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ドキュメント内 津 軽 弘 前 藩 の 武 芸 叩 (ページ 33-47)

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﹁ この掛軸は︑道場正面床の間に掛けていたのではないかと思われる︒揮著者や揮一室の時期については不明︒ただ左下に 三センチメートル四方の印があり︑これが揮著者の印と思われるが︑印文は読めなかった︒

119 

解説八幡神︒最も早い神仏習合神︒本来は豊前国(大分県)宇佐地方で信仰されていた農業神と云われる︒天応元年(七八一)

仏教保護︑護国の神として大菩薩の号を贈られ︑以後寺院の鎮守に勧請されることが多くなった︒また︑八幡神を応神天皇

とその母神功皇后とする信仰や︑平安末期以降︑源氏の氏神とする信仰が生まれ︑武神・軍神としての性格を強め︑武士の

守護神として信仰された

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) 春日明神︒奈良市春日野町にある春日神社の祭神︑即ち武聾槌命︑経津主命︑天児屋根命︑比売神

0 L武斐槌命1

寸 経 津主命Lは︑天照大神の命により出雲国より降り︑大国主神に国譲りをさせた神として︑また神武東征の協力神として雷神・

剣神︑武神の神格をもち︑武士の信仰を受けた︒(長一日一献)

武芸者は天照大神への尊崇を中心として︑八幡大菩薩を武の神として尊敬し︑また鹿島(主神は武聾槌命)香取(祭神は

経津主命)の両神宮を古くから武神を祭る神社として武運を祈ってきた︒

江戸時代には多くの武芸流派が生まれ道場で稽古が行われるようになったが︑道場の正面には神棚を設け︑注連縄を張り︑

津軽弘前藩の武芸(15)

120 

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理解する上れるのであるが︑現在の自分

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に当ったのが年(一九八六日であった︒ぞれか

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としてる機会を得て︑︒回に

の資料紹介はで終りとするが︑実は

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の私生活や心情等を

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では充分に読み切れるものではなか

た ︒

とはこのこ

のところ見当らないが 今回紹介した資料の中に︑浅利静兵衛均禄が模用したと缶えられる﹁小太万﹂︿木刀)がある︒

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る木刀と思われる︒

)の﹁小太万﹂の特徴は︑数え切れなし程多く刻まれ

ではなく︑真剣をさ︑ばいに受けた創である︒しかも

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それが数回数年に及んで次第に部く前られたもの の﹁小太万いについて

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にある︒この創辻︑相手のそれ

回で受けた説は小さく︑深く削ちれるようなことはなか

たで

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いる

「文化紀要」第34号.1991年

られる︒いま﹁小太万

Lめて万能の刻みを糠視すれば︑激しい戦標を覚える︒

この﹁小太万し

に寸撤にむかつて少し

﹂と

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て勝負を挑む拍手を想結滞してみる︒このようなとき︑自分は無念無想の心

なげうって深くふ

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み︑敵の太万

﹂ぶ

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は関も切るのであるが

の明られる思いであった︒﹁寺山家所識しの大切な遺品 しかる持は利あり︒Lと そのような時の覚需を述べている︒な

では身心硬宣してしまいそうである︒

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じ打たるる時

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もし出してくる︒引き込まれるよう

わが家の床の間に掛け

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の掛轄を右にJ

比八幡大神ヘ左に

と大

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一回

し て部屋全体が不思議

ばし︒自ずから身が引き締まり︑時の流れを志れる︒

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の諺行者たちは︑正面にこの掛軸を掛け ふけったものであろうか︒そうすれば︑この掛軸誌かれら修行者た

持見

守り

続行

なろう︒想いは次から次へと監けめぐる︒ て相対する

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﹁掛

L

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に対する所見を述べて寸あとがきしとする次第である︒ は真剣勝負の議まじさを教えてくれたが︑この掛軸は悠久に重々しく流れる武道の有り様を一本唆してくれた︒

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121 

年六月八日

r‑,...化紀嬰J 第:l4号,1991仔

1~3

※写真(1) 今八郎治覧手そ の朱印と花押ζ "宛名 刀音f;分がqjりと

F

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※写真(2) r篠縫手」の表と裂。

津軽弘前藩の武芸凶 124 

「文化紀要」第34号, 1991年 125 

※写真(3)肩 と 上 腕 の 部 分 の 鉄 板 と 紋 様の肘 に 当 る 菊 の 紋 様 (左腕)

津軽弘前藩の武芸(J5) 126 

※写真(4) 前腕の3板の鉄板と紋様。真中は党字。手の甲に「扇」

の紋様。 手首は紐でいまるようになっている。

「文化紀要」第34号.1991年 127 

※写真(5)鉄板の右側に 「安政六己年」と刻んでいる。

※写真(6)鉄板のさr.側下に「八月吉日」と刻んでいる。

津軽弘前審の武芸U5) 128 

「文化紀要」第34号, 1991年 129 

※写真(7)鉄板の右側に「合浦外ヶ漬砂鍛ヲ以」と刻んでいる。

津軽弘前藩の武芸05)

※写真(8)鉄板左側の上に 「弘前住」左側の下に「紀宗賢作之」と銘 を刻んでいる。

130 

文 化 紀 要 」 第34 1991年

131 

※写真(9)浅利伊兵衛均禄が使用したと伝えられる「小太刀J(木力)43.0  cm。約150g。

※写真(9)先端三分のーから三分の二にかけての万創。

津軽弘前藩の武芸05) 132 

※写 真(0)先端三分のーあたりの7J創。

※写真(11) 皮革製の大型鍔。直径約32.0cm。厚さ11.0cm。

「文化紀要」第34 1991

133 

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宣 言 曲 ま 書

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※写真(12) 朱印その他。

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日 朝

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※写真(13) 花押その他。

津続弘前潜の武芸(15) 134 

川 ゆ え 砂

金 久

・ 神 宮

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