——ジェイムズ経験論の拡張に向けて——
第⼀節 ⾃我論と多重⼈格論を巡る「感じ」と経験の形成
(1)異常⼼理現象への視座
本章では、これまで考察してきた内容を追いつつ、その中に残された課題や展望について 論じてゆきたい。
初期の⼼理学研究においては、意識現象の考察を中⼼に、その中で我々の「感じ」が、単 純な感覚作⽤とは別様なものとして、⾃我の核を形成するものとして捉え得ることが⽰さ れた。⾃我の中枢を「感じ」を通じて捉えることによって、いかなる展開可能性を論じるこ とができるだろうか。
ジェイムズは『⼼理学原理』において、⽣理学や解剖学などの科学的⾒地を前提にした⾝
体的変化を伴う⼼理現象を、「⼼理学」の研究領域として⾒定めていた。しかし、ラッドに よる『⼼理学原理』批判に応答する形で書かれた論⽂、「『⾃然科学』としての⼼理学への答 弁“A Plea for Psychology as a ‘Natural Science’”」内においては、⼼理学それ⾃⾝を、⼀つの⾃
然科学であるとは考えない態度が⽰されている1。ジェイムズによれば、物理学が物的世界 を仮定し、その中で⽣じる現象間に法則を⾒出すことに専念する⼀⽅でその世界の成⽴背 景を問わないように、⾃然科学とは、その対象となるあらゆるものの存在を暫定的に容認す る常識的基礎の上に⽴ち、ある特定の事柄における実際的な有効性や法則を⾒出す営為で ある。ジェイムズが試みていたのは、こうした限られた範囲内における探究とは別様のもの としての、⼼理学の拡張である。それは、従来の「経験的(⾃然科学的)」か「合理的(思 弁的)」か、という⼆者択⼀的な捉え⽅以外の、現に我々に与えられている「経験の事実」
としての「⼼的状態」を捉えるものとしての「⼼理学」の道筋の模索として⽰された。こう した試⾏の内から⾒出されたものの⼀例が、⾃我論において論じられる多重⼈格論である。
意識主体に関する記述の内で表される「私」についての根本的な問題、つまり「⾃我」の 成⽴に関する問題についてジェイムズが主張していたことは、最終的に「実体的な『⾃我』
なるものは存在しない」という経験の主体性の成⽴に関する根本的な問いであった。ジェイ ムズは、こうした問いかけによって経験への問いそのものを無意味化させようとした訳で はなく、むしろ素朴に主体性を確⽴することによって阻害されてしまうような経験領域へ の拡張を試みていたと考えられる。この点を踏まえて、改めてジェイムズと⾃我をめぐる問 題について検討することとしたい。
1 William James, “A Plea for Psychology as a 'Natural Science',” The Philosophical Review, Vol. 1, No. 2 (Mar., 1892), Duke University Press on behalf of Philosophical Review (https://www.jstor.org/stable/pdf/2175743, visited Jan. 14, 2019), p. 146.
第五章 ジェイムズ哲学と‘feeling’—‘reality’の転回 ——ジェイムズ経験論の拡張に向けて——
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ジェイムズは実体的な⾃我の存在を否定していた。ジェイムズの場合、⾃我とは、個々ば らばらの識(sciousness/シャスネス)を共―識(con-sciousness/意識)としてまとまりを成 す部分の中⼼に座すものとして⼆次的に捉えられる。すなわち、⾃我とは予め意識を統合さ せる機能として想定されるものではなく、あくまで意識の流れの内から反省的に捉えられ るものなのである。こうした⾃我の実体性の否定は、意識の多重状態(いわゆる多重⼈格)
の症例研究においても応⽤されることとなる。
『⼼理学原理』第⼗章「⾃⼰の意識」においてジェイムズは、フランスの⼼理学者である ピエール・ジャネ(Pierre Janet, 1859-1947)による成果を引⽤しながら、多重⼈格の在り様 を「⾃⼰の変化」として論じる。ジェイムズによれば、多重⼈格などの超常的な⼼理現象が 可能になるのは、「隠れた⾃我」の作⽤によるものである。それは⽇常的な覚醒状態の意識 下に潜んでいる「下意識」のようなものであり、それがある状況下で顕在化することにより、
通常の⼈格とは異なった⼈格が現れるようになる。ジェイムズに影響を与えたジャネ⾃⾝
の考察では、多重⼈格現象は、「意識野の狭窄(rétrécissement du champ de la conscience)」と して説明される。ジャネによれば、⼀つの⼈格が形成される際、経験内において作⽤する感 覚機能や運動機能などのような複数の意識が、⼀つの束として全体的に統合される必要が ある。その際、その意識の束を統合する⼒が何らかの形で弱まってしまった場合に、その⼀
部のみが機能し、それが意識の断⽚的な束として、別の⼈格として振る舞うようになる。そ して、複数の断⽚の束が多重⼈格現象として発露するに⾄るという2。
こうしたジャネの多重⼈格現象の枠組みは、ジェイムズによる⾃我論の根本的主張と重 なる部分がある。しかし、ジャネの⼈格の多重化に関する理論は、たとえ断⽚化の修復を可 能にした所で、「元あった⼈格の意識の範囲を越えることはなく、別の新しい⼈格的意識の 発現の余地があると認められていない」とする点において、意識の辺縁を超え出た所から影 響を与えると想定するジェイムズからは制限されたものとして⾒なされるものであった3。 ジャネは、⼈格の多重化はその現象が⾒られる⼈物に元来備わった意識領野内で⽣じる ものとしていた。前述の通り、それはあくまで意識の断⽚化に伴う現象であり、予め規定さ れた意識の組織的な枠組みの内で⽣じるものであった。しかし、仮にそうだとすると、霊媒 による予⾔などのように、意識現象の枠を予め設定してしまう⽅法では説明しきれない事 例が存している。この点から、超常的な意識現象が⽣じる枠組みを発⽣の段階で条件的に規 定する⽅法とは別の視座が必要となり、ジェイムズはそれを、フレデリック・マイヤーズ
2 ピエール・ジャネ『⼼理学的⾃動症:⼈間⾏動の低次の諸形式に関する実験⼼理学試論』、松本雅彦訳、みすず書 房、2013年、183-191⾴を参照。ジャネは、こうした多重⼈格現象の原因となる「⼈格としての精神の統合⼒の弱ま り」は本⼈のトラウマ的な経験に由来するとし、催眠療法で記憶を修正することによって、その解決を図ったという
(伊藤[2009]、110-120⾴を参照)。ここではジャネの症例研究には具体的に⽴ち⼊らないが、ジャネの「意識の断⽚化 と統合」という⼼理事象のモデルは、ジェイムズによる「あたたかみ」や「親しみ」による⾃我の統合説と融和性があ ったことは、両者の影響関係を考える上で踏まえておくべき事実であろう。
3 伊藤[2009]、119-120⾴参照。なお、マイヤーズのサブリミナル論の内容、及びそれに対するジェイムズの積極的評価 に関してはHelen Groth, “Subliminal Histories: Psychological Experimentation in the Poetry and Poetics of Frederic W. H.
Myers,” Interdisciplinary Studies in the Long Nineteenth Century, 12: Psychology/Aesthetics in the Nineteenth Century, Cambridge:
Open Library of Humanities, 2011, pp.1-5を参照。
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(Frederick William Henry Myers, 1843-1901)のサブリミナル理論に⾒られる、超常意識的な 領野の存在に関する分析から⾒出したのである。
マイヤーズは、ジャネとは別様に、意識領野の深奥に潜むサブリミナルな領域を⾒出すこ とによって、その領域の位相的な探究を主眼とし、ヒステリー症状を、「意識に上らない多 層からなるレベル間のコミュニケーションの失調」としての「催眠的階層の病」と定義した
4。前述の通り、ジャネの場合は、意識領野の既定された枠組み内における⼈格の断⽚的な 束が「平⾯的な分裂」を起こしていると捉えられていたのに対し、マイヤーズの場合は、⼈
格の内にある「催眠的階層」という垂直的多重性の移⾏によってヒステリー症状が⽣じると された5。マイヤーズの場合、ジャネの構想とは逆に、その問題意識の中⼼にあったのは「意 識が本質的な⼀性を持たない」というテーゼであり、ジェイムズは、⾃我をある種の散逸的 なものと捉えるマイヤーズの観点を敷衍する形で、主体性の存⽴を実証的な場⾯における 具体的な結果から推察する⽅法を採⽤するに⾄ったのである。新⼼理学派に代表されるよ うな、従来の⼼理学者が焦点としていた⽇常的な⼼理現象(実証実験の対象となり得る範囲 内の経験)に対し、ジェイムズによって捉えられたような意識のゴシック的構造に関する記 述は、ジャネやマイヤーズによる影響が⾊濃く反映されており、従来の規定的枠組み内にお いては理解し得ない下意識層の領野の存在にこそ、経験の展開可能性の豊穣さが⾒て取ら れていたのである6。
そこで問題となるのは、経験の展開が主体性という既定の枠組み内で展開されるものな のか、あるいはそうした限定的な枠組みは経験の原初の段階では存在せず、主体による安定 したまとまりとは別様に、ある仕⽅においてそれらが統合されることによって展開される 形を取るか、という⽅向性の選択である。ジェイムズにおいて、⾃我とは経験の帰属先とし ての主体の唯⼀性を⽰すものではない。また、それは経験の流れの内においては現象的状態 として既に存⽴しているものでもない。多重⼈格現象において⾒られるように、経験は、必 ずしも「この私の」経験として展開される訳ではない。そこにおいては、⼈格の交代による
「私」性が消失する場⾯が存在することが理解される。しかし、そうした解離や断⽚化が⾒
られるとしても、経験はある⼀定のまとまりを持つものとして、通常我々にとっては感じら
4 伊藤[2009]、123⾴。
5 臨床の場⾯における症状の発露に関して、伊藤は具体的に次のように述べている。「マイヤーズの『催眠的階層』の モデルでは、ヒステリー的感覚⿇痺とそれに連続する催眠現象のなかで明らかにされる、サブリミナルな領域の『トポ ロジー的探索』が企てられる。そして、その結果として、催眠現象のうちなる多層は、チック症状、⾃動書記、テレパ シーをともなう⾃動書記、夢中歩⾏、遁⾛、多重⼈格、擬似憑依現象、テレパシーをともなう憑依現象というかたちで 真相へと進み、その極限に、パイパー夫⼈の冷媒現象のような超常的認識、現実世界を超えたところにある精神との交 流が⾒出される」(伊藤[2009]、124⾴)。サブリミナルな層への移⾏というモデルは、最終的に⼼霊現象へと応⽤され ることとなる。
6 彼らが活躍した時代(⼗九世紀後半〜⼆⼗世紀初頭)、「正統な」⼼理学として実証科学的な分析が主流となってお り、そこでは標準かつ正常な⼼理現象が対象となっていた。しかし、マイヤーズやジェイムズの場合は「サブリミナル な⾃我という概念」を巡る探求によってロマン主義的⼼理学の領域が開拓された。当時の⼼理学研究における、上述の ような⾮体系的な経験領野を対象とするか否かという問題が、「科学」としての⼼理学の在り⽅を改めて問う程の根深 い問題へと繋がってゆくのである。この点についてはReed[1997], pp. 218-220(村⽥・染⾕・鈴⽊訳、301-304⾴)を参 照。