物の復元への要望が高まっており、この取り組みを支援したい町の考えは理解で きるものの、復元については絵図、古文書、古写真等正確な資料に基づいて結論を出さなくてはな らない。このため発掘調査の一層の推進と建物復元に関する調査・研究の専門委員会等を設置し、
文献資料の調査・収集・研究を行って復元に耐え得る資料を取り揃えることが肝要である。
これを受けて構想では、城跡の整備について、史跡内の占有物件の移転 の進捗及び難易度により、1期(幼稚園、小学校、中学校、養護学校が残 っている状況下での整備)、2期(中学校移転後、小学校がその校舎を利 用する場合の整備)、3期(史跡内の全ての占有物件がなくなった状況下 での整備)に区分し、それぞれの時期の整備内容を明確化した。また、城 内の建物復元の可能性についても指針に即して検討を行った。
委員会での建物復元問題の結論をもとに、平成 2 年(1990)から平成 5 年 (1993)にかけて篠山城跡学術調査委員会を開催し、これに沿って平成 8 年 (1996)に二の丸における大書院の復元工事を開始した。
念願の城建物の復元が実現したが、町立多紀中学校と町立城東中学校を 統合して町立篠山東中学校として整備しようとしていた時期と重なった ことから、町では城跡地内義務教育施設整備検討委員会を設置して協議、
検討した結果、以下の答申がなされた。
1 篠山中学校については、早急に史跡地外に候補地を探し整備する必 要がある。
2 篠山小学校、篠山幼稚園については、当分の間許される範囲で修理 し、現在学んでいる子どもたちにとって良好な教育施設となるよう 整備を図る。
1 期整備地区
2 期整備地区
3 期整備地区
図 3‑37 事業期の区分
(出典:史跡篠山城跡整備 基本構想報告書(昭和 60 年度))
(4)第4次計画(「史跡篠山城跡整備基本構想」平成 10 年度)
大書院復元工事や青山神社社務所・篠山学校給食センターの城外移転、さらに二の丸御殿庭園整備 計画等篠山城跡の整備計画が推進される中、平成 11 年(1999)に多紀郡4町の合併により篠山市が生 まれることとなったことから、史跡篠山城跡の整備構想を明記する必要性が生じてきた。このため、
二の丸御殿庭園及び外構整備実施計画と併せて基本構想の再検討を行うこととして、平成 10 年(1998) に第4次計画として、史跡篠山城跡二の丸御殿庭園及び外構設計検討委員会と文化庁、兵庫県の指導 のもと、「史跡篠山城跡整備基本構想」を新たに策定した。
この中で、篠山中学校は早急に城外移転を行うこととしたが、篠山小学校は昭和 60 年度の整備構 想どおり城外移転を最終的な方針としながらも、城内での改築を望む声が多いことも十分に理解しな ければならず、このためあくまでも暫定手段として「一代限り」の条件を付して篠山中学校が移転し た跡地に建築するという方向性を示した。
図 3‑38 史跡篠山城跡全体構想計画図(出典:史跡篠山城跡整備基本構想報告書(平成 10 年度))