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第四章 可塑的実在と経験のプロセス
̶̶プラグマティズムと⾼次の経験論̶̶
これまで本論では、⼼理学を起点として、宗教論、後期の経験論とジェイムズの思想展 開を追いながら考察を⾏った。前章では、そこから「感じ」と「リアリティ」による経験 の⽣成を巡る「⾼次の経験論」としての性格を取り出した。その経験の展開の様相に着⽬
する際、その理論的基盤を成すのがプラグマティズムの思想である。
プラグマティズムにおいては、「実在」に対する我々の働きかけに焦点が当てられる。そ の枢軸となる実際的場⾯における有効性を基準とする独⾃の真理論も、実在との関わりか ら⽣じる経験の⽣成の場⾯を主題としている1。以上を踏まえ、本章ではこれまでの議論の まとめとして、ジェイムズのプラグマティズムの考察を通じ、ジェイムズ哲学が有する実 践的⾏為論としての展開可能性を⽰したい。
プラグマティズムは、経験における実際の効果から概念の真理性を汲み取るという⽅法 を採⽤するため、通俗的には「実⽤主義」、「⾏為主義」等と訳され、しばしば曲解されて きた。これに対してはプラグマティズムの⽴場からの反論が多数存するものの、それぞれ の⽴場やルーツによってその解釈が異なることから、多義的な意味合いや曖昧さを呈して いることも事実である。こうした状況に鑑みて、本章では改めてプラグマティズムの定義 化を試みることはせず、これまで⾏ったジェイムズ哲学の考察を元⼿にして、その中でプ ラグマティズムの思想がいかなる有効性を⽰すかを確認することとしたい。まず、プラグ マティズムにおける経験の主題化の過程を概観し(第⼀節)、それがジェイムズ哲学におい てはいかなる形で展開されていたかを確認する(第⼆節)。これらを踏まえ、プラグマティ ズムの意義が、従来の認識論的な⽂脈と、前章で瞥⾒したジェイムズ等が展開したいわゆ る「⾼次の経験論」とでは異なった形で⽰されることを論じ(第三節)、それを展開させる には、実践的⾏為の⽂脈において扱うことが有効であり得ることを提⽰する(第四節)。
極めて雑駁に述べるならば、プラグマティズムの諸解釈に共通しているのは、それらが
「経験」と「概念」の関係性を軸として為されているという点にある。そうした意味では、
経験の中でそれがいかに、実際に有効な機能となるかという問題は、プラグマティズムの 根幹に関わる問いとなるであろう。
1 ⽇常的経験の復権を唱えたリードやシュスターマンは、このような実践的場⾯を主題とするプラグマティズムの思想 から、素朴な経験に⽴ち返ることによって経験を変容させ得る可能性を汲み取っている。こうした観点における両者の 主なジェイムズ解釈は以下で展開されている。:リード[2010]、22-50⾴、およびRichard Shusterman, Body Consciousness:
A Philosophy of Mindfulness and Somaesthetics, Cambridge: Cambridge University Press, 2008, pp. 135-179.
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第⼀節 プラグマティズムにおける「経験」の問題
(1)初期プラグマティズムの主題と経験
ジェイムズ哲学におけるプラグマティズムの思想内容を検討する前に、その成⽴背景と して、彼と共にプラグマティズムの創始期の代表者として挙げられるパースやデューイに よるプラグマティズム思想の展開を確認したい。両者はジェイムズと強い影響関係にあり、
彼らによる探究のプロセスを通じた信念形成の理論や可謬主義的視点は、プラグマティズ ムと経験の具体相の関係性を⾒定める際の⼀助となる。
パースは、形⽽上学の命題を排し、科学的な⽅法で観念を捉える⼿段としてプラグマテ ィズムを提唱した。そのため、科学的な領野を超えた情緒的反応にまで範囲を拡げて解釈 したジェイムズの理論に難⾊を⽰し、それとは別様な理解であることを⽰すために、後に
⾃⾝の説を「プラグマティシズム(pragmaticism)」と⾔い換えたことはよく知られている。
そもそもパースによるプラグマティズムの格率は、観念や思想を明晰にする⽅法として打 ち⽴てられたものであり、それは以下の有名な⼀節によって表されている。
ある対象の観念を明晰に捉えようとするならば、その対象が、どんな効果を、しかも
⾏動に関係があるかもしれないと考えられるような効果をおよぼすと考えられるか、
ということをよく考察してみよ。そうすれば、こうした効果についての概念は、その 対象についての概念と⼀致する。2
ここで問われているのは、対象の意味を「明晰に捉えようとする」仕⽅についてであり、
のちにジェイムズ等によって敷衍されるような経験における「有⽤性」の意味付けは為さ れていないように思われる。この相違が、パースが⾃らの思考を以ってプラグマティシズ ムと改める機縁となる3。
探究の⽅法として⽰されるプラグマティズムは、我々の経験を形式化して規定的な枠組 みを設けようとするものではなく、探究のプロセスを進展させる運動⾃体を考察の対象と するものである。この点について、例えばパースにおいては、彼の思想体系の⼀側⾯であ る形⽽上学的宇宙論に関わる「三つのカテゴリー」の議論で同様の⾒⽅が取られている。
パースによれば、経験主体が置かれる場としての宇宙は「第⼀性(firstness)」、「第⼆性
(secondness)」、「第三性(thirdness)」という三つのカテゴリーによって成⽴するとされる。
2 Charles Sanders Peirce, Collected Papers of Charles Sanders Peirce (vol.5), Eds. Charles Hartshorne and Paul Weiss, Cambirdge:
Belknap Press of Harvard University Press, 1965, p. 258. (上⼭春平編訳『世界の名著48 パース ジェイムズ デューイ』、中 央公論社、1968年、89⾴)
3 この問題については随所で⾔及されている。主に以下を参照:⿂津郁夫『プラグマティズムの思想』、ちくま学芸⽂庫、
2006年、136-142⾴。
第四章 可塑的実在と経験のプロセス ̶̶プラグマティズムと⾼次の経験論̶̶
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雑駁に述べると、まず存在様態の第⼀性とは、他の⼀切のものと全く関わりなく、それそ のものとして存在する在り⽅として⽰されるものである。こうした性質をパースは「情態 の性質(quality of feeling)」と表現するのだが、その理由について以下のように述べている。
存在のこのような様相は『感じ(フィーリング)』〔=「情態」〕という様相においての み理解される。なぜなら、他の何ものの可能性にも無関係なものとして考えることが できる存在の様態は、これ以外にないからである。4
例えば、あらゆる⾊には他の⾊とは無関係なその⾊⾃体の積極的な感じの様相が伴うよう に、他のものとは無関係なそれだけのものであることの「感じ」が、存在の様態の第⼀性
(それ⾃体としての在り⽅)として⽰される。更に、その様態を起点として派⽣する、経 験の基本的要素を成す作⽤と反作⽤、能動と受動、⾃我と⾮我などの⼆項的な関係(「葛藤 の要素(element of struggle)」)としての第⼆性、上記⼆つによっては汲み尽くされない⼀般 的要素としての第三性という段階によって、あらゆるものの存在様態が表されることとな る5。ここではそれぞれの仔細な検討には⽴ち⼊らないが、以上の存在様態の記述により、
パースはジェイムズと同様、経験と概念、ないしは主観と世界といった具合にして実在を
⼆分化して規定化せず、それぞれを運動として地続きに考えるような態度を⽰していたこ とが、ひとまず理解される6。パースのカテゴリー論において⽰される存在様態の第⼀性と しての「情態(feeling)」と、本論で検討してきたジェイムズによる経験様態としての「感 じ(feeling)」は、それぞれ異なった訳語が充てがわれていることからも理解し得るように、
意味内容もまた⼤きく異なるように思われる。実際にドヴァールによれば、パース⾃⾝は ジェイムズの純粋経験概念を「『経験』という我々の⼈⽣において直⾯する概念」、すなわ ち、汎⽤性に⽋けており、制限された概念として受け⼊れていなかった節があったという7。 しかし、両者の共通点として重要であるのは、固定的な枠組みとして世界を捉えるのでは
4 パース『連続性の哲学』、伊藤邦武訳、岩波⽂庫、2001年、88-89⾴。
5 それぞれの諸特徴の仔細については、Charles Sanders Peirce, Collected Papers of Charles Sanders Peirce (vol.1), Eds. Charles Hartshorne and Paul Weiss, Cambirdge: Belknap Press of Harvard University Press, 1965, pp. 148-171(⽶森裕⼆訳『パース著作 集1 現象学』、勁草書房、1985年、8-28⾴)におけるパースの記述、及び冲永[2007]、184-185⾴を参照。これらに基 づき、⼼理学における「感覚」、「知覚」、「信念」として、物理学における「不確定性」、「⼒」、「統計的規則性」のよう にして、あらゆる存在様態のカテゴリーに応⽤される(伊藤邦武『パースのプラグマティズム』、勁草書房、2003年、
118-119⾴)。
6 こうした⾒⽅は、⼭根が述べるようにプラグマティズムの形成基盤となる。「プラグマティズムの⽅法においては、あ るものの実在性を肯定するためにはいわばその『果実』のみを問題にすればよいのであって、あえて『起源』を求めた り『基礎づけ』を⾏ったりする必要はなく、そのときそのものの本性が物理的であろうが⼼理的であろうが神的であろ うが異なることはない。こうして、⽇常的及び科学的な実在と宗教的な実在は同じ平⾯上に置かれることになる」(⼭根 秀介「ウィリアム・ジェイムズにおける宗教的な経験と実在」、『宗教哲学紀要』第36号、宗教哲学会、2019年、63⾴)。
7 コーネリス・ドヴァール『パースの哲学について本当のことを知りたい⼈のために』、⼤沢秀介訳、勁草書房、2017 年、51-52⾴。