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博物館活動の見直しと新しい試み、地域における博物館を中心とした 空間 空間

第3章 民族に関する博物館活動の見直しと新しい試み

本章では植民地主義的な博物館からの脱却の過程と現代の博物館における文化表象に ついて考察する。特に先住民族に関する活動を行うための博物館像について述べる。その ためにはまずこれまでの博物館が文化の展示というものをどのように捉えてきたのか、そ してこれからの展示はどのようにあるべきかについて考察を行う。なぜなら博物館で扱う ものはある文化を一定の制約のもとに切り取り博物館という装置によって再構成されたも のであるからである。この再構成という行為は博物館が置かれた社会状況によって変容す るため常に一定であることはありえない。ここでは人文系博物館のうち特に民族に関する 資料を扱う博物館がその民族の文化を展示として再構成する時に与える効果・影響を中心 に考察していく。諸民族が自己の歴史や文化を見つめなおす動きが活発化している現在、

民族的アイデンティティを形成する場としての博物館のあり方も見つめなおさなくてはな らない。

民族に関する文化を扱った博物館1の展示の主流は対象とする社会の時間と空間を区切 ったいわゆる「民族誌的現在」で構成されてきた2。つまり民族社会の文化がひとつのまと まりとして恒久的に変化のないものとして展示を構成してきたのである。振り返ると近世 では民族学博物館は「珍品陳列室」としての性格を持つものであり、王侯貴族が自らの権 力の象徴として収集したものに過ぎなかった。すなわちその文化を語るものではなく収集 者の地位の高さを語るものであったと言える。その後人種の序列化と進化論に対して科学 的根拠を追及するとして世界に存在する多様な人間集団を野蛮・未開・文明の各進化段階に あてはめる作業が繰り返された。このような学としての人類学はその教育装置としての人 類学・民族学博物館設立の動きに拍車をかけることとなった。

このような博物館の起源は 19 世紀後半、植民地支配の拡大に伴い数多く建設されたこ とに遡ることができる3。政治学者であるアンダーソンは植民地国家がその支配領域を把握 し住民を分類する権力の制度として人口調査・地図・博物館を挙げている4。言い換えれば

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「その支配下にある人間たちがだれであるのかという性格付け、その領域の地理、その系 譜の正統性」5となるが、19世紀の植民地主義、すなわち自らが支配していない他の国家・

地域に対して征服を推し進めた活動は、遺跡を博物館化(museumized)することにより文 化遺産としての価値を高め、その征服と支配を正当化していったのだという。ここでの「博 物館化」とは国民的アイデンティティを構築する上でのシンボルとしての意味づけを遺跡 に対して行うことである。

このような博物館に対しては 1980 年代中盤より批判の声が上がったり、先住民族から の異議申し立てが行われたりするようになってきた。民族に関する資料は支配者や収集者 といったマジョリティによって価値判断されたものであり、その本来の所有者によるもの ではなかったことへの批判である。これは第2章で述べた先住民族の権利獲得の国際的な 潮流と同様であるといえる。

そこで本章ではまず第1節で近年活発化している民族に関する博物館活動における新し い試みについて述べる。第1項では民族に関する博物館活動の新しい試みにに至る背景と して、その活動の見直しの取り組みについて考察する。ここでは民族を扱った博物館の存 在意義を見つめ直す契機となった1984年にニューヨーク近代美術館で開催された展示、そ して1988年のカナダ・グレンボウ博物館での展示について検討し、その問題点について述 べる。第2項ではこれらを契機とした新しい試みについて考察する。ここでは民族を扱っ た博物館の存在意義を見つめ直す論考を行った吉田憲司の理論を援用して修正主義的な展 示・自省的な展示・対話や共同作業を志向する展示・「自文化」の展示について海外事例 を挙げながら検討していく。

次に第2節では吉田の理論を基にして日本国内の事例、特にアイヌ民族に関する活動を 行っている博物館における事例を挙げて考察する。第1項では日本国内のアイヌ民族に関 する活動のある博物館について北海道大学アイヌ・先住民研究センターの調査を元にその 状況を確認する。第2項は管内人口に占めるアイヌ民族の割合が大きいこと、二風谷ダム 裁判に見られるようにアイヌ民族にとって重要な場所であると同時にアイヌの文化に対す る意識が比較的高いこと、展示されている資料のほとんどがアイヌ民族に関する資料であ ることから平取町立二風谷アイヌ文化博物館を事例として検討する。第3項は北海道最大 の都市である札幌市にあり、やはりアイヌ民族に関する資料を多く所蔵・展示しており、

同時に北海道「開拓」の歴史に関する資料も扱っていることから北海道開拓記念館を事例 として検討する。またここではこれまでに開催された特別展・テーマ展の分析も行う。

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そして第3節では「『自文化』の展示」に対して博物館がどのように取り組むことがで きるのかを考察するため、第2章第3節で述べた行動指針に基づいた博物館活動について 検討を加える。第1項ではオーストラリア最大の都市であるシドニーに位置していること、

前述したPPNOの作成に関わったグリフィンがオーストラリア博物館を中心としてこの行 動指針を具体化した取り組みへと発展させたことを重視し、同博物館を考察対象として述 べる。同博物館はマジョリティ側が設立した民族を扱った博物館であるため、日本国内に おいては国立民族学博物館や前節の北海道開拓記念館などがその類型とできるだろう。第 2 項では行動指針に基づき行われた遺骨をはじめとする博物館資料の返還がどのような意 義を持つかについて考察を加える。

第1節 民族に関する博物館活動における新しい試み

第1項 民族に関する博物館活動の見直しに至る背景

博物館は資料の収集(あるいは収奪)によって成立してきたといえるが、ここでこの収 集と保存という行為がなければ多くの資料は散逸してしまい消滅してしまった可能性は確 かにある。当時収集(収奪)が行われた背景には人類誕生の黎明期からの痕跡をとどめて いると考えられた民族は人類学の記述対象となったことが存在する。それはこのような「原 始的」民族は文明に触れることで啓蒙され、やがて「原始的」ではなくなってしまうので その「生きた化石」である伝統的な民族文化が存在している、またはその痕跡をとどめて いるうちに記録し保存しなくてはならないと考えられたからである。

しかし支配者が被支配者に対してその収集物に見合うだけの対価を支払ったかは疑問 である。例えば出利葉浩司はアイヌ民族に関する資料が収集された形態として、(1)所有 者からの寄贈(2)所有者からの金銭的購入(3)第三者からの購入あるいは寄贈(4)古物 商より購入の4点を確認している6。また、「年代あるいは地域、個人によっても、違いが ある」としながらも「所有者は手放してよいものを手放し、そうでないものは手放しては いないようにみえる」7と述べている。しかし「収集者の意図について、復元することは難 しい」8とも述べており、収集当時の権力関係と併せてそれが「合法的」であったのか「収 奪」であったのか慎重な研究が必要である。ただし同時に、アイヌの民俗資料の収集に尽

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力した萱野茂は「アイヌの民具が無料同然に持って行かれるのを防ぐため、買い取って守 ってやろうと思い、民具を集める事をはじめました」「周囲の人も、茂はなんのために他 人が捨てるような物に金をかけるのだろう、と思ってみていました。また、はっきりと、

そんなことはやめろと忠告されたこともありました。それでもわたしは、今は投げ捨てる ような物でも、将来必ず値打ちが出るときが来ると確信していましたので、そのときにな って、あいつは無料で持って行かれたなどと陰口をたたかれないように、必ず代金を払う ようにしました。わたしが集めた中には無料でもらったものは、どんな小さい物でも一つ もありません」9と述べているが、萱野が対価を支払ったのは、ある時「父が最も大切にし ていたトゥキパスイ(奉酒箸)が見え」10なくなっていたことや、研究者が「二風谷に来 るたびに村の民具を持ち去」ったり「神聖な墓をあばいて祖先の骨を持ち去」11ったりと いう行為に対する批判が含まれていると見てよい。このことからアイヌ民族に関する資料 は、わずかな例外を除き、そのほとんどは不当な対価との交換かまさしく収奪したもので あると推定できる。

その収集された資料は、支配者や収集者といったマジョリティによって価値判断がなさ れ、文化財としての価値を付与されたものがほとんどである。その資料が元来誰のもので あるか、そして正当な手続きを経て収集したものであるのかといったことを考えると、当 時の博物館が収蔵していた資料の多くを文化財の保護という意味を持たせることで正当化 することはできない。このような異文化の展示を収集者や展示を行う者の視点や都合によ って一方的に行ってきたという歴史が存在するということも民族文化を扱った博物館に新 しい視点が求められている理由であろう。ただし過去の植民地主義の反省から展示から特 定の価値観を排除し、極力中立であること意識するが故に、すでに姿を消してしまった民 族や植民地化される以前の民族の紹介にとどめる、すなわち当事者がすでに存在しない民 族のみに限るといった展示活動にしようというわけではない。これでは単に現在存在する 民族から目をそらしているに過ぎず、その民族の文化を尊重しようとする認識がないとい う点で本質的には植民地主義的な博物館と大差ないからである。

これまでの民族を扱った博物館の存在意義を見つめ直す論考を行った吉田憲司は、新た な存在意義として「西洋と非西洋の歴史的関係性の具体的な証」と「文化的アイデンティ ティの形成の装置」の二つを挙げている12。この契機になったのは1984年秋にニューヨー ク近代美術館(Museum of Modern Art: MoMA)で開かれた「20世紀美術における『プリミ ティヴィズム(原始主義)』:部族的なものと現代的なものとの親和性」(“Primitivism” in

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